
この所よく、平成を振り返る特集記事を
目にすることが急に増えた。
それも当然で、平成は31年、今年の4月で終わる。
以前のような天皇崩御というような、幕の終わり方でなく
生前退位を希望されて、それが叶ったのだから、私も従う。
それに関して識者が一斉にいろんな述懐を始めており、興味深く読んでいる。
中でもnhk onlineの記事二つはテーマ性もあり良く書けている。
一つ目が森永卓郎
もう一つがOBの池上彰である。
リンクを付けておくので両方とも読んで欲しい。
共に日本にとっての平成と言う元号の時代を主に語っているが、
世界の1989年以降の大変化が、もたらした内外の影響のことは、避けては通られない。
日本の自動車の歴史を回顧するときに、平成元年のことと、その年に登場した
新車が画期的な時代を築いたこと。ドッグイヤーだったことを言う人は多い。
私もそれは影響があったというより、社会現象的に感じるが、あくまでも
そこに捕らわれていては、平成の30年間を俯瞰できない。
日本車の隆盛はそのずっと前から始まっていたし、一気に花開いた感があるのは
その年のニューモデルが素晴らしく、しかし開発は3年前から始まっており、
昭和最終期の方が自動車社会としては、評価したい気持ちが強い。
最初に出した2本の記事は、平成とは失敗の連続、日本の転落の30年とか、
戦争は無かったが、かつてない格差の社会が訪れたと、反省記事になっている。
自動車について考えると、平成の30年とはなんであったのだろうか。
私は、規制緩和で自動車の外側が大きくなり、5ナンバーがうんと少なく
3ナンバーだらけになった今の日本が、あんまり好きではない。
自動車は規制の多い産業であるが、その中で知恵を絞るから、時々
インノベーションを引き起こす大傑作や、歴史に名の残る長命なモデルが
出る方が、自動車らしくて産業の本質に近いと考える。
今の自動車は、本当に抱えるテーマが多過ぎて、本来のパーソナルで
軽快な乗り物から遠ざかって「大きく」なり過ぎたと思っている。
また、国民の中での格差の広がりは、お金のある人に対応した
贅沢の意味を解釈した国内向けは、本当に少なく、
一方で、車から退散する人間が様々な理由で増えており、これが新車が
売れない大きな原因と判った産業界が、危機信号を出している。
しかしそれは、本来の「より安くて魅力的な」自動車が元年時比較で
大幅に減り、プラス国民の高齢化が進む一方では、年齢の若いアジアの
新大国には、到底競争の相手にはなれていない。
自動車の枠組みとか、ナンバー制度もとうにゼロベースで解体すべき
筈だったのに、この大幅な遅れは、制度設計する公務員も動きが諸理由で
遅くなり、それが社会の退歩とつまずきの原因だろうと、言われている。
要はいろんな分野で日本は連戦連敗して、その原因も過去の制度改革の
失敗のツケが一世に出て来たと、最後の年になり噴出している状況だ。
私は小泉政権の時代は、バリバリの現役で、
5年の政治が終わった時は部下を交えて、この時代をどんな評価にするのかは、
今は出来ないが、やがて高く評価するのか、違うのかは、判る時代が
来るだろうと、10数年前に語っている。
今回の森卓の一気に語りでは、構造改革は日本の失敗の最大のものと
そこまで言い切っている。
このブログでは自動車について語りたいが、どこで日本車は、舵取りが
狂ったと言うか、魅力が薄れ始めたのだろうか。
例えば日本のバブルの事例で、マツダを傾かせた5チャンネル販売体制の
失敗がよく引き合いに出る。
その後のマツダが立ち直り、かつてのフォードとの共同開発からも手が離れて
一見は、良くなったと言われているが、それは消費者から見て、どう捉えたら
よいのだろうか。
日産はバブルの開発ラッシュに失敗して、大きく負債を抱えて、倒産寸前になり、
フランスからルノーのカルロス・ゴーンに乗り込んでもらい、リバイバルに着手。
その後の長い君臨統治の下で、今回明らかになった腐敗支配に陥り
再び危機を迎えている。
昭和時代に会長より発言の強い組合トップが君臨し、「労働貴族」と呼ばれた
時代の方が酷かったのか。
でも新型車は国民と購買層の方をいくらかは向いていて、気になるクルマも
当時はまだあったと私は思う。
三菱は、ふそうを含めて、醜聞が噴出して、消費者を裏切り続けたメーカー
というのがマスコミのイメージになり、会社が傾いた。
パジェロのパリ-ダカールラリーでの活躍や篠塚健次郎らがいた会社はなぜ
このようになったのか。
いすゞは自家用自動車を作らなくなり、ホンダは大きくなったが、面白くなく、
スズキやダイハツは軽の分野で生き残り続けるが、どうなのか。
スバルは日産系列からGM色になり、最後にトヨタの手に入ったが、今の
スバルは果たして富士重工以来のスバルなんだろうか。
そしてトヨタは世界最強の自動車会社と一時期言われて、国内でレクサスを出した。
しかしハイブリッドとレクサスが、トヨタの屋台骨らしいが、どうも業界の迷走の
原因はこの日本を代表する企業に理由はないだろうか。
こんなふうに考えてみたのと、別の角度からアプローチもある。
私自身が、自動車社会に対して、どこか潮が引くように醒めてしまった。
自分自身の原因があるのだろうと、思ってはみるのだが、それだけではない。
社会に余分に、福祉や保健、新税が増えており、それらをクリアして
また元の位置に戻って「自動車ってサイコー」とかとても言う気が
しなくなってしまったことが、投影しているのである。
社会的に見ても、平成の30年間は、自動車趣味が成熟して、オトナの遊びと
なると思っていた。が、ならなかった。
私もコケたのである。
今年で昭和から続いてきたニューイヤーミーティングが終わったように、
もう大衆的な盛り上がりは無くなって、高額イベントか、地方の町起こし的な種類に
分かれている。
その間が外国のようにないのは寂しいが事実である。
結局、平成の30年間とは、日本がヨーロッパ等の他の先進国のような成熟国に
なり、趣味の年輪と層がうんと厚くなり、そういう内面と心の遊び、ホビーの
大国になれるのではという、私のかつての予想は大いに遠のいて、
この見込みは失敗だったということだ。
最後に、まとめではないが、こういうことも書いておこう。
日本は第2次大戦の戦況下で耐乏生活を強いられた時期が確かにあった。
大勢の人が戦争の直接被害や、間接理由で亡くなったことも事実である。
ところが戦後も落ち着き始めると、真っ先に元気を取り戻したのが、遊びや
ホビーと言った趣味の分野と言うより、それに関する狭いゾーンである。
戦前から嚆矢は始まっており、一時隠棲して、戦後に一気に花開くのが
子どもと趣味の世界だ。
この平成の失敗は、第2次大戦の被害のようなものでなく、社会構造の
持って行き方のミスでもあると、思われて来出したが、さてどうなるんだろう。
今は気勢のあがらぬ社会になり久しい。また世紀末伝説のような北斗の拳
みたいな社会はおそらくはならない。
人間は過去を引き摺る時と忘れる時が有る。
これからの新元号時代は、引き摺りそうな予想もあるのだが、もういいんじゃ
ないかと思い切りたい。
私は活躍できないかもしれないが、何か流れが変わる転換点と
きっかけにならないかと思い、この文を書いてみた。