
今回の写真はこの記事から借りました。
イタリアのクラシックカー雑誌
「ROUTE CLASSICHE」記事から引用です。
私が若い頃、老後近くにやりたいと思っていたことは、
ポンコツカーをこつこつと整備して、路上に復帰させることであった。
今を去ること40年前、当時サイクルスポーツ誌を読んで、自転車の再生を
始めたことが、その道程のスタートだったと思う。
私は器用だったから、寄せ集めで、捨ててある自転車から、
カッコよく再生車をつくり、自分の愛用にして乗っていた。
そういう経験もあり、バイクのスプロケットやチェーン交換、自動車も
最初に乗ったランサーのぶつけた板金、さらに抜けた床をFRPで再生したり、
2代目に乗った、ただでもらったセリカも、錆びたりしたパーツは全部
八幡の解体屋で部品を求めて、自分で取り替えたりして、その道を
邁進していた。
私に転機が訪れたのは、女性と結婚したことで、家庭が出来たが
共働きで大変忙しかったことに、さらに子育てが20年続いたこともある。
そんなうちに、年収が上がり、クルマの整備は、馴染みの工場に任せることが
すっかり長年の習慣になってしまった。
それが幸か不幸か、今に至って私は自分の手でクルマをいじる部分は
限定的な日常点検レベルだ。
ところで1989年頃から私はクルマと人生と、自分の将来や社会の予測図を
考え始めていた。
その頃、洋雑誌を見る機会が多く、日本も豊かになり、ホビーに費やす
時間が増えると、自動車趣味の進展で、やがては欧米のようなレストアライフが
充実した時間の使い方の一つとして、定着するであろうと思っていた。
ところが日本では90年代は、バブル経済からの潮が引いて、いろいろな考え方が
反動のように後ろ向きになった。
中でも1995年の神戸の震災、97年の金融機関が次々潰れた金融恐慌は
浮かれていた日本人の、昂揚感を醒めさせるには、必要十分過ぎて、
しっぺ返しのように、日本人はダメだしばかりする、国民性に急転した。
そんな中で私の乗っているような、1970年頃までの旧車に対する理解は進み
1992年に「old timer」が創刊して、やっと私の思っているような、身近な
クラシックカー文化が、日本に訪れたと、私は一瞬そう考えたのだが、それは
実は違っていたことを、今日は書き説いていこうと思う。
何が違ったのだろう。
ヨーロッパやアメリカでは、旧車レストアの腕自慢たちが、1980年代までに
雑誌などを舞台に、ライフスタイルを展開していたと言って良い。
私は、新車礼賛の日本の自動車社会が変容して、旧いクルマへのレスペクトが
起こっていき、海外に近くならないか、かなり熱望していた方だと思う。
1984年頃に、「カー&ドライバー」で当時底値だったアルファロメオのジュリア系を
素人レストアで、どこまで整備再生できるかと言う記事があった。
私が熱視線を送ったのは、そういう珍しい記事や、創刊間もない
「スクランブルカーマガジン」の旧車復活記事であった。
その後の30年近い時間、私はせっせと旧車の面白さを、内外に説いて来た。
身近な友人から、このようなネット媒体にまで。
実践的なイベントも開催したこともあったが、しかし今の気分は、ものすごく
醒めてしまった。
だってお金持ちが、自分の手も汚さずに「雲上人」のように優雅に走らせる
イベントなんて、あっても良いけれど、それが全てではないじゃない。
自分たちは手を汚して、自分の好きなクルマを再生し、いつか路上に復帰、
そんな夢を見ていたけれど、
あまりにも現実は、甘くなかったし、それ以上に、そういう草の根系レストアラーは
盛り上がらなかった。
その訳は複数ある。
まず草ヒロ的な、捨ててあるポンコツを貰って来ても、日本の法律は、規制を緩和
せず、書類無しに対する登録への壁がめちゃくちゃ高い。
車台刻印からなんとか登録が出来ないものか。理由は盗難防止とかいろいろ
あるだろうけれど、状況判断で捨ててあるクルマは、金銭対価のある動産とは
現実的に、思われ難い。そんなものは、司法判断以前の民間レベルのことだと
思うが土地登記並みに、自動車の所有権移動の壁が困難である。
再生自動車の取扱いは、特殊趣味のジャンルとして、管轄の中でも特例でも
良さそうだと私は思う。
あとは、再生自動車でも、保険も税金も、新車と変わらないどころか、
新車より高い課税がかけられる異常な税制体系って、おかしくないか。
また任意保険は、私の主張は、クルマに掛けるのでなく運転ドライバー1人に
掛かって欲しいと、長年主張している。
旧車5台持っていても、運転するのは私一人である。
そんなことも長く言い続けて来たが、もうやる気も無くなってしまった。
社会は緩やかから急速に少子高齢化、人口減に転じ、経済の振幅は、お金持ちと
貧乏人の差を広げて行き、私たちの老後は、父親の時とはすっかり違った
風景になるであろう。
趣味やもの事には、出来る(can , possible)の旬というものがある。
私はクルマと平行して、機械カメラの趣味も、80年代後半から90年代、2000年過ぎまで
楽しませてもらったが、もうフィルムが生産終了するので、これは良い時代に
1960ー70年代製造の機械カメラを楽しませてもらったと、思い出にひたろう。
クルマも1990年代から2000年代前半までが楽しかった。
今は整備の技術や、海外からの情報、パーツ提供がすごくよくなった。
しかし、若い人がクルマ趣味に来なくなった理由、いろんなことがあるが、
さすがにトヨタの会長までが、今の自動車所有、保有に関する諸制度が
制度疲労して、現実に全然合っていないことを含めて、こんな社会を続けていては、
自動車メーカーの存続にさえ、黄信号どころか赤信号になりかねないと、
つい先日、大きな発言をしたことが話題になっている。
http://blogos.com/article/298814/
私は豊田章男氏が、よくぞ言ってくれたと褒めたいが、その前にこれだけ
高負担が続いて来た日本の自動車社会は、民衆である自動車ユーザーが
何も言わない、言えない体質であることに諦めてしまっており、
今日の本題に戻れば、そういったカーレストアレベルのライフスタイルを紹介
するのは、特殊雑誌になってしまった「old timer」でなく、「カーグラフィック」あたりが、
何年も前から提案すべきだったであろうと思っている。
小林彰太郎が生きていた時代は、長老が実践してきたが、今は文芸春秋みたいな
部長さんがよむ「エスタブリッシュ雑誌」になり果てた。初期は自動車版
「暮らしの手帖」みたいな性格であったらしいが。
また「スクランブルカーマガジン」については語る気がしない。
日本の旧車、クラシックカー趣味の性質を、金銭対価や外面評価に変えて
しまったのは、その後の後続雑誌だし、本質的に、クルマを広告や売るものに
しか思っていないのではないか。
それは間違っているとは、言えないが、クルマの楽しさは、30年ほどの間に
ホビーとして成長できず、ビジネスの周縁ゾーンに虚ろにいるカオナシみたいに
なってしまった。
本当は違うんじゃないかと、私は思ってきたのであるが、もう時間は残っていない。
私自身が、これほど興味が醒めてきていることは、自身の加齢と、旬な興味対象の
減退などがあり、社会制度が、今回の豊田発言で、いくらか緩和や良い方向に
向かえば良いのだが。
そんな時にまた投機を煽るような媒体だけは、読みたくないと思う。