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2024年05月07日 イイね!

60代のカーライフ

60代のカーライフGW前に修理の終わった愛車を引き取り近所の立駐を契約した。
4月から再び愛車のある生活に戻れたのである。
およそ1ヶ月が経ち普段使いのクラシックカーライフは生活の色合いが、うんと華やかになれた。
しかし慎重に自重しながらの行動もやっぱり内心では嬉しい。

1ヶ月間のあいだに愛車を駆ってあちこちに行ってきた。
まだリハビリの感覚もあるが自動車のマイカーの中から見た外の世界は、ああ変わって行ってるのだなあと思うことや発見が多い。
そしてハイブリッドとEVの競争社会にもうとっくに移ってるのだろうと思っていたが、30年間眠った日本ではまだこんなものかの日常が続いている。

それから私は今年の夏に65歳の誕生日を迎えるので文句なしに高齢者に突入する。
運転は世間からの見られる要注意されるゾーンに次第に入っていくのと、
まだこのくらいの運転はできるのだという昔のMT車の使いこなしを世間はどのように見てくれているのであろうか。





一番のトピックはこの1ヶ月間にかつて参加をした数々のイベント行事に数年ぶりに顔を出したり”復活”を細やかにアピールをしてみた。そこでいろんな人に話しかけられる。

慣れっこになってはいたが、長い中断があり、程よく私も歳をとり丸くなれた部分もあるので、受け答えはゆっくりやのんびりと受け止めるようにしている。

今が2024年で私は1987年からこの愛車に乗っている。
若かった80年代のこと、1990年代の世の中が踏んでいた大地が沈むような社会の変化とマイカーライフ。
2000年代にもはや日本は80年代に戻れないと思いつつのイベント参加の数々。
2010年代は一旦自分をリセットして、日常生活をガラリと変えてみた。そしてこのみんカラに日常を書き始める。それからの15年間に自分はここまで年齢を重ねて次々と仕事と環境を変えながらも、フィアット850クーペだけは乗り続けた。

その今の自分が再スタートしたのが今年のような気がする。





昨年の春に一時使用でこの愛車を使って映画の撮影にエキストラ出演した際の作品が完成して、連休中に試写会に招かれて、電車で行かずに私は京都まで愛車を走らせた。
その時の関係者の皆さんの反応を添えておく。

私の頭は原点回帰している部分と、新しい知識や社会のカスタムに順応していこうとする部分とが並行で進んでいるが、新しいやり方には、馴染みにくいものや、疑問が着くことがたまにある。

実際、新車に乗らないこんな生き方は、非常に理解され難いだろうと内心は思っている。


イベント、オフミに行ってみると自動車台数は以前よりも集まってきていることに驚いた。
特に古いのや、これは長く乗ってるなあと、思うようなものは少ないのにである。






とにもかくにも、私は”浦島太郎”だなーっと思う。
だからムキになったり、無理に「俺は俺は」主張は全くしない。

静かにこの車を見て価値を評価できて、それからのことを話しかけてくる人があれば、丁寧に応対をする。

こちらも「じいさん」にほぼ入っているので若いヤツと同じ速さでイキって生きるのにはもうついて行けない。
まあこんなもの、でぼちぼち再開しました、で良い。

ところで私たち60代とそのちょい下で止まっている日本の車好きの社会構造が徐々に変わり、30代や40代の車好きも近年は当たり前だが、そのコアの中に入ってきて、私たちより現役だから活発に活動を始めていることは、気がついている。

そこでマウントを取ったりすれば逆に総スカンになり誰にも相手にされなくなることは判っている。
ただ集まっている人数はまだ上の世代が車好きの構造的に多いから、これの今後の流動だと思う。





私の同世代には、体の不調を抱えている者も多い。
しかし経済的には、まだ恵まれていて、新卒時代に氷河期に当たった人たちは大変だったと思う。その世代で「自動車好き」に来れる人はまだなんとか安定に届いた方であることをちゃんと理解して、それから彼らのネオクラ好きや趣味の話を聞けないと、我々が自分ら世代の話ばかりしていると「下克上」で追放される。

もう追われ行く年代になったが、ここでどうするか。お金で威張るか。
新世代を受け付けずに自分達の価値観で死ぬ時まで突っ張るか。たかがクルマの趣味の世界のことなのだが、ロックや音楽の世界を眺めていると、良い物は世代を越えて皆んなが聴いていることが分かる。

Posted at 2024/05/07 03:55:53 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2024年03月27日 イイね!

ルッキズムってどうなん

ルッキズムってどうなん人を外見で判断することは良くないと言う
それは間違っていたら失礼という意味と
近年はいろんな意味と考え方が広がり
何が正しいとか言うのは一応良くないという、
判断は着けない方が良いのではと言う社会の空気を
大人でも子どもでも、そういうものだとなんとなく
理解しているのだか判らない社会になってきた。

そういう当たり障りすることは言わない方が良いという
時代の流れを組んでしまったら、もう元に戻れないと言う
よく判らない時代の趨勢だ。

まあ、昔が極端だったから、今は評価されなかったモノたちにも
平等な評価を与えなければいけない。といったこの20年くらいの
いろんな人たちの取り組みは認めたいが、今度は価値のあるないの
基準がとても難し〜い時代になっていると思う。

もう20年昔の曲に「ナンバーワンにならなくていい
それぞれなんとかのオンリーワン」というような曲が出現した
あたりで潮目ががらりと変わった。






それまでは「人は見た目が8割」みたいなタイトルの本が堂々と売られていたり
世の中は今で言うルッキズム上等の考え方が、ちょっと浅い人でも主張して
何が悪いみたいな風潮だったと思っている。

という訳でルッキズム批判の批判は、うっかり言うと炎上でもしたら、
会社や、地位を持っている人はそこに影響しかねないから、言わぬのが
取り敢えず無難だろうと言う考え方が支配的だ。


今までのお話は対象が人であり、判り易い例えは「ミス◉◉コンテストの廃止」
と言った考え方の進み方は新しいという取り方で合意が形成されている。

ところでこのコラムはそれは良いのだがクルマのデザインってどうなのよと
いう隅っこの話題を、針を棒に広げてみようという無茶な試みである。



今の路上から消えて行った物にクーペとセダンがある。
両者とも馬車の時代に語源のルーツがあり、クーペは2人乗りの
プライベートな”窮屈な”小型馬車。
セダンは運転手と客室に仕切りのないタイプ。あるのはサルーンになる。
まあでも今どきの自動車にルーツを馬車に探すのは古過ぎて
モノボックス、空間にエンジン動力が着いていれば、あるのは
人間か荷物だけの区別である。
貨車も客車も同じ形の箱でも良いと言う考え方で、「進んだ」考えだとは
言っていい。

しかしである。

かっこいい、カッコ悪いの判断と言う人間の欲求は、もう要らないのか。

そこが近年のルッキズム否定の流れがあまりに広がり
クルマにクーペもセダンも要らない。同じような箱にエンジン積んだら
ええのではと、アルファード、ヴェルファイアその他、みんな外見はただの箱で
値段の上下は装備の違いだけ、みたいな自動車が大量に作られて、一定の
期間で減価償却終われば捨てられ、そんなのにエコロジー補助なんておためごかし
ばかり囁いて売って、昔の古いクーペやセダンに乗り続ける少数の人たちは
「遅れてる」って加算税まで払わされて、これでは世の中、「アンチルッキズム」
を虐げているばかりじゃないかと、私は言いたい。





ぼやきみたいな記事は良くないのであるが、今のクルマは非常に見た目がブサイク

ブサイクな人にそうと言ってはいけない世の中は認めるが、クルマまでそれを
敷衍するのは、私はガマンが出来ないのである。

もうちょっとデザインのいいクルマを出して、世の中の沈滞し切った
空気を変えて行って欲しい。

昔は新型車が出ると社会の空気も変わったのである。

今や新車の発表の話題にマスコミも食指を動かさない。

それはクルマのデザインに全く話題性を見出せなくなったからではないのか。


Posted at 2024/03/27 05:21:28 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2024年03月06日 イイね!

日産、ダイハツ、トヨタ、そしてテスラとBYDと

日産、ダイハツ、トヨタ、そしてテスラとBYDと久しぶりにこちらの方を書いたら、近況情報にあげなくても
読んでくれてる人が居てるので、もう少し世の中の全体のことを書く。

とっても個人的私見であるので、適当に流して見て欲しい。

日産が納入会社から本来の値段で買い取るパーツや機器類を
勝手に値段を”ピンハネ”して下請けや取引先泣かせをしていたというニュース
いま読んだ。
公取マターである。

ゴーン追放後のことかと思うけど、根の深い経済事件である。
不祥事というレベルだろうか。

もう説明は不要だが、ダイハツ、その前の日野、そしてトヨタ織機といった
トヨタを支えた幹の会社が次々と不正をして形式認定とか、大切な新型車を
世に出すプロセスを誤魔化していた。

トヨタはその前にもレクサスか新車ディーラーの”高速”車検が実にいい加減で
販売会社はフランチャイズだが、世間を騒がせたことも近年あった。


社長交代後の”いかにも”サラリーマンといった風情の、私より若い社長が、
ペコペコ謝っている一方で、豊田章男は「モリゾーいけてる!」といった
GRヤリス等で「モータスポーツに挑戦」といった、おためごかしな話題で
おべんちゃらなネットニュースに度々登場しては、「イイネ」をリクエスト
していて、私は開いた口が塞がらなかった。

新型クラウンか何かの発表で最近、マスコミプレスを使わずに、自前で
メディアリレーションして、どっかのアナウンサーを雇って発表会。
これは「トヨタは新しいことをやりました」なんて言っているが、三本とか
生きていたら、独裁国のプロパガンダか!、と言われただろう。

また最近執行役員で外部から来た人に、近年章男氏は合わない幹部を更迭
してイエスマンに囲まれてしまったとまで、ディープスロートされている。


こういった日本の自動車産業の行方は、20年前の国産家電企業に似た傾向なの
かもしれないし、私は21世紀になり四半世紀経つこの国の行方は、多難だなと
いつも思っている。その間に世界は随分先に進んだように見えるからである。




こういうチクチクした記事は、本当は書きたい記事ではない。
少し鼻先を変えるが、中国地方の奥地のローカル線を愛する人々のグループ投稿を
きのう見ていたら、需要が無いと言う意見に貴方はクレーマーかという反対意見
が付いてプチ”炎上”しかけていた。

いつくらいからこういうやりとりになりかけを見るようになったのだろう。

私も「アナタはクルマが嫌いなら書くな」と言われそうでビクビクしている。


以前自分の主催する学習会の2次会で、左に近い感覚の主と、右寄りな考えの
高齢者が言い争いになり、つい紳士のおじいちゃんが「そんなに日本が嫌い
なら、出て言ったらどうですか」という一番言ってはマズい言葉で返して
収拾が付かなくなったことがある。

私はじいさんも悪いが、この空気を作った人物にそのあとで散々右の手先と
しつこく言われ、その後もしばらく絡まれ続けた。

勉強会はとても良かったのに本来の目的から一時的感情で人間は逸脱しやすい。

自動車好きのサイトにこういう記事をたまーーに投稿するのは、私なりの
見識で今日は書いている。


さてテスラとBYDについて、知ってることを書いてもしようがない。

ただ日本はトヨタが初代プリウスの挑戦で、あれはよくやったと思う。
しかしその後25年以上、ハイブリッド方式が足枷になって、次の基軸が
出せないまま、さらにトヨタの意見が強くなり過ぎ、誰も「時代遅れ」
などと言えなくなってしまった。

最近「いまここ」という言い回しが目に着くが、常に過去と未来を考える
ことは大事だと思う。

もちろん電気自動車方式には、いっぱい難点がある。
内燃自動車の方が100年以上歴史が有り、収斂された技術的安定が強みで
その牙城を人類は半世紀以上崩せなかった。だがしかし。


鉄道で言うとディーゼルカーとディーゼル機関車に対して電車の存在感だろうか。

架線が無くても走れるディーゼルカーは1953年に国鉄が実用化に成功して、
1960ー70年代は地方がとても明るく輝いた。都市部の電車路線と遜色の無い
快適な旅が実現したからである。

しかし1980年代までに進化した軽油エンジン動力車が万能だった時代は
ほぼ終わり、今ちょうど鉄道のハイブリッド追従か転換期である。


私はテスラの1代創業者について関心は少し、あれを短期に達成したアメリカは
まだ産業革命のノウハウを持つと観る。
それからチャイナの実力は測定しにくいが、ちょうど日本の第2次大戦後のような
好条件で近代化を成し遂げた中国に、死角と敵はどのようなことが考えられるのか。


そんな「いまここ」の世界の情勢のなかで、最初に書いたように日本の産業の
中心だった自動車産業は、全部の企業を解体して再編した方が良いくらいである。


人物なんだよなあといつの時代にも思う。
Posted at 2024/03/06 04:50:17 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2024年03月05日 イイね!

長期おやすみ中

長期おやすみ中しばらくこちらの方も書いていなかった。
今年に入り3月になったが非常に憂鬱な1年になりそう。
あまり楽しい話題もない。
自動車の趣味は乗ることもないし、今更イベント目標もない。
去年久しぶりに行ったフィアットフェスタも悪くはなかったが
結構疲れたこともある。
実際にこういう半世紀以上前の大昔の自動車を乗るのは気疲れも多い。
毎日の日課はインターネットでちょこちょこクルマの話題を見る程度。
もちろん海外中心で昔のクルマの写真や記事程度。
日本の自動車のグループにはあまり入らない。
みんカラもそんな所属は無いが他のSNSで酷い目にあったこともある。
私の言動に問題発言があったのでなく珍しいクルマに乗って居た
過去を含めてだが、友達申請は受けたくないからである。
これは自分の感じたことなのだが、そういう人に「ヘンな人が」多い
それでちょっとどころかかなり迷惑も受けた。
そういうことをこちらに書いたら「おれのことか」と怒って来るような
その段階でもうおかしいと思うし、一方的に批判を覚悟でここに書いて
いるつもりもない。
特殊な話を全体みたいに受け止めるのは自分が代表のように思われる
のかもしれない。

80年代、90年代ときて2000年代くらいまでで緩い空気は終わって行った。
10年代に頑張って最後の方のニューイヤーミーティングに積極的に
参加したが、もうあれも終わってしまった。今は趣味のフィールドは
解体されてバラバラか、ずっと同人的な輪で続けられて30年というような
文芸サークル的な旧車集まりくらいだと思う。

こういった現状については自動車雑誌が旗を振っていた時代も遠くなり
もう諦め切っているのが現状だ。
なぜこうなって行ったのかも、いろいろ考察して書いてきた。
ロックとか音楽のシーンにはフェスというものがある。
自分も若い頃は、野外の長時間のジャズフェスによく行っていた。
体験と熱気の共有が音楽のイベントの享楽だと思う。
自動車は音楽産業に比べると、すごく内実が変わって行った。
いまセダンやクーペで自動車を語る人は居ないというか過去遺物に近い。
私は開き直っているだけである。
趣味車というのはレア度で価値が付く程度。
全体的な自動車のバランスの良さや完成度を比べあったのは、遠い時代である。

今の現行車は殆ど興味が湧かない。実際情熱の対象でなく、高いんだぞ
珍しいんだぞ、そのレベルで見せあいっこで、好きにやってればいい。
いや実際に行かなくなって久しいから口はつぼむ。

自動車の趣味やジャーナリズムに近い交通整理は、以前は相応しい人が
創成期から居て、成る程と耳を傾ける意見も多かった。
それも居なくなってもう10年くらい経った。だから今は交通整理が値段とか
金持ちとか、そんな感じで基準が展開されているだけに見える。日本は。

いま
「夢」ってなんだろうと急に思ったが、夢はとっくに覚めてしまい
本当にあとの物語を拾遺して生きてるだけのように思える。
身も蓋も無いと言ってしまえばそれまでだが。
あと
自動車って経済の指標みたいな判り易い優等生だったと思う。
みんなが好きなクルマを買って好きに乗れたのが良い時代。
私みたいな偏屈は、他人が乗らない珍しいクルマを世界中から探して来て
こっそり所有して秘かに愉しんで、たまに集まりにいって
「どや」と人を驚かせていた。

今ころそういうことをやっている人もいるが、ネットの情報が回り過ぎて
しまった現在は、なんか最初から狙っている方向が、クルマが好き過ぎて
ではなく、ウケてる自分が好き過ぎてみたいに感じるのは何故だろうか。








Posted at 2024/03/05 03:50:44 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2024年01月17日 イイね!

日本の音楽産業と自動車産業は文化の域になり得たのであろうか

日本の音楽産業と自動車産業は文化の域になり得たのであろうか正月ムードも一段落
きょうは神戸の震災から29年が経った朝である。

今年は神戸をテーマになにか活動をしようと決めて
友人と賛同者でグループを昨年の写真展のあとに作った。

その中で1980年代の神戸のことを取扱うことにするのが柱である。

先日のこと、元町を歩いていると85年のカーグラフィックが美本で
3冊出ていて、1冊200円だったので重いけど買って来て読んでみた。

私が社会人になって3年目。アウトビアンキA112がまぶしくて
欲しくてしようがなかった頃である。
フィアットパンダも149万くらいでその頃は物品税はあったが消費税は
まだなくて、「定価でものを」買えた時代である。


震災がこの10年後に起きるのだが、日本中がやたら明るくて
若者が弾けまくっていた時代だったと記憶する。
もう40年くらい昔のことだ。



この時代のことをバブルだと否定せずに肯定的に捉えて価値を考えて
行きたいと言うのが設立の趣旨である。

その頃の日本はサブカルと言わずに、社会現象をカルチャー的に捉える
努力をいっぱいしていたと思う。
自動車産業の脇にカーグラのような社会的影響力を持つ雑誌が揃い、
そこに高尚な文化論や消費生活の意味まで書くような人が多くいて
読者にもそれを受け止める許容力が着いていた時代だと思う。

私も青二才ながら薫陶のようにそれらを嗅ぎ取ろうとしていた。

自動車産業の隆盛もあったし、音楽の世界は百花繚乱であった。
レコード店はCDにシフトし始めていたが、発売される新譜は聖子ちゃん
からユーミンまで、社会をゆり動かす力があり、そこに食い込もうとする
新人歌手とアーチストが芸能音楽産業入りを目差す予備軍で、ひしめいていた。

そんな時代が昔あったんだよと、息子世代に言わねばならぬ私も辛いが
過去形は過去形で嘘は言えない。

日本の社会影響力が最も強かった時代は、1980年代だと今でも思う。



自動車産業と音楽産業の本質は異なるが、その周辺に趣味の雑誌のような
存在がいくつも出来て書店も盛況な毎日が在った。

いま本屋に行ったら判るが老人だらけで若者は姿を見ない。
メインの産業が活力的だから、周囲に文化を語る人が生まれて、それが
雑誌発刊の原動力になっていき、次から次へと後を追うものが生まれた。
こういう時代がさらっといえば1980年代の特色だったのである。
そこまで言わないと今の若い人には伝わらない。

当時の20代の若者だった私が60代になり過去を振り返る時代になった。
ずいぶん長い時間が過ぎて行き、20世紀は懐かしい思い出である。
その頃は確かにこれから文化が生まれて、未来はきっとあると思っていた。
しかしその夢とか思いは続かなかった。
神戸は95年に震災が有り、日本はバブル崩壊で社会の空気が変わってしまった。

このところ、失われた30年はなぜ?とか意味を問い直す若い人の学説を
よく見かけ、読むことがある。
結局のところ、日本は政治のミスで、オウンゴールを繰り返している間に
世界中から追い越されて遅れをとるようになったというのが当たっていると思う。

産業も経済もぱっとしなくなり、自動車雑誌も大幅に休刊した。
音楽は一見隆盛に見えるが、国民的な共有と文化はもう少ない。
年末の紅白歌合戦とその前のレコード大賞は高校野球以上に過去の遺物と思える。

私や多くの人々が見たかった自動車文化を語れる国から、今は遠い所にいる。
音楽関係のしごとで食っていきたくて就職を夢見た私であったが、最終で落ちた
大手レコード会社のことを思い出す。
あの時代が続いていたら、今も産業と文化論はどんな形で進展していただろうか。
私はだから、違う形で40年間歩いて来た道について語って行こうと思う。



Posted at 2024/01/17 09:49:23 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「参院選の行方と自動車社会 http://cvw.jp/b/176891/48551942/
何シテル?   07/20 05:33
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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