
ちょっと気の重いテーマであるが、
私は「定点観測」の意味では32年目の同じ車に乗り続けている。
その視点から、将来のことを考えてみることにする。
一般人が自動車に乗り、カーライフを送る、営む。
このビヘイビアは、日本の場合と外国はかなり異なる。
自動車は馬車等の乗り物から、派生的に生まれたヨーロッパならば、
クーペとか、セダンの一種のサルーンの語源を知っている。
ありがとうという言葉が、「有難い」から来ているのを日本人なら
なんとなく理解するのと同様だ。
クーペは二人乗りの洒落た馬車。サルーンはサロンと同じで、部屋からきている。
外国ではまず動力付き馬車の発想で、車を所持する、利用することから始まる。
日本はどうだっただろう。
約半世紀から60年前に日本人は車を憧れから、現実的な移動機械として
所有することからモータリゼーションの歴史が始まったと言って良い。
日本には個人所有の馬車の文化が、殆ど無く、田舎は駕籠から、人力車、
そして自動車まで一気に飛んでいる。
そうなると、自宅に馬車を保守し修理する工具も、職人もいない。
自動車が戦前からあった、貴族階級や、素封家の自営業者なら
白洲次郎のように、留学先の英国で、オイルまみれになり自動車整備を
覚えただろう。
だけど大半の家庭は、金持ちから車を持ち始めた戦後には、そんな余裕もなく、
車は修理工場か、新車を買い、その信頼性や信憑を支持することから
この国のモータリゼーションはスタートした。
昭和30年代半ばから、40年代の途中までが、そんな感じだった。
僕は殆ど買わなかったが、1980年代の頭頃まで「マイカー雑誌」というのがあり
どこが値引きしてくれた幅が大きいとか、どんな購入の仕方をして成功したとか
実に僕的には関係の無い、家庭ストーリーの乗った雑誌が普通によく売れていた。
日本のマイカー普及史をみんな忘れているが、新車ディーラーに世話になり
その後の家庭との取り引きを何代か続けることは、普通の家庭では「当たり前」
だったことが、長いし、今でも同じライフスタイルの地方の家は、あるのでは
ないだろうか。
そのことを今日は洗い直してみる。
日本人の車好きは、昔から結構居てるが、ディーラー抜きの人の割合になると
非常に少なくなる。
ということは、ディーラーがないと自動車を買って来ることがないし、中古車でも
ディーラー系の下取り整備車が良いと信じている人は多くいる。
ディーラーはメーカーから新車を預かり、売って稼いで生活(経営)している。
自動車の値段は、よく出来た経済活動の象徴だろう。
しかし日本人のディーラー依存は、私のように一度も新車を買ったことが無く
自分で信頼出来る工場を探し当てて、代価を払い整備して、維持して乗るような
ヘビーなオーナーは殆どいない。
だから、新車ディーラーは半世紀の間、成長産業を維持して続けて今日も
ロードサイドは隆盛だ。
このことに誰も異論を挟まなかった。だがディーラーは医者ではない。
整備工場を付設しているところも多く、クリニック的な役割は果たしている。
しかし、本当のクルマ好きと言うのは、気兼ねなく、好きなクルマを、
過去も現在も関係なく、世界中から探し出して、涼しい顔で乗っている、
そんな存在のことではないだろうか。
僕は一人で、一般大衆と違う路線で、クルマに興味を持ち、乗って生活して来た。
こん日ちょっと僕のようなクルマ好きは、増えて来た傾向がある。
それとこん日のクルマ社会の「惨状」について考えよう。
はっきり言うと乗りたいクルマが見当たらない、と思う人もいると思う。
なぜこんなことになったのかは、ディーラーの力が、時にメーカーの生産部門に
まで、圧力を及ぼすようになり、売りやすいクルマばかりの時代になった。
軽自動車まで及んだ排ガス数値の偽装改ざんとか、なぜ数年前に起きたのか。
それは販売力が、正しいことのように言われて、設計者やデザイナーのロマンや
自動車に対する思いを、簡単に凌駕してしまったからだ。
さあ、ここから話のベクトルを変えよう。
今後のクルマ社会の最大の壁は「ディーラー依存」の自動車社会の行方だと思う。
僕のようにディーラーの世話に一切ならずに自動車に乗ることは、これまで
ハードルが高かったが、そろそろ、自分で乗りたいクルマを決めて、探し、
見つけて、整備して乗って楽しむ時代が来ても良いではないか。
それが25年前に比べて、ずっとやれる時代になって来ている。
古いアンティークな時計を収集してコレクションしたり、
機械式カメラにこだわり、フィルムで写真を撮ってみるのとか、
アナログ時代のオーディオに凝り、レコードを集めるのと、それほど差は無い。
そういった、「インディペンデントな」自動車乗りが増えて来ないと
この国の自動車行政や、メーカーの体質、ひいてはディーラーが自動車社会を
動かしていると思い上がっている流れが一つも変わらない。
ニッポンの自動車産業の構造は、今は世界中が真似るようになった。
ヨーロッパの諸国の車はいずれも個性の爪を出さなくなった。
退屈で、凡庸な車は無難だから、たしかに一定は売れるに違いない。
今後の自動車産業は、中国やアジアの生産力が、間違いなくヨーロッパをしのぐ。
その頃に、日本のメーカーは生き延びる道を探り出すであろう。
あとは、
我々が乗りたい車は、おそらく1990年代までに製造された、思い出深い
過去の「ナンバー」が多いに違いない。
その頃までにガソリンスタンドなどの基礎インフラが、どこまで維持出来るのであろうか。
私は、気の遠くなるような未来や宇宙の話をしているのでもない。
たった数十年の、この国の自動車社会を見て、ああこうだったら良いのに、とか
もっとやり方があったのではと、思ったことを言っているだけである。
ディーラーを全否定しているのではない。
個人のユーザー、オーナーが自動車を身近な家族として、楽しんで維持して行く
には、本当は修理工場という「掛かり付け医」などのコネクションや、
購入から維持までの相場を知る方法、
さらには私のような経験豊富な珍しい車のアドバイザーか、気軽に相談出来る
コンサルタントの存在が、もっと普及すべきだったのではないか。
ディーラーは新車を買うだけの場所と、車検等に関わるクリニック的な
副次的存在に過ぎないことで、よいと思う。
新車保証3年パックとか、今は必要な整備費用も、込みで新車を売るようになり、
これが故障精度の上がった現代車にとり、本当に良いことなのか、
新車を一度も買ったことのない私には、判定出来ないが、違うような気もしている。