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2019年06月24日 イイね!

6月のある日の日記

6月のある日の日記










私は単に思い付きでもの事を行動するので、これを近年の流行で「精神」とか
「発達」と見なされるのは、医学的根拠よりも哲学の方が上位マターの筈だから、
あまり気持ちは良くなく素直になれない。

この令和元年に変わった2019年半期は、不幸な事件の影に、「障害」の制度が
横たわり、手帳の所持で、社会に溶け込ませるやり方の悩ましさが、リアルに
浮かび上がったと思う。

一例でかつての業病と言われた伝染病などで、優生保護を強制されたことの過ちを、
今認めているが、あの頃の当時はみな「それが正しい」と思っていたはずである。

特異なキャラ、特殊な性質の人を「病気だから」というのはノーマニズムの弊害である。

私は外見はオシャレだが中身は際立った個性である。だから確かに生き辛いが、
それは日本の社会が個性を圧し潰す傾向が昔から有り、一時代は肯定されかけたが、
今はまた反対に走っている。

社会経済の関係が大きいのだが、何でみんな正社員にならないといけないのだろう。


この無言の圧力に屈したり、泣かないように生きるためには、私のように子どもの
頃から膨大な知識と、本を読むことで自分を支えようと(自立)するしか方法が
他にない。
私の家庭が古き良き中流だったので、親が子どもに何も言わずに、自由に育てて
くれたことが大きい。

今年の事件を起こした若者(40歳未満が若者の時代である)は、どこかに挫折体験
があり、屈折した理由は勉強の強制と、保護者の期待に応えられなかった、マイナス
の自負心が、育ってしまったと思う。

私は自分がこういうしんどい生き方を好んで生きる性格を自覚しつつ、3人の子ども
を育てた。社会とはお父さんはこう見るが、別にそれは参考までに、自分の見方を
養いなさいと。

普通はこんなレアなクルマを偶然選んで30年以上維持する男性はいないだろう。
しかし外国、英国あたりに行けばざらである。

私はクルマ社会に対する考察も、長年ブログに書いており、一定のファンが
いることも、自分の誇りに思っている。


で、これからどうしたらいいのだろう。

社会の包摂社会を唱える途中で今年の事件のようなことが連続した。これは
じっくり見ると繋がっている。

哲学とか、文芸とか、すぐに金にならないもの(価値)に一定の評価=ポジション
を認めていかないと、いけないのではないか。

今のコンピュータ経済万能主義と、巨大なプラットホーム産業、企業の儲かって
いる事実を脇に置いて、第3のやり方を目指している人が別に居てたって、尊いと
思われるような価値観をどこかに残して欲しい。

私は奇人で有るが貴人でもある。
そう思える社会を、片隅にでもつくっていかないと、この息苦しさは
どうにもならない。

と、思う梅雨の湿った朝に。

Posted at 2019/06/27 05:36:34 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2019年06月19日 イイね!

この頃起きている事件から考える世相について

この頃起きている事件から考える世相について














4月から転職も終えて何とか生活は出来ています。
ここの所は、忙しくて記事はアップ出来ていませんが、
割と自動車は運転しております。



昨今は変な事件が多いです。決めつけるつもりはありませんが。

まず、池袋の高齢運転の事故で、またもやプリウスの暴走事故が起きました。

2代目プリウスがバカ売れしたのは10年前のことで、その頃にお金のあった
60代や70代の購入者がいま本当の超高齢者になり、長年持っている
プリウスで事故を起こしているのではないでしょうか。

慣れているから安全と言う誤解と、認知行動能力の低下に気付かずに。




それから、川崎のカリタス学園の殺傷事件は悲劇でした。

この場合は、不幸な生い立ちと境遇の犯人が社会と自分の生きる環境運命を
呪って最終決断が、とんでもない社会への当て付けになり、不幸を他人に押し付ける
という、一番みんなが嫌な気分になるという、後味の悪い事件でした。

でもこの家も、貧困家庭でなく、生活保護のような境遇でなかったことは
事件の裏側の真実のようにも考えられます。



3番目は、農水省次官だった元高級官僚が、44歳のひきこもりの息子の
命をあやめるというやりきれない事件が起きて、
最初の事件のときに騒がれた“上級国民”と呼ばれる人の老後でも、
追い詰められている社会の片隅の現実の悲劇が浮かび上がります。



そして4番目は吹田の事件です。
今度は父は民放の役員で、出世した人間に、こういう子どもがいました。

彼は育った大阪の地に戻り、犯罪を起こしましたが、
動機はいくつか考えてみると、数日前から元のクラスメートを標的に
したかったのか、(わかりませんが)
もう一つは3番目の事件に反応して、自分の置かれた境遇に、
逆に絶望感を募らせたのかもしれないと思います。


こうやって今の事件を見て行くと、貧困や生活保護レベルでない家庭、
一家でも、悩ましい問題を抱えていることが増えて来ております。

私は、貧困が事件や犯罪に直接関係するとは、簡単に思いませんが、
前から思っている社会の底が抜けてきて、どうにもならずにあがいている
人が、今は中流や上流の人にも及んで来たのでしょうか。

私は所得でバロメーターを見るのには抵抗があります。

幸福度を上げることは、以前よりずっと難しい時代です。

私はこういう時代に生きることの難しさは、実感しておりますが、
他人と比較しなくても生きて行けられる方法は無いのか。
絶えず自分に問いかけます。



私は一見無関係のように見えるバラバラの事件には
ある種のチェーンリアクションが起きているのではと、想像推理しています。

それと背後や遠因にはインターネットのことも、関係していないか。
事件だけでなく、その後の報道にネットの反応が、弾き金になっていないか。

こんな時代に、スカッとした気分には誰もがなれません。

政府は国民栄誉賞とか、スポーツ選手によく贈りますが、これも今や
カンフル剤とにはほど遠くなりました。
むしろ桁違いの収入のあるスポーツ選手に、若者は怨嗟の情を持つくらい。

私たちが民間人で出来る気持ちの良さは、休日に私が最近とり戻した
旧いクルマで新緑の中を走ってドライブするというような、このあたりに
可能性があります。



最初の方に少し書きました。
誰もが他者を意識し過ぎです。年金が多かろうと少なかろうと。
少ない人が生活保護を受けようと。

できれば理想は自分の力で生きて来て、老後も社会とうまく距離を置き
生きてみるって、出来ないでしょうか。
マスコミが最近、こういう調子の記事が増えたことの遠因は、
マスコミの経営と社員も余裕がないことが、理由ではないか。

自分の力で自立して生きたら、若い世代は結婚して家庭を持つことも、
必要かもしれませんが、これもあまり他人に言われたくない。

中年も、自分と家庭と会社以外の、第3の居場所を、これまでは別荘や
贅沢な遊びに夢を描きましたが、そこから離れて社会参加や活動に生き甲斐を
求めましょう。

老後になれば、今度は他人の面倒を見ながら静かに余生を送る。
可能なことで良いですよ。

私は、正体不明な世間の風に苦しまないように、生きて行きたいと
考えるのでした。
Posted at 2019/06/20 06:07:46 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2019年05月21日 イイね!

WALOTA時代が来た?

WALOTA時代が来た?










令和が始まり3週間、なんか言うには早いけれど、
普通は新しい時代の始まりを予感するできごと(ムーブメント)
が起こる筈である。だが、これだけ文化のバネ(反発力)の無い
時代なのは、ちょっとおかしい。

私は文化とか流行、カルチャーから世の中を見るのだが、ええ?
新しい時代なのと言うくらい、動きが無さ過ぎる。

昭和の後半と、平成しか知らないけれど、あの大人しい大正の時代でも、
いろんな動きがあったはずだ。
無論、明治なんてめちゃくちゃラジカルに、新時代が始まっているし、
昭和の改元奉祝は、今でも判るが日本中のあちこちが、喜んでモニュメントを
創り出している。

今夜ぼーっとチコちゃんが怒りだそうと、
考えていたのが、令和(レイワ)でなく「ワロタ時代」ではないのか、今は。

不謹慎だが今ホットな話題は、改元直前に起きた池袋の交通事故の加害者が、
高齢のために起訴に時間がかかるうちに(収監も出来ないうちに)たぶん
亡くなるだろうから、不起訴になるかもしれないという、
やってられないニュース。

それと、東洋英和学院の象徴である学院長が、剽窃どころかカール・レーフラーと
いう架空の人物を神学者としてでっちあげて、これまで論文を書き、
読売・吉野作造賞とか受けており、権威ある岩波から本も出していた事件。
この人絶対年齢的に『民明書房』の影響を受けていると思う。

どっちとも関連するのは院長なのだが、私の感想は、
ワロタしか言いようがない。

笑うに笑えない時代がここに来ていることを知り、私は令和ではなく「冷笑」
(ワロタ)時代になった故と思うのである。

たのんまっせ!院長。

Posted at 2019/05/21 01:17:38 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2019年05月12日 イイね!

令和になって、昭和と平成を思い出す。

令和になって、昭和と平成を思い出す。今日は、考えさせられることが、最近多いので、
クルマと違う記事を書いてみます。

まずこのリンクを見ておきます。



これは大阪の千里ニュータウンを紹介した半世紀前の映像です。
20分程の動画を見ていると、私は団地を好まなかったけれど、こういう住居に
こぞって住みたがった時代の背景や、団地に住む幸せについて考えさせられます。


この時代の昭和40年代前半は、日本人の給与所得が、14年前と比較して
600%くらい伸びており、最近の中国の実情に似ています。

まじめに働いていれば、奥さんと子どもの二人は養えた時代です。
映像中の小学生の男の子らと、私はちょうど同じ年代です。

そして紹介しませんが、動画を見終えると、千里から遠いけれど同じ大阪の
北摂、茨木市のさらに奥にある「茨木台」とか勝手に名乗った、平成初期の
失敗作のニュータウンが、「これもいかがですか」と出て来たので、
私はつい、限界ニュータウンのことを知ってしまいました。


昭和の後半は、日本はまさに元禄時代で、若い人たちが競って新車の
スポーツカーを買い求めた、あの時代です。



次に紹介するのは、こんな記事です。

「しょうがない」が口グセの50歳未婚男性 「シングルライフ」は幸せなのか?

というタイトルですが、私のちょうど10才下の、ここまで独身の男性の気分を
紹介した良記事ですが、何とも言えない、先の見えなさを感じました。

今は仕事が有るが、これが何らかの理由で失われたら、この男性はどうなるのでしょう。
社会から転落の危険はないでしょうか。余計なお世話だと思いますが。

最近の私は、聞こえは人助けですが、就労支援や生活問題に直結する
仕事に就きましたが、まだ冷や冷やの経済力で、崖っ縁から落ちかけた
人々と同じ気持ちで何とか励ましています。



私自身も、近年は随分「生き辛さ」を感じるようになりましたが、
今度は違う方向から見てみます。

子どもの時に、アメリカと並び、両大国と言われたソ連=現ロシアのことです。

ロケットや人工衛星競争もした国が、80年代の終わりには危機と呼ばれて
ゴルバチョフが出てきて「ペレストロイカ」を実施します。

それでも2年後の1991年に、1917年のロシア革命以来続いた社会主義の
大国は幕を閉じました。当時の日本人は、どのくらい理解できていたのでしょう。

この時には30歳過ぎの私はこう感じました。
社会主義国は「壮大な実験に失敗した」 最後はタレ込みや通報、
秘密警察の弊害ばかり、言われるようになったが、彼らが希望に燃えて
その主義を受け取り、前向きだった時間だって長い筈だ。

国民たちは、悪いこともしていないのに、「なぜ」の気持ちがつらい
だろうなあと思いました。




つまり、
平成の30年はロシア(ソ連)の半世紀と同じで、
国民は信じ続けた政府と政治に裏切られ続けた。

今日生活に困り、生活保護を申請しようか、悩んでる人たちは多い。
それはカードなどで、ちょっとお金を使い過ぎたような人が大半で、
犯罪を犯したり、人を傷つける人はいませんか、稀です。

もう一度、最初の千里ニュータウンの夢について、想起しましょう。
あの頃は、国が描いた生活モデルを信じていれば、裏切られること無く
国民は幸せな暮らしが受け取れていた。

一方では都会に出て行く若者が多く、地方は悩みを持ち始めますが、
田中角栄総理が現れて「日本列島改造論」でブルドーザー行政で田舎も
雇用が生まれて、生活が明るくなりました。


令和の今の日本と言う国は、何も悪いことをしていなく、これまでこつこつと
生きて来た人でも、油断をすると、浪費等で行き詰まったり、カード社会の
危うさが判っていても、使って転落してしまう。
そんな所まで来ていることに、ようやく気がつき始めました。


今後電子マネーはもっと普及し、現金払いを日本でも減らそうといいます。
しかし今のカード社会にあるのは、転落してからのブラックリストがある
だけで、抑止力の伴ったものとは言いがたく。これでは、何の未来化も
ありません。




もう一つ最後に言いたいことは、1960年代は国が国民生活を、リードできて
いたのに、半世紀後の現在は、殆どできていない。

それなのに、国は国民生活に懐柔し、NHKの受信料でさえ合法正当化、
しかけています。

日本は反対から見ると、最後の社会主義国ではないか?という外国からの
見方があり、私も節節でそう思うことがあります。

奇しくも安倍晋三首相の祖父は、岸信介で、総理になる以前は
戦前の満州で計画経済に、辣腕を揮った上級官僚でした。


ここで政権打倒など口走る気持ちは全くありません。

ただ、令和を迎えた日本は、ペレストロイカに立ったソ連や、
制度を一度崩壊させて、全部やり直しに近いのかも、と少しずつ
思う時があります。
Posted at 2019/05/12 13:35:22 | トラックバック(0) | 論考 | 暮らし/家族
2019年05月12日 イイね!

九州の旅 2019春

九州の旅 2019春記事が進まないので、写真中心に。
3/30〜4/2まで北九州から阿蘇久住まで旅行をしてきました。
私にとり、思い出の多い所中心です。



山口県宇部市です。この橋の上を走る電車を、1974年の成人の日に撮っています。



これは実家の近く。
福岡県苅田町と行橋市の境あたり。春はやっぱりこの辺が良いですね。




峠を越えて、耶馬渓に向かう山道。昔から何度通ったことでしょう。





この2枚は日田市大山町鎌手という場所です。
1978年頃に友人が18で免許を取り、初ドライブで行った場所です。
とても風景の良い場所です。






杖立温泉 まだ泊ったことはありません。 国道が対岸に渡った年代が早く、温泉街を通ったのは今回が初めてです。
齢を取ると、こういう場所がだんだん好きになってきました。



肥後小国 40年前は、ここまで鉄道が開通していました。今は盛業の
道の駅に生まれ変わりました。 思い出の多い地区です。



春の阿蘇ならではの、野焼きが終わった草原地帯を行きますが、風がめちゃめちゃ
寒い。



目的地の瀬の本高原ユースホステルに着きました。ここに泊ります。






ユースにも風呂はありますが、日本有数の温泉地帯。最寄りに有名な黒川温泉が
ありますが、何度も入っているので、今回は秘湯中の秘湯、万願寺温泉に
行きました。



温泉の前に川が流れてます。



管理人は無いですが不届きものもいないと思います。



戦前の看板が80年以上残っている!



万願寺からの帰り。春の日没。 良い旅、良い温泉でした。
Posted at 2019/05/12 05:38:17 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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