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2018年12月21日 イイね!

日本車考2018(外国における)

日本車考2018(外国における)









ホンダのNSXのモデルチェンジのことでも書こうかと思ったが
全く無縁なゾーンなので、書いても読む方が面白くないと思う。

ところで海外で、1970−90年代の、“中途半端”な時代の日本車の
人気が急上昇している。

これを今日は書いてみる。


まず最初に、なぜだろうと、理由と原因を考える。
私は、今の日本車には、悪いが本当に興味が無い。

それは試行錯誤がなく、マーケティングの理論ありきのプロダクトで
味が無いからだ。


では過去の日本車には、味があったかというと、それは思う。


メーカーの個性や、会社の出来るまでの経緯や背景で、ものつくりの
ルーツが見える会社が、とても多かった。




トヨタは織機だし、日産は新興財閥の日産コンツェルン。
いすゞは名門の内燃機専門の技術企業。
日野は戦後の運輸機器のエンジンメーカー。
ダイハツは発動機屋さん、スズキは二輪から、ホンダも二輪から一躍
世界舞台のレースに憧れて、チャレンジ精神の塊。



三菱は戦後三分割された財閥系重工グループの落し子、70年前後はすごく
チャレンジャースピリットだった。
マツダは原爆の焼け跡に希望の灯を灯し立ち上がった、コワいモノ知らず。
最後のスバルは、中島航空機の流れを引いた、研究室。

そんな日本列島の各地で産声をあげた各会社が、大企業やエリートサラリーマン
を意識しない頃は、本当にプロ野球のゲームのように、スターが居たり
脇役も面白かったと思う。




これは外国で今年開かれた「ジャパン・クラシック」のフェアー風景だ。
見ているだけでも、若い日を思い出し、楽しくなって来る。

日本の旧車イベントと、ほんの少し違うのは、参加者と乗っておるオーナーは
日本人ではないから、思い入れが、ドメスティックなものではない。

けれども、ニッポン車ひいきの、他国で言えば「変わり者」たちが蝟集して
盛り上がり、楽しさが込み上げてきている情景が、伝わって来る。



この「クジラクラウン」ワゴンのセンスは、なんだろう。
本来のオーラが解放されて、南氷洋の海を悠悠と泳いでいるようだ。

これはFacebookで見つけた、多分オーストラリアのイベントだから、ハンドルは
日本と同じ位置で良い。

もしかしたら、正式輸入以外に、近年平行で中古を引いただろうか?

でも、このルックスの多くは、オージーか、ヤンキーのスピリットに近いと思う。



ところで、最初に書いた提議に戻ろう。

かつては、日本車は世界中で、その国にある自動車メーカーを追い詰める
鬼っ子であった。
70−80年代は「憎しみ」の対象として燃やされたり、そんな存在だった時代も
あった。

私のように1950年代ラストに生まれた者には、70−80年代の日本車は
海外で「キラー」として嫌われたことを知っているので、あまり自慢する
ものでもなく、壊れなくて、個性と味では欧州車に劣る存在で、引け目は
ないが、押し付けるものでもないと、弁える。



ところが、海外で積極的に、21世紀になり「日本車ファン」が増えた理由は
なんだろうか。

私は、適度な距離感と、外国人の異文化に対する理解と慣れが進んで、
「あの頃の日本車」に対する憧れや、反対に忌避感が薄れたこと。

「隠れ日本車ファン」が堂々と表に出て来れるようになったのでは?と推測する。

非常にチープだが、細かい所に気を遣ったデザインや造形は、今見ると
パクリも愛嬌でオモシロい。

排外主義が台頭する時は、その裏で、逆も活発に意識が高まる。
今の日本は世界中で脅威の存在だった頃の印象は、影を潜めた。



その当たりの時代の流れの中で、日本車は本当に残っていない。
日本国内はリサイクル法とかで、大らかに旧いクルマに乗っていることが厳しい。
グリーン税の加税も、旧車乗りの気分を多いに冷やした。

しかし返って希少価値が高まると、やっぱり日本車が、今面白い!に
なったのではないだろうか。

一過性に過ぎない可能性はあるが、私はFacebookを見ていると、
旧い日本車の好きな外国人に出くわす回数が、最近すごく増えた。




悩ましいのは、英国車のような、古いものを大事にするスピリットが育っておらず、
パーツが残っていないこと、遅きに失した感は、これまで持っていた。

ところが最近は、3Dプリンターの応用など、とりわけ高度で精密でない
部品はなんとかなる時代に突入した。

フェラーリやシトロエンでない日本車で、気を遣うのはロータリーエンジンと
ホンダの一部のメカニズムくらいであろう。


日本国内からは「叩き上げ」の職人が減る一方で、海外で見直される
あの頃の日本車たちには、私はいいんじゃないかと思っている。

整備技術も、昔より今の方が、ずっと診断レベルが高い。

私は早くから、外国車に飛び付いて30余年になる。
最近はその感情も一巡した。
国産車が見直されて、忘れられていたような形式や型番が陽が当る。

この中にも、三菱のコルディアなど、日本では全く人気の残らなかった
形式もあるが、もう少し、このブームを見つめていたい。


Posted at 2018/12/21 16:08:14 | トラックバック(0) | 趣味とホビー | クルマ
2018年12月15日 イイね!

昔のオーディオで遊びたい

昔のオーディオで遊びたい






Facebookは偶然の知識や情報がよく入って来る。
日本の社会では、なんか住みにくいといつも感じる私だが、
海外の生活を見ていると、全然気にしなくて良い。

今日はハンガリーのレトロもの好きな人たちの集まりを見ている。

私はオーディオが若い頃、とても好きで、自分で下宿屋の奥に捨ててあった
ステレオ装置を改造して、聴けるようにしたり、金が無いなりに
部品を日本橋や、京都の新京極南で調達して、整備して遊んでいた。

きょうは35年くらい昔を思い出して、考えて書いてみたい。


日本人の、今の私。50代後半くらいの人たちで集まると、
オーディオは『自慢』ばなしになりやすい。

「マークレヴィンソンのなんちゃら」、「JBLの何番を持っている」。。。

そんな話は、嫌いではないが、その段階で貧乏エンスーの私は、
大勢の話に、付いて行くことに、気後れが始まる。

私は貧乏だから、自動車趣味の歴史は長いが、同じような気分をいつも
味わう度に、メインストリームから、常に逃げて隠れていた。


貧乏だから、ホビーや趣味をやっちゃあ、いけないという法はないが、
今の日本。極端な新自由主義やら、自己責任で、ビンボー人は
麦飯でも喰って、焼酎でも飲んで、寝とけみたいな空気が強い。

あれが「嫌」なんである。

ビンボー人が全部無教養で肉体労働ばかりしている訳ではない。



古いオーディオ装置を私も30年以上愛用している。

若い頃は、整備状態が良くて、良い音を出していた。

これを新製品にリプレース(置き換え)するのには、今は適当な製品が薄い。

それに出す何万という金も惜しい。

90年代〜2000年代初めは、日本の家電会社も殆ど残っていて、
海外に工場を転出させて、オーディオは一気に安くなった。

しかしその頃の製品は、故障すると、修理に出しても、直って来ないものが多く、
失望させられることが、多々あった。





今はその頃の頭に来た時代も終わり、家電メーカーは国内は終わったような
時代である。
残っているのはソニーとパナソニックくらいだろう。

それと日本では、高齢化社会の進み方で、その裏面の部分から、
断捨離だとか、ゴミ屋敷といった話題が、よく眼に飛び込んで来る。

昔は新聞とテレビの毎日だった。1970年代から80年代は、それで世間は
回っていたし、ネットが無い時代は、世間から取り残された人の例もあったが、
おせっかいな、ことはあまり言われずに、ほっとかれたことで、
静かに気楽な生き方も出来たのである。


今の私たちは、パソコンというビジネスの土台に立たされて、さらに
携帯電話が、次々と世代が代わり、スマホのようなものに、生活を脅かされて
追い立てられてはいないだろうか。4Gだ、5Gだと爺爺うるさい。

なんてことばかり書き始めると、ボヤキ漫才だが、
ちょっと話を元に戻して、オーディオはソフトとハードの融合した趣味である。

ハード面の進歩や進化は、80年代に、レコードがCDに変わった時の変化が
大きかった。

その後の変化はあれど、テープがMDに置き換われなかったように、中途ハンパ
な社会変化で、
まあ、昔の装置で聴いていようと、「いけません」を言って来る人はいない。

この点は、クルマの旧いの以上に気が楽である。


今後の、老楽(おいらく)時代を過ごして生きる趣味には、昔のオーディオを
できれば自力で復活し、再生して遊んでみたいと、近年再び思うようになった。




ここまでは、導入部で、提言や、呼びかけみたいなものなのだが、
実際にどうやって、趣味やアソビは、回していくかである。

こういう時にいきなり、偉そうなことをいう人がいる。あれは、いけない。

日本の怪しい偽インテリ層の腐ったところが、とても人たちの志を傷つけるし
大して判っていない人が、さも判ったように言うのは、一番害毒が大きい。

私も気をつけるべしだと、肝に銘じる。

しかし、ポンコツ再生で、自動車ホビーが花開かなかった背景は、
リサイクル法とか、社会背景の誤認、ミスが大きいが、お役人的あたまの
人には、夢やアソビの気分が薄くて、あれはいけない、これもいけない、
それが人々の、「やってみたい」願望を、随分冷やしてしまっていないか。



私は今の日本の空気は「水清くして、魚棲まず」だと思う。
若い人や子どもが、手作りの遊びをしなくなり、久しい。
実際に手が汚れたり、手を怪我するような、作業を全くしなくなったが、
半田コテで、火傷はすることもあるが、手を失うようなことは無いだろう。





オーディオ装置なら、蓋をあけて、中の構造を見る。調べる。理解して考える。
そういった子どもの頃からの癖は、今でも直らないが、パソコンをばらすことは
近年減った。

こういった日本時間の流れは、日本人の想像力や、発想の変化に繋がり
近年の国力の衰えから、社会空気の情勢のなかで、根強い「諦め感」に
繋がっているように思われる。



お金の無い人が、手作りでアソビをどの程度まで、構築、再構築できるかで、
今後の社会が明るく変わるまで影響があるであろう。


だから私は、ぼちぼちと、次の指針を始めたい。
あちこちの家で眠っている古いオーディオ装置を、整備したり、
音楽遊びを楽器演奏のレベルに、フィードバックして「三位一体」の音楽
を聴く、演奏する、ソフト以外のものを集めたり、直したり。

そこまでいくと周辺社会の裾野が広がって、趣味は社会の基盤に近くなる。

自動車分野が失敗したテツは踏まないで済むことであろう。




孤立無援でも、趣味は内面の世界だから、コツコツと続けてやっていければ、
もしかしたら、花が咲く日もあるのである。


Posted at 2018/12/15 08:51:38 | トラックバック(1) | 趣味とホビー | 趣味
2018年12月11日 イイね!

車の未来

車の未来数日前に京都の高雄に行った。
もう、車を降りる覚悟はいつでも出来ていて
今年の走り納めか、最後の高雄に
別れるつもりで行ったように思われる。




ところで今日はこんな記事を見つけた。

自動車ディーラーの未来に暗雲?車のないショールーム
LAオートショー2018

土方細秩子 (ジャーナリスト)

Wedge infinityより転載

今年のロサンゼルスオートショーである意味最も注目を集めたメーカーのブースは、ボルボではないだろうか。オートショーと言えば各メーカーが持ちうるラインナップや新型モデルを並べ、訪れる人にアピール、さらには商談まで行われる場だ。

しかし今年、記者が集まるプレスデーのボルボのブースには一台の車も存在しなかった。もちろん一般公開される日からは数台の車が並べられ、特に2020年発売予定のV60クロスカントリーは目玉の一つでもあった。ただし記者会見の中でこうした新型車についての説明はなく、実車も存在しなかった。

以下はリンク先で読んで下さい。


これを読んで行くと、私も思っている
ディーラーと、ショールームと、セールスマンの営業の
自動車の売り方の時代は、とっくに終わっていて、
今後の自動車メーカーは、コモディティ企業を目差すから、
AmazonやGoogleと、どう立ち合って行くか。(真剣勝負のこと)

負けたら呑み込まれるだけではないか、と私は思っている。

私は趣味的な分野の範囲の人間だから、モータージャーナリストではない。
自動車雑誌の記者では、こういう書き方はしない。
車が好きだから、思い入れ(先入観)が、先立つであろう。

ウエッジは、新幹線のグリーン車に積んである媒体で、JR東海が親企業と思う。
しごく新自由主義的な本だから、左派系の人が嫌う理由も判る。

しかし雑誌不況の時代に、黒字の親がいるので、保守反動系のネトウヨ本と
全く異なり、執筆記事のクオリティーは高い。私もたまに買うし、
ネットは読んでいる。御免と言ってグリーン車から抜いて帰ることもある。


自動車の未来は、買うことよりいかにユーザー契約を取って
カスタマー登録してもらい、裕福層には、最大限のおもてなしと、ごますりをする。
しかしこれは、契約社会だから、感情的なものは一切排する。

お金はがっちりいただく。こんなものだろう。
前にポルシェに務めて(裏方から)見ていて、将来の自動車ビジネスは、
そのような図式になると思った。
私たちが、頭の中で渦巻くヒストリー、レジェンドは、ビジネスという世界から
見たら、
“トッピング”のようなものである。過ぎない。

それでも「悪かったな」で生きたい人は、ボクの文章を読んだら良い。

ここまで開き直って生きているので、コワい者はないのだが、お金が無い。

今日はここまで。

Posted at 2018/12/11 12:32:09 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2018年12月07日 イイね!

40年前をなんとなく、思い出す。

40年前をなんとなく、思い出す。







私が運転免許を取れる年齢になったのが、1977年の高校の時だ。
翌78年の春休みに、仲の良かった友人が、免許を取った。
そういうのは、当たり前のような時代で、不思議な遠い思い出でもある。

私は1978年は、受験に落ちて浪人していたから、何となくばつの悪い思いをして、
先にクルマの免許を取り、一足先に大人の階段を上がる友人を、指を咥えて
見ていた。

今なら、なんてコトは無い、たった1年の差が、宇宙の星とロケットを隔てる
空間のように感じた、遠い昔の記憶である。



その頃、昭和で言った方が判りやすい。
昭和52年はサバンナRX−7が出て、三菱のミラージュも誕生した。

53年(1978)は、キャンディーズが解散コンサートをして、社会現象になった。

ピンクレディーはアメリカに行くと言って、大きくコケたり、
アイドル歌手は、70年代パターンが通じなくなり、山口百恵も引退を決めた。

自動車は長い(ように感じた)排ガス規制の、試練を乗り越えて、ようやく
目を引く新型車が出始めたのは、昭和54年くらいからではなかったかなあ。

カローラの70型が斬新な直線基調デザインで、とてもよく見えた。
日産シルビアは、量産型の2代目となり、ぐっとよくなり、私たち若者が
すごく欲しい存在になった。



しかし18、19の若者が、スポーツカーの新車に乗れることは、少なく、
実際に買えたりしたのは、中古のダルマセリカのSTクラスとか、
写真の三菱セレステなども、人気があった。

セリカは2代目になっていたが、大人ムードの印象になって、さらに
派生モデルの初代XXが出た。

スカイラインは、ジャパンの前期の時代で、丸目の4灯であった。
ケンメリは中古市場の主力車種。ハコスカは、既に一時代前の昔の車だった。

ブルーバードは810がもうひとつ人気が出ず、その前の610、ブルーバードUが
人気を落としていた。
名車510はさすがに古く、当時は手を出す対象ではなかったが、私は秘かに
いいねと思っていた。

買うなら、フラッシャーランプのテールを持つSSSのクーペ、もしくは渋い
2ドアセダンが良いと思った。



こんなふうに当時のクルマが、すらすら出て来るのは、私が特別と言う
存在でなく、男の子の半数以上は、クルマが好きだった。
雑誌のプレイボーイや、後年創刊した「GORO」などでも、クルマの新型の
話題は、毎号大きく載っていたのが、当たり前だった時代である。

新車の月間販売数が、人気車は万単位であり、いかに自動車が国内経済を
動かし、それを争って買うことが、家よりも誇らしく、自動車ファーストの時代が、
バブルの80年代終わりまで、熱の出る病のように、みんな罹っていた。

これは本当に不思議な、熱中時代だったのである。



なぜ人々は、取り分け若い男性は、クルマに浮かれていたのであろう。

それはクルマが女性にモテるための、必須のアイテムだったからである。

今で言うスマホの存在に近いのか? いや、クルマは動く空間で、
どこへでも連れて行ってくれる、魔法の乗り物で、持ち主や乗り手の、
センスを主張する道具。今で言うと、3つも4つも、重要なポイントを抑えた
“必殺兵器”であったのである。

でも、それ以外にも、クルマは移動の道具であったり、高級なオーディオといった
趣味も当時は人気があったが、上級者や、趣味の世界の奥を覗きたい者には
輸入車(外車)が、とびきり、今で言う、セレブの世界の入り口だったのである。


たった、いや遥かな40年前の世界には、自動車が価値の世界の中心に
君臨しており、それは何をとっても、話題の中心で大きな存在だったのである。

それから時間が過ぎたが、自動車ほど「過去の遺産」で食えている産業は無い。




その自動車産業は、40年の間に、もう昔の神通力は、無くなっている。

今年起きた、トヨタ主導の、自動車税の負担引き下げも、日産の命運を
傾けそうな、ゴーン会長の私的な利益誘導も、40年間の社会変化を、
見ておらず、いつまでも「自分たちが世の中を動かす中心企業」と思っていた、
錯覚に気が付き、狼狽が表面化したことだとは、思われないであろうか。


それは私が故郷にある大企業、新日鉄こと八幡製鉄所に対する思いに近い。

鉄は産業、そして国家なりと、世界に股がる大企業であった製鉄業も、
今は、アルセロールミタルなどと較べて、競争力は無く、影響はうんと小さい。

それでも未だに日本の経済界の中心は、経団連だが、常連企業の不振は続き、
東芝のような、20年前は大威張りだった会社が、今や存亡危機さえ囁かれる。


40年の時間は大きい。そしてその40年は、19だった若者(わたし)を還暦前の
おじいさんに、させてしまう時間の流れだったのだと、気が付いた。



何が、間違っていたのだろう。
今でも、間違っていないのか?

私は、何度か思った。昔のような楽しさと、自分の感情移入は、今の自動車には
無理だと。

それを徐々に失わせて行ったのは、ルール社会であったり、安全重視の構造の
変化であったり、改造を禁止して、自動車はユーザーがいじれる物質でなくした。

その他にも、暴走族やドリフト族の禁止とか、いくつもいくつも、自動車の進化を
越えて、制度社会が、息苦しくなり、さらに重度の負担が何十巻きになった。

牧歌的なクルマ愛を叫ぶことは、ノスタルジックカーでしかできない。


その旧い車は、ついに40年以上の過去の生産品で、誰にも手に入るものでは
なくなった。

クルマに現を抜かせた時代は、昭和までで、後の30年間は、平成の嵐のような
時間であったのだと、今は思うだけだ。



クルマが好きだ。それは何か新たまって、自分に言い聞かせなければ
言い難い。

そんなことって不自然なことのように、思わないか。誰が見たって。

40年間の時代の重さを感じながら、こんな記事をつい書いて見ただけである。

私はもう、決して若くないことだけは、事実である。





Posted at 2018/12/07 03:09:41 | トラックバック(0) | 回顧録 | クルマ
2018年12月03日 イイね!

師走

師走今年は
前半は明るい話題をいくつか掴んで
頑張ったが、
後半の失速が、
何とも言えない今の苦しい状況に
なっている。



一年間は早い。
年末のことなど、考える余裕も無く、それでも生きてきた。

昨年の師走は、学生時代以来の付き合いのあった後輩が病没。
そんな寂しい出来事もあった。
私は今年も生きられている。


クルマの未来に付いて、あまり明るい話題が書けない。
それでもクルマは走れるし、高騰したガソリン価格も、年末には落ち着いて
価格は下がってきた。

まだ「ガソリン車は今年も走れた」のである。何と言う幸運!


最近の世の中で、二つに分かれる傾向が強くなっている。

ハンドメイドのものつくり、文化は、決して廃れないという、伝統と信頼感。
それで生き残れるジャンルは、結構実在しているのでは、ないだろうか。

今年はさっぱり、日本車の明るい話題が少なかったが、
こんな時代だから、日本にカロッツエリアみたいな工場はできないものだろうか。











Posted at 2018/12/03 06:33:50 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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