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2018年11月26日 イイね!

2018年という年を振り返る

2018年という年を振り返る師走目前である。
私は年々、社会の一員であることが
何なのだろうと思うような状態になってきており
私などが、このような文を書けるのが
不適当だと思いつつ、何かについて
書き著すことにしている。







今年は自動車の社会に着いて、
何度も言うと、私などはいう資格もないが、
大きく社会が変わって行くことを感じた1年である。

1月には今年も、愛車でニューイヤーミーティングに行き
長年続いた風景の限界も感じてしまっている。

笑い話だが、盛り上がっていたのは、周回道路を走る
「旧車族」=族の人たちだけである。
彼らを馬鹿にしたり、嫌う人は多い。しかし彼らのエネルギーの
持って行きようの工夫や拡大解釈は、JCCAにはできなかった。



私はこんな年末を迎えて寂しい。しかしこれは自他ともに認めざるを得ない
現実である。



それから今年は相変わらずの、自動車メーカーの、排ガスや公害対策の
不正がたくさん出てきている。

技術信仰の限界と言うか、自動車はもう、充分に環境対応出来ているようにも
思えるのだが、水清くして魚棲まず。
もう企業トップの陳謝も、屁みたいな風景になってしまった。

いかんいかんを繰り返すのは、マスコミと正義派の人だけだが、彼らも
社会から浮き、乖離していると感じる。
私も、元マスコミだが、辞職した理由は、その乖離感が我慢できずに、
仕事から離れてしまっている。








自動車社会は、プレミアムという言葉を、まだ有り難がる人によって
一部の高級路線は、信奉されているが、これは早晩日本では、壁に当たる。

中国の社会が、中間層や、富裕層が増えているが、資本主義社会でもない
彼らが浮かれることは、大いなる時代の皮肉な現象だと思う。


日本で言うと、タワーマンション族であろうか。






プリウスが売れない。

日本車の新車も売れない。

景気はずっと良いと、政府が言っているが、言葉を信じるのは
自分の勝手みたいな、価値観になってしまって、文章に対する信頼は
紙の重さ以下になってしまっている。

そんなことを、ずっと思っている矢先に、日産のトップに長年座り続けた
経営者が、「収入偽装」をしていたことは、年末近くに発覚したが、
誰が怒るのだろう。

日産車の新車を買った人間であろうか?????

彼が、外国人であったことだろうか。




こんな麻のように価値観が乱れる時代である。
自動車税を、せっせと納めて、得意な車に乗ることは、
どれだけ意味が有る行為なんだろう。

と思ってる、人はそんなに居ずに、来年も今年の延長が続いている。



しかし、「カーオブザイヤー」と「紅白歌合戦」はいつまで続くのだろう。
社会は、やたらと、
『持続可能性』を言うようになってきた。

いや、制度社会の疲労は、もうとっくに過ぎていて、21世紀は20年になる。
しかし20世紀のままでいい、という人が非常に多い。







私は、もう、
「自動車を諦めない」
という言葉に、何の意味が有るのだろうと、思うようになっている。

今年はゾンビの映画が話題になったが、見なかった。
社会の中身が、ゾンビみたいな「死んでる価値観」なのに、
「生きてる」といって踊らされて、気が付けば貴方もミイラみたいなのに。


こういう時代は、面白さの意味がすっかり変わってしまっていると思う。

しかし大半以上の人は、昨日までのことを信じ、明日を生きる。
来年もよろしくと、年賀状を出す。





明日が続かないと今日も意味が無い。
そんな状態の日本の中で、クルマ産業は、中心に位置しているし、
万博が55年ぶりに大阪で開催されることが決まって、
いろんなことが不思議でしようがない。


7年後を人びとは夢見る。
インテリ層は、1970年じゃないだろうと批判する。

オモシロイものだと思う。

私もたった7年後の未来は、今とあまり変わらないくらいに想像する。




私は、旧い車に乗り続けている、前時代の遺物、ドンキホーテみたいなものだろう。
そんな人間からみて、「今の時代は狂っている」と言ったら
周囲から<あんたが狂ってる>と言われるのが物語だ。

だから、黙って新車を乗りなさい。新車を信じなさい。というのが
普通の世の中のことを、信じて従うことなのだろう、と思う。

しかし、今年の自動車の社会は、これからの行方を暗示する1年になったと思った。




Posted at 2018/11/26 06:40:03 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年11月25日 イイね!

ニューイヤーミーティングの終焉と日本の自動車趣味のおわり

ニューイヤーミーティングの終焉と日本の自動車趣味のおわり経った今、知りました。
記事は、後で書くことにしましょう。
やはり、日本の自動車趣味は、もう
一つの歴史の終わりのようです。




40年以上の長きにわたり、開催してまいりました、
ニューイヤーミーティングが2019年を持ちまして幕を下ろします。
現在の会場である青海臨時駐車場がオリンピックに伴い閉鎖となることをはじめ、
運営等々一旦見直しという運びとなりました。

最後となるニューイヤーミーティングを一緒に盛り上げて頂けたら幸いです。
たくさんのご参加、ご来場お待ちしております。





しかし、本当に勿体ない話で、数年前にお台場を離れて、真冬の富士で
サーキット型イベントを一度やり、そこからケチがついたように思う。

再びお台場に戻ったが、離れて行った個人エントリーh多い。

そして雑誌オールドタイマー中心の「旧車天国」が出来て、一気に不人気が加速。

あり方も問題になり始めて、今日に至る。




数々の物語を生み、多くの人の出会いを生んだ場面だけに、
なんとかは、ならなかったのであろうか。


Posted at 2018/11/25 00:46:07 | トラックバック(0) | クルマ
2018年11月20日 イイね!

日産、ルノー、三菱はこれからどうなるのか

日産、ルノー、三菱はこれからどうなるのか2018年11月19日、月曜の夜に
世界中のマスコミが、カルロス・ゴーン会長逮捕へ
のニュースで騒然となった。


容疑は過去の数年間に、巨額の報酬以外に手にしていた
お金の流れを公表していなかった不正流用である。



毎日新聞の記事より

>日産自動車会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が19日、同社の有価証券報告書に自らの役員報酬を約50億円過少記載した容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

>「ゴーン神話はこうして作られた」の著書がある自動車ジャーナリストの遠藤徹さんに話を聞いた。

>「今回の事件、日産が変化するチャンスに」 遠藤徹さんの話

 >当初は「ゴーン神話」と騒がれたが、彼が来てから国内販売網は
ズタズタにされ、売れそうな車種以外は切り捨てられた。
日本のメーカーとして国内シェアを固めた上で海外に打って出るべきなのに、
目先の数字だけを追い、コストカットと、ルノーや三菱自動車との3社連合による
シナジー効果で数字の見栄えを良くしてきただけだ。
その結果として、飛び抜けた額の報酬をもらっても、理解は得られない。
「(高額報酬は)海外では普通」とはいっても、日本では特異で、トヨタ自動車
社長と比べても段違いに多い。社員に還元した方がまだよかったのではないか。
今回の事件は日産が変化するチャンスになるかもしれない。



国内ニュースどころでなく、ロイター、フランスのAFP通信でもトップニュースであった。
日産ゴーン会長らを金商法違反容疑で逮捕、社長「権限集中が誘因」

日産のゴーン会長逮捕、報酬過少申告か 同社は解職提案へ


なぜ、こういうことが起きたのか、
どうして判らなかったのか、の2点に、とりあえず最大の関心が集まる。


日産の株主会議の風景は、近年異常と言うか、何も問題提起がなかったらしい。

これは私が行ったことのない、株主総会に、日産車オーナーのみんカラ友達の
方が、今年の総会に行かれた時の記事を、レポートされています。

2018年06月27日 「日産自動車の株主総会へ行ってきました」


ゴーン氏(もう「容疑者」になっていますが)が、日産に来たのは1999年で
前世紀末のことである。

20年近く昔のことで、記憶も曖昧になっているが、日産はバブルの後で
急速に経営に失敗し、トヨタがプリウスを21世紀前に出せたのと対照的に
倒産危機に陥った。

そんな時に、仏ルノーの代表に3年前に就任した「コスト・カッター」の別名で
呼ばれるレバノン系フランス人の、カルロス・ゴーンが、「日産の再建を引き受ける」
との大ニュースで、日本企業に乗り込んで来た。

ゴーンがルノーで頭角を現したのは、雌伏の時期から後で、割と短期間である。
ルノーは南米や、中東でも以前からマーケットを持っており、いわゆる本国外で
支配人として、とんとん拍子で実力を発揮。その方法は、情け容赦なく不採算部門
を切り捨てるので、「コストカッター」の名で呼ばれた。

日産は、バブルの後遺症と、1997年に起きた金融恐慌で、深刻な事態に陥り、
それまでに主力工場の一つ、座間工場を閉鎖したが追いつかなかった。

直前の日産は2兆円の有利子負債を抱えており、当時の塙社長(故人)が
ルノーとの全面提携を決め、シュバイツアー会長から、右腕のゴーンを
日産再建の切り札として呼んで来た。その時の回想録が見つかった。

2015年12月23日
ゴーンを日本に連れてきた男、塙氏死去「エピソード・アライアンス」


就任後、矢継ぎ早の「リバイバルプラン」で、日産はトヨタ以上に話題を集める
企業となり、ゴーンの一挙手一投足に注目が集まった。

当時はミレニアム、2000年を前に、まだ日本の政治は小泉時代の前である。

規制緩和の声の元の、大規模店舗法や、派遣法の改正以前で、働く人の
多くは、正社員や労働組合で地位が守られていた、20年昔のことであった。

ゴーン革命、改革と呼ばれた大胆な手法で、日産は生まれ変わった。というか
サニー、ローレル、セドリック、グロリア等の、「昔の名前」はことごとく消えて、
ブルーバードもシルフィになり、やがていなくなった。

残っているのは、ゴーンが気に入った「スカイライン」くらいである。


2016年には、何度も不祥事を繰り返した、三菱自動車が、親会社から見放されて
日産・ルノーチームの一員となる発表があった。



しかし、三菱の再編や再建は、40代前半だった19年前に較べると、ゴーンの
スピードは落ちた。これから三菱は、ルノー・日産と共通プラットホームに
なる可能性が高かったと思うが、車種再編は、まだ始まる前である。

というか、三菱がギャラン、ランサーのセダンを作る必要は、あまりない。
新たには。

そんな中で、円と為替の問題とか、欧州事業が継続安定の日産が、稼げる体質に
なり、ゴーンは高額報酬をもらうのが当然となって、長期間以上、“君臨”してしまった。

身から錆が出るとすれば、この一点であろうし、トヨタや、ドイツ連合の自動車企業
チームから、同業ライバルに攻撃をかけるとすれば、ゴーン個人の資質というか
脇の甘さを探られたとも、言われ兼ねない。

とにかく、フランスはルノーの不祥事と同じことで、大ショックであろう。

「ゴーン王朝」の失墜が始まる。たぶんであるが、イメージ回復への道は図り知れない。

日産と東京地検が告発した、世界級ニュースの影響は図り切れず、年を越えて
ガタツクであろうと思う。

いずれかの会社が、今後数年のうちにもしかしたら、市場から退場する可能性も
軽はずみには予想できないが、フランスと日本の資本だけでは弱い。

大ニュースの数時間後だから、今は見守るしかない、と言っていいのか。




私は「まずかった」なあと思う。感想である。
今年の日産の株主総会の、前に上げたレポートを読んだ時の、感想である。

今はゴーンに誰も、余計なことを言わない。言えない。無謬神話みたいに
日産がなってしまったことにである。

私は自動車メーカーの未来にも、気持ち的な重なりや、盛り上がりを今は憶えていけない。
それは、私が近づくこともない、現実の壁が、先ずあるのだが、
「それにしても」である。

きょうはこれ以上書きたくなくなったので、筆を置くことにする。
Posted at 2018/11/20 03:51:02 | トラックバック(0) | オンザカー | ニュース
2018年11月08日 イイね!

カーオブザイヤー

このリンク先の記事を読むと
日本車の先細り感を感じます。
ノミネート10台中、国産車は6台しかない。

Posted at 2018/11/08 08:41:43 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2018年11月04日 イイね!

乗らない自動車に関して何が語れるだろうか

乗らない自動車に関して何が語れるだろうか









休日の朝に早く起きて、お気に入りの車でドライブ。
そんなことと気持ちから遠ざかり長い。
1990年代の最初の頃に、そういう感覚の記事をよく見たから
四半世紀前に確立した共感だったのだろう。

できれば、クラシックなクルマに火を入れて、暖房が効いて来ると
水温が温まり、人間と生き物のクルマが一体感になれる。そんな時代感覚
だったのではないか。



私は最近、夢が欲しい。
だってあまりに現実ばかりで、暮らしが味気なさ過ぎるから。

60前で夢想は簡単にできる。しかし現実で計算すると、あまりに夢がない。

夢というのは、叶うことを考えることである。



金曜日に、息子のところに仕事の後で行った。
息子は電車で1時間以上かかる場所に離れて住んでいる。

私の一家は、10年の間に離ればなれになり、ばらばらで暮らしている。

子どもたちはとりわけ、別れた母親の影響が強く、今でも
教義のように隠忍して、別々に暮らしている。

息子は唯一、心の一部を開いているので、鍵を貸してくれているので
マンションに入り、帰って来るまでの間に、私はハンバーグを手製でミンチから
捏ねてつくり、あとはカレーライスをつくってやった。

ふと思うのだが、私は家族と暮らしていたから、クルマに乗せることが
楽しかった。
老後も、その頃に想像していたが、現実は違った姿に、今はなりつつある。



久しぶりの「おやじメシ」は、何も言わなかったが、孤独な労働と生活を繰り返す
息子の心に、一つの灯りを点けたようであった。



私は、何とか一人で10年生きて来たが、今とても苦しい。

経済的な理由と、親族が居なくなったことが大きい。


母親が数年前に他界して、その直前に姉が57歳目前でいなくなった。

もう親の世代で存命なのは、90歳の叔母だが、今月から施設に入居した。

息子たちが学生時代から一人で暮らすようになり、最初は援助も出来た。

今の私の経済力ではとてもできない。


反対に小金を出してもらう立ち場になったのは、私の方である。


私は今、何も必要でない。
配偶者もないし、新たに求める意欲は、テンションが全く下がってしまい、
クルマも乗らないし、旅にも出ない。墓参りくらいである、この半年は。

こんな生き方だから、思い切って働こうと言う状況にないので、
収入も全く少なくなって行った。


生きることを辞めたいなと思う時もあるが、死んだら人に迷惑がかかるから
生き続けているだけである。



しかし世の中を見渡していると、我が家だけのことでもないように、感じる。

今の日本は90年代が終わって、ほぼ20年経った。

その時代は、仮に20代30代の人びとは今、中年後半に差し掛かり、
毎日が反対に苦痛に満ちた、楽しいことが減って行った時代の後で、
私と同じように「死ぬことは迷惑」だから、寿命が尽きるまで、
生き続けるだけの、暮らしに行軍しているのだと、ある日気が付いた。



ネットを見て、政治や、外国の悪口に賛同というか、共感レベルでもなく、
なんとなく憂さ晴らしを、一瞬思う程度。のめり込んだら「ネトウヨ」とか、
左翼、とレッテル貼りされるのも、どうでも良いが、関わりたくない。


政治運動なんてするのは、あのウトマしい、上の世代と一緒になるのは
間違ってもされたくない。といって今の政治は、全く庶民の感覚と逆向きで、
まだ10年前の民主党の時代は、高速道路は大サービス料金だったので、
遠い旅に行くのも、若くて可能だったなあ。

そんな一昔前を思い出すと、苦笑いの現実に、また心が寒くなる。


ふとクルマって、要るのであろうか。年金が何十万もあるお爺さんが
プリウスの新車を買って(買える経済力があるので)、一方通行を逆走
したり、アクセルとブレーキを踏み間違えて、大事故を起こす度に
罪作りな乗り物だと思う。


年金が20万以上ある高齢者は、働かなくても貰える。
反対に死ぬほど現役世代が働いて、月に手取り10万ちょっとなんて、
おかしいのじゃないだろうか。
寝たきりの老人でも年金が何十万も貰っていることを、次は公表しなくては。

透析しっぱなしでも健康保険料は負担が軽いとか。


夢の話のはずだったけれど、チョット過激になったかな(笑)。




でもボクが書いていることは、プロパガンダでもなく、
単なるエッセイと現実なんだ。

そんな時代に、(若者の)クルマ離れなんて言っている、トヨタを代表とする
大メーカーとか、マスコミの記者に、共感が行かなくなって、人心と乖離
してしまったことは、当然の帰結では、ないだろうか。


マスコミも今は楽で無いのだから、クルマを贅沢品から引き摺り下ろして
違う定義付けを仕事の最初にしておくべきであったが、
何を取り上げて書くという、動物的本能すら失って長い。またその後に
入社した新人が、中堅になっても、取材能力や、本来のマスコミの役割すら
感じなく、欠落している惨状にすら、気付いていない。



さあクルマに未来はあるのか。
僕は無いと思う。

クルマの趣味の未来は、これも限りなく遠い。

日本の社会の中で、趣味に時間とお金を一定に割くことが、本来は普通になり、
その中で文化の醸成と、物質でない方の豊かになっていくこと。

多くは心の中であるが、これが余りにも今は薄い。

大きな間違いは大学の改革や、教育の失敗だろうと思う。
文科省批判じゃなく、家庭内のことも含めて。

では、クルマはどうあるべきであり、まだ救いの道はあるだろうか。


思い切った規制の撤廃で、自分で作って乗っても良いとか、
あらゆる諸負担を全部無くしてしまうとか。

そんな恐ろしいことになれば、道路や路面交通は無法になるという小説の世界。

その代わり、各個人が自分で学んで、トラブルが無くなるような制度を
民間に任せるか、原点に戻るだけである。

そのくらいリセットすれば、「クルマに乗りたい!」
と思う心が、再び芽生えて来ないだろうか。



Posted at 2018/11/04 08:23:25 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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