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2018年05月25日 イイね!

昔の楽しさ、今の何も無さ

昔の楽しさ、今の何も無さブログをたまに書けるくらい精神力は戻りつつあるが
感じることの、力の無さは、あまり変わらないが
少し感じて考えていることを書いて見る。


1970年代頃の記憶である。

クルマを少し動かしただけで、すごい楽しいことだったことを
まだ覚えている人は、どのくらい残っているだろう。

当時は、夜間とか、雨とか、逆境(アゲインスト)の時こそ
クルマで外出することに、喜びが付き纏っていた。
例えば愛しい女性に会いに行くような。♪

それが人間のモチーフとエネルギーになれた(変換できた)から、
いろんな産業が一斉に開花した。

音楽とか、ドライブ用品とか、ロードサイドの飲食レストランとか、
着ていく服だってドライブに似合うようにしてたし、
サングラスやタバコだって、チョイスすることに喜んだり、
つまり「自動車に乗る」ことに関する一挙一動が、すべてリンクしており、
そこには向上や上昇するベクトルが働く喜び(ジョイとプレジャー)が
くっついていたから、何をするのも楽しかった。すなわちお金を使うのも
億劫でなかった。これが大きい。





私は、その仕事で働いている人を貶めるつもりは毛頭無いが
介護は産業でなく、ただの仕事だと思っている。

産業は、それが未来に繋がっていき、副次的な結果(こども)を産むもの
でないと、ほんとうの産業とは思えない。
介護と言うのは介助と看護の造語だし、高齢者が増えることは現象にとどまり
派生的な未来を産み出す「産業」とはほど遠いと思う。

だから70年代から80年代の自動車産業は、雑誌までよく売れたことを覚えている。
本当の意味で、産業と言うのは楽しいものではないだろうか。

そうやって思い出して欲しいのは、仕事があって食べて行ける時に
もう一つ、次にやってみたい欲や、夢というと漠然としてしまうが、
人間に大切なことはwillの気持ちが持てるか、持てないかだと思う。



今より遥かにプリミティブな乗り物だった時代、
憧れの愛車を入手して、運転して出かけることは、家族の日記になり、
思い出となり、忘れられない記念となる。それがいろんなことの成長に
繋がったから、みんな自動車を信奉したのだ。

そこまでうまく行った実例は、カメラとか時計とかよりも、産業としては
自動車は大きい。
「役だった」というより、今の自動車の方が遥かに実用的だが、
使いこなせる万能感が、いろんな次の動機を生んだ。
自動車を使った犯罪もあったのだから、これは大きな発明である。

しかし自動車が発明だった時代は、もう終わった。
だから今の自動車を見ても、興奮しないのである。

           ◇

ここまで書いてきて、筆が三日止ってしまった。

タイトルに戻ろう。
今の何も無さというのは、結局無風とか、事なかれになってしまったことを
批判も無いと言うか、出来ない時代の無力感だろう。

今の時代に「なにをアツくなっているの」と感じることは多い。誰も言ってくれも
しない。
仮に判りやすい例で、簡単に叩けるようなものがあると、わっと集まってくる。
しかし内容がよく考えさせられるものだったら、人は集まりにくい。

昔の人は同じ単純でも、共有したい喜びを感じるような方向性(ベクトル)
だったのが、次第に変わって来て、喜びや嬉しいを感じにくい時代になった。
悲しさや怒りと言ったベクトルだと、シンパシーを感じやすい。

世間全体が高齢化したことの影響、それはあるかもしれない。

Posted at 2018/05/29 05:08:52 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2018年05月18日 イイね!

今後の自動車社会を、あえて考える

今後の自動車社会を、あえて考えるちょっと気の重いテーマであるが、
私は「定点観測」の意味では32年目の同じ車に乗り続けている。

その視点から、将来のことを考えてみることにする。

一般人が自動車に乗り、カーライフを送る、営む。
このビヘイビアは、日本の場合と外国はかなり異なる。

自動車は馬車等の乗り物から、派生的に生まれたヨーロッパならば、
クーペとか、セダンの一種のサルーンの語源を知っている。

ありがとうという言葉が、「有難い」から来ているのを日本人なら
なんとなく理解するのと同様だ。

クーペは二人乗りの洒落た馬車。サルーンはサロンと同じで、部屋からきている。

外国ではまず動力付き馬車の発想で、車を所持する、利用することから始まる。

日本はどうだっただろう。
約半世紀から60年前に日本人は車を憧れから、現実的な移動機械として
所有することからモータリゼーションの歴史が始まったと言って良い。

日本には個人所有の馬車の文化が、殆ど無く、田舎は駕籠から、人力車、
そして自動車まで一気に飛んでいる。

そうなると、自宅に馬車を保守し修理する工具も、職人もいない。
自動車が戦前からあった、貴族階級や、素封家の自営業者なら
白洲次郎のように、留学先の英国で、オイルまみれになり自動車整備を
覚えただろう。

だけど大半の家庭は、金持ちから車を持ち始めた戦後には、そんな余裕もなく、
車は修理工場か、新車を買い、その信頼性や信憑を支持することから
この国のモータリゼーションはスタートした。
昭和30年代半ばから、40年代の途中までが、そんな感じだった。

僕は殆ど買わなかったが、1980年代の頭頃まで「マイカー雑誌」というのがあり
どこが値引きしてくれた幅が大きいとか、どんな購入の仕方をして成功したとか
実に僕的には関係の無い、家庭ストーリーの乗った雑誌が普通によく売れていた。



日本のマイカー普及史をみんな忘れているが、新車ディーラーに世話になり
その後の家庭との取り引きを何代か続けることは、普通の家庭では「当たり前」
だったことが、長いし、今でも同じライフスタイルの地方の家は、あるのでは
ないだろうか。

そのことを今日は洗い直してみる。
日本人の車好きは、昔から結構居てるが、ディーラー抜きの人の割合になると
非常に少なくなる。
ということは、ディーラーがないと自動車を買って来ることがないし、中古車でも
ディーラー系の下取り整備車が良いと信じている人は多くいる。

ディーラーはメーカーから新車を預かり、売って稼いで生活(経営)している。
自動車の値段は、よく出来た経済活動の象徴だろう。


しかし日本人のディーラー依存は、私のように一度も新車を買ったことが無く
自分で信頼出来る工場を探し当てて、代価を払い整備して、維持して乗るような
ヘビーなオーナーは殆どいない。
だから、新車ディーラーは半世紀の間、成長産業を維持して続けて今日も
ロードサイドは隆盛だ。

このことに誰も異論を挟まなかった。だがディーラーは医者ではない。
整備工場を付設しているところも多く、クリニック的な役割は果たしている。

しかし、本当のクルマ好きと言うのは、気兼ねなく、好きなクルマを、
過去も現在も関係なく、世界中から探し出して、涼しい顔で乗っている、
そんな存在のことではないだろうか。



僕は一人で、一般大衆と違う路線で、クルマに興味を持ち、乗って生活して来た。
こん日ちょっと僕のようなクルマ好きは、増えて来た傾向がある。

それとこん日のクルマ社会の「惨状」について考えよう。
はっきり言うと乗りたいクルマが見当たらない、と思う人もいると思う。
なぜこんなことになったのかは、ディーラーの力が、時にメーカーの生産部門に
まで、圧力を及ぼすようになり、売りやすいクルマばかりの時代になった。

軽自動車まで及んだ排ガス数値の偽装改ざんとか、なぜ数年前に起きたのか。
それは販売力が、正しいことのように言われて、設計者やデザイナーのロマンや
自動車に対する思いを、簡単に凌駕してしまったからだ。



さあ、ここから話のベクトルを変えよう。
今後のクルマ社会の最大の壁は「ディーラー依存」の自動車社会の行方だと思う。

僕のようにディーラーの世話に一切ならずに自動車に乗ることは、これまで
ハードルが高かったが、そろそろ、自分で乗りたいクルマを決めて、探し、
見つけて、整備して乗って楽しむ時代が来ても良いではないか。


それが25年前に比べて、ずっとやれる時代になって来ている。
古いアンティークな時計を収集してコレクションしたり、
機械式カメラにこだわり、フィルムで写真を撮ってみるのとか、
アナログ時代のオーディオに凝り、レコードを集めるのと、それほど差は無い。

そういった、「インディペンデントな」自動車乗りが増えて来ないと
この国の自動車行政や、メーカーの体質、ひいてはディーラーが自動車社会を
動かしていると思い上がっている流れが一つも変わらない。




ニッポンの自動車産業の構造は、今は世界中が真似るようになった。

ヨーロッパの諸国の車はいずれも個性の爪を出さなくなった。
退屈で、凡庸な車は無難だから、たしかに一定は売れるに違いない。

今後の自動車産業は、中国やアジアの生産力が、間違いなくヨーロッパをしのぐ。
その頃に、日本のメーカーは生き延びる道を探り出すであろう。


あとは、
我々が乗りたい車は、おそらく1990年代までに製造された、思い出深い
過去の「ナンバー」が多いに違いない。

その頃までにガソリンスタンドなどの基礎インフラが、どこまで維持出来るのであろうか。

私は、気の遠くなるような未来や宇宙の話をしているのでもない。
たった数十年の、この国の自動車社会を見て、ああこうだったら良いのに、とか
もっとやり方があったのではと、思ったことを言っているだけである。

ディーラーを全否定しているのではない。
個人のユーザー、オーナーが自動車を身近な家族として、楽しんで維持して行く
には、本当は修理工場という「掛かり付け医」などのコネクションや、
購入から維持までの相場を知る方法、
さらには私のような経験豊富な珍しい車のアドバイザーか、気軽に相談出来る
コンサルタントの存在が、もっと普及すべきだったのではないか。

ディーラーは新車を買うだけの場所と、車検等に関わるクリニック的な
副次的存在に過ぎないことで、よいと思う。

新車保証3年パックとか、今は必要な整備費用も、込みで新車を売るようになり、
これが故障精度の上がった現代車にとり、本当に良いことなのか、
新車を一度も買ったことのない私には、判定出来ないが、違うような気もしている。




Posted at 2018/05/18 11:52:30 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2018年05月16日 イイね!

この国のかたち

この国のかたち最近、若い編集記者の人と、コンビを組んで取材対象を回る機会が出来た。

私は、いつの間にか、普通に会社勤めを続けていれば、定年まで1年と2ヶ月の年齢になりました。

私が、愛車を駆って地方の田園を巡りながら、助手席の助手に指示を出したり、受けたり、相談しながら、対象を絞り込んでいき、こんな楽しい仕事が出来るようになれたことは、長年の夢だったのかもしれない。




まあ人間はどこまでが目標の人生なのかは設定するものでもなく
結果が行くところが、その人の人生のように思える。

若い頃、功名心はもちろんあった。
何かで、有名になりたいとか。矢沢永吉のストーリーに代表されるまでもなく
「ビッグ」になりたいとかの、軽い上昇志向とか。

自分が若くて社会に出た、1980年代が、まさにそんな時代の体現であった。
そこから様々な野望と野心が現れて、現実の生活の前に、泡として消えては
現れて、いつしか現実の壁の前に、夢も幻想も、残像すら残らない小さな光の
点となり消えて行く。

いつしか青年は、中年となり、初老のオヤジとなり、もう吠えたり
牙をむき出すことはしなくなり、そのうちに繋がれた人生に諦めて行った。



私はいっぽうで、クルマという機械が、文化の一端であることを
偶然手に入れた古い1台の外国車から知り、それは次から次から湧き出て来る
泉のように汲めども尽きない興味の対象となり、30年の星霜が過ぎた。

この国も若くて、私たちの上に回っている星座は、無限の可能性があり
自分が世の中を動かしている一員かのように、毎日空を見上げていた。



結局それから30年経ち、私は20代後半から、60歳の手前になった。
そのクルマは30年乗り続けて、今も手元にある。

変わったこと、変わらなかったこと。間にあるのは、私が家庭を持ち、生活を
維持して来た長い年月だ。だがそれは数年前に、幕を閉じた。


クルマは今も正直に走ってくれる。家族の思い出の染み込んだ個体だが、
新しい仕事にも、けなげに長い道中の往復に応えてくれた。


この国に、政治があり、私たちは有権者として、期待もして投票もしたが、
あんまり世の中の流れは、思ったほど民主主義にもならなかったし、
古い車は1年車検こそ2年に伸びたが、反対にペナルティーのごとくに
税金が15%も割り増しになり、早く廃車して新しいのに買い替えろと、
言われ続けている。
この国の、どこに自動車を文化の対象として取り上げる
制度や機関、団体が残っているのだろう。





抵抗と言うのはエネルギーが要るものだが、私は金銭含めてエネルギーが残っていない。

新しい仕事に、マイカーを使うのは、一流企業に勤めていたら、抵抗があっただろう。
しかし、今の私は、少し考え方を、和らげてみた。
マイカーも自分を売り出す(売り込む)タレント性の一部として、色を添えてくれれば良い。

デモをして、ストライキをしても、誰も着いて来なくなった、この40年の流れに
思い当たるので、ならば私のクルマを使い、仕事をやり、
その先に、この国のおかしなところが、少しずつ露わにならないか。

古い車がなぜ少ないのか。なぜ機械としての性能より、社会の流れとして
共生しにくいのか。
これを説明することは、多元に渡るので、ビギナーには説明しにくい。


私のような、ベテラン・ジャーナリスト(元の仕事に完全に戻ればであるが)は、
その説明しにくい経緯、長い時間の変遷のことは語れ、理解できている。

今、若い編集者と仕事を組んでやっていると、教えることだらけである。
しかしこの人は有能で、責任もあるポジションに就くだけの理解能力は高い。

私は、久しぶりに仕事をしている気になっている。

もうとっくに引退した気分になっていたのが、余計だと思いつつ、あれこれ
錆び付いた武器を磨き直し、もう一度闘いの場に向かおうとしているのかも
しれない。

ロートルが出る幕はあるのだろうか。そんな心配を他所に若い編集者は
ちゃんと仕事の段取りを考えてくれている。





今日の話は、クリント・イーストウッドみたいな世界になってしまった。

このタイトルは、私が在席していた会社の、先輩にあたる大作家の随想から
あやかって借りてみた。
私が1983年に、仕事を駆け出した場所は、現役当時の作家先生も在席した
新聞社の京都支局である。

遼かに及ばないが、最近の仕事は、少し面白くなってきた。












Posted at 2018/05/16 05:37:32 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2018年05月15日 イイね!

私の5月 変わり行く人生

私の5月 変わり行く人生取材に行ったり、月曜日は朝から太陽の塔の
内部に入ったり、こんな日常です。

それから美味しい食事に相伴する機会が増えました。




これは但馬の床瀬蕎麦で10日に行きました。





これはある方の家に呼ばれて、食事会の風景。
13日、日曜の撮影。





大分、人生のハンドルを切って走り出しております。

この先に何が待っているか、判りませんが、面白く変えていくことで
自分を変えて行きたい。
そんな新緑のシーズンになりました。



Posted at 2018/05/15 03:41:55 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2018年05月06日 イイね!

丹波日和

丹波日和連休中に取材の仕事が入り、私のクルマで行くことになった。

普通は「ふつうの車」で行くだろうが、同行の取材者には、
前もって私のアシを知ってもらっていたので、朝から
フィアットで出発した。



自動車雑誌でないことだけは、ことわっておくが、取材対象の情報収集で
縁者があまりおられない地区だったので、そこからのスタートとなった。

こんな場面があることは、楽屋話であるが、これが結構有効だった。
未知のエリアで、人に話をきくときに、警戒されるのは、あまり良いことではない。

私はこの取材企画を、考えたり、相談した際に、どんな形で組み立てるのだろう
という点が、大いに関心があった。
相手は編集のプロである。知り合ったのは、偶然で、数ヶ月前になる。

私の“転身”もその前から始まっていたが、今ひとつ決定打がなく、次第に
追い詰められたような、気持ちになっていった。

安定した家庭と家族を、前は持っていたが、今は失っている。
その上に、仕事が近年上手く行ってなく、背水の陣が大袈裟でないような状態だ。

私は過去を洗いざらい、棚卸しすることにした。
恐れる物は、前科がないだけに将来に対する不安だけだ。

それから、2度の転職の失敗に懲りて、「何でもやれる」は引き下げて
好きな仕事、それも一緒に組んで、気持ちの佳いパートナーが大事だと
最大の重点にすることにした。

そんなことを言ったって、あと数年で大台の60歳が近い。
けれど健康不安は摂生に努めてきたので、ほぼ無いと言ってよい。

もう一つ、私はジョークは得意だが、嘘はつかない。
そんなこんなの近況で、やっと元の世界に戻り、さらに一緒に組んで
ストレスのない人に出会えるようになれた。これは大きい。



そんな連休中の一日は、朝から晩まで、愛車が活躍してくれた。
どこに行っても目立つのであるが、怪しい仕事をしているのではない。

話題になるし、最初に会った男性は、大のクラシックカー好きであるから
一度だけ過去にあったことはあるが、すぐにこちらの二人と打ち解けて
有力な情報をいくつか、提供していただいた。

趣味や道楽の取材では無いが、拳を振り上げてなにかをブツというような
性格でもない。奥の深い取材なのである。

一緒に回っている方は、ずっと若いがもうベテランで、要所要所の会話と
打ち合わせで、私の思っているプランやネタを上手に組み上げてくれる。

次どこ行きましょうの指示は的確で気持ちが良い。
自力で一人で回れる仕事なのかもしれないが、こういう展開の方法論は
「より良いものをつくる」という仕事に、欠けてしまうと、どうしても「やっつけ」になる。

私は初日から、ずい分勉強になったし、この齢でリスタートできる幸運に
何度も感謝した。





終わりに、
私は好きなものはクルマと、編集のしごとだと、やっぱり思う。
あとお酒と女性も好きかもしれないが、これは次元が違う。

クルマをどう使っていくかだが、私が普通の暮らしであれば、現代の車で
淡白な取材後の感想になったかもしれないし、こういう今の境遇で、
自分を活性化しようと思えば、この結論で悪くないと思う。

ちょっと古いクルマを、お宝のようにしたり、お膳立てしてもらった舞台
(高額な参加費用の要るイベント等)に出すことだけが目的の「使い方」も
100%間違っているとは思わないが、
私はクルマが不幸になってはいけない(他車との比較で味気ない思いを
したりすること)ので、そんな流れには最も注意をする。

今回の同行取材の人が気持ちのよい人で、移動中の雑談にそんな話題を
交えると、曲解は一切なく、気持ちよく理解していただいた。
これは仕事観に通じるもので、一番大事なことだと思う。


そんな私の再スタートの一日は、気持ちの良い晴れから、一時時雨れて
最後は綺麗な夕陽が見られたことを、付け加えて書いておこう。

クルマよ今日もありがとう、と。
Posted at 2018/05/06 16:39:17 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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