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2016年06月03日 イイね!

ただいまみんカラ さようならM3 【後編】

【前編からの続きです】

M3をこのまま所有し続けると心に決めたはずなのに、頭の中から離れない「パパだけの体じゃないんだからね。」との嫁の一言。
左足の痛みはひいたもの、医者によると、左足は、爆弾を抱えているのに等しく、股関節脱臼どころか骨折するかもしれないリスクをはらんでいるらしい。

集合的無意識下で逡巡しつづけるM3との今後。

ふと有料会員だったWEB CGのアーカイブを読み返していると、GT-Rの生みの親、水野和敏氏の辛口インプレッションの中で、ぶっちぎりに評価されているある車の記事に目が釘付けになってしまった。

「この車なら。」

そう思うや、WEBで在庫を調べ、近所の中古車店に希望条件を伝えるなどしていると、希望の条件にバッチリの出物があるとの連絡が。
それから、あれよあれよと契約が進み、気が付いたら、M3を引き渡す日が来てしまっていた。

『M3がいなくなる。』
そう自分に、何度も問いかけてみたが、尋常でない痛みに対する自己防衛なのか、E36M3Limoの時もそうだったように、現実感が全く沸いてこない。
なにかオブラートの向こう側で起きている、実感の伴わないニュートン時間が流れているような気がするばかりで、五感が脳と切り離されているように思えてしまう。
後付パーツをできる限り外し、軽く水洗いをしている間も、10年を共に過ごしたかけがえのない愛車であるにも拘らず、不思議と何の感情も去来してくることはなかった。

「終わる時って、こんなものなんだな。」
遠藤周作の『肉親再会』の中で、主人公がつぶやいたのと同じセリフが口をついて出てしまい、
思った以上に薄情な自分に呆れつつ、レーダー探知機を取り外し、トランクの中を確認しようとトランクリジッドに手を掛けようとしたとき、突然、手ごたえを失うリジッド。
力が作用点から抜けていくような感覚と同時に、樹脂パーツが破損したことが一瞬で分かった。



ブラブラになったリジットを手に取り、私は思わず、
「ハハッ、、おい、相変わらずだなぁ。これじゃあ、買い取ってもらえないかもしれないぞ。」とつぶやいた瞬間、この10年、共に過ごした思いが堰を切ったように胸の中に溢れだし、その場でリジットを握ったまま立ちすくみ、顔をあげられなくなってしまった。

M3は突然、ここ数年なかった意思表示を最後の最後にしたのだ。
E46M3は添い遂げると固く誓った相手。
「よし、また直そうな。」
一呼吸おいてスマホを取り出し、販売店の電話番号を検索する私を思いとどまらせるように、M3の声が頭に響いて来る。
「馬鹿ね、『また』なんて、言わないの。」
脳内妄想だと分かっていても、どうしても打ち消すことができない。
「どうして?お前もここにいたいんだろ。」
「だから、もういいのよ。ちょっと意地悪したかっただけ。」
「ごめん。。。」
「だって、こうでもしないと思い出してくれないじゃん。」
「そんなことないさ。」
「さ、早く直して。今出した工具箱にタイラップとか入っているでしょ。10分で十分じゃない?」
「言ったな。5分もあれば楽勝。」

と、車のトランクに向かって一人話しかけている、メタル崩れのアフラフォー男はあまりにシュールだったに違いなく、恐らく、嫁がこの時の光景を見ていたなら、きっと脳みその医者に電話を入れていたことだろう。

タイラップとプラスチック材で補強し、リジットを取り付けると、今まで以上の強度でスムーズに開閉ができるようになっていた。
「さすがね。じゃあ行きましょう。」
「ああ。結局、最後の最後まで俺達らしかったな。」
こうして、イグニッションを回し、10年来変わらぬ澄んだバリトンを、膨らみ始めた桜の蕾達に振る舞いながら、E46M3との日々は終わりを告げた。

キーを手渡し、ショップを出る際、後方確認ため覗いたバックミラー越しに映ったM3の姿は、その表情は泣いているようにも笑っているようにも見え、子供が手を振っているかのようにバックミラーの中で揺れながら、やがて小さく小さく消えていった。

「ありがとう、そして、さようならM3。」

バックミラーから目を戻し、見慣れぬメーターパネルを見つめる私を、左足の痛みとともに覚悟していたはずの喪失感が、息子への言い訳を伴いながら無言で責め続けるのだった。

Posted at 2016/06/03 13:06:53 | コメント(18) | トラックバック(0) | E46M3 | 日記
2016年06月03日 イイね!

ただいまみんカラ さようならM3 【前編】


皆さま、もうお忘れになっているかもしれませんが、大変ご無沙汰しております、FlyingVでございます。
コメントやメッセージを頂戴したお友達の皆さま、本当に申し訳ございませんでした。
3年ぶりのみんカラは、恥ずかしいやら照れくさいやらで、きっと、引きこもりが部屋から出るときってこんな気持ちなんだろうなぁとか、いやいやセカンドバージンを捧げるシーンに近いだろうだとか、現代社会の抱える影や都合のいい乙女心に訳の分からない仮託をしてしまいましたが、一応、元気に過ごしています。
いや~ブログ上げるのに、色々と忘れていて、こんなに往生するとは思いもしませんでした(汗)

しかし、この3年間、安否不明だの、塀の中で軽作業をしているだの、中東で暗躍しているだの、様々な噂が風に乗って飛んでたとかいなかったとか。
率直に申し上げますと、全く大した理由はなく、出版の話やら事業の立て直しをはじめとして東奔西走し、いつか落ち着いたら再開しようと思っていたら、あまりの仕事量に忙殺され、いつのまにかログインどころかお友達ページすら拝見する余裕もなくなる体たらくぶりでして、気が付いたら、電脳空間から離れ、SNSに一切触れることがなくなること3年が経過してしまっておりました。

また、以前、発禁を食らった官能実話小説の続編や恐怖体験シリーズ、リニューアル変態さんネタなど書きためていた原稿、削除したアーカイブなどなどをボチボチ更新しつつ、皆様のページにお邪魔させていただきますので、改めましてよろしくお願い申し上げます。

さて、『ただいまみんカラ』と再開のご挨拶をしたところで、続く『さよならM3』について触れておかなくてはなりません。

ここからは、完全に一人語りの長文ですので、お時間ある方、どうぞお付き合いください。


「ふう。」と自分自身に一呼吸入れ、PCに向かい合うも、キーボードを打つ傍から、胸を抉られるような鋭角な痛みが幽霊のように現れ、指先をためらわせる。
しかし、これを書かなくては、先に進めない。
奥歯をかみしめ、決心をつけると、重しを乗せた記憶の蓋が、鈍い音を立てて開き始めた。


遡ること10年前、E36M3Limoを、血肉を削がれる思いで手放したとき、代わりにやってきたE46M3を生涯アガリの車と心に決め、溺愛してきた。
向こう数十年は乗れるコンディションを見越し、年一回以上のボディコーティング、屋内&ボディカバー駐車、油脂類は神経質なぐらいクオリティと頻度にこだわり、モディファイも素性を伸ばす程度にとどめ、オフ会や好天時しかエンジンに火を入れなかった結果、車歴13年を迎えた今年、機関類は絶好調、走行距離わずか38000㎞と、手前味噌ながら極上車の部類に入るのではと思わせる状態を維持できていた。
それも、息子が免許を取ったときに、その助手席で、
「いいか、決して気難しい車じゃないぞ。ギクシャクするのは、お前の腰が引けている証拠だ。」と鬱陶しい親父風を吹かす私を横目に、目を輝かせてM3のハンドルを握る息子と、「お前がまだ小さい頃、よく酔ったよなぁ。」など懐かしい昔話をしたいがためのこと。

あと2年ほどでそれが実現するはずだったのに、今や、私の琴線を狂おしいほど掻き毟った、自動車世界遺産ともいうべき名器S52の官能的なサウンドは消え失せ、車庫の真ん中を陣取っていたM3の代わりに、鎮座するのは別の主の姿。

今年の3月まで、確かに、この場所にM3はあった。
いや、私の頭の中では、今も相変わらずここはM3専用の駐車スペースなのだ。
受け入れがたい事実にゲシュタルト崩壊を起こしかけた私の脳が、バロウズのごとく現実のボーダーを融解させてしまったのか、ないと大脳新皮質は理解はしていても、私の目線が追い求めるものは、ボンネットのパワードーム、フレアフェンダー、エアダクト、楕円テールのマフラーといったM3のアピアランスばかり。

事の始まりは、みんカラを休止した3年前の蒸し暑い夏の日の夕方。
とあるクライアントのもとから次の仕事先へと向かう途中、時間にタイトだったため、走って向かう途中のこと。
横断歩道を駆け抜け、バスセンターへの階段を2段ぬかしでのぼりつめたところで、突如、左足股関節に激痛が走り、ノートPCと書類を詰め込んだ重いカバンをその場に落とし、倒れ込むようにうずくまってしまった。立ち上がろうとしても、左足付け根の猛烈な痛みから左足に力が入らず、ようやく立ち上がったところで、左足に荷重を掛けることができない。
額に浮かんだ脂汗が、顎を伝って滴り落ちる。
シャツの背中がぐっしょりと濡れそぼち皮膚に貼りついているのは決して蒸し暑いからだけではない。
足先の感覚はあるも、痛みは引かないばかりか熱を持ち出し、歩を進めるたびに増すばかりで、仕事どころではなく、クライアント先に事情を伝え、予定をキャンセルしてタクシーで帰宅し、そのまま寝込んでしまった。
翌日は日曜だったため、病院には行けず、バンテリンを貼って静養していたところ、月曜の朝にはなんとかゆっくりと歩けるまでには回復した。
それから、軽量シューズに履き替え、右足に荷重をかけるなど、だましだまししているうちに、痛みも引き、日常生活に支障のないぐらいにまで復調してきたのだった。

それから、数週間。
そんなこともすっかり頭から消え失せてしまい、猛暑も一段落つき始めた初秋のある晩に、久しぶりにM3とナイトドライブに出かけるべく、ボディカバーをはぐってシートに収まりクラッチを踏み、名器S52に火を入れ、アイドリングが落ち着いたころに、そろそろと車庫から出して、暑気が残る夜風の中、数キロ進んだところで、左足の異変に気が付いた。
クラッチを踏み込むたびに、左足の付け根がシクシクと痛み出している。
しかも、その痛みはどんどん存在感を増し、少し足を上げただけで「うっ、、」と声が漏れるほど。
「やばい、このままではM3も自分も動けなくなる。」
そう直感した私は、高速手前でUターンし、車庫にM3を入れた時には、再び、左足の付け根は熱を持ち、体重をかけられなくなってしまっていた。
しかし、その晩、バンテリンを貼ったまま寝付くと、不思議なことに、翌朝には、痛みもほぼ消え、熱っぽくなっている程度で、歩くことができる状態に戻っていたのだった。

念のため、接骨院に行くと、歩きすぎによる間接の炎症とのことで、全力疾走でもしない限り大丈夫だろうとの所見。
長年、変形ギターを担ぎ、低ポジションでヘッドバッキングをしていたメタルの宿命なのか、疲労骨折や、最悪、骨肉腫を疑っていた私は一安心し、しばらくしてからM3を恐る恐る運転した時は、なんともなく、しばらく気にもしなくなっていた。
だが、またM3に乗り込み、クラッチを踏んだ時、左足の付け根に走る、あの痛み。あわてて帰宅し。バンテリンを貼るも次の日にはなんともなく、それが何度か繰り返されたある日、気が付いたのだ。
M3、いや、マニュアル車を運転できない体になりつつあることを。
子供たちが寝た後に、思い切って嫁にそのことを相談すると、常日頃、「M3売っちゃえば。」と音声案内のような軽口を叩くのだが、よほど私が弱ったひどい顔をしていたのだろう。
少しの沈黙の後、神妙な面持ちで、「うん、パパに任せる。でも、パパだけの体じゃないんだからね。」と言いながら、「ちょっと待ってて。おいしい紅茶もらったの。」とソファーを立ち、キッチンへとスリッパを鳴らしていった。

その日から、『M3と左足』を両天秤に掛けた葛藤の日々が始まった。
E46M3を超える官能性と性能を持ちうる車は、断じてないとの自己暗示に近い信念を長年持ち続けていたため、次の候補車が全くもって見つからない。あげくに、いろいろ難癖をつけて、やっぱりM3が一番だとの結論に至ってしまう。さらに、左足の調子のいいときに、M3に乗ると、その思いがますます正当化されてしまう悪循環。
それでも、ドライビングの後、必ずと言っていいほど、痛む左足。

痛みがあろうが、M3を何とか運転できてしまっている以上、信念はそう簡単に覆るものではなく、『もしかして、乗る回数をもっと減らして、自然治癒するのを待てばいいんじゃないの?』との考えが次第に支配的となり、AUDI RS4を試乗しに行ったりしたが、契約には至らなかった。
車検の期限が到来する昨年の4月に、一度、思い切ってTKさんに委託販売を出してみたものの、M3がない喪失感にあっという間に堪えられなくなり、結局、1カ月で引き取ってしまった。

筋肉をつけるなどして左足の痛みは和らぎ、M3もバノスセンサー故障といったマイナートラブルはあったものの、すこぶる好調で、エンジンオイルを、前々から試してみたかったTAKUMIブランドを買い込み、人柱気分でDIY交換をした。
『うちのE46M3は、アガリの車だ。』
こうした紆余曲折もあり、その信念を再確認したのだった。

そして、この春、息子の高校が決まり、娘が小学校に入学という、家族にとっての節目に、M3の姿はなかった。

【後編に続く】
Posted at 2016/06/03 13:05:06 | コメント(3) | トラックバック(0) | E46M3 | 日記
2013年07月22日 イイね!

炎天下の無駄金使いに現れた、近所の若きマッドサイエンティスト

炎天下の無駄金使いに現れた、近所の若きマッドサイエンティスト創作シリーズの続編をUPしようとしていた折、最近よく連絡をくれるようになったとある出版社からのリクエストで、ドロッドロの人間ドラマと絶官能系のマルチエンデイングにて、続編を急遽書き直してほしいと言われ、その作業に追われているところでございます。
楽しみにされている好事家の皆様方、もう少々お時間を頂戴いたしたく、車ネタが続きますことをお許し下さい。

と言うわけで、息子をM3に乗せる約束をしたのが先週のこと。
息子が所属するクラブチームのテニス大会が開催された今週末、朝早くから、息子と張り切ってM3で会場に向かったところ、予想外の初戦敗退を喫し、コメダでの反省会の後、少し遠回りして帰宅。
悪くてもセミファイナルを見越して臨んていたため、たっぷりと時間が余った日曜の午後、押入れから引っ張り出したのがこちら。

DEPO社製のLEDコーナリングランプです。
ルームランプ、テール、サイドウィンカーなどなどLEDへと段階的に換装してきたうちのM3にとって、唯一、LED化していなかったのがフロントウィンカー。
理由として、今まで、テールランプのようなアッセンブリー交換タイプが出回っておらず、オレンジのLED球+抵抗でしかLED化できなかったことに加え、作業性の悪さがネックとなってしました。
しかし、最近、SURFACE RTを物色しつつ何気なくヤフオクを徘徊していた折、見つけてしまったのです。
クローム処理された、リプレイス方式のLEDコーナリングランプを。
SURAFACEそっちのけで落札し、届いたのが先週のこと。
どこかで装着せねばと逡巡していた折の、息子の初戦敗退で舞い込んできたチャンスに、ボディカバーをはぐり、ガレージからM3を引っ張り出して、真夏の太陽が照りつける玄関スペースで作業を開始いたしました。

この時の気温、昼前にして摂氏35度。
製品はコーキング済みにつき、取り外してはめ込むだけなら、せいぜい1時間だろうとの勝手な思い込みで、まずは、ウィンカーの取り外し。

うちのは前期型ですから、ネジで止まっている後期型とは違い、サービスホールから長めのドライバーを差し入れ、プラスチックのストッパーを押しながら引き出さなくてはなりません。
マグライトでその位置を確認しつつ、強めに押さえつつ、ウィンカーを引っ張ってみるも、うんともすんとも言わない(汗)
ラインオフから数えて12年、ウィンカーを一度も外されることなく今日に至ったことで、間違いないく固着している・・・
敬遠していた整備性の悪さがさらに輪を掛けて悪化したことで、大幅なタイムロスは確実。
力を掛けつつ小刻みに動かしながらトライすること10分。
玉のような汗が、ポタポタと化粧石に斑模様をつけ始め、これは無理かと思われたその時、ゴクッという鈍い音とともに、ようやく外れました。



もう一方も固着していたものの、相方ほど粘ることなくあっさり取り去ることができ、あとは、バラストと配線を繋いで、ポン付けして終わり、、、、、



かと思ったのもつかの間、ここで重大なことに気がついたのです。



なんと、純正のものとアタッチメント部分の形状が全然違うではありませんか!!
そう、私が購入したのは、後期型用のLEDウィンカー。
小学校の頃、歴代の担任が申し送りのように通知表に書いてきた、
「落ち着きがない。後先考えずに行動する。」「全く、当てずっぽうと勘で物事を進めてしまいます。今のうちに治しましょう。」のありがたいお言葉。
社会人になり、さらに人の親となってからというもの、その折々に、先生方の慧眼がずばり的中してきた数々の事例が、また一つ増えることになろうとは、トホホホホ(嘆息)

案の定、どうやっても装着すること叶わず、汗まみれのまま立ちすくむ私に、
「いや~DIYでもやられるんですね。」と声を掛けてきたのは、ご近所に住み、地元の旧帝大大学院に通うお兄ちゃん。
数年前に住んでいたところも、車好きの変態ご近所達が生息し、数多の仕打ちを受けていたことは過去のブログでもご紹介したとおりでございますが、現在のご近所様も、クワトロポルテ、147、155、ハヤブサなどなど、相当な車&バイク好きが集まっており、
この大学院生も、顔を合わせた時には車話をする間柄で、彼の愛車は、一見、初期型のエクストレイルかと思いきや、SR20VETの280馬力仕様で5MTというこだわりよう。
ちなみに、SR20VETは、可変バルタイ+リフト機構に過給機をセットした、ホンダで言うところのV-TECターボで、2Lで初めて280馬力に届いた内燃機関です。
当時、シャシダイに乗せたら230馬力しかでてないなどの馬力詐称疑惑が持ち上がり、発熱量の大きさとヘッド周りの重量、製造コストなどのネガティブな要因が重なり、次期シルビアが頓挫したことでエクストレイル1代限りとなった悲運のユニットだったりします。

「失敗したよ。」と裏側の形状違いを指差す私に、
「なんとかなりそうですけどね。」と眼鏡を少し上げ、白面から賢さを滲ませる選良。
「そうか、じゃあ、やってみよう。」とペンチなどを取り出し、安易に作業を開始するあたり、できるかな世代とピタゴラスイッチ世代の長所でもあり、
「あれ、なんか切っちゃいけないところかもしれないです。」と深く考えずにやってしまった後で、気がつくのも、この2世代の特徴。
なんだかんだで、取り付けることが出来き、装着した画像がこちら。
加工方法は、完全なる我流につき、ミスリードするリスクがございます故、割愛させて頂きます。



比較画像として交換前はこちら。



「いいですね、近未来っぽくて。」とは大学院生のコメント。
しかし、私は喜ぶどころか、どうしても許せないことがあったのです。

それが、この部分。




『誰だ、この金型設計したのは!!』と文句の一つでも垂れたくなるような見事なチリのズレ。
その隙間からは、配線まで見えてしまうほど。
現在装着しているLEDテールランプも相応に残念でしたが、ここまでではなく、中華のインダストリーにまたしても無駄金を使ってしまったことに呆然としていると、
「じゃあ、レンズ割って中身付け替えましょうか。」と大胆発言の大学院生。
「できるの?」
「ええ。適当なダンボールで仕切って、ドライヤーで熱風当てながら、溶解液を付けて、接着剤が溶けた頃にバリッとやれば、レンズが取れますよ。」
「マジで?」
「はい。僕の車、片方、ヘッドライト新品じゃないですか。あれ、それでやったんです。」
と、エクストレイルを指差し、きらりと光るメガネの奥。
「すごいね。」
「いえいえ。」と謙遜しきりの大学院生。
さすがは、旧帝大で化学を専攻するだけのことはあると感心した私は、
「お願いしようかな。」と伝えると、
「分かりました。記念すべき初成功目指して頑張ります。」
と言い残し、道具を取りに戻ろうとする大学院生。
「待て、、今、初成功って、言った?」と、その背中を慌てて引止めてみると、
「ええ、言いましたが。」とシレッと答えるではありませんか。
さらに、「エクストレイルのは、割ろうとしたらレンズが溶けて、新品に換えたんですよ。大丈夫ですって、薬品の配合、変えますから。」
とまさかのマッドサイエンティストの人身御供にさせられるところだったのでした(滝汗)

この時、熱中症寸前だった私は、彼と別れ、一旦家の中に。
もう一度、純正に付け直すものバカバカしいので、何気なく押入れをあさっていると、嫁の内緒のDVD、、ではなく、随分前に購入したまま忘れていたLEDのアンバー球2個を発見。



ソケットに入れてみると、あらピッタリ。
試しに、車にダイレクトで接続してみたところ、案の定玉切れフラッシャーが発生したので、LEDコーナーキットに付属してた配線とバラストを繋ぐと、フラッシャーは収まり、正常に作動しているではありませんか。



妥協点はここしかないと悟った私は、配線とバラストを再利用し、LED球へとリプレイスすることで作業を終えることにいたしました。
勿論、点灯時には、鮮やかなアンバーカラーで発光します。


さすが純正だけあって、チリも完璧、、、トホホホホ(涙)

とは言っても、無粋なオレンジの色味がなくなり、すっきりフェイスとなった我が家のM3。
これにて主要な部分全てがLED化され、諭吉さん2人をドブに捨てることにはならず、一応の区切りを迎えることができました。

そう言えば、そろそろ車を買い換えたいと言っていた、かのマッドサイエンティストの卵君。
ボサボサの頭と痩身長躯に、真っ先にデロりアンのイメージが浮かぶも、雷雨の日に時計目掛けて一緒に車を押すことになったらたまりませんので、ツレも買ったBRZでも勧めてみようかと思いつつ、手元のLEDウィンカーを預けてみたくなった週末でした。

Posted at 2013/07/22 22:23:42 | コメント(5) | トラックバック(0) | E46M3 | 日記
2013年07月11日 イイね!

洗車から始まる、酷暑に向けたオイル一気通貫メンテ

久々に純粋な車ネタです。

梅雨が明けてからというもの、殺人的な暑さが続く我が当地でして、剣道部に所属していた高校時代、空調のない道場の中、防具を装着した状態の摂氏40度を超えるであろう体で、実戦剣道などと言う訳の分からん扱きを受け、さらに、大学時代は、冷房なしの防音部屋でフローリングに水溜りを作りながらギターを弾いて過ごし、幼馴染と今も組んでいるメタルバンドのスタジオは納屋を改造しただけの、まさに熱中症と感電と隣り合わせというメタルの生き方そのものを体現した場所につき、特殊な環境下で過酷な暑さに長年慣れ親しんだ身といたしましても、ここ数年の酷暑はしんどく、一度日向を歩けば、玉のような汗がたちまち噴出し、フラッと眩暈が起きるほど、生命の危険を覚えてしまうのです。

当然ながら、ワンコの感じる暑さは、私以上。冷房はほぼノンストップで掛けているにも関わらず、愛犬RANDYは朝からこんな具合。



あれほど大好きな「散歩行くぞ。」の声に、顔を上げるどころか、片耳だけがピクッと反応するだけで、結局暗くなってからのお散歩が、最近の日課となっています。

そんな本日の朝、仕事がオフになったのをいいことに、久々にM3を引っ張り出し、まずは洗車。
カバーを掛けているとは言え、ボディとの隙間に入り込んだホコリや砂が水蒸気によって張り付き、いくつもの幾何学模様がカーボンブラックのそこかしこに浮かび、まるで新種の深海生物のよう。
手洗い洗車をしたかったのですが、以前、炎天下でポリッシャーをしていた時に、耳鳴りと頭痛に襲われ、ほぼ熱中症になりかかったことを思い出し、近所のスタンドで洗車機のお世話に。



遠目では綺麗に見えるものの、一体、どこから入ってきて、どうやってついたのか全く分からない正体不明な油染みがところどころに残っていて、このままでは、強烈な太陽光線によって、ボディに焼き付いてしまいかねない。かといって、ゴシゴシこすれば磨き傷が残る。
そんなジレンマを解消してくれる、ここ最近、一番感心したケミカルグッズの登場です。



ソフト99の鏡面仕上げ用ウェットシート。
Z31の頃から、市販のコンパウンドを片っ端から試し、独自に調合しつつ、複数のポリッシャーを駆使しながら、愛車のボディを被検体にして、まるで、天然痘のワクチンを息子に植え付ける、ジェンナーのような心持で、傷と格闘してきた私にとって、目から鱗のケミカル。
市販のコンパウンドは、手磨きの場合、力加減が難しく、逆に細かい傷が付いたり、それを消す為に結局ポリッシャーを使わなければらなかったりと、手間が掛かったものですが、このシートなら、ボディに傷を残すことなく、張り付いた汚れや浅い線傷程度なら、うたい文句どおりの鏡面加工に。
確実にボディ表面は削れているのでしょうけど、目視では全く分かりません。
ウェットタイプのケミカルにあまり良いイメージを持たず、使えればラッキーぐらいのノリで買ったのに、なかなかの実力でございました。

瞬く間に艶ピカボディが蘇ったM3に乗り込み、目指すは、酷暑を乗り切り、あと5年、10年と乗り続ける為のまとめメンテです。



私の主治医、TK-Squareさんにお邪魔したのは、開店時間の10:00を少し過ぎた頃。
それでも、うだる様なピットの中、エンジンオイル、ミッションオイル、デフオイルの、機関系オイルを一気通貫で交換いたしました。

ちなみに、エンジンオイルを交換するのは、実に1年ぶり、ミッションオイルとデフオイルにいたっては、4年ぶりとう体たらく。
しかも、この前のエンジンオイル交換から、走行距離僅か300kmと、まるで新油のような廃油に、チクリとする胸の内。
ちなみに、エンジンオイルは、以前のLubrossレーシングフォーミュラからR-Spec(10W-50)に、ミッションオイルは一度入れてみたかったR35GT-R用のDCT、そして、デフはLubrossをチョイス。
交換後、劇的な変化を期待したものの、やはりというか、エンジンオイルはそれほどヘタっていた訳でもなかったようで、フィーリング変化は特になく、S54は快調そのもの。
強いて言えば、熱ダレが少なくなったように感じました。

DCTミッションオイルも、そもそもM3に搭載されたゲトラグ製の6MT自体、よく言えば節度があり、逆に言えば、小気味良いシフトチェンジができるものではない為、交換後、すぐに体感することはなかったものの、乗り続けるうちに馴染んできたのか、熱を持つにつれ、ダウンシフト時、特に3⇒2速に若干の渋さを伴っていた以前までの感覚がなくなり、コクコクと決まる好フィーリングに変化。
それが、この後の100km程度のドライブでも、気温が上がり続けた日中、ずっと持続しておりました。

デフオイルに関しては、デフのバキバキ音が出にくくなったと言ったところでしょうか。

その後、最近、コンビニのオーナーとして第二の人生を切った知人の店へ。
この時、インパネに表示された外気温は、40.5度。
30分後、南中を待たずして46.5度まで上昇し、存外に効くエアコンがたっぷり涼風を吐き出してくれているとは言え、ハンドルを握っているだけで、あっという間に水分を欲する体。



1ヶ月ぶりに会う知人は、激務続きで、やや頬がコケ、疲れては見えましたが、やる気に満ち溢れ、その表情は、まるで、自分が大好きなゲームに熱中するあまり徹夜でもした後のような、心地よい疲労感と充実感を湛えていて、私の目に眩しくすら映りました。

開店祝いにと、店内のお勧め商品をしこたま買い込み、その後、遠回りして帰宅。


駐車場から見上げた空からは、見事な積乱雲のお出迎えです。



久々にM3にメンテらしいメンテを施し、年間平均走行距離の3分の1に当たる、ほぼ100kmを一緒に過ごした本日。

バッテリーを外し、ボディカバーを掛けようとした私に向かって、
「ただいま、あ、M3でドライブ行ったの、ズリィ~。」と声を上げたのは、中学一年になり、忙しい部活から帰って来た息子。

「オレ、最近、全然乗せて貰ってないし。」とむくれる息子と二人で、オレンジ色の幾筋もの西日を照り返すカーボンブラックをしばらく眺めた後、
『今日は楽しかったね。ねえ、今度はいつ遊ぶ?』
と、夏休みに入ったばかりの子供が語りかけるような、まだまだ遊び足りない余韻を引きながら、ゆっくりと夏の帳へと眠りにつくM3の横で、この週末、息子と出かける約束をしたのでした。

Posted at 2013/07/11 22:57:52 | コメント(7) | トラックバック(0) | E46M3 | 日記
2013年06月09日 イイね!

4度目の車検とベルト交換

4度目の車検とベルト交換ここ最近のブログが、大人の読物、恐怖シリーズとみんカラの主旨を逸脱しておりましたので、車ブログの基本に立ち返り、久々のM3ネタです。
先日、E46M3が我が家にやってきてから、納車時含めて4度目の車検を通してまいりました。
時期的に自動車税と重なり、痛い出費ではありますが、復興予算がご当地ゆるキャラに流用されるなど、利権に群がる腐れ売国奴達に腸が煮えくりかえる気持ちを堪えつつ、法定費用が正しく国益の為に消費されていることを切に願うばかりです。

車検をお願いしたのは、近所の整備工場。
2時間足らずで終わるスピード車検もさることながら、良心的な料金とオイル交換などのセールスもしないさっぱりとした対応、立会い点検での的確な診断は安心の一言。
Z31の頃より、車を整備に預けた際に、ディーラーですらリップスポイラーを割っていたりと、ちょくちょく痛い目に遭っていたこともあって、よほど信頼できるところでないと車を預けないようにしている私にとって、目の前で整備が行われるのは、ありがたいところ。

ピットの中を、S54特有の、乾いた金属音と重低音が幾重にも重なったエキゾーストが何度も響き亘り、機関系の好調さそのままに、無事、車検を通過。

2年前と同じメカニックさんに担当してもらい、内外装のコンディションの良さ、下回り含めた痛みのほとんどない状態を維持していることに、とても平成13年式とは思えないとの言葉をもらい、まるで自分のことを褒められているような、誇らしい気持ちを抱きつつ、車検工場を後に。

その時、唯一、指摘されたのが、エアコンベルトの細かいクラック。

そして、本日、ベルト交換の為、朝一でTK-Squareさんへお邪魔いたしました。
こちらも、6年前から、オイル交換の軽整備をはじめ、ACシュニッツアーの足回り交換、ブレンボ6Podの移植やエアフロ~ポンプ、フィルターまでの燃料ライン一式リフレッシュなどの王道整備の他、謎の症状を頻発してはやさぐれる我がE46M3を、根気強く更正させ、立派に社会復帰させてくれる、私のようなディーラーの敷居をまたぐことを許されない、並行車大好きBMW乗りにとっての、赤髭先生でもあり、良心の塊のようなブラック・ジャック的存在なのであります。

ちなみに、アルファロメオGTVとインプSTi-Alineも、オイル交換やエキマニリプレイスなど、こちらで色々と面倒を見てもらいました。

その辺りの詳細は、過去のブログをご覧頂くとして、辻社長の実直な人柄や技術、そして経営姿勢は、職人を絵に描いたようなもの。
近頃、お邪魔する機会が減っているのは、きちんとE46M3のネガが消し込まれ、真っ当なM3へと成長している証とはいえ、こうした小ネタがあると、口では困ったと言いつつ、なぜか嬉しくなるのは、きっと甘美な情念と引替えに、何度も死線を見せてくれたGTVとの二重生活が忘れがたいものだったからなのかもしれません。

さて、その作業は、アイスコーヒーを片手に、待つこと15分程度で終了。

こちらが、取り外されたエアコンベルト。

プーリーと併せて交換したのが6年前ですから、相応の劣化具合といったところでしょうか。
ファンベルトは、まだ大丈夫そうでしたが、こちらも転ばぬ先の杖として、早いうちの交換が望ましいとのことでした。

ついでに、この日ピットでご一緒した、最近めっきり見る機会が少なくなったE46の1台をご紹介。


ALPINA B3のこれまたレアなTouringで、3.3Lモデルです。
M3とは好対照のデッドスムーズな回転フィールに、E46M3を購入する際、これのB3Sにするか考えていたことをふと思い出しました。

我が家のM3がバイエルンの工場からラインオフされたのが、2001年のこと。
来年からは、晴れて増税対象車種として、旧車の仲間入りをすることになります。
それでも、手元に置いていく年数の分だけ、深まる愛着と漆喰のように固まる思い。

BMW至高の直6ユニット、味わいつくすのは、これからです。



【備忘メモ】
前回車検時の走行距離:35,300km
今回車検時の走行距離:36,700km

大人の創作シリーズの続編、そろそろ再開しようかしら。
Posted at 2013/06/09 18:02:50 | コメント(9) | トラックバック(0) | E46M3 | 日記

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