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kotaroのブログ一覧

2020年08月16日 イイね!

暑い!

暑い!いろいろなことがあって、少し記事が書けなくなっていました。

復活の兆しではないのです。

850クーペは盛夏になるまで、実に良く走らせていました。

だけど山道の多いこちらで、クラッチが次第に滑るようになり、

大修理に出しました。

返ってきたところです。
Posted at 2020/08/16 14:12:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2020年06月20日 イイね!

新しきスタート

新しきスタート



しばらく投稿が開きました。
この間に引っ越しを10年ぶりに実施、
今は九州の海沿いの町にいます。






去年、還暦を迎え、普通はこの齢で、新しいスタートに挑戦することは
背水の陣とか、悲壮な覚悟にとられます。

私は今回は、ある程度時間が経ち、思ったよりも
ハードルの低い転身だったと思っています。




今は毎日が新鮮で、飽きることがありません。
それよりも、鉄道は通っていますが、普通列車は1時間に1本程度、
どうしてもマイカーを使う機会が多くなりました。

それと、新緑の山道と、毎日通る海沿いの風景が新鮮です。
こんな感じでしょうか。




しばらくは850 1台を専ら使わずにおれませんので、距離が増えそうです。

こちらに来る前に、大阪で最後の整備をしていただいたので、調子は快調。



60歳になり、41年ぶりに九州に戻り、大分県に移って来たのは、前回は
1970年、半世紀前でした。

それと、移住の決定は仕事の採用もあり、3月末に決まったのですが
今回のコロナウイルスの前代未聞な大騒動で、2ヶ月間は大阪の家で自宅待機
の日々でした。
クルマも自由に乗り回せなかったので、楽しくもない我慢の時間が
やっと終わったと言うところでしょうか。



このブログを始めた時が、2010年の前回の移住直後です。
初期の日記には新鮮な、かつ不安な新生活への気持ちが書き込まれていると
思います。

今度からはまた違った、風土と、旅と、暮らしの日々を綴って行きます。
ご期待下さい。

大分県佐伯市の海沿いの町より

kotaro
Posted at 2020/06/20 09:08:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2020年05月20日 イイね!

徳大寺有恒を今思う。

徳大寺有恒を今思う。

もう2014年の急死から5年が過ぎて、懐かしい思い出になったが、
最近、ラストソングであるこの本を思い出して、読んでみた。

徳大寺さんが、「間違いだらけの車選び」を最初に出したのが、昭和51年版である。
西暦1976年で執筆は75年頃からである。

彼が日本車のあり方と売り方に疑問を持つきっかけは、働く女性である
パートナーの奥さんの1台の愛車、レモンイエローのゴルフ1型からだった。

初代ゴルフは、あの30年以上作られた「ビートル」、フォルクスワーゲンの
跡継ぎだったが、180度転換した自動車設計は、保守的な層からは、冷ややかな
目で見られたが、当時の若き日の徳さんは、このクルマに近未来的な予感を
感じたのであろう。

「コレは何だ」と思ううちに、ヨーロッパ車を改めて見直し、乗ってみて
FFのフィアット128や、少し前の125の良さに気がつく。



私は45年前に、30代半ばの当時では若いと言えない、中年期にさしかかった
徳さんが、その頃の日本車…、スーパーデラックスとかラグジュアリーといった
エンブレムと内装変化の素人だましのレベルで、バンバン売っていた時代の
底の浅さに、我慢が出来ずにこの本(間違いだらけの)のペンを執ったと見ている。

大半の日本人、成人男性は、日本車が国内+海外で多いに売れて稼ぐことは正しい
ことだと思っていた。しかし日本車が売れていたのは、価格の安さと、壊れにくさ
だけで、自動車の何たるかを判る日本人は非常に少なかった。

こんなレベルの代物が「欧米車キラー」といって売れているだけの現象に
「おいちょっとしっかり目を開けて、外国のクルマを見ろよ」
徳さんは陶酔していた日本人に、そう言いたかったのである。


ちょうどその頃は、1973年末に起こったオイルショックで、世界が一斉に
不景気な時代を迎えており、それに加えて日本車にはマスキー法の遵守と言う
排ガス規制のタスクがかけられて、日本車の実際も、息が上がらなかった時代だ。




しかしそれでも、日本車は恐竜のようなアメリカ車を、追いやり、米国では
特に売れて、現地の自動車労働者たちが、レイオフ(雇い止め)になると言うので
日本車憎しで、火を点けて燃やすと言う憎悪の対象にすらなっていた。

こんな当時の時勢のなかで、徳大寺さんは覆面作家として、超辛口の国産車批評を
やって、びっくりした読者は覚醒することになったのである。

一方自動車メーカーや、大手広告代理店は、徳大寺は誰だ?という「犯人」
探しや、この本の出版元である草志社の広告にまで圧力をかけた。
推理作家の何人かは、とばっちりをくったという。
また広告媒体への圧力なんて、今と変わらない体質だと思う。

私は5年前に亡くなった故人へ、讃美と言うより、こういう時期に
もう一度読んでみると、コロナ騒動の後で、何をしたら良いのかが
少しイメージ出来るように思えたのである。



エッセイの集大成の本なので、1970年代から晩年の2010年過ぎまでの
長い執筆生活の本であり、その中で、晩年の自動車社会の未来に対する
不安や不満は当たっており、日本の自動車環境は、趣味や人間性、持ち物として
格のある存在にはなれていないし、傾向はよくなっていない。

ところでなぜ私は、この時期に徳大寺有恒を読もうと言う気になったのか。
私は近いうちに、41年間暮らした関西圏を離れる決意をした。
この40年間に大学に行って社会に出て、その後家庭も営み、生活人としていろんな
経験をした。しかしもう60の還暦を迎えた。

一方この長い時間のうち、34年間を1台の自動車を手に入れて、道具として
生活に使い、趣味の世界にも顔を突っ込んで、人生の大いなる彩りとなった。

このクルマを近年どうしようと、何度も迷った。
しかし九州に持って帰ろうと思う。
今では40年前に無かった、マニアックな自動車を見る工場もあるし、
ガソリン車をのんびりした環境で走らせる、最後の時間でないかと考えた。




そんな訳で、荷物をまとめているうちに、蔵書の整理も必要となり、
読み返すこととなった。それと、コロナの騒動は、本来別の出来事だったが
偶然の重なりで、私は3末で仕事を辞めたが、海外旅行も出来ずに、自宅で
日々を過ごすことになった。

この非常事態宣言は、出口が見えつつ有るが、まだ予断は許さない。
しかし私は、急転直下で新しい人生に立ち向かおうと思う。

必要なことは、常に現状を把握と認識して、疑問を持ち続けること。

維持は、何のためにしているかを、考えた方が良い。

Posted at 2020/05/20 10:53:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | ニュース
2020年04月21日 イイね!

アンザイエティー anxiety

アンザイエティー anxiety










緊急非常事態宣言が7日に出て、2週間の目処の途中経過の日を迎えた。
まだ全く収束の見通しは、経っていなく、いろんな憶測が有るがここでは
避けておく。


この間に非常事態は全国に広げられ、被害の判る商売の人対象から
全国民にお金が出るような流れになった。

みんなコロナ疲れがひどい。
それと自由を制限されることが、これだけ肉体以上に精神を苦しくさせると
考えていなかったのではないか。

1年前や数年前が懐かしいという気持ちの人も多い。

私も実際は、家に殆どいるので、しんどいが、まあこんな時だからと
普段しないこと。古書を読み耽ったり、捨てずに置いていたカセットテープの
音楽を、一日中聴いている。




それにしても、と思うのは、原油が価値がゼロになったり、経済界のすぐれた
経営者であった日本電産の永守会長のような人が、「これまでの考え方は
すべて間違っていた」というような、びっくりするような発言をしたことに
連日驚きを通り越している。


しかし、これまでの欲望肯定や追求型の社会は、90年代末から、だんだんと
だんだんと変わって行く姿が見えていた。経済界も、このままでは1989年の
社会主義圏が崩壊したような断末魔になるんじゃないかと、思っていた。

話は変わるが、私は一度も新車を買ったことがない。
何故かと言うと、クルマは既にあるもので充分楽しめるし、中古は第一に安い。
だからクルマは大好きだが、新車販売に貢献することなく、我が道を歩いて来た。

そんな自分の生き方は、何ごとにも一度考えてから取捨選択、広告や宣伝に
共感はあっても、踊らずに、自分の信念というか、考えてから要るものと
欲しいものに分けて、順序を決めて、プラス財力の範囲で生きて来た。


50歳からは一人暮らしを始めて、コンパクトな経済に替えてみた。
年収も大きく下がったが、先を見据えて、子どもらの自立までの協力は
したが、私は世の中の流れを、距離を置いて、安い値段でオンボロ家に移り
そこで冷房もなく、自炊中心の暮らしに切り替えて行き、クルマ煩悩も
かなり冷めたが、1台だけの暮らしに、勤しむことにした。



みんなこの先の人生に不安だろうし、これまでの生き方に疑問だらけだと思う。
でも私は10年前に、考え方を180度近く方向転換してみた。

当初は「世捨て人」とか心ない言い方を言う友人もいた。
私も言われることは本意ではないが、自分の考え方に共鳴出来る人は
そう多くないと思っていた。

その10年前の、決心や決断は、当初は不安だらけであった。
オンボロ家で一人で生きていくのを始めた頃は、寝ている時に、それ以前の
暮らしを思い出して、目が回り、パニック寸前な気持ちで、寝汗を
びっしょり掻くこともあった。




2010年からの10年間を振り返ると、悲しいことが3つあった。
姉が先に死んだこと。母が死んだこと。それと、信じていた妻から離婚を
切り出されたことである。
お金も渡していたし、子育ても一生懸命一緒にやった。実はこの10年
全く浮気もしていない。

それでも林住期(五木寛之の本で青春期、家住期の後に来る季節)になった
パートナーが自由になりたいというのなら、認めてあげるのが大人の男だと思う。


というわけで、私は完全にアローンとなった。
数年前にはお金のことで、随分も苦労はした。しかし長年乗っているフィアットは
残しておいた。

今、3月末で退職して、次の仕事は決まっていて、夏から働く予定である。
本当なら、これまでの悲しみにさようならして、イタリアでも行ってきたら
良かったが、世の中には皮肉な巡り合わせもある。私は皮肉なものだと思うが
不幸とは思っていない。

今回の世界を揺るがせるような伝染病の流行。私も不幸にして命を落とすかも
しれない。だが今日も生きられて、メシを食って、味も美味しいと感じている。

アンザイエティーというのは、先が見えない不安のことである。






ここでこの記事を終わっても良かったが、もう少し書こう。
暮らしの将来が判りにくいから、自分の命を、賭けの対象にするような、
先物取引みたいな人生の青写真を、私は避けてきたが、これまでは
肯定する流れだったし、それは次第に拡大して、お金が安易に流れる
(借りれる)ような仕組みになっていた。

その近代社会のあり方が、根本的に問い直される。と思う。
新築のタワーマンションに、現金で買えて住める人はあまりいない。
私は無理である。
今後は無借金で生きて、今までに作られたものや、社会に残っているものを
(再)利用して、コンパクトに生きていく。
それと、モノを持たない生活ではなく、最低限のストックを無借金で持ち、
高過ぎない欲求と、抑制された願望の中で、自己実現しながら、暮らしを
営んで行く。
そんなやり方が、主流とまで行かなくても、見直されていくのではないか。

Posted at 2020/04/21 05:29:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2020年04月02日 イイね!

人生に必要なもの

人生に必要なもの











今回の伝染病は、第2次大戦のような被害になるかもしれない。

世界中の人が多くで困っている。

人類は困らないように、制度を作ったり、電気を引いたり、
機械を発明して生活に役立てることを目標としてきた。


根本的な人間の存在が、問い直されるほど、今回の病原菌の流行は、
世界を不安と混乱に陥れた。

私たちは、何のために地球上で生きているのか。
少しの人が今、問いかけ、問い直そうとしている。

終われば、終わったとき、それぞれの目標着地点は違うが、
戦争中と似たような、やりきれない空気の中で、初めての体験をしている。

そこで何を考えたら良いのだろう。
ひとり一人の心の中にある、大切なものを、目の前の現実から離れて
思い出してみる。
これまでで、一番楽しい時代はいつであったか。

私は80年代、年齢が20代の10年間が楽しかった。

それとその後で女性と出会い、家族を持って生活をしたこと。

手放しで楽しかったのは、学生から社会人になり、遊ぶことに充実出来た頃。

家族という新しい命の誕生と、一方で父との別れや、大地震で被害も受けた。


こんな苦しい時は、絶望しがちであるが、試練の時期だと思う。

私よりも現役で活躍されている人が、一番負担が大きい。

私は半分リタイアしかけており、自分さえ生きる道が見つかると何とかなる。

学生の人で読んでくれている人は少ないと思うが、今は自重の時期だ。



そうやって、自分たちの社会での役割をもう一度考えてみて、
その次が何かも考えておく時間だ。

血気に逸る人も今はボランティアにも行かれない。

だけど何か、時間の経過中に、不安材料以外に、自分が何がしたかったのか。
私は25年前の阪神の震災で、失うものもあったが、仕事と家庭は維持出来たので、
好きなことをしようと、震災の後でタルボサンバとローバーP6を加えた3台生活を
10年間続けてみた。


今、自動車のことを語れるのも、その時の経験があるからである。






私はこの後の時代に、生きられたら、また違う生き方を見つけようと思う。

そのためには、お金を貯めるのか
お金を使わない生活にするのか、どちらかだと思う。


今回の経験は教訓というより、皆が自分自身の生き方を見直して、当たり前に
思っていることを、ゼロベースで問い直すきっかけだと思う。

それだけは、何となく理解が出来ると思う。

すぐに元に戻ると信じるのは、自由だし、反対しない。

戻らなければ、もっと辛いことになるのかは、そう考えない方が良い。

戦争が終わった75年前に戻って、苦しいけれど希望を見つけて行き
新しい命の誕生した時代を思い出してみる。

場合に拠っては自動車との生活も見直して、大切なものは自分自身の命と健康、
その次に家族のある人は、家族のそれだと気付いて欲しい。

Posted at 2020/04/02 13:26:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「50cc原付の廃止と元新潟鉄工の破綻 http://cvw.jp/b/176891/48701621/
何シテル?   10/09 14:35
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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