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kotaroのブログ一覧

2019年05月01日 イイね!

令和の時代は、どんなふうになるのだろうか。

令和の時代は、どんなふうになるのだろうか。3月30日からフェリーボートに愛車を積んで
九州を回ってきました。
帰って来た翌日から転職した新しい職場に出勤して、
一ヶ月は目が回るような時間でした。

このGWはありがたい骨休めの時間ですが、もう一つ天気が良くなく
このところ肌寒い夜が続いていました。



<北九州の実家の前にて>

あっという間に4月が過ぎて、今日は元号が31年ぶりに変わりました。
昭和とか、1980年代、その前の70年代が遠くなったことを感じます。
雨の中粛々とお祝いを行う人もいれば、今日も仕事に出る人もいるでしょう。
様々な時代です。

最近は、一番考えるようになったことは、セブンイレブンの24時間営業に
社会の風が「ノー」を突きつけたことで、一店長の反乱は、結果的に経営幹部の
交替と、フランチャイズ商法のありようや、限界も露呈させました。

また地獄の特訓のように厳しい営業スタイルだった旧住友銀行の流れをひく
三井住友銀行からノルマの達成の“義務”が消えたと言うニュースも目を引きました。

こうやって平成の30年は短いようで様々なライフスタイルの変化を促し、
ブラック労働とか、心を病んだり、自殺多発の社会を減らして行かないと、
どうにも人類社会に明るい未来が無いことが、判って来たと思われます。

私はずっと前から、「うつ」についての考察をしてきましたが、
脳内物質の伝達の理由に、貧困やお金がないことの絶望が原因するのでないかと、
最近は考えを絞りつつ、その出口について再考するようになりました。


<みやこ町犀川の風景>

平成の30年は最初は昭和最後の好景気のなごりで、まだ贅沢なものが好まれて
いました。
何回か書きましたが、自然災害で、1995(平成7)年に阪神淡路大震災があり、
戦争を体験しない戦後の日本で、6000人の命が奪われて、もう昭和と好景気の
時代が完全に終わる予感がします。同年の地下鉄サリンとオウム真理教の
犯罪は、日本人が同じ国民同士を信じることの限界。無辜の人でも殺傷テロや
被害者になることの可能性など、様々な影を落としました。

このテキストは令和の予測ですが、平成の分析を続けましょう。

1997年に四大証券の一角、山一証券が倒産して誰も救済出来ずに消え去ります。
同じ頃に北海道拓殖銀行、日本興業銀行、日本長期信用銀行などが次々と破綻。

それまで安定した大きな会社に勤めていたら、終身雇用と老後の年金が
一生の充分な暮らしを守ってくれると言う社会保障に翳りが見え始めます。

同時に介護保険制度がスタートして、老後は社会の中でどのように生きられるか
これまで長男の妻らを犠牲にしていた親の面倒を社会全体でみるようになりますが
様々な側面も浮かび上がることになりました。



<美しい野峠の山桜、3月末みやこ町帆柱にて>

さて平成の後の時代、令和がどのような時代になるのか。元号ですから、
続くと言っても一定の時代を指すことになります。

日本はあとしばらくは当分高齢化社会を続けることになるでしょう。
少子化は、高齢化と本来別のマターです。
これは社会が産めなく育てなくさせている、一番良くないのは若い世代に
明るさと若者特有の気楽さを奪ってしまいました。

就職氷河期が平成の途中、1997年から2012年くらいまで続いて、日本は
自由主義(リベラリズム)から新自由主義(ネオリベ)の国に変化しました。
自己責任という考え方が誤っていたことに気がついたのは、ごく最近です。

これは若い子どもを持つ私も大いに憂慮しました。私も早期退職して
社会を変える方の活動に加わりましたが、不安定な雇用と、資産の消失で
見事に貧しい方の階層に転落して、今に至っています。

その間に、昔よりも深刻な問題、心の問題がこれほど広がっている現実と、
社会の混乱に出合います。
2012年の東北の大地震と津波の被害、続いて起きた原発の大事故で
日本は世界の信頼を失い漂流しました。
そこで起きたことは、国民同士の罵りあい、ネオリベに繋がる国民分断、
自分さえ良ければ良いと言う逃げ、そして最後が他人を他人を監視して
ネットなどで徹底的に叩くと言う現象でした。

これは、令和の時代に無くなっていくのでしょうか。

今、一番ぐらついているのは、「正しさ」の定義とよりどころです。

これまでは正しく生きようとか、絶対化された価値観は美意識でした。

ところが流動化する社会と、社会現実の前に、アメリカと闘う異国民とか、
価値観の異なるイスラムの人々、彼らは悪なのでしょうか。

「私が正しいのだからお前は間違っている」という勧善懲悪と似た言い方は
近年随分と、問い直されるようになりました。



フランスなどに多い、反語的な「だけどそれで良いのか?」という人間性に
対する問い掛けは、今後ますます世界的な共通テーマになって行くと思います。

アメリカが変わって行き、北朝鮮もしたたかに世界の舞台に出て来て、
もしかしたら、イスラム社会とキリスト教世界が、奇跡のような平和的な
相互を認めあうと言った、歴史の転換が、この10年以内に起きることも
予想されます。

またコンピューターが可能にした、金融工学といった演算の果てにある
極端な富や資本、お金の偏重も、どこかでブレーキがかかり、抗うことが
不可能になる。ノーベル賞的な発明があるかもしれません。

そうならないと21世紀はこのままディストピアに突き進み、SFや、アウトロー
ヒーローの映画、劇画みたいになってしまいます。

私がきょう書いたことは、単なる途中経過と、これからへの展望に過ぎません。

本日今上天皇になられた人と、私は学年が同じです。
ついに私の同学年の方が、この国のどう言ったらいいのでしょう、一番上に
立ったと言うのは、おかしいし、国民的象徴になられたと言っては英訳が
思い付きません。
それでも重い立ち場になられたことを考えながら、これからの私は生きて
行くでしょう。

そんな歴史の始まった一日に、普通の暮らしをして、心が痛まない程度の
生活を続けて、そして自分より下の世代の人々の幸せも願う。

今日はそんな日だったと、この日記が、いつか消えるまで、読まれることが
あったら良いなと思いました。
新しい時代と言うのは、そういうものなのです。





Posted at 2019/05/01 17:29:36 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2019年04月30日 イイね!

平成最後の日に考えてみる

平成最後の日に考えてみる


平成の30年ちょっとがあと数時間で終わる。
考えてみたら僕の自動車生活は、昭和50年代に始まり
平成の間はずっといっしょに駆け抜けて来た。
それがどうしてこのような変化になったのだろう。




平成の始まった年は1989年1月だった。
そこから1989ー99年までの11年間を三分の一の期間として
この間に私は結婚して、子どもが3人生まれて家族を持つことになった。
この11年間に買ったクルマは
シトロエンBX
フィアット131 4ドア
シトロエンGS
タルボ・サンバ・カブリオレ
ローバーP6と5台になる。
一番多くクルマに手を出した時代だ。

次の2000年ー2009年の10年間は、90年代がバブルの後だったが
ミレニアムで景気が戻る可能性もあった。
日本では沖縄にちなんだ2000円札が出たが、小渕総理が急死、その後を
森喜朗が“談合”で継いだ跡に、ブーイング退場、そして人気絶頂のような登場の
仕方で小泉純一郎の5年間に日本は大きく変わる。

私は、
オペルカデットEシリーズ
フィアット・リトモ・アバルトTC125を買っただけで
ローバーとタルボを維持することに専念した。
850クーペは勿論乗り続けている。
しかしタルボを諦め、やがてローバーも去って行く。

2008年にはリーマンショックというアメリカ発の不況が起きた。
日本は97年からデフレ社会に入り、底の見えない時代になる。
そして人心を一新するかのように、自民党から政権は民主党に交替する。



2010ー19年に私は家族と離れて一人で暮らすようになった。
50代の決断で少しでも世の中の流れを変えたかった。
自分の人生は大きく変わる。
この間に買ったり、来た車は
スズキアルト2003年式
フィアット850スパイダー
ダイハツミラ2000年式
アルファロメオ75
の4台になるが、いずれも残っていない。

今は先住の850クーペ1台きりに戻った。



平成の30年間に何が変わったのだろう。

トヨタの自動車史を歴史エポックな車種で思い出してみると
1969年に登場したセリカ1600GT
1981年のソアラ2800GT
この後は1989年の初代セルシオ
1997年のプリウス
くらいではないか。
ミライは該当しないと思う。
次点でRVクロスオーバー車の走りとなったハリアーも忘れ難い。




昔は新車を2、3年乗っては乗継ぐようなカーライフは普通だった。
だが、日本人の財布は毎年縮んでいき、今は軽自動車を買うのが精一杯の
ひとと、
ベンツ、BMWの新車が買える層に2極に分化した。

中古車は、堅実な人が買うけれど、若者は中古車すら買えず、自動車に
乗らなく(乗れなく)なっていった。
この2010年以降は顕著である。


日本の自動車は、この30年間で成長のピークを過ぎて
車種も減り、メーカーももう4社くらいではないか。

ダイハツ、スバルを傘下にしたトヨタ
合従連衡をしない強さのホンダ
フォードの縁がなくても生きて行けるようになったマツダ
そして野草のように強いスズキである。

日産、三菱は、ルノー・日産の持ち株会社が海外にいくため
今後は日本の自動車企業というより、シャープや三洋のように
海外資本で、ブランド名が残る程度になるだろう。



自分のことと、世間の一般を、ごっちゃにしたような記事でこれは良い記事ではない
が、今日は何かに着いて書いてみたくなった。

そしてこれから始まる新元号は、確実に私は過去の人になるし、
自動車も社会の中心から去る。

その覚悟は出来ているが、せめてあと数時間は、平成の記憶に浸っていたい。

今日はそういうラストの日となった。

Posted at 2019/04/30 20:37:59 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2019年04月12日 イイね!

ゴーンと日産の関係と、80年代の塩路一郎氏時代の日産との相似について

これまでの社風と出身校風
東大出のエリートたちは、何を間違えやすかったのか。
ジャーナリストの書いた記事ですが、そこにコストカッター
ゴーンが来て、何度もピンチを救う。
最初の倒産危機と、リーマンショック不況、
3番目が東日本震災での経済打撃です。

窮地に立った時のゴーン氏は千人力。
しかし魅力あるクルマを開発するのには、違う才能が要る。
無ければある人にうまく託す。
それが出来ずに、第3コーナーから後は私財を肥やすようなことをやった。
どうやらそんな長年の日産の、会社病体質だったのではというのが感想です。
大変良い記事だと思います。読まれてみて下さい。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1904/10/news043.html
Posted at 2019/04/12 15:13:07 | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2019年03月09日 イイね!

自動車所有に関する限界的な記事

今日見つけたこういう記事が気になっています。

私はそれと別なことを考えていました。
車庫証明制度なんてやめたらいいのに、と言ったら
叱られるかもしれません。
しかしこの飛躍した21世紀社会のなかで、自動車法制が
ずっと昔のままで、今や自動車は所有の魅力が無くなり
もがき苦しんでいます。

60以上の人で、自動車が持てる人は、保守であり、
若い人の疑念は、自動車って持つものなの?
に、そもそも論になっています。

私も長年感じている、先の見えなさに対して、自動車ジャーナリズムと雑誌は、
何も出来ていなかったと、
感じております。

この続きは、もうちょっと休んでから書きます。
この所、ずっと働き詰めで、自動車愛が薄れてしまったのが、
とても残念な毎日だからです。

Posted at 2019/03/09 01:43:01 | トラックバック(0) | 日記
2019年02月15日 イイね!

平成とは何だったんだろう/自動車のある風景

平成とは何だったんだろう/自動車のある風景この所よく、平成を振り返る特集記事を
目にすることが急に増えた。
それも当然で、平成は31年、今年の4月で終わる。

以前のような天皇崩御というような、幕の終わり方でなく
生前退位を希望されて、それが叶ったのだから、私も従う。

それに関して識者が一斉にいろんな述懐を始めており、興味深く読んでいる。
中でもnhk onlineの記事二つはテーマ性もあり良く書けている。

一つ目が森永卓郎
もう一つがOBの池上彰である。
リンクを付けておくので両方とも読んで欲しい。

共に日本にとっての平成と言う元号の時代を主に語っているが、
世界の1989年以降の大変化が、もたらした内外の影響のことは、避けては通られない。

日本の自動車の歴史を回顧するときに、平成元年のことと、その年に登場した
新車が画期的な時代を築いたこと。ドッグイヤーだったことを言う人は多い。

私もそれは影響があったというより、社会現象的に感じるが、あくまでも
そこに捕らわれていては、平成の30年間を俯瞰できない。


日本車の隆盛はそのずっと前から始まっていたし、一気に花開いた感があるのは
その年のニューモデルが素晴らしく、しかし開発は3年前から始まっており、
昭和最終期の方が自動車社会としては、評価したい気持ちが強い。


最初に出した2本の記事は、平成とは失敗の連続、日本の転落の30年とか、
戦争は無かったが、かつてない格差の社会が訪れたと、反省記事になっている。


自動車について考えると、平成の30年とはなんであったのだろうか。






私は、規制緩和で自動車の外側が大きくなり、5ナンバーがうんと少なく
3ナンバーだらけになった今の日本が、あんまり好きではない。

自動車は規制の多い産業であるが、その中で知恵を絞るから、時々
インノベーションを引き起こす大傑作や、歴史に名の残る長命なモデルが
出る方が、自動車らしくて産業の本質に近いと考える。

今の自動車は、本当に抱えるテーマが多過ぎて、本来のパーソナルで
軽快な乗り物から遠ざかって「大きく」なり過ぎたと思っている。

また、国民の中での格差の広がりは、お金のある人に対応した
贅沢の意味を解釈した国内向けは、本当に少なく、
一方で、車から退散する人間が様々な理由で増えており、これが新車が
売れない大きな原因と判った産業界が、危機信号を出している。


しかしそれは、本来の「より安くて魅力的な」自動車が元年時比較で
大幅に減り、プラス国民の高齢化が進む一方では、年齢の若いアジアの
新大国には、到底競争の相手にはなれていない。


自動車の枠組みとか、ナンバー制度もとうにゼロベースで解体すべき
筈だったのに、この大幅な遅れは、制度設計する公務員も動きが諸理由で
遅くなり、それが社会の退歩とつまずきの原因だろうと、言われている。


要はいろんな分野で日本は連戦連敗して、その原因も過去の制度改革の
失敗のツケが一世に出て来たと、最後の年になり噴出している状況だ。





私は小泉政権の時代は、バリバリの現役で、
5年の政治が終わった時は部下を交えて、この時代をどんな評価にするのかは、
今は出来ないが、やがて高く評価するのか、違うのかは、判る時代が
来るだろうと、10数年前に語っている。

今回の森卓の一気に語りでは、構造改革は日本の失敗の最大のものと
そこまで言い切っている。


このブログでは自動車について語りたいが、どこで日本車は、舵取りが
狂ったと言うか、魅力が薄れ始めたのだろうか。

例えば日本のバブルの事例で、マツダを傾かせた5チャンネル販売体制の
失敗がよく引き合いに出る。
その後のマツダが立ち直り、かつてのフォードとの共同開発からも手が離れて
一見は、良くなったと言われているが、それは消費者から見て、どう捉えたら
よいのだろうか。

日産はバブルの開発ラッシュに失敗して、大きく負債を抱えて、倒産寸前になり、
フランスからルノーのカルロス・ゴーンに乗り込んでもらい、リバイバルに着手。

その後の長い君臨統治の下で、今回明らかになった腐敗支配に陥り
再び危機を迎えている。
昭和時代に会長より発言の強い組合トップが君臨し、「労働貴族」と呼ばれた
時代の方が酷かったのか。
でも新型車は国民と購買層の方をいくらかは向いていて、気になるクルマも
当時はまだあったと私は思う。

三菱は、ふそうを含めて、醜聞が噴出して、消費者を裏切り続けたメーカー
というのがマスコミのイメージになり、会社が傾いた。
パジェロのパリ-ダカールラリーでの活躍や篠塚健次郎らがいた会社はなぜ
このようになったのか。

いすゞは自家用自動車を作らなくなり、ホンダは大きくなったが、面白くなく、
スズキやダイハツは軽の分野で生き残り続けるが、どうなのか。

スバルは日産系列からGM色になり、最後にトヨタの手に入ったが、今の
スバルは果たして富士重工以来のスバルなんだろうか。

そしてトヨタは世界最強の自動車会社と一時期言われて、国内でレクサスを出した。
しかしハイブリッドとレクサスが、トヨタの屋台骨らしいが、どうも業界の迷走の
原因はこの日本を代表する企業に理由はないだろうか。




こんなふうに考えてみたのと、別の角度からアプローチもある。
私自身が、自動車社会に対して、どこか潮が引くように醒めてしまった。

自分自身の原因があるのだろうと、思ってはみるのだが、それだけではない。

社会に余分に、福祉や保健、新税が増えており、それらをクリアして
また元の位置に戻って「自動車ってサイコー」とかとても言う気が
しなくなってしまったことが、投影しているのである。

社会的に見ても、平成の30年間は、自動車趣味が成熟して、オトナの遊びと
なると思っていた。が、ならなかった。
私もコケたのである。

今年で昭和から続いてきたニューイヤーミーティングが終わったように、
もう大衆的な盛り上がりは無くなって、高額イベントか、地方の町起こし的な種類に
分かれている。

その間が外国のようにないのは寂しいが事実である。

結局、平成の30年間とは、日本がヨーロッパ等の他の先進国のような成熟国に
なり、趣味の年輪と層がうんと厚くなり、そういう内面と心の遊び、ホビーの
大国になれるのではという、私のかつての予想は大いに遠のいて、
この見込みは失敗だったということだ。




最後に、まとめではないが、こういうことも書いておこう。



日本は第2次大戦の戦況下で耐乏生活を強いられた時期が確かにあった。

大勢の人が戦争の直接被害や、間接理由で亡くなったことも事実である。


ところが戦後も落ち着き始めると、真っ先に元気を取り戻したのが、遊びや
ホビーと言った趣味の分野と言うより、それに関する狭いゾーンである。

戦前から嚆矢は始まっており、一時隠棲して、戦後に一気に花開くのが
子どもと趣味の世界だ。

この平成の失敗は、第2次大戦の被害のようなものでなく、社会構造の
持って行き方のミスでもあると、思われて来出したが、さてどうなるんだろう。


今は気勢のあがらぬ社会になり久しい。また世紀末伝説のような北斗の拳
みたいな社会はおそらくはならない。

人間は過去を引き摺る時と忘れる時が有る。
これからの新元号時代は、引き摺りそうな予想もあるのだが、もういいんじゃ
ないかと思い切りたい。

私は活躍できないかもしれないが、何か流れが変わる転換点と
きっかけにならないかと思い、この文を書いてみた。


Posted at 2019/02/15 17:02:14 | トラックバック(0) | 論考 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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