
今はテック企業という言い方もあるが、日本の会社には世界を舞台に通用した会社も多くあった。
中でもソニーの存在は日本が産んだ世界に通用する(した)スター企業だったと歴史を振り返る。
ソニーはテープレコーダー技術で、世界に飛び出して、映像を記録する装置の方式で、ベータ規格を押し出してその優位性を謳い、VHS方式と雌雄を決する戦いに長く挑んでいたことを、覚えている人はいるだろう。
最近、ソニーはMDミニディスクから、完全に撤退を決めた。
私は2000年頃からデッキを買って、カセットデッキの代わりによく録音して、自動車の中で再生するのにちょうど良いと思い、実は最近、自動車の音源をMDデッキに戻した。
レコードや、カセットテープの音をMDに録音し、自分の好みのやや旧い
音源を聴くのにちょうど良い。
しかしこのMDで聴いている音楽ソースを、年配の人が再生装置で聴きたいというと
CDに入れ直したりしないといけない。MDは普及しなかったから、そこは一つの
障壁である。
さらにパソコンで取り込むのに、実はMDはWindows系の昔のパソコンだけが
対応で、Mac派の私は今頃になって、付属ソフトの不対応に驚いて呆れた。
おそらく想像だが、MDは出た時は優位性のある方式であったが、どうやらApple社のiTuneの出現を快く思っていなかったように思える。
パソコンの普及の30年間で、最初の頃の単機能からアプリケーションの発想が広がって、写真や音楽をこの箱に取り込めるように変わっていき、今はインターネットを介在して、音楽や動画、写真を世界に発信できるように変わっていった。
そういう時代の移り変わりの中で、パソコンはWindows系とMac系の併立が悩ましかった時代もあったが、今では穏やかに共生できているように思える。
そのパソコンが社会を変える以前の1980年代にソニーはウオークマンで社会を変えてしまった。
今から見ればアナログ方式のカセットテープを小型の再生装置で、持ち歩けるようにしただけのものだったが、瞬く間にこれは世界の人の心を掴んだ。
私はあれを嫌って最初から持たなかった一人である。偏屈でなんでもアンチだった。
ソニーの80年代の成功は、80年代後半にアメリカの大手の映像産業の本体まで買収できるくらいの時価総額になり、あの頃の日本は凄い力を蓄えていた。
その日本は40年弱でこれほど冴えない状況になった話は前回書いた。
私はこんな今、もしソニーがiTuneを受け入れて、MDにも簡単にデジタルインターフェースしていたら、今でも世界のAppleショップの横にソニー製品が並んでいて、MDはCDより先に廃れずに済んだのでは、それか、次のステージの機器をソニーが共同開発したかもしれないと思った。ここは個人的な頭の想像で、テック系にもっと詳しい人は即座に否定されても構わない。
ソニーはmoraという日本独自の音楽サービスを始めて、何年維持しただろう。
私はもうMac愛用者になっていたので2000年代はソニーから離れた。
最初のプロバイダーはSo-netにするくらいソニーが好きだった。
だがCEOが技術系の人物から変わって、会社の体臭が「あれっ」と違ってきて、
当時は命の次に大事だったメールアドレスとホームページのうち、ホームページの
URLを利用者殺到でいきなり桁数字変更されてしまった。
今から見るとその程度のことであるが、私は年賀状の印刷も終えていたので
厳重に抗議した。回答が出るまで何回もメールで、いかがなものかと問い糺し
結局So-netを解約した。
その頃のCEOは最近亡くなった出井氏でGEのジャックウエルチを参考にしたのか
ソニーが保険代理業、続いて今も続けてる銀行業と言っても店舗を持たない
金融業に参入したから「あれー」そんなことよりも本体の電器の新製品や
ソニーレコードの方は?という裏切られた気分の方が強かった。
テック系企業は大半がアメリカ。後は中国という今の世界地図。台湾も頑張ってる。
日本はトランジスタ技術、次のIC、その次のLSI時代まで、もの凄く躍進を続けた。
80年代の優位から、ここまで転落した原因や理由は、いろんな記事と本を読んだ。
アメリカがソ連の崩壊で、東西対立が終わる前に、次は日本をやっつける国の方針に
なって、そこからの国際競争社会の変化。これは当たっている。
しかし武力で侵攻されたり、イラクやアフガンのようなことは無かった。
日本は技術力ともの作りで、戦後のカメラからテレビ、オーディオ、そして自動車と
何でも一時期は優位に立てたが、次の時代をゼロから考える力が乏しかったように思える。
日産がブルーバードP510と、初代のフェアレディ240Zを出した頃、特に後者は、当時のスポーツカー、ジャガーEタイプ、それと高価なポルシェ911(901)に比べて、驚くような廉価で高性能で、品質が良く壊れなかった。
ここまで書いてきて日本は凡庸なのか悩む。
ジョブズのようなゼロから家庭用パソコンに挑むとか、携帯電話の次、今は当たり前のスマホという日本語になったガジェットとか、それに近かったのがウオークマンだが、プリミティブな機械である。
私はあと、オートフォーカスのカメラも「日本的発想」と小馬鹿にして手を出さなかった。目先目的過ぎるのである。
その最初に出したMDがなぜ好きかというと、カセットテープに近い使用感と
CDの盤面傷が起きないから、私はアナログな自動車運転が得意なので、非常に
マッチングが良いと今も見直して、思った。
最近は老後になり時間もたっぷりあるので、レコードを日常的に聴いて録音し
クルマでも聴いている。
日本は世界をリードするようなテック国家になれなかったのは、当然のような気がするが、私のような好奇心型の人間のために、中間的なメディア方式の維持や、開発を継続して欲しい。自分は技術者になれなかったが、子供の頃から模型工作、今でも家庭内の機械を修理や日常的にやっている。
日本が立ち直るのは、少年とかの好奇心の涵養じゃないか。数十年かかるけれど
そう思う。