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kotaroのブログ一覧

2022年09月26日 イイね!

このところの思い

このところの思い今年で63歳になった私は、1台の自動車を中古で買って、36年乗っている。

27歳の頃から社会と自動車の社会をずっと見て来て、いろいろなことを考えて来た。
今日は結論から急いでクルマに未来が無いとか、そんなことは言いたく無い。

自動車を持つことや、運転することが楽しかったのは、白洲次郎のような特権階級にいる人以外は、1960年代が黎明期で、発展したのが1970ー80年代だと思う。

今、クルマを運転しているベテランは、この時代に免許をとって、自動車に乗り始めたと思う。

自動車が楽しかった、輝いていた時代はおそらく90年代頃までで、そこから現在の2020年代までは、過去の延長線上にビジネス目的の”未来”が、無理やりこしらえられていた。

私たちは90年代以降、あんまり大きな進化はなく、パソコンと携帯電話がスマートフォンになったくらいで、今も内燃エンジンの自動車に多くの人が乗っている。

1950年代から10年単位で比較したら、社会と生活の変化は、80年代くらいまで、すごい段差があったが、庶民はそれに応じられてきたから、面白い。
この中には明治生まれの人もいたのである。

今は、衰退する時代で、象徴的なのが、紙の自動車の趣味雑誌は15年前の何分の一残っているのだろう。

もうそういうことを考えると、ネットは紙の雑誌に代わったというよりも、人間の思考や行動が、自分から行動することが、かなり減り、受け身な考えや行動が大きく広がった。

話は横にずれるが、今の未来に民衆は国会とか、議員とか、選挙は要らないと内心思っているような気がする。国が殺さずに国民を飼ってくれるなら、それで良いって人もかなり居るような気がするのである。

その代り労働の奉仕と税金は納めるから。という王権神授説から議会民主の時代を経て、その間に市民革命があるのだが、何か元に戻りつつあると感じる。

そんな未来を「ディストピア」と呼ぶ人も一方で居る。

ディストピアはユートピアの反対か。

しかし自由って21世紀になりすごく判りにくくなった。

自由は制限されることで一見快適な社会が来たからである。


自動車を個人が所有して、自由に使える。のが20世紀の発明の中で最大限の自由を実現した発明だと思う。

自動車に対する民衆の憧れは、近代産業をゆりおこして、ここまで来れた。

しかし今後のよく管理された未来社会にパーソナルな自動車は、本当に要るのか。

たまに事故が起きると、今日は社会的な非難が40年前の比ではなくなった。

そのためにシートベルトから始まり、安全装置はありとあらゆるジャンルになり、クルマは安全になったが、まだ「事故ゼロ」には到って居ない。


こういう未来がやがてくると皆がぼんやり思うようになった時代に、
私のような1970年代の骨董品を路上で使い続けることは
いつまで出来るのであろうか。

ある日突然「法律が変わりました」「個人が以前のような「メーカー車」に乗り続けることはできません」になるようなことが、この10年以内くらいに来るのでは、ないだろうか。






Posted at 2022/09/26 06:28:47 | トラックバック(0) | クルマ
2022年08月22日 イイね!

タルボサンバの思い出

タルボサンバの思い出随分昔に、日本に正規輸入されたフランスの小型車
タルボサンバ・カブリオレを見つけて10年ちょっと乗っていた。
写真でこのクルマの佳さを偲んでみよう。









タルボブランドは、1980年代初頭に、旧シムカを買収した、クライスラーフランスが行き詰まり、ヨーロッパから撤退。それをプジョー・シトロエンが引継ぎ、シムカの名前を引継がずに、懐かしいタルボ(ット)の名跡を復活させた。
それもほんの数年でプジョーブランドに統合されて、マトラとタルボは消えた。

旧マトラの工場で作られたのはルノーのエスパス、それから変則的に309のネーミングになったプジョー309は、本来最後のタルボになる予定だった。



これはヨーロッパの雑誌に出ていたタルボサンバ・カブリオレの広告で1982年の「MOTOR」より。当時学生時代だったが、私のハートはズギュンと真ん中を撃たれて、いつか乗りたいと夢に見た。そして1995年に乗れたから夢は叶えるものである。



現代のインターネットより
これはクローズドボディのタルボサンバラリー
1990年代までフランスの草ラリーで活躍していた。



こっちは兄弟車のプジョー104XS
これとマスク以外の内容は近いが、104が先に出て、シトロエンLNが弟。
タルボサンバが末っ子の3兄弟車である。
Posted at 2022/08/22 04:59:02 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2022年07月04日 イイね!

クルマと子育て

クルマと子育て先週の28日、関東にいる一番下の娘が25歳を迎えた。

普段書かないテーマだと思う。
今日は古いクルマに乗りながら、子育て等の家庭生活を
両立出来るかに、ついて考えてみよう。




私が40数年前にクルマに乗り始めた時代は、趣味車と普段車は、未分化の
時代であった。
しかし、若い人は新車のクーペを買い、その狭いリアシートに
家族や子どもを乗せているのは、普通の風景であった。

昭和40年代は、全幅が1300しかないような360ccの軽自動車に
大人が4人乗っているのが普通の日本の風景であった。



私はギリギリ、その狭い規格の軽自動車時代を知っているので、昭和62年に
フィアット850に出あって「小さいなあ」とは思ったが、実用に使うのに
何も不満は無く、そこから始まったクルマ人生で、結婚をして
子どもが平成時代に3人産まれて、子育てや移動を、小さな車でこなしてきた。



趣味のクルマ中心だと、家族車と、足クルマは欲しいと思う。

我家では、長男は言わなかったが、妹が二人出来て、育って来ると
「なんでうちには普通の車が無いの?」という素朴な疑問が出るようになった。




女の子はずけずけと聞くから、他所は他所、「ウチはワンボックスのラルゴとか
あんなミニバンは乗らないよ」、って私は好きでないから、乗らなかった。

私が昭和34年生まれで、青春期はまだセダンとクーペの時代であった。

日本にシビック、海外にゴルフが登場して、FFの2BOXハッチ付きの時代に
なり、それが便利で、お洒落な人気を博すようになった頃に、ファミリアが
空前のヒットになった。その時代は大学生だったと思う。




クルマと生活は、妥協と、ツッパリの間の、”凌ぎ合い”だとよく思う。

お金がいくらでもあれば、何にでも乗れるが、それはあんまり面白いものでない。


私はFF2ボックス車も、オペルカデット、フィアットリトモの2台だけで
ほとんど乗っていないが、今は農作業の往復に貰い物車のアルトに乗るから
パワステ車ならもっと乗ったかもしれない。



しかしクルマってなんだろう。良く考えるが、「男の勲章」みたいなものかも
しれないし、それって、他の性別からみて、アホみたいな「俺自慢」なんだろう。




今の若い子から見て、クルマは一周回ってきて、またオモロい存在に、なりつつある。

最近の雑誌の特集が「自動車」である。
自動車雑誌の特集はつまらない。

上のリンク先の「casa blutes」の自動車特集は、よくぞここまでスタイル本位で
自動車をチョイスしてくれた。
現行車でなくオール過去車で、「今でも乗れるイイクルマ」を紹介するように
なってきたことに、『時代が私に追い付いた』ようで、とても嬉しく思う。

つまり、クルマは80−90年代にピーク期を迎えて、00−10年代に
一気に”ダサイ”乗りものになった。
そしてデカいRVが道路を占領して、乗っているのは小さな人間一人もよく見る
光景になった。
しかし、傍目に見ても佳い風景ではなく、クルマ離れが若い世代に一気に進んだ。



自動車メーカはそのことに気付いて、無視を続けている。
ならば、小さいクルマで、コンパクトでカッコイイライフスタイルで生きたい。
肯定的なライフを追い求めれば、自分だけでなく自分以外にも目が行き
優しい気分になれる。

子どもをつくり、育てるのに、何も馬鹿みたいなアルファードサイズは要らない
のである。



私は一番上の子どもの時はBX、2番目の時は後継者で131セダン、3番目が産まれた
夏は850一台で産科の送り迎えをした。

妊娠から出産。その後の子どもの成長、いろいろな場面でクルマは必要だった。



真夏の家族旅行も小さいクルマでバカンス気分でよく出掛けた。

これから後の時代、ガソリン車はいつまで使えるか判らないが、
ライフスタイルに趣味性のクオリティーが高い要素は、もっと需要が高まる。

先の雑誌のように「スタイルの好いクルマ」で若い内から満足度にこだわる人は
結婚して、子どもが出来たからと言って、ワンボクスに乗り換えること無く
私のような一貫した音楽を聴くように人生を送ると思う。

子育てに、意味のないスペース(荷物運び)ワゴンは要らない。

子育てのとっくに終わったもうすぐ63歳になる男の感想である。



Posted at 2022/07/04 16:12:03 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2022年06月25日 イイね!

九州に行って来ましたの続き

九州に行って来ましたの続き筑豊田川の宿を出てから、久留米方面へ峠道を越える。
昔は古処山越えは大変な難所であった。
それは大昔のことで、今は3000m級の長大トンネルが通っており、難なく筑後側に出ることが出来た。



途中で見かけた炭鉱の跡には驚きます。



甘木に着きました。

それから広い筑後平野にでます。



久留米と鳥栖を暑い中、通過して、着いた場所はとあるカーショップで、そこで待ち合わせ。



目当ての車が合流して記念写真。









あとになると色んな珍しい車と遭遇出来ました。



鳥栖付近の会合場所を後にして、日田から耶馬渓へ向かい、そこから野峠の山越えをして、行橋方面に出ました。



最後は門司の船着き場に向かい、関西まで航送で帰りました。 
以上で九州紀行は終わりです。

おわり

Posted at 2022/06/30 00:35:44 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2022年06月22日 イイね!

「ご報告」九州に行って来ました

「ご報告」九州に行って来ました親戚の用事で6月半ばに山口県に行き、用件終了後に、九州まで850を見に行くという旅をしました。そのことでも久しぶりに書いてみます。

今年の寒い時期まで一年間居た山口県で、仕事が発生して急きょ当地に行き、人を運ぶので自動車が要ることに成り、最初はもらったアルトで行くつもりでしたが、九州で850を買った人がいて、その人に会いに行こうという予定を付加して、暑いのは覚悟で、初夏のシーズンを久しぶりに850を出すことにしました。



上の写真の遠方に見える線路は田川を走る日田彦山線で、この辺りに来るのはおそらく高校時代とその少し後以来で40数年が経過しています。
懐かしいのと往時の思い出のちょっと怖いのと、今は田川はどうなっているのかに、興味が集まりました。



筑豊の中でも最も筑豊らしいところに入って行きます。
ここは田川伊田駅前。
伊田駅前のイタ車なーんちゃって。



伊田の商店街はガラガラで、ふと見た表記の完全冷房を最初「安全冷房」と書いてあるのかと勘違いしたり(危険な冷房ってあるのか?)



とにかく狭い所にぎゅっと商店街があって、すぐ横を都会の東急のような電車でなく、石炭貨車が昭和40年代まで走りまくり、線路はいくつも近接しており、そこをひっきりなしにSLが走っていた頃は、このアーケードは煙朦朦だったのではと思いました。





筑豊のレールは貨物が主で旅客が従だった時代の雰囲気がそのままで、伊田線はなんと複線の非電化支線のままなんです。



日が暮れると、踏み切り脇の飲み屋に小さな灯りがともり何とも言えない筑豊田川の情緒が満喫出来ます。







夜も更けると田川のボタ山に日が暮れて、今日も男たちの夢を載せた一日が終わりました。



今も走り続ける筑豊の鉄道と石炭に生きた男たちの夢を見ながら、私はこの日を不思議な感興で過ごしました。後編に続きます。


Posted at 2022/06/22 12:21:29 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「参院選の行方と自動車社会 http://cvw.jp/b/176891/48551942/
何シテル?   07/20 05:33
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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