2016年06月03日
【前編からの続きです】
M3をこのまま所有し続けると心に決めたはずなのに、頭の中から離れない「パパだけの体じゃないんだからね。」との嫁の一言。
左足の痛みはひいたもの、医者によると、左足は、爆弾を抱えているのに等しく、股関節脱臼どころか骨折するかもしれないリスクをはらんでいるらしい。
集合的無意識下で逡巡しつづけるM3との今後。
ふと有料会員だったWEB CGのアーカイブを読み返していると、GT-Rの生みの親、水野和敏氏の辛口インプレッションの中で、ぶっちぎりに評価されているある車の記事に目が釘付けになってしまった。
「この車なら。」
そう思うや、WEBで在庫を調べ、近所の中古車店に希望条件を伝えるなどしていると、希望の条件にバッチリの出物があるとの連絡が。
それから、あれよあれよと契約が進み、気が付いたら、M3を引き渡す日が来てしまっていた。
『M3がいなくなる。』
そう自分に、何度も問いかけてみたが、尋常でない痛みに対する自己防衛なのか、E36M3Limoの時もそうだったように、現実感が全く沸いてこない。
なにかオブラートの向こう側で起きている、実感の伴わないニュートン時間が流れているような気がするばかりで、五感が脳と切り離されているように思えてしまう。
後付パーツをできる限り外し、軽く水洗いをしている間も、10年を共に過ごしたかけがえのない愛車であるにも拘らず、不思議と何の感情も去来してくることはなかった。
「終わる時って、こんなものなんだな。」
遠藤周作の『肉親再会』の中で、主人公がつぶやいたのと同じセリフが口をついて出てしまい、
思った以上に薄情な自分に呆れつつ、レーダー探知機を取り外し、トランクの中を確認しようとトランクリジッドに手を掛けようとしたとき、突然、手ごたえを失うリジッド。
力が作用点から抜けていくような感覚と同時に、樹脂パーツが破損したことが一瞬で分かった。

ブラブラになったリジットを手に取り、私は思わず、
「ハハッ、、おい、相変わらずだなぁ。これじゃあ、買い取ってもらえないかもしれないぞ。」とつぶやいた瞬間、この10年、共に過ごした思いが堰を切ったように胸の中に溢れだし、その場でリジットを握ったまま立ちすくみ、顔をあげられなくなってしまった。
M3は突然、ここ数年なかった意思表示を最後の最後にしたのだ。
E46M3は添い遂げると固く誓った相手。
「よし、また直そうな。」
一呼吸おいてスマホを取り出し、販売店の電話番号を検索する私を思いとどまらせるように、M3の声が頭に響いて来る。
「馬鹿ね、『また』なんて、言わないの。」
脳内妄想だと分かっていても、どうしても打ち消すことができない。
「どうして?お前もここにいたいんだろ。」
「だから、もういいのよ。ちょっと意地悪したかっただけ。」
「ごめん。。。」
「だって、こうでもしないと思い出してくれないじゃん。」
「そんなことないさ。」
「さ、早く直して。今出した工具箱にタイラップとか入っているでしょ。10分で十分じゃない?」
「言ったな。5分もあれば楽勝。」
と、車のトランクに向かって一人話しかけている、メタル崩れのアフラフォー男はあまりにシュールだったに違いなく、恐らく、嫁がこの時の光景を見ていたなら、きっと脳みその医者に電話を入れていたことだろう。
タイラップとプラスチック材で補強し、リジットを取り付けると、今まで以上の強度でスムーズに開閉ができるようになっていた。
「さすがね。じゃあ行きましょう。」
「ああ。結局、最後の最後まで俺達らしかったな。」
こうして、イグニッションを回し、10年来変わらぬ澄んだバリトンを、膨らみ始めた桜の蕾達に振る舞いながら、E46M3との日々は終わりを告げた。
キーを手渡し、ショップを出る際、後方確認ため覗いたバックミラー越しに映ったM3の姿は、その表情は泣いているようにも笑っているようにも見え、子供が手を振っているかのようにバックミラーの中で揺れながら、やがて小さく小さく消えていった。
「ありがとう、そして、さようならM3。」
バックミラーから目を戻し、見慣れぬメーターパネルを見つめる私を、左足の痛みとともに覚悟していたはずの喪失感が、息子への言い訳を伴いながら無言で責め続けるのだった。
Posted at 2016/06/03 13:06:53 | |
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E46M3 | 日記
2016年06月03日
皆さま、もうお忘れになっているかもしれませんが、大変ご無沙汰しております、FlyingVでございます。
コメントやメッセージを頂戴したお友達の皆さま、本当に申し訳ございませんでした。
3年ぶりのみんカラは、恥ずかしいやら照れくさいやらで、きっと、引きこもりが部屋から出るときってこんな気持ちなんだろうなぁとか、いやいやセカンドバージンを捧げるシーンに近いだろうだとか、現代社会の抱える影や都合のいい乙女心に訳の分からない仮託をしてしまいましたが、一応、元気に過ごしています。
いや~ブログ上げるのに、色々と忘れていて、こんなに往生するとは思いもしませんでした(汗)
しかし、この3年間、安否不明だの、塀の中で軽作業をしているだの、中東で暗躍しているだの、様々な噂が風に乗って飛んでたとかいなかったとか。
率直に申し上げますと、全く大した理由はなく、出版の話やら事業の立て直しをはじめとして東奔西走し、いつか落ち着いたら再開しようと思っていたら、あまりの仕事量に忙殺され、いつのまにかログインどころかお友達ページすら拝見する余裕もなくなる体たらくぶりでして、気が付いたら、電脳空間から離れ、SNSに一切触れることがなくなること3年が経過してしまっておりました。
また、以前、発禁を食らった官能実話小説の続編や恐怖体験シリーズ、リニューアル変態さんネタなど書きためていた原稿、削除したアーカイブなどなどをボチボチ更新しつつ、皆様のページにお邪魔させていただきますので、改めましてよろしくお願い申し上げます。
さて、『ただいまみんカラ』と再開のご挨拶をしたところで、続く『さよならM3』について触れておかなくてはなりません。
ここからは、完全に一人語りの長文ですので、お時間ある方、どうぞお付き合いください。
「ふう。」と自分自身に一呼吸入れ、PCに向かい合うも、キーボードを打つ傍から、胸を抉られるような鋭角な痛みが幽霊のように現れ、指先をためらわせる。
しかし、これを書かなくては、先に進めない。
奥歯をかみしめ、決心をつけると、重しを乗せた記憶の蓋が、鈍い音を立てて開き始めた。
遡ること10年前、E36M3Limoを、血肉を削がれる思いで手放したとき、代わりにやってきたE46M3を生涯アガリの車と心に決め、溺愛してきた。
向こう数十年は乗れるコンディションを見越し、年一回以上のボディコーティング、屋内&ボディカバー駐車、油脂類は神経質なぐらいクオリティと頻度にこだわり、モディファイも素性を伸ばす程度にとどめ、オフ会や好天時しかエンジンに火を入れなかった結果、車歴13年を迎えた今年、機関類は絶好調、走行距離わずか38000㎞と、手前味噌ながら極上車の部類に入るのではと思わせる状態を維持できていた。
それも、息子が免許を取ったときに、その助手席で、
「いいか、決して気難しい車じゃないぞ。ギクシャクするのは、お前の腰が引けている証拠だ。」と鬱陶しい親父風を吹かす私を横目に、目を輝かせてM3のハンドルを握る息子と、「お前がまだ小さい頃、よく酔ったよなぁ。」など懐かしい昔話をしたいがためのこと。
あと2年ほどでそれが実現するはずだったのに、今や、私の琴線を狂おしいほど掻き毟った、自動車世界遺産ともいうべき名器S52の官能的なサウンドは消え失せ、車庫の真ん中を陣取っていたM3の代わりに、鎮座するのは別の主の姿。
今年の3月まで、確かに、この場所にM3はあった。
いや、私の頭の中では、今も相変わらずここはM3専用の駐車スペースなのだ。
受け入れがたい事実にゲシュタルト崩壊を起こしかけた私の脳が、バロウズのごとく現実のボーダーを融解させてしまったのか、ないと大脳新皮質は理解はしていても、私の目線が追い求めるものは、ボンネットのパワードーム、フレアフェンダー、エアダクト、楕円テールのマフラーといったM3のアピアランスばかり。
事の始まりは、みんカラを休止した3年前の蒸し暑い夏の日の夕方。
とあるクライアントのもとから次の仕事先へと向かう途中、時間にタイトだったため、走って向かう途中のこと。
横断歩道を駆け抜け、バスセンターへの階段を2段ぬかしでのぼりつめたところで、突如、左足股関節に激痛が走り、ノートPCと書類を詰め込んだ重いカバンをその場に落とし、倒れ込むようにうずくまってしまった。立ち上がろうとしても、左足付け根の猛烈な痛みから左足に力が入らず、ようやく立ち上がったところで、左足に荷重を掛けることができない。
額に浮かんだ脂汗が、顎を伝って滴り落ちる。
シャツの背中がぐっしょりと濡れそぼち皮膚に貼りついているのは決して蒸し暑いからだけではない。
足先の感覚はあるも、痛みは引かないばかりか熱を持ち出し、歩を進めるたびに増すばかりで、仕事どころではなく、クライアント先に事情を伝え、予定をキャンセルしてタクシーで帰宅し、そのまま寝込んでしまった。
翌日は日曜だったため、病院には行けず、バンテリンを貼って静養していたところ、月曜の朝にはなんとかゆっくりと歩けるまでには回復した。
それから、軽量シューズに履き替え、右足に荷重をかけるなど、だましだまししているうちに、痛みも引き、日常生活に支障のないぐらいにまで復調してきたのだった。
それから、数週間。
そんなこともすっかり頭から消え失せてしまい、猛暑も一段落つき始めた初秋のある晩に、久しぶりにM3とナイトドライブに出かけるべく、ボディカバーをはぐってシートに収まりクラッチを踏み、名器S52に火を入れ、アイドリングが落ち着いたころに、そろそろと車庫から出して、暑気が残る夜風の中、数キロ進んだところで、左足の異変に気が付いた。
クラッチを踏み込むたびに、左足の付け根がシクシクと痛み出している。
しかも、その痛みはどんどん存在感を増し、少し足を上げただけで「うっ、、」と声が漏れるほど。
「やばい、このままではM3も自分も動けなくなる。」
そう直感した私は、高速手前でUターンし、車庫にM3を入れた時には、再び、左足の付け根は熱を持ち、体重をかけられなくなってしまっていた。
しかし、その晩、バンテリンを貼ったまま寝付くと、不思議なことに、翌朝には、痛みもほぼ消え、熱っぽくなっている程度で、歩くことができる状態に戻っていたのだった。
念のため、接骨院に行くと、歩きすぎによる間接の炎症とのことで、全力疾走でもしない限り大丈夫だろうとの所見。
長年、変形ギターを担ぎ、低ポジションでヘッドバッキングをしていたメタルの宿命なのか、疲労骨折や、最悪、骨肉腫を疑っていた私は一安心し、しばらくしてからM3を恐る恐る運転した時は、なんともなく、しばらく気にもしなくなっていた。
だが、またM3に乗り込み、クラッチを踏んだ時、左足の付け根に走る、あの痛み。あわてて帰宅し。バンテリンを貼るも次の日にはなんともなく、それが何度か繰り返されたある日、気が付いたのだ。
M3、いや、マニュアル車を運転できない体になりつつあることを。
子供たちが寝た後に、思い切って嫁にそのことを相談すると、常日頃、「M3売っちゃえば。」と音声案内のような軽口を叩くのだが、よほど私が弱ったひどい顔をしていたのだろう。
少しの沈黙の後、神妙な面持ちで、「うん、パパに任せる。でも、パパだけの体じゃないんだからね。」と言いながら、「ちょっと待ってて。おいしい紅茶もらったの。」とソファーを立ち、キッチンへとスリッパを鳴らしていった。
その日から、『M3と左足』を両天秤に掛けた葛藤の日々が始まった。
E46M3を超える官能性と性能を持ちうる車は、断じてないとの自己暗示に近い信念を長年持ち続けていたため、次の候補車が全くもって見つからない。あげくに、いろいろ難癖をつけて、やっぱりM3が一番だとの結論に至ってしまう。さらに、左足の調子のいいときに、M3に乗ると、その思いがますます正当化されてしまう悪循環。
それでも、ドライビングの後、必ずと言っていいほど、痛む左足。
痛みがあろうが、M3を何とか運転できてしまっている以上、信念はそう簡単に覆るものではなく、『もしかして、乗る回数をもっと減らして、自然治癒するのを待てばいいんじゃないの?』との考えが次第に支配的となり、AUDI RS4を試乗しに行ったりしたが、契約には至らなかった。
車検の期限が到来する昨年の4月に、一度、思い切ってTKさんに委託販売を出してみたものの、M3がない喪失感にあっという間に堪えられなくなり、結局、1カ月で引き取ってしまった。
筋肉をつけるなどして左足の痛みは和らぎ、M3もバノスセンサー故障といったマイナートラブルはあったものの、すこぶる好調で、エンジンオイルを、前々から試してみたかったTAKUMIブランドを買い込み、人柱気分でDIY交換をした。
『うちのE46M3は、アガリの車だ。』
こうした紆余曲折もあり、その信念を再確認したのだった。
そして、この春、息子の高校が決まり、娘が小学校に入学という、家族にとっての節目に、M3の姿はなかった。
【後編に続く】
Posted at 2016/06/03 13:05:06 | |
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E46M3 | 日記
2013年06月09日
ここ最近のブログが、大人の読物、恐怖シリーズとみんカラの主旨を逸脱しておりましたので、車ブログの基本に立ち返り、久々のM3ネタです。
先日、E46M3が我が家にやってきてから、納車時含めて4度目の車検を通してまいりました。
時期的に自動車税と重なり、痛い出費ではありますが、復興予算がご当地ゆるキャラに流用されるなど、利権に群がる腐れ売国奴達に腸が煮えくりかえる気持ちを堪えつつ、法定費用が正しく国益の為に消費されていることを切に願うばかりです。
車検をお願いしたのは、近所の整備工場。
2時間足らずで終わるスピード車検もさることながら、良心的な料金とオイル交換などのセールスもしないさっぱりとした対応、立会い点検での的確な診断は安心の一言。
Z31の頃より、車を整備に預けた際に、ディーラーですらリップスポイラーを割っていたりと、ちょくちょく痛い目に遭っていたこともあって、よほど信頼できるところでないと車を預けないようにしている私にとって、目の前で整備が行われるのは、ありがたいところ。
ピットの中を、S54特有の、乾いた金属音と重低音が幾重にも重なったエキゾーストが何度も響き亘り、機関系の好調さそのままに、無事、車検を通過。
2年前と同じメカニックさんに担当してもらい、内外装のコンディションの良さ、下回り含めた痛みのほとんどない状態を維持していることに、とても平成13年式とは思えないとの言葉をもらい、まるで自分のことを褒められているような、誇らしい気持ちを抱きつつ、車検工場を後に。
その時、唯一、指摘されたのが、エアコンベルトの細かいクラック。
そして、本日、ベルト交換の為、朝一でTK-Squareさんへお邪魔いたしました。
こちらも、6年前から、オイル交換の軽整備をはじめ、ACシュニッツアーの足回り交換、ブレンボ6Podの移植やエアフロ~ポンプ、フィルターまでの燃料ライン一式リフレッシュなどの王道整備の他、謎の症状を頻発してはやさぐれる我がE46M3を、根気強く更正させ、立派に社会復帰させてくれる、私のようなディーラーの敷居をまたぐことを許されない、並行車大好きBMW乗りにとっての、赤髭先生でもあり、良心の塊のようなブラック・ジャック的存在なのであります。
ちなみに、アルファロメオGTVとインプSTi-Alineも、オイル交換やエキマニリプレイスなど、こちらで色々と面倒を見てもらいました。
その辺りの詳細は、過去のブログをご覧頂くとして、辻社長の実直な人柄や技術、そして経営姿勢は、職人を絵に描いたようなもの。
近頃、お邪魔する機会が減っているのは、きちんとE46M3のネガが消し込まれ、真っ当なM3へと成長している証とはいえ、こうした小ネタがあると、口では困ったと言いつつ、なぜか嬉しくなるのは、きっと甘美な情念と引替えに、何度も死線を見せてくれたGTVとの二重生活が忘れがたいものだったからなのかもしれません。
さて、その作業は、アイスコーヒーを片手に、待つこと15分程度で終了。
こちらが、取り外されたエアコンベルト。

プーリーと併せて交換したのが6年前ですから、相応の劣化具合といったところでしょうか。
ファンベルトは、まだ大丈夫そうでしたが、こちらも転ばぬ先の杖として、早いうちの交換が望ましいとのことでした。
ついでに、この日ピットでご一緒した、最近めっきり見る機会が少なくなったE46の1台をご紹介。

ALPINA B3のこれまたレアなTouringで、3.3Lモデルです。
M3とは好対照のデッドスムーズな回転フィールに、E46M3を購入する際、これのB3Sにするか考えていたことをふと思い出しました。
我が家のM3がバイエルンの工場からラインオフされたのが、2001年のこと。
来年からは、晴れて増税対象車種として、旧車の仲間入りをすることになります。
それでも、手元に置いていく年数の分だけ、深まる愛着と漆喰のように固まる思い。
BMW至高の直6ユニット、味わいつくすのは、これからです。
【備忘メモ】
前回車検時の走行距離:35,300km
今回車検時の走行距離:36,700km
大人の創作シリーズの続編、そろそろ再開しようかしら。
Posted at 2013/06/09 18:02:50 | |
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E46M3 | 日記