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kotaroのブログ一覧

2019年07月20日 イイね!

生き苦しさとその正体

生き苦しさとその正体本屋に行くことが複数の理由で減った。
1番はお金が無いからである。

消費税が10%に選挙結果で確実になる。
現在の政治情勢が肯定されると思うからである。

収入の1割が消費する度に取られるのは、税法施行前に較べて、
給料の1.2ヶ月分が、無い。というショックな事実で、そりゃあ無駄遣い
どころか、ちょっとした散在はしなくなる。

それと、そういう世知辛い時勢を反映して
本がつまらなくなった。
馬鹿な思い付きでつくった面白い本が、店頭から消えた。

代わりに増えたのが、「こうでなければいけない」
「こうすればいい(儲かる。出世出来る。成功する)」といったたぐいの
タイトルや内容の本が、圧倒的な数になった。


文庫本の小説とノベルも、予定調和か、最初から慎重なシナリオが
読み取られて、買おうという気になれない。

最初のこうでなければ、いけないの中にはいい加減な主張も多い。
近隣国が悪いのは、元々悪いからだみたいなのと、
ニッポンすごい、ニッポンバンザイ!みたいなのは、根っ子が一緒である。

本屋に行くのは阿呆ではないかと思うことも増えた。
迷っている人にとり、医者の処方みたいな答えを求めて、若い頃から
本を読み漁ったが、最近は古書を読むことの方が、気持ちが落ち着く。




また、社会を絶句させるような事件が起きた。

たくさんの人が悲しむとか、怒っていると言う反応。これって
SNSのイイネ代わりのロゴのことであろうか。
こういうことをする理由はいま判らない。
だけど、予測は付くのに行為の責任と感覚は当事者にない。という状態か。

人間が呼吸をして生きているのに、生きる実感が無いからもしかして、
大きな事件を起こすと、リアルな感覚に戻れると思うのか。
あまり書くとわたしが非難されるから、それも書けない。

自己肯定と自己責任。
もしかしたら否定と肯定?
これらを昔は意識しなくても、生きて行けたような気がする。

なんとなく緩く、ゆるい肯定感を持って生きることはできないのか。

社会にあふれる「こうでなければ(いけない)」を減らしていけないのか。


先日もついに60歳の免許更新に行って来て、40年間の道交法改正の
流れを、教務官の65くらいのおじさんの話を聞いていた。

厳罰化、自己責任化、どんどん進んで、世の中は良くなりましたよー。
死亡事故、こんなに減りました。

昔はシートベルトしてなくて、ぶつかると全員即死でした! という。

あははははは、私は馬鹿でクレイジーな、こんな古いクルマに乗って、
どうしたらいいんですか?

>新車のプリウスを買いなさい。お国のために新車を買い、
ドライブレコーダーをつけ、自己責任を問われないように、しなさい。

半分居眠りをして講習を受けたので、ここで目が覚めた。

しかしノーヘルは固より、車の安全基準も構造も変わった。


けれど以前作った旧車に乗ることは、いまのところ合法だ。







若い人が、踏み出す勇気が落ちていて、もしも進路を間違えたらと、考えるので
投票率が下がっているという。


それも判るなあとおもう。

今から選挙の仕事の手伝いに行って来るので、この続きは、後で考えて
書こうと思います。



Posted at 2019/07/20 12:01:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2019年07月14日 イイね!

1988年 31年前の、あの夏を忘れない

1988年 31年前の、あの夏を忘れない





リアルバブルの時代を知らない人も多いと思います。
私は20代でペーペーのサラリーマン駆け出し期でした。

これは1988年8月に夏休みを使って関西からある目的で上京しました。
京都から浜松までは東海道線の在来線。浜松で新幹線に乗り換えると、
スズキがプジョー205を展示してました。
あのドメスティックなスズキが、浮かれています。





(工事中の汐留鉄道発祥の地跡ふきん)


東京に着くとバブルの象徴、森ビルのアークヒルズを見に行こうと
六本木に行きました。まずは暮しの手帖社の木立の中にある本部を見て吃驚。

それから普通の教会の敷地に633とマセラッティビトルボが普通に置いてあり、
ベンツ124の新車が霞んでいるのを見て「東京すげー!」。



その後、御茶ノ水から歩いて後楽園球場そばのビジネスホテルに荷物を置き、
窓から見える出来たばかりの東京ドームに感激。






その夜はインクスティック芝浦ファクトリーで行われた、漫画家内田春菊の
イベントに参加しました。



ギョーカイ人がたくさん来ており、私もこの夜は参加できたことに酔っていました。



この昂揚感とか浮かれ感は、バブル崩壊以降のデフレ社会しか知らない人には、
判らないと思います。




翌日は藤沢まで東海道線のグリーン車に乗り、湘南のリゾートホテルに泊まり
ましたが、これがオメガトライブのレコードみたいで笑いました。
一人で泊るとめちゃロンリーな演出で(笑)。







関西ではまだここまでキテなくて、東京の浮かれっぷりが若いアタシには
思い切り面白かった。



あ、松山千春のNEWSレコードの入っているノアビルも見ています。




いきなり変な投稿でしたが、この時代はキラキラ輝いていて、何処で何を見て
来たかが、その後の人生に影響を与えたと思います。

Posted at 2019/07/14 03:14:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2019年07月10日 イイね!

正しいと思っているだけで「正しい」と言っていいのだろうか

正しいと思っているだけで「正しい」と言っていいのだろうか








今日は平日の町歩き行事に参加した。
ところで選挙期間である。
この2年ほどで、僕個人は世の中は一層暗くなったと感じる。
その気分と、理由について考えてみたいが、これは決して個人の思ったり
感じた程度の話なので、激しい批判や気に入らないとか、許せないと言う
意見の持ち主は、スルーして欲しいと思う。

なぜこんな日記を書こうと思ったのか。
それは、あまりに選択肢のない世の中が続いており、
若い人たちが、若気の至りで遊んだり、やんちゃをしたり、(ワル)ふざけさえ
しないような、凍った空気のことを、いつも感じるからである。


今の総理大臣が、在位して、
6年以上の月日が経った。
何がどのように変わって行ったのだろう。
その前に今回の選挙をする前から、あまり盛り上がるとは思えない。
野党与党を言う前に、選挙政治が小さな世界となり、その中でどう決めるかが
すごく狭い領域と視野に思えてしまう。

昔は与党自民の中に、戦争体験世代がおり、戦争だけは絶対してはいけないと言う
経験からものを言う議員もいたが、今は派閥型の政治家はいなくなった。

私は強固な反戦論者でもないが、意見が一つで、対論も出てこない世の空気に
不安を持つ。



日本の社会が、縮小を重ねて、今のような形になってしまったことは、
巡り合わせだと思うが、それでも周囲の目や、回りとの関係を考えて
バランスの良い社会が、多くの人にとり「生きやすい」社会なのでとは
と考えている。

なかなかこんな記事は、筆が進まないのだが、ちょっと書いておこう。

その選択肢が、選挙になると、どの党と候補者に入れるかになるのだが、
野党は荒唐無稽に思えるパーティーばっかりだし、
しゃあないから現状肯定で自民に入れとくか、の人は当然多い。

しかし昔はここまで消去法の答えに欠くことはなかったし、瞬間最大風速でも
野党が躍進すれば、政治家一個人の思いは、後回しになることが多かった。

なんとなく昔のことを思い出しながら書くのは、有権者が18歳からになり、
彼らが小学校の時から、総理大臣は同じ人で、政治はこんなものだと
思っている可能性がある。

こんなに選択肢が無くても、野党があるから、選挙は公平なのだろうか。
この記事は今の総理個人をディするものではないが、もっと広い意味で
最近の気になるけど、言いにくい世の中について書く。

子供が居ないことを今の時代に、話題にすると、イエローカードが出る。
しかし敢えて言うと、初めての例である。日本国の総理大臣では。
子供を抱いた写真は、甥や姪のものも記憶にないが、その事実でなく、
自分の代で終わりという、もしもニヒルな思想が隠れていたら、
それは今の時代が、このあとでディストピアな世界になる。



妄想談義は止めておこう。
ただ、この6年で世の中がよくなったというのは、対照評価が判定しにくく、
アベノミクスは、雇用と失業率、それと民主党時代より株価はあがった。
一方でアベノミクス批判と言うか、データ主義者の中にも、批判はあり
ネットでは不破雷蔵とかモノシリンと名乗るビュワー集めの上手い人はいるが、
なんか匿名だし、世界で通用する経済学の教授でもジャーナリストでもなく
信憑性に欠いている。

こういう人の意見にすぐ影響されるのは、ネット初心者ではないか。

でも私も、なんとなく今の世の中は「嵩上げ」されており、それを強弁したり
鼻で嗤ってるような国会中継を見ると、早く時代は変わらないかと思う。
嵩上げの根拠は今は無いが、森友や加計の事件を見ていると、世の中の
汚染された部分のシミが見えるような気がするだけである。

私が参考にする見方の持ち主は、エマニュエル・トッドが、今は面白い。
トッドは仮定法と弁証法のデータ民族学者で、個人意見は突出してるが、
正鵠はよく射ている。

日本のジャーナリズムにはウエットな湿気があるが、トッドにはない。
必要なことは、強弁しなくてよいことで、ことさらうんちゃらミクスの成果を
言うことが、逆に疑問符や、抜け切らない幼児性に似たダダを感じるのである。



もう一つの悩ましさに「やっても同じ」という今の日本の空気が強い。
これは責任の大きい無責任で、成長率も、少子化も、もしかしたらジャニーズの
芸能界支配も、NHKの料金取り立て&JASRAKも、みな、同じかも知れない。

この、もういいや的な昔の三無主義より質の悪い無気力は、それでも生きて行ける
からである。
こういった時代の背景空気の流れる中で、オレが言うのだからオレは正しいふうの
論調がどこに行っても出てくる。

この流れを崩すと、「悪夢の前時代に逆戻り」とよく強がる。
「こんなひとたち」と口を滑らしたこともありました。
そこが私は、正否以前に間違いではないだろうか。

私だって絶えず今の生き方を自問自答する。
なのに6年間の政治期間を振り返り、普通は自分で絶賛はしないであろう。
もがきながらもここまでやって来ました、なら判る。


きょうはクルマのことを全く書かなかったが、もしかしたら頻発する
オートマ車+高齢者運転の事故も、
「私は正しいことをしていたのにクルマが勝手に事故を起こした」
と思っているのではないだろうか。
これは開き直りに一見見えるが、なにか違う。

ドライブレコーダーまで着いて、クルマの運転は責任の所在をまで、
機器が管理するようになった。
機器にウソと間違いはないから、私は正しく車に乗っている。
でもこれはどこかおかしくはないか。

人間社会には、ファジーな部分があり、そこまでは演算出来ないから
人間同士が掛け合って、調整した答えを出して行く。より良い社会の
実現への前提である。
しかしこの、最近は、我故に我ありの考え方が、人間的な懊悩と迷いが
前提に少なくなり、デジタル乾燥したカラカラの社会が、おかしくさせて
いるような気がしてしまう。

トランプさんが、やってるから、私も貿易規制をかけました。
こういうことは奥の手でも何でも無くて、思慮分別でまずどうなのか。
本来なら側近に諌官が居て、道理とかあるべき政治とか、助言を挟む。

今の世の中、この5年くらいで有るが、責任放棄と言う名のシンギュラリティ
が進んでしまい、おやおや変だな。いちいち言うとうるさいヤツ。
しかしこんな無責任というより一種の幼稚化して行く社会の退行は、
選挙でも争点にならないのだろうと、諦めてしまいかけては、
まだ何とかならないのかと、思いかけている。



Posted at 2019/07/11 07:35:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2019年07月09日 イイね!

七夕の日に思う

七夕の日に思う今年の夏は今のところ
それほど暑くない。

昨年の今頃は35℃に、なっていたこともあった。
昨年は梅雨の大雨で西日本は大被害が出た。
岡山と広島県は鉄道も普通になり、長く止まっていた。

今年は天候が穏やかで過ごし易い夏なのだろうか。



七夕の日が日曜に重なったので、午後の夕方近くから
久しぶりに、車を出してみた。
大写真1枚目は川西市の多田神社である。
ここは源氏の発祥の地と言われる。



2枚目は、多田神社の前に架かる参道の橋を渡り、昔から続いている
自転車・バイク店の佇まいが良かったので撮った。



それからさらに川に沿って上がって行くと、ニュータウンがあり、外れて
川沿いを往くと一部旧道が残っており、このような自然の溢れる風景が
まだ見られる。



さらに上流に行くと、猪名川町に出る。このように田植えが終わり
稲作の田んぼが伸びてく様が見られる。



猪名川町の有名なところは日生中央駅周辺だが、旧の中心は広根という
エリアであり、このような旧街道の風景が残る。




何となく昔は淋しい宿場でもあったのだろう。こんなところに泊ることは
現代ではないが、歩いて旅を続けた時代の痕跡に気付くと、私は時々泊って
みたい衝動に駆られる。
Posted at 2019/07/09 04:23:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2019年06月24日 イイね!

6月のある日の日記

6月のある日の日記










私は単に思い付きでもの事を行動するので、これを近年の流行で「精神」とか
「発達」と見なされるのは、医学的根拠よりも哲学の方が上位マターの筈だから、
あまり気持ちは良くなく素直になれない。

この令和元年に変わった2019年半期は、不幸な事件の影に、「障害」の制度が
横たわり、手帳の所持で、社会に溶け込ませるやり方の悩ましさが、リアルに
浮かび上がったと思う。

一例でかつての業病と言われた伝染病などで、優生保護を強制されたことの過ちを、
今認めているが、あの頃の当時はみな「それが正しい」と思っていたはずである。

特異なキャラ、特殊な性質の人を「病気だから」というのはノーマニズムの弊害である。

私は外見はオシャレだが中身は際立った個性である。だから確かに生き辛いが、
それは日本の社会が個性を圧し潰す傾向が昔から有り、一時代は肯定されかけたが、
今はまた反対に走っている。

社会経済の関係が大きいのだが、何でみんな正社員にならないといけないのだろう。


この無言の圧力に屈したり、泣かないように生きるためには、私のように子どもの
頃から膨大な知識と、本を読むことで自分を支えようと(自立)するしか方法が
他にない。
私の家庭が古き良き中流だったので、親が子どもに何も言わずに、自由に育てて
くれたことが大きい。

今年の事件を起こした若者(40歳未満が若者の時代である)は、どこかに挫折体験
があり、屈折した理由は勉強の強制と、保護者の期待に応えられなかった、マイナス
の自負心が、育ってしまったと思う。

私は自分がこういうしんどい生き方を好んで生きる性格を自覚しつつ、3人の子ども
を育てた。社会とはお父さんはこう見るが、別にそれは参考までに、自分の見方を
養いなさいと。

普通はこんなレアなクルマを偶然選んで30年以上維持する男性はいないだろう。
しかし外国、英国あたりに行けばざらである。

私はクルマ社会に対する考察も、長年ブログに書いており、一定のファンが
いることも、自分の誇りに思っている。


で、これからどうしたらいいのだろう。

社会の包摂社会を唱える途中で今年の事件のようなことが連続した。これは
じっくり見ると繋がっている。

哲学とか、文芸とか、すぐに金にならないもの(価値)に一定の評価=ポジション
を認めていかないと、いけないのではないか。

今のコンピュータ経済万能主義と、巨大なプラットホーム産業、企業の儲かって
いる事実を脇に置いて、第3のやり方を目指している人が別に居てたって、尊いと
思われるような価値観をどこかに残して欲しい。

私は奇人で有るが貴人でもある。
そう思える社会を、片隅にでもつくっていかないと、この息苦しさは
どうにもならない。

と、思う梅雨の湿った朝に。

Posted at 2019/06/27 05:36:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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