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kotaroのブログ一覧

2018年06月27日 イイね!

7月を前に

7月を前に関西限定発売のあまから手帖という雑誌に
私が愛車を使ってルポした記事が載りました。

ちょっと趣向の変わった「里のあじ」といった切り口で
スローな味を求めてスローなクルマで行って来ましたという
タッチにしています。
先週末から書店に並んでいます。
ご拝読いただけましたら、幸甚に存じます。
よろしくお願いいたします。

kotaro

https://www.amakaratecho.jp/saishin/
Posted at 2018/06/27 16:57:02 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2018年06月20日 イイね!

変わらなかった日本人の価値観

変わらなかった日本人の価値観今回の写真はこの記事から借りました。

イタリアのクラシックカー雑誌「ROUTE CLASSICHE」記事から引用です。

私が若い頃、老後近くにやりたいと思っていたことは、
ポンコツカーをこつこつと整備して、路上に復帰させることであった。
今を去ること40年前、当時サイクルスポーツ誌を読んで、自転車の再生を
始めたことが、その道程のスタートだったと思う。

私は器用だったから、寄せ集めで、捨ててある自転車から、
カッコよく再生車をつくり、自分の愛用にして乗っていた。
そういう経験もあり、バイクのスプロケットやチェーン交換、自動車も
最初に乗ったランサーのぶつけた板金、さらに抜けた床をFRPで再生したり、
2代目に乗った、ただでもらったセリカも、錆びたりしたパーツは全部
八幡の解体屋で部品を求めて、自分で取り替えたりして、その道を
邁進していた。



私に転機が訪れたのは、女性と結婚したことで、家庭が出来たが
共働きで大変忙しかったことに、さらに子育てが20年続いたこともある。

そんなうちに、年収が上がり、クルマの整備は、馴染みの工場に任せることが
すっかり長年の習慣になってしまった。
それが幸か不幸か、今に至って私は自分の手でクルマをいじる部分は
限定的な日常点検レベルだ。

ところで1989年頃から私はクルマと人生と、自分の将来や社会の予測図を
考え始めていた。
その頃、洋雑誌を見る機会が多く、日本も豊かになり、ホビーに費やす
時間が増えると、自動車趣味の進展で、やがては欧米のようなレストアライフが
充実した時間の使い方の一つとして、定着するであろうと思っていた。



ところが日本では90年代は、バブル経済からの潮が引いて、いろいろな考え方が
反動のように後ろ向きになった。
中でも1995年の神戸の震災、97年の金融機関が次々潰れた金融恐慌は
浮かれていた日本人の、昂揚感を醒めさせるには、必要十分過ぎて、
しっぺ返しのように、日本人はダメだしばかりする、国民性に急転した。

そんな中で私の乗っているような、1970年頃までの旧車に対する理解は進み
1992年に「old timer」が創刊して、やっと私の思っているような、身近な
クラシックカー文化が、日本に訪れたと、私は一瞬そう考えたのだが、それは
実は違っていたことを、今日は書き説いていこうと思う。


何が違ったのだろう。
ヨーロッパやアメリカでは、旧車レストアの腕自慢たちが、1980年代までに
雑誌などを舞台に、ライフスタイルを展開していたと言って良い。

私は、新車礼賛の日本の自動車社会が変容して、旧いクルマへのレスペクトが
起こっていき、海外に近くならないか、かなり熱望していた方だと思う。

1984年頃に、「カー&ドライバー」で当時底値だったアルファロメオのジュリア系を
素人レストアで、どこまで整備再生できるかと言う記事があった。
私が熱視線を送ったのは、そういう珍しい記事や、創刊間もない
「スクランブルカーマガジン」の旧車復活記事であった。



その後の30年近い時間、私はせっせと旧車の面白さを、内外に説いて来た。
身近な友人から、このようなネット媒体にまで。
実践的なイベントも開催したこともあったが、しかし今の気分は、ものすごく
醒めてしまった。

だってお金持ちが、自分の手も汚さずに「雲上人」のように優雅に走らせる
イベントなんて、あっても良いけれど、それが全てではないじゃない。

自分たちは手を汚して、自分の好きなクルマを再生し、いつか路上に復帰、
そんな夢を見ていたけれど、
あまりにも現実は、甘くなかったし、それ以上に、そういう草の根系レストアラーは
盛り上がらなかった。

その訳は複数ある。
まず草ヒロ的な、捨ててあるポンコツを貰って来ても、日本の法律は、規制を緩和
せず、書類無しに対する登録への壁がめちゃくちゃ高い。

車台刻印からなんとか登録が出来ないものか。理由は盗難防止とかいろいろ
あるだろうけれど、状況判断で捨ててあるクルマは、金銭対価のある動産とは
現実的に、思われ難い。そんなものは、司法判断以前の民間レベルのことだと
思うが土地登記並みに、自動車の所有権移動の壁が困難である。
再生自動車の取扱いは、特殊趣味のジャンルとして、管轄の中でも特例でも
良さそうだと私は思う。

あとは、再生自動車でも、保険も税金も、新車と変わらないどころか、
新車より高い課税がかけられる異常な税制体系って、おかしくないか。

また任意保険は、私の主張は、クルマに掛けるのでなく運転ドライバー1人に
掛かって欲しいと、長年主張している。
旧車5台持っていても、運転するのは私一人である。
そんなことも長く言い続けて来たが、もうやる気も無くなってしまった。



社会は緩やかから急速に少子高齢化、人口減に転じ、経済の振幅は、お金持ちと
貧乏人の差を広げて行き、私たちの老後は、父親の時とはすっかり違った
風景になるであろう。

趣味やもの事には、出来る(can , possible)の旬というものがある。

私はクルマと平行して、機械カメラの趣味も、80年代後半から90年代、2000年過ぎまで
楽しませてもらったが、もうフィルムが生産終了するので、これは良い時代に
1960ー70年代製造の機械カメラを楽しませてもらったと、思い出にひたろう。

クルマも1990年代から2000年代前半までが楽しかった。
今は整備の技術や、海外からの情報、パーツ提供がすごくよくなった。

しかし、若い人がクルマ趣味に来なくなった理由、いろんなことがあるが、
さすがにトヨタの会長までが、今の自動車所有、保有に関する諸制度が
制度疲労して、現実に全然合っていないことを含めて、こんな社会を続けていては、
自動車メーカーの存続にさえ、黄信号どころか赤信号になりかねないと、
つい先日、大きな発言をしたことが話題になっている。

http://blogos.com/article/298814/

私は豊田章男氏が、よくぞ言ってくれたと褒めたいが、その前にこれだけ
高負担が続いて来た日本の自動車社会は、民衆である自動車ユーザーが
何も言わない、言えない体質であることに諦めてしまっており、
今日の本題に戻れば、そういったカーレストアレベルのライフスタイルを紹介
するのは、特殊雑誌になってしまった「old timer」でなく、「カーグラフィック」あたりが、
何年も前から提案すべきだったであろうと思っている。

小林彰太郎が生きていた時代は、長老が実践してきたが、今は文芸春秋みたいな
部長さんがよむ「エスタブリッシュ雑誌」になり果てた。初期は自動車版
「暮らしの手帖」みたいな性格であったらしいが。

また「スクランブルカーマガジン」については語る気がしない。
日本の旧車、クラシックカー趣味の性質を、金銭対価や外面評価に変えて
しまったのは、その後の後続雑誌だし、本質的に、クルマを広告や売るものに
しか思っていないのではないか。

それは間違っているとは、言えないが、クルマの楽しさは、30年ほどの間に
ホビーとして成長できず、ビジネスの周縁ゾーンに虚ろにいるカオナシみたいに
なってしまった。



本当は違うんじゃないかと、私は思ってきたのであるが、もう時間は残っていない。

私自身が、これほど興味が醒めてきていることは、自身の加齢と、旬な興味対象の
減退などがあり、社会制度が、今回の豊田発言で、いくらか緩和や良い方向に
向かえば良いのだが。
そんな時にまた投機を煽るような媒体だけは、読みたくないと思う。







Posted at 2018/06/20 07:52:04 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年06月11日 イイね!

ウオーミングアップに、何か書いてみる。

ウオーミングアップに、何か書いてみる。最近、若い人が書いた、最近の社会とクルマにまつわる(若い人の)分析が面白かった。
こういう社会構造になって、何が進んで、何が無くなって行ったのであろう。
「進化」と「退化」という構造ワードが、額面的に受け入れられていた時代は、とっくに終わっている。





こういった社会が始まったのは、21世紀に入ってからであるし、1990、80年代は
それぞれ違った時代の空気が、人間たちを動かして行く契機や、原動力になり、
自動車は一緒に走っていたと記憶する。


でも、この流れで書くことは、今日は止めておく。

21世紀に入って間もない頃、2001年9月11日に、衝撃的な映像が流れて
世界の70億の人間は言葉を失ったことがあった。



20世紀に人類は、様々なことがあったが、その長い時間が終わる頃に
冷戦が終わって、ものすごく楽観的な未来を、大半の人類は描きかけていた。

その眠りを吹き飛ばし、21世紀が多難で、憎しみと恨みの時代の幕開けの
時代にしたことが、この出来事であった。

この時から17年が経つ。
多くの命が瞬時のテロで失われたが、記憶は風化する。
私は当時もジャーナリズムの仕事であったので、いろいろなことを考えたが、
その後の人生も振り返りつつ今日は書いて行く。

一番失われたことは、世界に君臨していたアメリカのの「自信」というものでは
ないだろうか。国際社会に対する睨みといってもよい。

当時は、大統領がクリントンからブッシュジュニアに変わった頃である。
クリントン時代から、イスラム圏とのテロ爆破は、外地では被害があったが、
まさかニューヨークのど真ん中で、富の象徴が破壊されることは、誰もが想像
出来なかったし、これにより傷ついた「威信」は大きかった。


それまでの例えば日本人の若者が抱いていたアメリカのイメージは、
コカコーラと、ジャズやアメリカのロックといった音楽などの文化で、世界をリード
する憧れの国でもあった。



そんなアメリカの“正体”を、戦争が産業の国家と、暴いてしまった9.11テロは、
若いエイジ中心に、アメリカに対する心象をすっかり変えることになってしまった。

そこからの歴史は省くが、イラクとアフガンにした報復措置は、アメリカが持っていた
評判価値を、かなり落としてしまい、世界の見え方を変えてしまったかもしれない。



一方で、日本があり、中国があり、ヨーロッパやロシアがありの、世界地図も
随分形や描かれ方が変わって来た。

私はそんな21世紀の前半、四分の一弱を生きて来て、もっと愛おしい社会を
作っていかなければ、どうしようもないと、日頃常に思っている。

コンピュータ社会が、ここまで進展したことは、時代の要請、趨勢としても、
どこかで基本単位として、人間を忘れないで欲しい。

機械が弾き出す数字や、伴う経済に、眩むといったことがとうに当たり前の
麻痺感覚の時代を歩んでいる。

そういう時代に、個人単位でものを考えることは、もの凄い無力感に囚われる
のであるが、過去に世界を動かしたものは宗教であり発明であったりする。

それらは個人の過去のパワーが存在し、今も存在し続ける典型なのではないか。

今は人工知能が人智を超える瞬間が、やがて訪れ、神が人間を作ったと言う
宗教の寓話に例えることが、流行っている。




この“神々の黄昏れ”の時代に、旧車に乗って、遍路のような旅を続けながら
私はこの国の片隅で今日も生きている。

今、必要なものは、安らぎと祈りと。
明日はいよいよシンガポールで歴史の転換が始まることになるであろう。

アメリカがすっかり変わったことが表面化して、21世紀のこれからは、
世界の人類は、どこにリスペクトを探していくことになるのだろうか。

私にとり、愛おしいものは、クルマに乗れる残り時間だけなのかもしれない。



Posted at 2018/06/11 15:16:59 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2018年06月06日 イイね!

たられば方法論

たられば方法論数年前に若い人と、歌謡曲研究会みたいなことを
試みたことがあった。

盛り上がりましてねー、
結局何も生まなかったみたいだったけれど、
一時は、モノホンの元アイドルを、呼べることが夢、
みたいな興奮に包まれたことが、あった。


新しい時代というのが、必ず来ていると思う。

そこで21世紀の中盤に向かって、何ができるようになったのかは、
AI(人工知能)の進展と言う「お題目」ばかり、新聞やニュースで、
連呼されているが、いまひとつ親近感が無い。

私は技術、テクノロジーの進化の仕方の中に、一定の法則性を
見つけるのが好きだ。

前回の投稿で、若い人が、生まれる前のことや、それに近い文物に
興味を示し、自分たちの「嗜好」に取り入れることを書いた。
これが、従来ならアナクロとか懐古趣味といった、言い切りで終わったのと
どこが違うのか。

技術サイドから見てみよう。

オーディオ装置が発達してブームになった時代は、1960年代後半から80年代
だった。そして90年代移行は、マイコンからパソコンになって発達した
コンピュータ技術が、樹木の周囲に生えて、音響や音源の範疇も取り込み
始め、今は一部はボーダレスや一体になったことは、わかるであろう。

音楽は今や、スマホの中でyoutubeで見たり、その前はiPhoneの土台と
なったiTuneが、音楽の使い方革命に大きく貢献をした。

この時に日本のメーカー、ソニーやレコード版権を持つ会社等は、
身構えて、知材の権利が失われる「防衛」ばかりに走ってしまい、
完全に、ユーザーの方を向くことを忘れて奔走し、今日の落日を迎える
結果となったことは、教訓だと思う。





いまは、“ネットサーフィン”の時代は終わり、「テクノロジー縦断(サーフィン)」の
時代が来ていると、私は思う。
とりわけ、「タイムマシンの時代」に近いと思うのは、従来の記録メディアは、
音楽だけ、オーディオソースだけの再現性に優れて発達して来たが、
今は、自室のパソコンの画面で、過去の出来事も動画が残っていると
かなりリアルな体験が出来るようになった。

VRの発展により大きく変わったのは、過去のものに対するアプローチの方法論
だと思うし、逆に過去のものの再現性が、ぐっと現実に近づくという、奇妙な
「現象」が起こりうるようになってきた。
奇妙なは、そろそろ取れてもいいのではないか。



1978年4月の「キャンディーズさよならコンサート」を、私は行けないので
九州の家のテレビの前に座って、カメラで「歴史の瞬間」を何枚かフィルムに
写している。
こんな、当時は無力な少年の行為も、今では探せば動画で見ることが出来て、
「40年の時空間」は、あっという間に、遡れる感動を、何と言ったらいいのであろう。

                ◇

私は、これからはトランステクノロジーの時代が、来るのではないかと思う。



これは、子どもの時に写して、出来上がりのあまりのひどさに落胆した写真の
1枚であるが、「ぶれ」には法則性があるのだから、一個一個の粒子の
“間違った”動きを定点に戻せば、きっちり被写体の再現できた写真が復元できる
のでは?と、当時から空想していた。

今やVRの技術で、モノクロ写真を色感豊かに「カラー化」することは
近年の進歩で可能になった。

                 ◆






これは、1985年にワーナーパイオニア/サンミュージックからデビューした
橋本美加子というアイドル歌手の、当時の映像である。

WPだから明菜のお金があって、事務所も良かったから、そこそこ良いスタッフで
売り出して、結果的には失敗したが、歌唱力もあり、“アイドル性”が無いのが
今見ても判るが、私も忘れてしまっていた、歌手の一人であった。

実はその前に、こっちを偶然見つけて、驚いた。





近年の撮影と思われるが、「とっくに歌手を辞めた」本人が、街角のカラオケ
ボックスで、自分のアイドル時代の歌を見つけて、悦にいって歌っている。

しかも、現役時代より、いきいきしていてうまい。

さらに本人が、こんな動画を公共の場にアップしていることに気付くと、
なんともオモシロイ時代になったと思ってしまった。



私が考える新時代の趣味(アソビ)というのには、例えば不可を可能にしてくれる
こと=ドラえもんタイプの空想だが、


昔アイドル歌手が好きだった。

音楽に合わせて演奏したり、カラオケで歌うことは今でも楽しめる。

30ー40年経ってしまい、齢をとって、人生を諦めることが多くなった。

そんな時にふと考えたのだが、VRで自分を当時の空間に入れて、自分も若甦り、
当時のアイドルと、一緒に“共演”する。

まずこのアイデアは、映画くらいでできそうである。

アメリカの映画には既にありそうかもしれない。
間違っても“黄昏流星群”みたいな、しわくちゃな元アイドルは抱きたくない。(笑)

弘兼憲史の漫画には、下の方の話がつくのがお決まりだが、それはちょっと
こんにちの熟女AV関係者に任せておこう。


きょうはこんなくだらない、考えを開陳したのだが、これからの趣味、アソビの
軸の中に、「時間」が必ず入ってくると思う。
実際、「歴女」ブームなんて、何が起こっているかというと、時空間的VRを
今のところ、平面的なビジュアルで、カッコよく空想し始めて、盛り上がりだした。
その前に「戦国バサラ」のようなゲーム(空間)がある。

ところで最後に本論を語ろう。
私にとっての旧いクルマの維持は、やっぱり発想の自由をもらうためのアソビ
なのである。
しかも私の850クーペは、新車当時のカタログデータの、最高速が今でも出せる。

整備性の良さで、当時より上かもしれない。

昔のあらびきな芸能、音楽、文化に対して、今ならこんな修正がかけられる、
いや、やり過ぎは野暮とか、そんなセンスこそが21世紀の嗜みや、わきまえだと
思う。

ここから先の自動車を使う遊びは、ますます上級度が要求されて、
家元のような人が出てくるかもしれない。
単なる金持ちのラフェスタ参戦をみても、私は勃たない。
出てこい家元、そんな時代を愉しみに、寝て待とう。




Posted at 2018/06/06 11:57:26 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年06月02日 イイね!

若い人たちと旧車

若い人たちと旧車


今の時代はイケてない。
とくにジドウシャはそうだと思う。

僕よりもっと若い人たちは、感性が鋭いからとっくに現実を見抜いている。

このところの時代社会を見ていると、若い人、エッジの立った人たちは
とっくに新車、新型製品に見放して、古いもの、つまり過去の「ナンバー」の
中より、面白いもの、エッジの立ったプロダクトを見分けて、その中から
現実の進行形の生活、場面。つまりリアルライフで使っていく、自分の
パーソナルライフを演出する「小道具」として使っていないか。


いま、
レコードだのファッションだの、カメラやあらゆる分野で「昭和レスペクト」が
起きている。僕も最初はただの“回顧趣味”かと、思っていたが実はそうでもない。

平成末期、2010年代後半の世の中が「つまらなさ過ぎる」から、あらゆる分野で、
「過去の(製品の)見直し」が起きている。


おじさんたちは、若者が使う
「エモい」という言葉を知っているだろうか。


野球選手のエモトではない(古っ)。
エモーション、エモーショナルなの、情動、感情に訴える部分で、
「これっ!」という反応があるものを、若者は求めてる、飢えているのである。

こんなしょーもない、予定調和な、平和社会に、楯突くのは、昔のように
反戦とか、反体制とか、要するに既存の価値観を否定して、レヴォリューション
することは、今は社会的に生きにくいし、抹殺されそうになる。

その代わり、21世紀のこのあたりから、前世紀の見直しや、面白そう探しが
始まって佳境になりつつある。





何でそうなったかを、今日は考えて行く。

まず現代のプロダクトを見て、なぜがっかりするかというと
コストが計算されすぎて、誰が見ても中身が薄いことにある。

そんな新車のプリウスも買えない私が言うのも、なんだが。

アクアを乗ってる人には悪いが、ジドウシャの夢って何だったのだろう。

名前からして水みたいに薄い。

音楽でも、80年代からコンピューター演奏技術が進んで、今度は再生機能が
人がやることが減り、環境変化の進展で、誰も苦労しなくなってしまった。

もう機械に詳しい男性にリスペクトは集まらないし、アタマの良い男性も
そこらへんのお姐ちゃんも大差が無い。

こんな素晴らしい平等社会は、ある意味で「愚民社会」ともいう。

これでは、と思う人も、流れには逆らえない。
私のように、社会と距離をとり、孤独に生きて行くことは可能だが、
それすらも、回り中気がつくと薄っぺらな文化だけになっていく。

もう、そういう時代に絶望して、死んで行った人も多い。(才能のこと)

しかし、天才と盆栽の間に、中間に生きる人もいるから、そこまで尖らずとも
まあまあ、やれる範囲で、オモシロイこともないだろうかというのが、
本ブログの趣旨なのである。






今日使った写真は、昨日探し出して来た、1974ー77年頃の
普通の日本の風景である。
小物に写っている国産車たちでも、今見ると随分個性があり面白い。

これがエモい車かどうかというのではなく、
その存在感がエモいかどうか、なのだと思う。

やっぱり今の時代に当たり前に生きていたら楽しくない。
人生ずーーーーーーーーっと、予定調和で行って、どんな結論(夢)が
待っているのであろう。

そこらへんのおかしさに気付いた人がもっと出てきて、平成より後の時代を
変えて行って欲しい。

若者と旧車というタイトルは、組み合わせが変わっているというより、
何か足りない栄養、今のメニューの食事を毎日繰り返していても、
死にはしないだろうが、これでいいのか? 世の中にはもっと美味しい?
珍奇なご馳走があるのかもしれない。

そんなことを、ようやく時代が気付き始めて、毎日見慣れた日常は、
せいぜい20年くらいの連続であり、それを昭和のミドルエイジまで遡れば、
日本も当時は「なかなかの」国だったことを、知り、ここに面白さを発見!

みたいなことになりつつあるのではないかと、感じている。

で、おじさんたちは、どうすればいいのかは、別の機会に考える。
今日は以上。











Posted at 2018/06/02 07:25:47 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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