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kotaroのブログ一覧

2018年01月24日 イイね!

自動車雑誌の意味

自動車雑誌の意味20年くらい前は本当に元気だった。
私も、自動車社会も、自動車の雑誌も含めてである。






今でも、1990年代くらいの楽しさが、残っていたら、
社会の中で、楽しいことがいろいろと出来るだろうと思う。

何が変わったのかというと、情報の入口と出口、それに伴う人間の受け取り方だと
思っている。

自動車雑誌の新車記事は要るのか?という問い掛けが、最近の「ベストカー」に
載っていて、論議をちょっと呼んでいるらしい。


しかしそれとても、「だからどうなんだ」という、影響力の少なさと思う。



私は、イベント社会の方は一定の役割を満たして、社会(インフラ)的に
消長、成功失敗はあれど、定着したと思っている。

でも、この20年間、自動車雑誌の方は、活路を見出せないままに、先細りと
新機軸が出せないままに到っていると思う。

一時期「CGクラブ」のような「お高くとまっていた」雑誌が、直接、読者層に
アプローチをかけて、ファンクラブを作ろうと努力したことも、知っている。

DM(ダイレクトマーケティング)に挑戦したカーグラフィックの試みは、
評価すべきだろうか。あまりにもレジェンドと化した小林彰太郎の編集長時代
から、今や時代は遠くなった。

小林が活躍したのが1962年から80年代である。
その後2代目編集長が短期間で辞したり、混乱もあり小林の「神通力」に
ずいぶん頼っていたと思う。
90年代に、安定があれば小林はもっと落ち着いた老後を送り、日本のモーター
ジャーナリズムも、御意見番として、発展に活躍出来たのではないかと思う。


自動車産業の方も、そんなに悪くはなかったのが、90年代だが、実際の日本は
97年以降に長いトンネルに入ってしまった。

今、雑誌や、ジャーナリズム、そして趣味のあり方と言うものは、
インターネット社会が、基盤を作り上げてしまってから、その上で踊り、
何とか生き残る方法論に、終始しているのではないか。

いわんや、個人レベルの趣味においてさえ、である。




そろそろ、ポストデフレ期の社会に、取り組まないと、20年間をいつまでも
lost in time (失われた)と呼び続けるだけである。

自動車雑誌は、幸いなことに絶滅はしていない。

編集者も2、3代入れ替わってきている。
今こそ、新しい時代の趣味やカーライフ。それと、固定や先入観の払拭に務め
新しい役割や活路を作り出していかなければ、いけないと思う。


軸のひとつに考えて欲しいのが、旧車を漠然とした趣味として見るより、
アーカイブの縦軸を構築して、この時代のそのクルマの意味とか、
何が新しかったのか。この時代に何を産み出したのかということを、
整理して、並べ揚げて行って欲しいと思う。


でないと、新車記事がなぜ要らないのか。新車がデフォルトで、完成度が
高くなったから、インプレッション記事は、必要がないという結論しか
出てこない。


確かに、これまでの書き方で新車記事を読んで、クルマを買おうという
発想は、かなり影響がないと思う。
活字媒体に、人びとが就職や、仕事を求めていた時代は、そこに人間を
呼んでくる何かがあった。


それが情報の入口の先端だったことが最も大きい。


いま、情報の先端が違うのならば、出口的なあり方について、もう一度
考えたら良い。
出口は加工も出来るし、これまでとは違う可能性が残されていると考える。
きょうはここまでにしておく。










Posted at 2018/01/24 14:47:37 | トラックバック(0) | 日記
2018年01月22日 イイね!

日曜日の過ごし方

日曜日の過ごし方また天保山のミュージアム主催の、朝走行会に行って来ました。

朝そんなに早くはないのですが、高速を使わないと、間に合いません。
池田から、朝の阪神高速に乗り、天保山まで30分くらいです。

都会に住むことのメリットは、使わせて頂いていると言えるでしょう。



こちらの行事に参加させてもらうようになり、2回目です。
まだ皆さんと特に親しい仲でもなく、今後はどんなふうになるのかは、
未定です。

しかし、しばらく私もクルマも、居場所がありませんでした。
京都の高雄は、悪くはないのですが、ベストとも言えません。
毎年、「敷居」が高くなるように感じているし、10年続いて
それなりの権威にも成長しました。





そうやって考えると、アマチュアぽい行事ですが、今の私はカー行事
リハビリの最中と言っても良いかもしれません。
あんまり身構えた行事に行って、もみくちゃにされても、うまく立ち回れないと
思います。





今は何せ余裕がありません。
これ1台を維持することが汲々の状態ですから。
しかし、850一台、あると無いとでは、その差は大きいなあと思います。

この年で、定年間近になって、やっとご褒美で「エンスー車」に入って
こられる人もありますが、こんなオールマニュアルの機械式車なんて、
60前になり、初めて乗るなら、私は根性が無いので、やらなかったでしょう。




私は少し親しくなったミュージアムの職員らと、会話をするようになり、
若い彼らの、クルマ好きな思いも理解しながら、
ああ、こんなことも、知らないのが今は普通なんだなと、そういう落差にも
驚きつつ、アプローチもいるんだなと、再度理解していきました。


高雄は悪くないけど、
すべて判り切ったこと、というのが大前提で、ミーティングがスタートしています。

朝遅れて来るのも、場違いだし、空気を読めないという判断になります。





私は、最近twitterで若い車好きらの人びとの集まりと、接近が始まりました。

彼らはビジュアルから、もちろん知識と運転能力はありますが、
私らとは違う感覚で、旧いクルマが好きになり、20代、30代が集まってきて
いるようです。

そういう人びとの、盛り上がり方は、私が若い頃にも似ていますが、
少し違うし、2018年という制限された時代の中で、80年代から90年代を
楽しもうと、しているようです。

だから60くらいのおじさんたちは、もう少し、胸を開かないと
10年後には嫌われていかないか。




家に帰ってから、カーナビを付けました。

これで今週末は、今年も東京に行って来ることに、いたします。


Posted at 2018/01/22 07:18:47 | トラックバック(0) | 日記
2018年01月16日 イイね!

震災と自動車

震災と自動車23年も前に、私は住んでいた街で大きな地震に遭遇した。
戦後の自動車が、ある程度以上普及するまでの時代に
大きな地震は少なかった。
なので、この時は2011の東日本震災とは違って、初めての取り組みや
環境の問題とか、考えさせられることは多かった。

またネットも殆ど無く、ましてiモードや携帯の使用も未発達の時代であった。



近所の小学校は、長らく避難所になり、たくさんの人びとが生存情報や
安否確認の連絡場所になっていた。

カラー写真の方がまだ寒い時期で、震災から1ヶ月以内だろうか。

寒いので自動車の中で暖を取る人が多かった。
まだエコノミー症候群の恐ろしさは、それほど言われていなかったと思う。

私は自分のことを書くとまずいことはないが、850が保管場所で無事だったので
瓦礫を踏み越え移動手段に、頻繁に使用している。


そんな避難生活の最中に崩れたガレージの下になった古い車をみつけて
嗚呼と思った。

ところが夏くらいになり、小学校に行ってみると、その車は生きていた。
屋根は少し凹んでいる。



おそらくワンオーナーの個体であったのだろう。

それから10年が経ち、住んでいた町を離れることになるのだが、
その間にこの国産車と再会することは、なかった。

でもこの奇跡的な生命力を持った車は、その後どうなったのだろうと
今頃になると、ときどき思い出す。


震災の時に、感じることは、大き過ぎて今でも判らない。
自然の猛威に敬虔になれとも、いえない。

個人的な些末なメモリーは、いくつかの断片である。

それでこんな記事を書いてみた。
美談なんてどこにもなかったし、マスコミに取り上げられるのも、不自然だった。

でもこのニッサン・チェリーが、矍鑠として生きていたことは、ちょっと
嬉しかった。

旧いクルマに乗るもの同士というより、カーズの会話が聞こえたなら
それで良いではないか。

あれから20年以上が経ち、古いクルマは増税の対象になったり、
あんまり気持ちよく乗れない時代になっていった。



素の、ワンオーナーカーが、肩身を狭く感じずに生き残れた最後の時代。
それが震災というレクイエムであったのではと、いま思っている。




Posted at 2018/01/16 13:20:52 | トラックバック(0) | 日記
2018年01月10日 イイね!

金曜日のバブラーたちへ

金曜日のバブラーたちへ新年早々株価が好調なようだ。
前回のバブルは30年前のことになる。
私は当時20歳代後半で、働き始めて数年後のことだった。

今振り返れば、実感の無かったバブルだったが、
細かく見ていくと、その後の社会の流れを作ったことも多い。

だから今日は、バブル批判をやらずに、前と後、それから30年について
考えていきたい。

前のバブルは、1985年のプラザ合意で、日本に大量のマネーが流れ込んで
きたことが原因で起こった、地価高騰と、金融の暴走を主に指す。

しかし私含めて、庶民は現象面を面白く感じただろう。

株の値段がぐんぐん上がり、金融商品は加熱競争になり
冷静な筈の銀行が踊って、最後はみなシュンとした。
それは日銀の引き締めが、し過ぎだったと言う。

その前から1980年代は、70年代と雰囲気が違っていた。
景気が良くなり始めた原因は、「なんかそんな雰囲気」があるのかなあ、という
心理側面のことから書いていこう。

80年代は前半と後半で、実はかなり中身が違うのだが、それは地続きの
大陸のようにつながっていたのである。





80年代前半はまだ、独身男性が輸入車に乗ることは、限られていた。
医者のタマゴか、タレント芸能人くらいの時代だと思う。
しかし、ちょっと売れた芸能人が、外車に乗り始めると、俺もその内
乗れるのではと思うようになった。

それまではスカイラインとセリカが憧れの時代に、これは大きかった。

https://minkara.carview.co.jp/userid/773427/blog/40801190/
この記事
に出て来る岡本かおりのシロッコなんかが、そんなイメージに
近いと思う。


1981年に、いすゞピアッツアとトヨタ・ソアラが、相次いで登場し、「もはや石油ショック
は終った」という時代が始まったことは、数年前に書いている。

こういうプロセスや、80年の松田聖子ら、82年の小泉今日子、中森明菜らの登場で
時代は若者中心に、既にはしゃぎ始めていた。
とりわけクルマ文化が、アイドル文化などと共に二人三脚で、「80年代は明るくなる
らしいぞ」のムード序曲になっていたのである。


輸入車の時代を切り拓いたのは、シトロエンBXおよびプジョー205、
そして小ベンツこと、ベンツ190の登場が非常に大きかった。
これも数年前に書いている。

この前章だったのが、FIAT PANDAとアウトビアンキA112だったのではないか。
露払い的だが、100万円台でガイシャが買える!というのは大きかった。

それは今の時代に比較すると「それってなに?」というくらいきょとんと
した話なのだけれど、若者が一線踏み越えてはならない禁断の輸入車に
手を出すことは、ルビコン河を越えるくらいの勇気と、もしかしたら得られる
(かもしれない)ステータスへの夢が伴っていた。

私もただの若者(バカモノ)だったから、もう時代が沸騰する前からのぼせていた。

それが今思えばバブルのはしかだったと思うし、懐かしいのである。




写真は1988年の東京旅行の時のもの。
プジョー205は浜松駅で在来線から新幹線に乗り換える時に撮影。
スズキが輸入車ビジネスに手を出していた時のものである。

そしてもう一枚は六本木の最初のアークヒルズが出来て、そこに向かう途中。
普通の教会前の平面駐車場に並んでいた、輸入車群である。

今見ると「なんとも」思わないだろうけど、当時はこれだけで「東京スゲー!」
だったのである。
38歳以下の人には想像もつかない「地味クルマたち」が夢の憧れだったのである。



今のドーピングし過ぎた外国製自動車たちを見ても胸を時めかない私は、

やっぱり80年代アイドル好きの、時代遅れのオッサンなんである。


これからまた、同じような時代が、
来るのだろうか。


Posted at 2018/01/10 12:16:20 | トラックバック(0) | 日記
2018年01月06日 イイね!

冬の能勢路

冬の能勢路写真を追加しておきます。












Posted at 2018/01/06 06:43:39 | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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