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kotaroのブログ一覧

2025年05月30日 イイね!

インプレッション記事と洋雑誌

インプレッション記事と洋雑誌長く遊んで生きてきて、昔を思い出したり振り返ることが多くなった。
私はこれもアソビの一つで、今はレコードとカセットテープを再生機器で再生して、
MDに録音して、自動車運転中に聞く。

この聴くのが覚えている人は分かるだろうけれど、最近は沢田知可子。
少し前は、内藤やす子。
その前はしばたはつみのレコードを探してきて聞いて、この歌手の正統な評価は、
なんだろうとか、現代の位置づけで聞くのである。

これと同じことを鉄道車両や自動車でもやっている。
交流型のSNSで若いけど非常に車のことに詳しい人とやって
最近あることがあった。

昔のマイカー雑誌が恐竜のように死に絶えたことは前回書いた。

その目玉だったのがロードインプレッションという主観的な「新車ぶった斬り」
みたいな記事が圧倒的に支持を集めていた時代があった。

徳大寺有恒氏の「間違いだらけの車選び」もそれに近いのだが、ちょっと違って
いたように思う。


大半の有象未曾有の自動車ライターが書く”辛口インプレッション”
あれが苦手でしたと、ある投稿主が私のコメントに賛同した。

走る、止まる、曲がる、をいかに講談調の名文で語り得るかが、自動車雑誌の
記者の「売り」で、そこには大時代がかった仰業な表現が飛び交っていたことを、
覚えている人も多いと思う。



今の2025年に40年くらい前のことをあれこれ言っても仕方がないが、日本の
自動車雑誌はどの時期からか、非常に主観的な内容のものがメインになり、
モータージャーナリストや自動車評論家といったふぜいが、あれはダメ、これも
良くない、褒めることは滅多になく、歌謡曲新人登竜門番組の、激辛審査員みたい
な記事ばかりが、毎月出てくる自動車雑誌のトップ記事になり、誌面はそれで
埋め尽くされていたと思う。

若い人は「あれが嫌でしたぁ〜」と言う。

今の21世紀的な感覚で言うと、ひろゆきの「それはあなたのご意見ですね」
みたいな主観が混ざったどころでない酒場の親父みたいな記事ばかり。
それを毎号読まされてはたまったものではないが、自動車国民はそれでも活字を
有難がっていたのである。

その頃の私は、そういう情勢に流されるのも、小学校時代の頃よりのクルマ好き
だったから抵抗があり、かといってカーグラを有り難がる小林彰太郎教信者に、
なるのも今更感があり、どうしようと思って、大阪の梅田に出た時に、大書店の
洋書コーナーにその頃は、海外のスタンド売りの自動車雑誌、「motor」や
「Autocar」と言った地味な雑誌が、まあまあ学生の買える価格で出ているのに気がついた。



一冊試しに買って読んでみると、マツダ323。当時峻烈に若者の人気を集めた、FFファミリアの平凡な5ドアのハッチバックが、評価の対象となる記事が出ていた。

日本で売れまくる3ドアのXGなんて出てこずに。



あとそういったスタンド売り雑誌は、形式図的な全長、ホイルベース、全幅、全高、
室内長、エンジンレイアウトが競合ライバル車と並べて一目瞭然で分かるように
掲載されていた。

また巻末に雑誌の試乗記事で計測した、加速やスタートダッシュ、最高速度、
燃費性能などが「巻末データ」として掲載されており、自分が興味のある車が、
少し前の車との比較が実にしやすい。



私はそこに「我が意を得たり」を感じ、それから数年は隠れて、薄い洋雑誌、
イギリスのスタンド売りの自動車雑誌をめくりながら、密かに自動車の追求を
そういった世界に求めるようになった。



その後の自分の自動車趣味の長い遍歴は今日は語らない。
あれほど猖獗した、日本の自動車趣味雑誌や、マイカー雑誌はほとんど消えて行った。
臨時増刊号まで出せば売れた時代は、実に遠くなった。

自動車に熱狂する時代は遠くなった。週刊プレイボーイや「GORO」といった
ヤングアダルト雑誌で、自動車の夢を若者たちが夢見た時代は一体何のお祭り
だったのだろう。


Posted at 2025/06/01 05:30:00 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2025年05月22日 イイね!

マイカーの夢

マイカーの夢15日から20日まで自動車旅行をしてました。

去年の12月に850クーペを出して、高速で故障したので、これまた古い20年もののスズキアルトで行ってきました。

自動車で走って旅をして、なーんにも面白いこと、ワクワクするようなクルマとの遭遇も無くなり、とにかく「わ」ナンバーやタイムスのシールの着いたフィットや小型車が実に多くなったことに遭遇いたします。

「わ」ナンバーで思い切り飛ばして来るセコそうな小型車は、避けるに限ります。
運転も荒っぽいし、ブレーキを踏まずにアクセルだけでスピード加減できるような運転手はいません。

そんな自分の60代、運転40年との彼我の差を痛感しながら、自分も歳とった
もう楽しかった時代には戻れないなー、と痛感します。

考えたらマイカーを持つ夢って、昭和の時代の最高に叶えたい夢の一つ
だったことに思い当たります。




自動車好きは圧倒的に昭和生まれですし、昭和の40年代から60年代の
マイカーを購入することで、今で言う自己実現と承認欲求の2つは
大いに叶えられたとそう思います。

またマイカーの購入ガイドとなる自動車誌は、カーグラフィックのような高尚な
ものは少なく、多くはインプレッションという主観的な記事、値引き交渉といった
読者兼カスタマーの実談や、それらをまとめたライター記事、そんなものと
雑誌ですからドライブ関連から、音楽情報、道路サイドの娯楽まで、実にチープで
安易な情報のごった煮で成立されていました。

昔の大変ユルい雑誌の文化以前の俗悪さは、売ったら終わりで、信頼できる
出来ないの塀の上を歩いているかのような、怒ってもしようがない”そんなもの”
でした。

今はそういった「マイカー雑誌」が俺自慢のカーグラとゲンロクくらいになり
大変寂しい状況なのは、どなたもご存知のことと思います。



いま、都会でマイカーを持つのは、余裕のある暮らしの家庭。
よほどの車好き。
そして地方の生活に車がないと成立しないゾーンに暮らす人々の「道具」
この3つになってしまいました。

だから地方に行くと軽自動車と、アクアやノート、デミオくらいまでしか走っていません。
大きな車は庶民感覚のないお巡りのクラウンくらいです。
クラウンが軽を停めて取り締まってる風景を見ると、地方はいじめが文化だなあ、と一種の諧謔にさえ見えます。

どうして、ここまでマイカーの夢が薄くなってしまったのでしょう。

それは日本人の生活の感覚の変化や、暮らしのお金の比重と配分が変わって行った。

マイカーは家の次に一番高い買い物で、それですらローンや下取りといった、マーケティングの作戦で、車検ごとに新車を買うような、夢見たいな時代も過去に存在していたのです。

私は消費税の導入が大きな分かれ道になったと書いた記憶があります。

1990年頃に、海外の自動車雑誌を読む私は、日本は生活場面の中の自動車価格が
安いなあと痛感しました。

工業生産力が着いて、日本人の収入と自動車価格のバランスは最小だったのが、
1980年代で、アコードのセダンでローグレードの何も付かないのは130万くらいで
買えていました。
最もそんなローグレードは今の時代のヘンタイしか好まず、売れるのはフル装備
からでした。







私は日本の自動車社会の未来は、はっきりいってほぼ無いと思っています。
お隣の中国の消費経済と社会が、日本がうまく行っていた時代を考慮して
かなり庶民は夢が持てるような政策を取れているので、統制国家でも不満が少ない。
香港の民主化のような国家の弾圧があっても、エサがあれば国民は着いて来ると。

日本は階層が上下に分かれて上の人は、ヴィンテージカーに乗って豪華イベント。

下の人はクルマ?そんなの関係ねえ!
そんな社会に2025年という区切りの年は完全に分離しました。

マイカーも若者のオートバイも、みんな20世紀に流行ったもの。
だから今後クルマにお金をかけるのは、重税払って、自分の人生制限をかけるようなものに、若い人はとっくに気づいています。

私たち年寄りは運転ミスすると社会的に「死」の時代ですから、もうマイカーは、軽自動車でも運転することを楽しいなんて思わずに、離れて行った方が良いのかもしれません。

Posted at 2025/05/23 04:51:37 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2025年04月29日 イイね!

一区切り

一区切り30年ぶりくらいに自動車雑誌の取材を受けました。

個人的にはニュースなんだと思います。
打診が来て、私でいいのか?と思ったくらいです。

取材は4月3週の月曜日で、その後事実確認のやりとりをして、もうゲラまで見て
へえーっと感心しました。

私の長い趣味人人生の、総まとめ。一区切りのイベントだったのかもしれません。

最近60代中盤から後半に向かう私は、色々と時代の針が進んで、自分のことを
時代が追い付いて、評価や認められるようなケースが、徐々に出ていることを
感じています。



SNSのあるところで、やりとりだけしている若い方(と思ってる)が
私の自動車遍歴を見て、地味な欧州車をピックアップしてきた
一つも目立とうというクルマの無い私のキャリアにびっくりして、
そういった知られないクルマ世界まで、最近の若い人は興味の触手を
広げていることにも気づきました。

もちろん私も嬉しいですが、国産車の世界が10年以上落ち込んで
新車の性能向上で、車が勢いで売れた時代は遠い過去になり、国産車から
外国車。現代の車が面白いのが少なく、過去のプロダクトの欧州車の良さとか
そういったものに、やっと目を向けられる時代が来ていると思います。

地味な欧州車こそ味があると思うようになったのは、大学時代に、周囲が
新車のターボだ、ツインカムだ、という時代に、ちょっと大人の感覚と
見識の高い「カーグラフィック」という高級な自動車雑誌に、世界の扉を
開かれた友人先輩らがいました。
私には編集長の小林彰太郎信者にしか見えなかったのは、へそまがりだったからです。

そこでどっちも、なんかなりたくなかった私は、独自の道を、洋書雑誌店に
売っていた、英国の「motor」「Autocar」といった地味なスタンド売りの雑誌を
読むことで、やっと本来の自動車というものは、主観的なインプレッション記事を
読むのでなく、こういった性能や室内長の比較から始めるものだと気がつきます。



記事を書きかけて10日以上止まってしまいました。

27日には大阪の羽曳野で行われたイベントに久しぶりに出ています。




Posted at 2025/05/10 03:55:57 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年04月04日 イイね!

合理性神話は正しかったのか

合理性神話は正しかったのか4月の新年度早々に、遠く離れた青森県のニュースで、むつ市の地域生活の必需のスーパーが突然潰れて、閉店会社解散。前日に八戸市で長年クリスマスケーキをイベントトレーラーで盛り上げていた複数店舗を持つケーキ店のこれも突然閉店、営業終了のニュースに驚いた。



市民に衝撃走る「市民に衝撃走る「きのうまで普通にやっていたと…」 青森県むつ市でスーパーを展開の「ファミリーマートさとう」が事業停止・自己破産申請へ 従業員140人は全員解雇 市長も「衝撃を受けていて…」再就職支援を協議する考え

従業員46人は“全員解雇”「アルパジョン」自己破産へ 負債総額は約3億9000万円か 『朝の八甲田』や『サンタ号』などで知られる青森県八戸市の洋菓子店


(写真はアルパジョンのサンタクロース号)

こういう地方の衰退と経済の地盤沈下のニュースを都会で聞くのは、辛い。
なぜと言われても、現状で打つ手のない現実だからだ。

しかし昭和の時代、36年前にはそんな社会の衰退は起きていなく、地方は地方なりに元気で、「拠点都市」の存在は準デパートのような大型スーパーが出現し、国鉄で移動すれば駅前に出て街を眺めながら歩く楽しみが、広がっていた。

なぜこうなったかを、長くくどく説明するのは大変であるが、一点見落としがちな事実について広げて書いてみたい。


地方が元気だった時代は、今のような3大都市圏に過度な集中が起きずに、日本の社会は分散とバランスが出来ていた。

東京に行くのは若い人の憧れで十分で、地方でも生活のレベルは旧態であっても、充足感や満足な暮らしは、長い時代、極端に言えば江戸から明治、大正、昭和の流れで、ほぼ卑屈にならずに送れるようになっていた。

鉄道網の完成が、それを達成して、北海道の北から鹿児島まで、自由に行ける社会が完成していたのである。



古いモノクロ写真であるが、1981年の盛岡駅。地方に活況が一番あった時代で、上野を夜に出て走って来た列車が、福島、仙台を過ぎてようやく盛岡について、下車をした。背後に見える東北新幹線盛岡駅は、翌82年にここまで開通し、東北にも新幹線の時代が来た。

今日は新幹線を批判するのが目的でないが、効率優先という戦後の日本に住み着いた近代の魔神が、どこまで正しいものだったのか考えてみる。
1964年の東海道新幹線は、建設当時は「日本の3大バカ」とまで言われて、失敗するとか、無用論が吹き荒れた。しかしあっという間に戦後の日本の奇跡のような大成功の原動力になり、格段に便利になった東海道ベルト地帯は、工業や商業が大発展して、戦後の敗戦国からGNP2位の国に成長を達成できた。

その時代に少年だった私は、新幹線開通時は大阪にいたが翌々年から九州に移り、九州に新幹線が延伸したのは、11年後の1975年、半世紀前の出来事である。
長閑な風景の広がる山口県は、その後は置き去りになり、九州の玄関は北九州地区から博多駅の福岡市に重心が移る。



1960年代の初めに「建設不要論」も出た新幹線は、75年に山陽新幹線、82年に東北と上越。そこから東北の延伸、奥羽方面や秋田まで伸ばし、九州は2011年に先に熊本から先の鹿児島が開通した。
整備新幹線と言い、国鉄時代の開通はすごく建設に慎重だったので、国会で採決をして決まるものであったが、国鉄が解体されて民営のJR各社になると、新幹線は地方が渇望するようになって、同時に地方は人口の減少が始まって、私が見てきた意見だが、活気がなくなるのに「新幹線は是非欲しい」が、矛盾しているのに強引に建設が、国鉄時代とは別会計で、あちこちで進められた。

そのうちに海外でも新幹線があれば、という時代になり、今の中国の夢のような高速列車網は、もう当たり前のことになった。

国鉄や前身の鉄道省は、国が経営する国家統治の大事な政治機関であった。
今の時代に国の責任は、問われるのは民事の訴訟くらいで、国家経営的な分野は、誰が見ているのか。
国会と国会議員、首相と官邸、それから各大臣のいる内閣。その手先が各省庁のトップ官僚が働いて、昭和の時代は、似ているがもっと存在感が違っていた。
国鉄は運輸省が管理責任の一端を持ち、大きな事故が起きると運輸大臣の元に新聞記者が詰めかけた。

運輸省が建設省と合体して、国交省になったあたりから、国の支配は薄れ、JRも新幹線も、騒がれない程度の認可事業になって行く。

さあこの頃から、新幹線が開通すると「引き換え」に在来線は、国鉄継承のJR なんとか本線から、3セクの地方交通線に一気に格下げされて、特急急行の優等列車は走らない、ただの距離の長いローカル運輸機関に転換されるのが、当たり前のことに変わった。
当然身の丈も小さくなり、維持経営は県単位。そんな青森や秋田に大きなお金を稼ぐ力はない。公務員が稼ぐ発想は薄い。



つまり、新幹線というものは「打出の小槌」的に開通すればお金が儲かるという、地域経済の振興どころか、100年以上かけてその地域が、市と県単位で営為してきた地方自治の根底を覆して、地方衰退の加速化だけに直結する、「都会へのストロー」になっていることを、いまだにやめずに、「もっと新幹線を」ばかり合唱している。

地方出身の国会議員と、県知事あたりが。

さてなぜ彼らはそう言い続けるのであろうか。
便利になると全てが解決すると言った無批判の神話を信じ込んでしまっているのではないか。
実は新幹線が究極の合理化の象徴であることは、疑えないが、その地方と都市には、新幹線が出来るずっと以前には国鉄の拠点があった。
交通の拠点にはたくさんの複雑な交通用の車両を動かすために、多くの人が働いて従事していた。
その労働者と家族だけで、町の単位の何割かを占めていた交通の要都は、国鉄の解散で一部はJRに引き継がれたが、新幹線が頭ごなしに開通すると、何とか駅は作れても、もう鉄道運輸の拠点では無くなり、人が定住して生活することが減っていった。

それが10年、20年と続いて、今の地方の断末魔に繋がっている。

では、交通機関が速度を上げて行って、新幹線の300km/hが当然の時代に、国鉄時代を引き継いだ最高速度100km/hから130km/hの交通機関は、どんな感じで生き残ったり、存在し続けたら、うまく地方社会が続いていたのだろうか。
大変難しいテーマであるが、合理性だけ追求し続けたら、今のような社会の成長と結果が起こってしまった。
それについては、長くなったので、別の機会に掘り下げてみたい。
Posted at 2025/04/05 04:55:15 | トラックバック(0) | 回顧録 | クルマ
2025年03月25日 イイね!

技術系企業の悩み

技術系企業の悩み今はテック企業という言い方もあるが、日本の会社には世界を舞台に通用した会社も多くあった。

中でもソニーの存在は日本が産んだ世界に通用する(した)スター企業だったと歴史を振り返る。

ソニーはテープレコーダー技術で、世界に飛び出して、映像を記録する装置の方式で、ベータ規格を押し出してその優位性を謳い、VHS方式と雌雄を決する戦いに長く挑んでいたことを、覚えている人はいるだろう。

最近、ソニーはMDミニディスクから、完全に撤退を決めた。
私は2000年頃からデッキを買って、カセットデッキの代わりによく録音して、自動車の中で再生するのにちょうど良いと思い、実は最近、自動車の音源をMDデッキに戻した。

レコードや、カセットテープの音をMDに録音し、自分の好みのやや旧い
音源を聴くのにちょうど良い。

しかしこのMDで聴いている音楽ソースを、年配の人が再生装置で聴きたいというと
CDに入れ直したりしないといけない。MDは普及しなかったから、そこは一つの
障壁である。

さらにパソコンで取り込むのに、実はMDはWindows系の昔のパソコンだけが
対応で、Mac派の私は今頃になって、付属ソフトの不対応に驚いて呆れた。

おそらく想像だが、MDは出た時は優位性のある方式であったが、どうやらApple社のiTuneの出現を快く思っていなかったように思える。

パソコンの普及の30年間で、最初の頃の単機能からアプリケーションの発想が広がって、写真や音楽をこの箱に取り込めるように変わっていき、今はインターネットを介在して、音楽や動画、写真を世界に発信できるように変わっていった。


そういう時代の移り変わりの中で、パソコンはWindows系とMac系の併立が悩ましかった時代もあったが、今では穏やかに共生できているように思える。


そのパソコンが社会を変える以前の1980年代にソニーはウオークマンで社会を変えてしまった。
今から見ればアナログ方式のカセットテープを小型の再生装置で、持ち歩けるようにしただけのものだったが、瞬く間にこれは世界の人の心を掴んだ。

私はあれを嫌って最初から持たなかった一人である。偏屈でなんでもアンチだった。

ソニーの80年代の成功は、80年代後半にアメリカの大手の映像産業の本体まで買収できるくらいの時価総額になり、あの頃の日本は凄い力を蓄えていた。

その日本は40年弱でこれほど冴えない状況になった話は前回書いた。

私はこんな今、もしソニーがiTuneを受け入れて、MDにも簡単にデジタルインターフェースしていたら、今でも世界のAppleショップの横にソニー製品が並んでいて、MDはCDより先に廃れずに済んだのでは、それか、次のステージの機器をソニーが共同開発したかもしれないと思った。ここは個人的な頭の想像で、テック系にもっと詳しい人は即座に否定されても構わない。

ソニーはmoraという日本独自の音楽サービスを始めて、何年維持しただろう。

私はもうMac愛用者になっていたので2000年代はソニーから離れた。
最初のプロバイダーはSo-netにするくらいソニーが好きだった。
だがCEOが技術系の人物から変わって、会社の体臭が「あれっ」と違ってきて、
当時は命の次に大事だったメールアドレスとホームページのうち、ホームページの
URLを利用者殺到でいきなり桁数字変更されてしまった。

今から見るとその程度のことであるが、私は年賀状の印刷も終えていたので
厳重に抗議した。回答が出るまで何回もメールで、いかがなものかと問い糺し
結局So-netを解約した。
その頃のCEOは最近亡くなった出井氏でGEのジャックウエルチを参考にしたのか
ソニーが保険代理業、続いて今も続けてる銀行業と言っても店舗を持たない
金融業に参入したから「あれー」そんなことよりも本体の電器の新製品や
ソニーレコードの方は?という裏切られた気分の方が強かった。



テック系企業は大半がアメリカ。後は中国という今の世界地図。台湾も頑張ってる。
日本はトランジスタ技術、次のIC、その次のLSI時代まで、もの凄く躍進を続けた。

80年代の優位から、ここまで転落した原因や理由は、いろんな記事と本を読んだ。

アメリカがソ連の崩壊で、東西対立が終わる前に、次は日本をやっつける国の方針に
なって、そこからの国際競争社会の変化。これは当たっている。
しかし武力で侵攻されたり、イラクやアフガンのようなことは無かった。

日本は技術力ともの作りで、戦後のカメラからテレビ、オーディオ、そして自動車と
何でも一時期は優位に立てたが、次の時代をゼロから考える力が乏しかったように思える。

日産がブルーバードP510と、初代のフェアレディ240Zを出した頃、特に後者は、当時のスポーツカー、ジャガーEタイプ、それと高価なポルシェ911(901)に比べて、驚くような廉価で高性能で、品質が良く壊れなかった。


ここまで書いてきて日本は凡庸なのか悩む。
ジョブズのようなゼロから家庭用パソコンに挑むとか、携帯電話の次、今は当たり前のスマホという日本語になったガジェットとか、それに近かったのがウオークマンだが、プリミティブな機械である。
私はあと、オートフォーカスのカメラも「日本的発想」と小馬鹿にして手を出さなかった。目先目的過ぎるのである。

その最初に出したMDがなぜ好きかというと、カセットテープに近い使用感と
CDの盤面傷が起きないから、私はアナログな自動車運転が得意なので、非常に
マッチングが良いと今も見直して、思った。
最近は老後になり時間もたっぷりあるので、レコードを日常的に聴いて録音し
クルマでも聴いている。

日本は世界をリードするようなテック国家になれなかったのは、当然のような気がするが、私のような好奇心型の人間のために、中間的なメディア方式の維持や、開発を継続して欲しい。自分は技術者になれなかったが、子供の頃から模型工作、今でも家庭内の機械を修理や日常的にやっている。
日本が立ち直るのは、少年とかの好奇心の涵養じゃないか。数十年かかるけれど
そう思う。

Posted at 2025/03/25 04:20:22 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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