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kotaroのブログ一覧

2019年10月07日 イイね!

再び丹波

再び丹波










75に乗って居た頃、借りていた畑のある農家に
最近戻りました。
また「別荘」ライフに戻ったのかは疑問ですが、
時々アップできるネタが増えました。

雑誌は買わなくなり長いのですが、近所の本屋の兄さんが
余った付録を、私の行く立ち飲みに、よく「捨てに」来ます。
その中から、「オプション」のDVDをもらい
丹波の農家にはテレビが無いのですが、DVDは見られるので、
試しに見てみました。

フジツボと、柿本レーシング、HKSの最新マフラーの比較を
飯田アキラとシャークなんとかという人がやっていました。

走り屋はとうに卒業したのですが、良いですねえ。
シャークという人の「マフラーはこうだろう。
低音は『ヴォオオオオン』、高音は『クォーーーン』」の
例えに笑ってしまいました。

確かにそうで、私の850にも大音量のスポーツマフラーが着いており
五月蝿いことをいつも気にしていたのですが、
高速で長距離トンネルを駆け抜ける時の音は気持ち良く、
「マフラーは楽器だ」という文章を書こうと思いました。

私の場合、フェラーリと一緒で、背中の後ろにエンジンがあり、
その先からダイレクトに音がします。

それはマエストロの気分に似て、さすがにイタリア人は
判ってらっしゃると、思ったりもします。
Posted at 2019/10/07 03:58:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2019年09月21日 イイね!

北陸旅行の思い出

北陸旅行の思い出













久々に北陸を回る旅をしてきました。
福井・富山は、20年弱として、能登半島に行ったのは
40年ぶりです。
今回は息子と一緒に運転しながら。それと先週までは暑かったので
アルトで回りました。


Posted at 2019/10/07 04:00:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2019年08月31日 イイね!

さらば九州

さらば九州大雨で九州に被害の出た28日に
新幹線に乗り、九州まで行っていた。

実家の家閉いをするためである。



昨年の夏まで実家は、人に貸していて、私が管理していた。
もうこの家を出てから、今年でちょうど40年になる。

その間に関西で働いていた父と母が姉を伴って、九州に戻り、
一家で住んだ頃は、私も年に2回帰省していた。

私は大学を出てそのまま関西で就職した。

平成に入り私が結婚し、帰省は少し誇らしい行事になった。
しかし禍福は重なるもので、長男が出産する直前に、父が難病になり、
緊急の帰省は年末に気の重いものになった。

阪神大震災の前年、父が闘病数年で帰らぬ人になった。その時に
葬儀用に、フィアット131のセダンを神戸からフェリーで無人航送、
私は新幹線で急帰している。

それから家の子どもが増えたり、穏やかな日々が戻るも、
母は父の死後に、少しずつ心の病になり、それが少し早い認知症に現れる。
2000年頃のことだったと思う。



母を見舞いに、といっても日常生活は出来るが、どうしても金銭管理と
私の名前が思い出せない。
一緒にいて怒り出すような、そんなことは無いのだが、記憶を失くした
母を帰る度に車に乗せては、思い出の地を何度も旅をした。
2003年まで続いた。

しかし業を煮やした姉一家が、2004年に母を身一つで広島に連れて行き
家の中は食品も片付けないで、空家になる。
私の一家が片付けに行くと、黴だらけの食品が出たままで、私の妻は怒り
心頭であった。

私は2009年までに数年かけて、家を整理して、リノベーションも軽くして
2010年から人に貸し出して、家を維持した。
姉には何度も「売れ」と言われ続けたが、いつかは自分が九州に戻ると
腹に決めていたから。それと賃貸中を理由に肯定しなかった。

2005年に施設にいた母が脳梗塞を起こして、手当てが遅れて半身不随になる。

姉は母を家で引き取り、自宅介護することになる。
それからの長い時間の苦しさは、思い出したくない。
私の人生も変わったし、何より姉は2014年に母より先に亡くなった。

母が死んで4年が過ぎた。
色々頑張ったが、もうこの家に人が住めないと言う判定が出て、
私はかなり生活も困窮したが、やっと1年かかって、家を処分することに
した。



水曜日は、その最終の調印と受け渡しである。

もう私が、九州に帰省したりする縁は完全になくなった。
これで良かったのか、自分で言い聞かすしかない。
しかし、この40年間に、九州と関西を、いろいろな交通機関で行き来して
たくさんの数え切れない思い出に逢えたことは事実だ。

私は母と姉を見送り、その前に父も見送り、
そして3人の子どもたちは、いよいよ来春最後の一人が社会に出る。
その前に妻から離婚を言い出されて、それも受け入れた。

何も残らなかった60歳の夏、最後の日に今日の日記を書いて
明日からの新しい生き方を探すことにしよう。


Posted at 2019/08/31 12:17:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2019年08月22日 イイね!

8月の匂い

8月の匂い










8月お盆が過ぎて、晩夏になった。

最近の話題は、ポルシェのカイエンやBMWのRVの代車に乗って
全国であおり運転を繰り返していた人間の、実態と
高級輸入車に乗っていても、中身はKUZUみたいな人間が、実際にいたこと。
これ以上は私も不快なニュースだったので、実際に動画を拝見せずに
世間の会話を聞いて書いているだけである。


なんであんな人間がいるのかは、理由は不明だが、やっぱり大阪だったのか、
という呆れた感想と、
高級外車を売るディーラーの姿勢に問題があると、私は個人的に思う。
前に当該、カイエンを売っている所の裏方で、仕事をしていた。

1000万以上のクルマを買ってくれる客は、普通の人間以上、
それこそ滑稽な言葉で「神」対応するのが流儀だったからだ。

どんな人間も傲慢になったり慢心することがある。
仮にそのクルマに乗れる資格(キーを持てる喜びetc)が自分の長年働いた
報酬でなくても、親から受け継いだ資産で乗れる人もいるだろう。


そういう時に、上へ下への対応、チヤホヤで、きっと間違えた感覚の人間が
出てくる。
今回ディーラーは被害者でなく、加害者の一部、
クルマを売っている側も反省してはというようなことを、
一部のSNSに書いたら、超高級車に乗られている人から、反論もあった。

でも私はベンツがW140のSクラスで世界に起こした影響、
「望ましくない人がオーナーの一部になり、イメージが悪くなっている」
という分析と、
あれ以降、あのクルマの出現以降、ぶつかった時に自分さえ助かれば良い。
衝突安全性が、俺様だけを守れば良い、に一斉に反応して
それ以降の小型車全部が大きくなって、たしかに衝突安全性は高まったが
道路と言う有効範囲の限られた地上資源の活用が、多いに狭くなったことを
覚えている。



だから私は今回の事件と問題性について、輸入車の日本法人がきちんと
本国に上げるべきだという意見だ。
このような人物を生み出した、現状の売り方には、反社会的なキャラクターを
生み出しかねない。
ひいては、それは本体の首を絞めかねないと言うことである。

今回の事件で、どれだけマイナスイメージが付いたことか。
宣伝広告に費やした何千万のお金が、パーになったということなのである。


この話はもうやめておく。





今度はこのニュースと言うか、記事が気になった。
正確な記事ではないが、私なりの読んでの意見と見方である。

ざっと概要を紹介すると、トヨタが2兆円企業になって長い。

その間に上げた利益は国の力や、社会にどれだけ役に立ったかと言うのが
表向きの表題で、実際はもっと社員の給料を上げることが可能。

それは日本の財界や経団連トップ企業が、可能なら1万円くらい毎年給料を
上げていたなら、いま、先進国で一番尻の方にいて、毎日暗い事件が起きて
いる日本はもっと、変われたのではないかという仮説である。



要は、トヨタは株主対策は満点でも、本来はもっと社員に厚遇をすべきであった。
この記事の大事な所は、過去に遡って、そういうイフをしていたならば、
トップ企業に追随し、影響力も大きいから、日本人社会全体のゆとり、
贅沢が可能になり、経済成長も達成できていたのではという、結構慧眼な意見
なのである。

だからあえて紹介することにしたのである。

国と政府にとり、今秋上げる予定の消費税のような楽な取り方は無い。

誰も反対闘争を起こさないからである。

しかし、今回の4度目の消費税改訂は、大きな波紋が起きている。
日本経済を冷えさせて、駄目にした最大の要因が、この消費税と言うことが、
私も持論では一緒だが、かなりのボリウムになってきている。

そんな中での、儲けすぎトヨタが、もしも社員に還元出来ていたならば
21世紀の日本地図が、変わっていたかもしれないのである。


それは何と言う皮肉だろう。
乾いた雑巾をまだ絞るような企業が、いつの間にか日本と世界を代表する
企業になったのである。
ケチンボトヨタがトップでは、日本は右に倣えでどの会社も春闘はしないか
建前程度。ベアも数十円で良い になる。
こんな日本では昭和の時代はなかったが、いろんな企業の主役が交替して行って
今のような時代が来てしまっただけである。


それと、やっと政治批判しても良いくらいになったが、
今の自民政権には、多様な考えが無い。
派閥政治を廃して、安倍(官邸)主導になって、安倍首相個人の裁量ひとつが
すごく重いからである。

だから皆んな向く方向が同じになり、忖度なんて言葉が、表に出てしまった。





元の記事に戻るが、何度読んでも面白い。
荒い記事なので、検証の必要性は高いが、今の税収はバブル時超えらしい。
どうして給料は上がらずに税金ばかり上がり、全ては少子高齢化で日本の
経済が先細りと言うニュースばかり連日流れて来るのであろう。

私は「騙されていた」とか、陰謀説は信じない。
だけれど、企業がもっと民衆である社員にお金を渡して、それと税制の柱から
消費税を後の方にすれば、もうちょっと、もしかしたらもっと、
日本には活力が戻ると思った。

以上が8月の話題で、健全性が社会に普通に存在していたら、
こんなことは口にするようなニュースでもないのである。
Posted at 2019/08/22 03:15:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2019年07月28日 イイね!

選挙が終わって夏が来て

選挙が終わって夏が来て番狂わせもなく選挙が終わり、
関心も薄く、人口は年々40万も減り、今の日本は
とても明るい話題の少ない国のように思える。

ところが世界の中では、抜き出た安定した国で、
平和で幸福なのである。

今日はその辺りから、これからのことでも考えてみよう。





今、中南米のベネズエラが、大変なインフレになり、国内は無法のような
状態になりかけている。

ここは世界最大級の原油の埋蔵量があり、1950−70年代は、南米で一番
豊かだったことがある。

7年くらい内戦状態にあるシリアも、裕福ではないが古代文明の美しい
史跡を持つ古い国家であった。


ベネズエラの混乱は、資源国の優位を使い誤った政治と治政が大きい。

富の分配が少なく、資産家は一方的に裕福であり、国民全体の教育が
ボトムアップすべき時に、出来ていなかった。
不安定材料があると、政権はコロコロ変わり、軍政クーデターを繰り返す。

10年くらい前のチャベスは、長所もあり、国を立て直すかと思われたが、
徹底的な反米のスタンスで、左翼主義の国家を押し通した。
チャベスが病気で倒れた後の今の大統領が、路線だけを追従したが、
アメリカと手を結ばないだけでなく、国内の資産家は、自分らの都合のいい
政治家を選ぼうとするので、ますます内政は不安定化した。


アメリカもチャベス時代は、ブッシュとかで、ろくなものじゃなかったから
光栄ある孤立は良い。しかしあの北朝鮮でも現実路線に変わってきている
時代である。
そのままの10年間に国内は滅茶苦茶になったわけである。


外国の政治の話が目的ではないのだが、要はバランスを取れないと
自分自身が立っていられない。
お金を持てるようになったら、教育に力を入れて、ものが見られて
世間と渡って行ける教養文化が必要な訳である。

日本はその点は、まだ心配が少ない。


話題を変えよう。
金曜日に発達障害とは何であるかの勉強会に行って来た。
発達障害は、感覚や考え方の特異な現象で、例えば近所にいる
ちょっとナンギな、関わるのを避けたくなるような人を考えるとよい。

知的とは違う精神分野の特長で有るが、人の考える力には凸凹がある。
そういう理解に近年は変わって来て、生き辛さを感じる人の中には、
周囲と合わせられない特質が、精神の部分に影響していると言うことだ。

それを助けてあげたり支援して行くことが、他の手足や目や耳の障がいと
同じ取り組みを、まずは理解しようと言う流れである。

それで学んだことが興味深い方法で、
欠点を長所に置き換えることを見つける。

こだわりが強くてもの事をなかなか決められないのなら、
>慎重な判断をするので、大きなミスをしない>とか
>他の人にない独特の見方を持っている>といったふうに、そこから新たな
その人の強みになれそうな方向を引き出して行く。

阻害要件&ストレングスの考え方というらしい。


今の世の中は、周囲と合わせることが要求されることが多い。
でも、窮屈に思えるのなら、自分の我も通した方が、楽になる。
回りの空気が読めない人に、読むことを上から要求するのは止して置く。

その代わりにその人の良さは、大胆だったり、独自性の強いキャラクターの
発揮出来る仕事を目指す。紹介する。そこでうまく合ったら
その人は何人力以上の働きが出来るのである。



前回の中で、私が周囲から浮いているような記事を書いた。
それは偶然運転免許更新の講習に行ったからである。
そういう場の講習官は、当然、自分の考えを、道交法に重ねて、
こうあるべきですと主張する。

だが私は、一般社会である公道上はルールを守る。その代わり、
他の人が候補に考えない変わったクルマばかり乗って来た。
だから「みんカラ」のようなクルマ好きのサイトでは、自分の居場所を
見つけて、ここまでやってこれた。
そこで仮定法の論証は肯定できているのである。



私は記憶力が幼い頃からとてもよく、特異な子であった。
だがそれは、感情の起伏が激しくコントロール出来ない、大変手間のかかる
子どもでもあった。
そんな幼い私を、強い言葉で叱ってはいけないと、ある日母は気付いて
くれたようだ。

子どもの教育では「なんとかでなければいけない」は一番禁物で、
子どもは親に気に入られて、顔色を窺う子に育つのは生存本能である。

私は間違ったことをしなければ、徹底した放任教育で育ててくれた。
たぶん、進んだ教育者の本を読んでいたのであろう。
玩具は買って貰えないが、自分で興味を持った顕微鏡とか、望遠鏡を
覗いてみたいと言ったら、お年玉にプラスしてプレゼントして貰えた。

好奇心があり、その好奇心を伸ばして行くことは否定されなかった。
時刻表を読めるようになり、2歳上の姉と旅行もさせてくれた。
引導役は私である。鉄道車両の使い方も知った。




Posted at 2019/07/28 08:07:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「スーパーカブ余話 http://cvw.jp/b/176891/48709270/
何シテル?   10/13 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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