2012年11月07日
ブログの方向性を完全に見失い、ここは一つ古式ゆかしい亀甲占い(注:焼いた亀の甲羅を鉄串で刺し、その割れ方によって、吉凶を占う中国殷時代の占術)でもしようかと思い立ったはいいものの、鉄串はBBQ用で代用するとして、肝心な亀の甲羅が見当たらず、逡巡したあげく、生まれた時からの今日までのロクでもない時間と苦楽を共にしてきた分身たるミドリガメ君を生贄に差し出そうとして、危うく『Curiosity killed the cat』どころか 『Curiosity killed my son』を執行するところだった、阿部定メタラーのFlyingVでございます。
「ミドリガメだなんてとんだ見栄っ張りだな。」とのお叱りは一先ず置いときまして、霜月をこのような下ネタからスタートしたのは、只でさえみんカラにいい顔をしていない嫁が一体どこでのラインで削除命令を出すかの水際を見極める、実験的な企みにつき、突然このブログが消えてしまったら、哀れな私は経済制裁&家庭内奉仕活動に従事しているものと覚えおき下さいませ。
さて、人には様々な嗜好がございまして、履歴書の趣味欄に書くような類のものは体裁に過ぎず、その多くは、秘匿の楽しみとして人目を憚りながらこっそり嗜むものがほとんど。
こと異性に関して言えば、身体のどこかのパーツや特徴に芽生えた些細な関心が、やがて尋常でない執着へと成長し、そして理性の届かない仄暗い心底部に沈められた頃にはフェティシズムと呼ばれる倒錯したものへと変質していった経験は、誰もが心当たりがあるというもの。
私の身の周りでも、そのような性癖を持つ憂人痴人、、いや、友人知人は枚挙にいとまがなく、ネコ耳尻尾、緊縛鞭打ちのなんてものはほんの序の口。
活字に出来る範囲でほんの一例をご紹介いたしますと、学生時代のバンド仲間だったNは、総論で言うところの脚フェチの部類に入る、健康的かつ一般的な性癖の持ち主。
しかし、その各論においては、まっこと困ったマイノリティに属しておりまして、美脚、ヒール、くるぶしなどのメジャーな脚フェチ達らも理解に苦しむ彼のフェティシズムの対象とは、、、、、、
なんと『足の甲』
N曰く、特に、ブリッジした時のつま先立った足の甲が至高だそうで、バランスを取るために突っ張ったアーチとそれ自体の曲面美に心を打ち揺さぶられるんだと、畳をバリバリかきむしりながら熱く語っておりました。
ぱっと見、男前のバンド野郎だったNは、それなりにモテはしたのですが、その願望を打ち明け、成就させるにはさすがに気が引けたのか、彼女が寝静まった頃を見計らい、はたまた足裏マッサージと称しては、大好きな足の甲を愛で、渇きを抑える日々が続いていた折、
とある女の子と付き合い始めた時、彼の歪んだ願望が一気に現実へと向かうチャンスが訪れたのです。
その彼女、高校時代は元新体操部。ということは体の柔らかさは言うに及ばず、ブリッジなんぞはまさにお手の物。
ある夜、Nは、自分のマンションにお泊まりしに来た彼女を、何だかんだと拝み倒して、まんまと一糸まとわぬ姿で完璧なブリッジをしてもらうことに成功してしまいました。
目の前には、夢にまで見た、つま先立った産毛一本もない美しい足の甲。
ボタンを外すのももどかしく、引きちぎるように自分の衣類を脱ぎ捨て、指先から足首にかけて浮かぶ青筋と稜線に舌を這わせると、猛然と湧き上がる歓喜に全身が打ち震えるN。
頭の芯がジーンと甘く痺れ、人の心を失ったNは、ただ夢中で足の甲を唾液塗れにする訳のわからん生き物と化してしまっていたのです。
当の彼女はと申しますと、待てど暮らせど、彼氏は足の指から足首を何度も往復するだけで、ちっとも膝から上にあがってこない。
その上、元新体操部と言えども、ブリッジできる時間には限界がある。
まさか、これがNの目的だと思うはずもない彼女は、
「ねえ、いい加減、くすぐったいんだけど。」とブリッジを崩そうとすると、
「ダメダメ、左足がまだなんだから!!」と怒鳴りつけるNの性癖をようやく理解し、
「このド変態が!!!」と、その左足の甲で、Nの顔を蹴りつけたのでした。
顎が上がるのと同時に、脳内物質が一気に噴出し、「ジャブロー!!」と一声上げて連邦軍総司令部で絶頂を迎えたガンダム世代のNは、
「あの瞬間、、、俺は生まれて初めて、このまま死んでもいいと思った。」と、後に恍惚とした表情で述懐しておりました。
周囲の風変わりな性癖を活字に起こすのはこのぐらいにしておきまして、
車好きにも多様な嗜好が存在するのは、当然のこと。
メーカー、ボディ形状、エンジンや車に纏わるストーリーなどなど、ここみんカラでもその広がりは無限と言っていいぐらい。
以前、ブログでご紹介したエクストリーム車偏愛も、その一つであることは間違いなく、
そんな私も内燃機関フェチでございまして、車の価値基準はまずエンジンありきとの信念を持っています。
NAかターボか、マルチシリンダーかどうかは問わず、エンジニアたちが情熱を注いだスポーツユニットの奏でるサウンド、ドラマチックな回転フィール、シリンダーの向こう側で広がるレースシーンなど、琴線をかき鳴らして止まないものばかり。
我が家のE46M3の心臓部S54は、先代のE36M3で既に限界と言われたS50B32を、堅実なM社が、敢てリスクに踏み込むことで生まれた不世出のストレートシックス。
わずか隔壁間4mmとその肉厚をギリギリまで削り取ったブロック、度重なるリコールに見舞われたコメタル、F1エンジンを超えるピストンスピードと8000rpmを迎えたところでの絶叫に近い咆哮は、常に魂を天秤にかけ代償を支払ってくことで見返りを得るといった、中二病的要素が満載されたガラスのユニット。
かつてM3と同時所有していたGTVに搭載されていたアルファV6は、その対極とも言うべき、豊満なラテンの色気と甘い神経毒を帯びた情念の塊のような官能ユニットでした。
NAのカムに乗ったフィーリング、V-TECで言えば高速側へのリフト、ターボでのフルブ―スト領域は、まさにスポーツユニットの真骨頂ながら、私が愛してやまない内燃機関において、一番好きな回転領域は、突き抜けるような高回転域でもなく、トルクピークを迎える中回転域でもない、NAでのカムが仕事をし始める直前の、ターボ車におけるちょうど負圧がプラスマイナスゼロを指すあたりにある、1500rpmから2000rpmに掛かる低回転域なのです。
一番高いギアで50km走行が過不足なくでき、丁寧に踏んでいけばノッキングするかしないかのところでゆるゆるとスピードが乗る、そんな一番やる気の無い、まったりとしたゾーンの、普段バリッと決めているお姉さんが、つい油断して部屋着になってくつろいでいるような牧歌的な雰囲気が堪らなかったりします。
脂の乗った美味しい回転域を楽しむのは醍醐味なれど、そればっかりでは、お互い疲れてしまうと言うもの。
最初の車だったZ31も壮絶なターボラグの後に襲ってくるお化けトルクは目がくらむほど強烈で魅力的でしたが、それでもターボラグと言われる無過給域で走るのが一番好きだった20代の頃。
眼を三角にしてハンドルを握る年頃でもなくなったここ数年。
先日、すっかり寝過したFamilieの代わりに、紅く色付き始めた足助の山々へとE46M3を連れ出し、中秋の芳醇な香気を湛えるグリーンロードを6速2000rpm前後でのんびりと流していると、ボンネットの下のハミングがあまりに心地よく、長年連れ添った相方と取り留めの無い会話をしているような気がして、ブログ迷走中ながら思わず筆を執ってしまいました。

画像は、PAで合流したご家族連れのミニバン、R34GT-Rと86です。
Posted at 2012/11/07 18:55:11 | |
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E46M3 | 日記
2012年09月25日
6年前に我が家にやって来てから今まで、志半ばにして手放したE36M3Limoの分も含め、大切に乗りたいとの一念から、ウルトラ過保護政策絶賛継続中のE46M3。
M3で出掛けようと家族と約束したある日、西の空の雲行きが怪しくなってくると、「雨が降りそうだ。」と言ってボディカバーを外さず、また、ドピーカンに晴れ上がったある日は、「国産のほうがエアコンの効きがいいから。」と言って、STiや嫁車のドアを開けること数知れず。
ついには、「このM3は、紙と蝋でできとんのか!!」と嫁にキレられ、今や、我が家の文化財とも禁忌とも化したE46M3ですが、
先々週の日曜は久々のまいこサンデー、そして先週末はみんトモさん達と夜会と、珍しく2週連続してS54に火を入れ、まとまったマイレージを稼ぐことができましたのでその簡単なレポを。
長文になってしまったのと時間が経ってしまったため少々恐縮ながら、まずは9/16まいこサンデー編。
海水浴シーズンが明け、6月以来の開催となったまいこサンデー。
再開を待ち望んでいた、まいこさんのファン達が東海地方のみならず遠方からもさぞかし集まってくるだろうと、気合いを入れて早起きしたものの、車庫の中でキーレスに全く反応しないM3に、まずしなければならないのが、お約束のバッテリーの積み替え。
ボディカバーをはぐって埃を洗い落とし、ガソリンを入れに行っている内に、相当な時間をロスしてしまい、「M3とお出掛けですか?お一人で??」と訝しがる嫁に、適当な言い訳をしつつ、急いで名二環へ。
なんとか10時前には着くかと思った矢先、伊勢湾岸に合流した途端、追い越し車線でのワンボックスとハイブリッド車の追突事故渋滞に巻き込まれ、たかだか1区間を抜けるのに30分を浪費。
主催者のいーさんに電話を入れると、ついさっきまで、まいこサンデーを待ち望んでいたファン達が駐車場の外まで溢れるぐらい集まっていたとのことで、渋滞が時間調整となり、到着した頃には、M3を置くスペースも十分過ぎるほどございました。

いーさんと同じく主催者のtogさんにご挨拶し、ピークを過ぎて車も人もはけた会場をぐるりと一周しながら常連さんとそのマニアックな車達を拝見させていただいた後、会場の掃除をお手伝いして、帰宅すべくM3のもとへ。
この日も、登録台数が最も多いはずのBMW勢はマイノリティでして、どげんかせんといかんなどと思いつつ、M3に乗り込んだ途端、突如、その前を塞ぐかのようにして現れた、白いワンボックス。
M3の正面2メートルほどのところに停車し、運転席から降りて来た、えらくガタイのいい長髪の兄ちゃんのこちらに一瞥をくれる鋭い視線。
『すわっ、白昼堂々のメタラー狩りか!?』
中学生の時、通信教育で習った秘伝の暗殺拳、『蛇鶴八拳』を思い出し、M3のシートから腰を浮かせて鶴の構えのまま、有事に備える珍妙な私に向かって、その兄ちゃんが軽く会釈をし、撮影機材の搬出を黙々と始めたので、単なる荷物の積み下ろしだと判明。
暗殺拳を使わずに済んだことに安堵した私は、鶴の構えを解いて作業が終わるまで車内で待つことにしたその時、
すらっとしたスーツ姿の女性と業界人オーラ全開のおっちゃんが後部座席から降りて来た後に続いて、
キャピキャピとした声と同時に、私の目に入ったのは、次々に出て来るホットパンツから伸びる白くて健康的な長い脚、小ぶりな尻、脚、尻、脚、尻、脚、脚そして尻
突如、M3のボンネット前に降り立つ10代後半から20代前半と思しき5人のうら若き美少女達の、そのあまりの眩しさに、思わず、子供には決して見せられない蛇拳を発動させそうになり、
「なんだ、このイベントは・・・もしかしたら、掃除をしている時に、心臓発作かなんかを起こしていて、またしても、いまわの際のβエルドルフィンの大量の分泌によって、天使のお迎えが見えているのか??」と相変わらずの妄想フルブースト状態に突入していると、その5人の中にTVで観た顔があるではありませんか。
そうなのです、偶然にもこの日、新舞子で、当地のアイドル達が撮影会をしに来ていまして、たまたま、私のM3の前を塞ぐようにワンボックスを停めていたのでした。
名前もグループ名も分からずじまいでしたが、撮影機材が全て降ろし終わり、マネージャーらしき女性から「邪魔になるからこっち。」と女の子たちは誘導され、後ろ髪惹かれつつも無事、M3を出すことができました。
それにしても、ただ帰宅するのに5人の美少女のお見送りつきだなんて、たまにはM3に乗るもんだなぁとホクホク顔で会場を後にするも、すぐ次の信号で、ついこの間、女子大生にひどい目に遭ったのを思い出し、フロントウィンドウが霞んで見えなくなるメタラーがいたとかいないとか。
帰宅後、その話をしたら、「サインぐら貰っといてよ。」と残念がる息子を横目に、「ふーん。」と全く無関心な嫁。
しかし、嫁の顔を見た瞬間、私は全てを知ってしまったのでした。
M3に一人で乗って出掛けた代償として、膨大な家庭内奉仕活動が課されるであろうことを。
(その2 深夜のモンスターセダン編に続く。)
Posted at 2012/09/25 19:37:35 | |
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E46M3 | 日記
2012年06月12日
まるで、新しい肌着に着替えた時のような、あの清々しさに似た感覚。
それを味わうにはどれがいいのか、予算とにらめっこしながら、銘柄を選ぶのもまた楽しく、
『航空技術のフィードバック』
『レースフィールドで鍛えられた・・・』
『エステル、PAO高分子配合、突き抜けるような高回転』
などの謳い文句に胸を弾ませ、「ストリートだけだから、これぐらいでいいかもしれないけど、でも、やっぱりいいもの入れたいんだよなぁ。」と、少し無理して一つ上のグレードをチョイスした後、愛車を預けることしばし。
そしてピットから誇らしげに出て来た愛車のハンドルを握ると、嬉しそうなレスポンスと滑らかなフィーリングを伝えて来る様子に、つい口元が緩んで二ヤリとなる自分が居る。
そんなオイル交換の矜持を取り戻すべく、先週末、ようやくM3のオイル交換をしてまいりました。
前回の交換から数えて9ヶ月というインターバルは、オイル無交換記録の最長不倒。
『ガラスの名機S54はオイルマネジメントが命!!』と過去のブログで書いていたとは信じがたいエクストリーム横着ぶりに、ボディカバーをはぐり、バッテリー端子をつなげて、「ごめんなぁ。」とイグニッションを捻ると、「もうないかと思ったよ。」と言いたげにフォン!と勇ましく一吠えし、高めのアイドリングをするM3。
少し暖気したところで一旦エンジンを切り、念のためオイルの量と汚れを確認すると、ほとんど新油のような透明度とサラサラとした手触りは、いくら9ヶ月ぶりとはいえ、刻んだマイレージはたったの500kmとの等閑さの裏返し。
そんな、つれない私を責めるでもなく、「そろそろ行こうよ~」と可変式のレブカウンターを一つずつ消灯するM3にせかされ、向かうは、私の様なディーラーの敷居すらまたぐことが許されない並行輸入車を偏愛するはぐれBMW乗りのメシア的存在、マイスターショップ『TK-Square』さん
E46M3の納車時から、筆舌に尽くしがたい程お世話してもらいながら、M3で乗りつけるのは、約半年ぶり。
しかも事前に予約したわけでもない私の不躾な訪問にも、快く出迎えてくれる辻社長にM3を預け、前回と同じオイルをお願いし、待合室で雑誌を読みながら、作業終了を待つことにいたしました。
と、ここで、TKさんにしては、随分と毛なみが違う車が片隅に置いてあるのを発見。

画像を見て、ピンと来てしまう方、きっと、職場の定期健康診断では、バリウム飲んだりしているお年頃ですね~うふふふふふ(同年代)
そうです、80年代後半から90年代前半まで大ヒットを記録し、社会現象にまでなった日産のパイクカ―シリーズの2台目『パオ』でございます。
入庫していたこのお車、トライアンフのスパルタンさとバンデンプラ・プリンセスのコンサバティブな雰囲気を漂わせるモディファイから、オーナーさんは部類の英国車好きで、そして足元には、ヤングオートでおなじみの懐かしの深リムホイールMK-Ⅱをさりげなく履かせている辺り、世代的には同じぐらいかと勝手にプロファイリングしてしまいました。
そして、保護タオルがかけられたボンネットの下には、TKさんに持ち込まれたからには、RB26かVG30DETTが、、、なんて思ってみたりしましたが、エンジンはノーマルで、今回はファインチューンとのこと。
にしても、車齢20年以上にもかかわらず、バリピカのコンディションは大事にされていた証。
その横で9ヶ月ぶりにやっとオイルを交換してもらえるM3があまりに不憫に思えて仕方が無くなり、ミッション&デフオイル交換もついでにお願いしてもらおうかとの気持ちが芽生えるも、今月はなにかと出費がかさむことから、お財布リミッターが作動して、やむを得ず断念(涙)
待つこと30分足らず、その間、その後、来店されたみん友さんご家族と歓談している内に、オイル交換作業は終了。
車を受け取り、「廃油、めちゃくちゃ綺麗でしたよ。」との社長のコメントに、「勿体ないことした。。。」と軽く凹むも、その帰路、新油を注ぎこまれたエンジンルームから放たれる直6シンフォニーは、地を這う通奏低音の上に、テノールとファルセットが混然一体となったハーモニーがかぶさり、それはそれは甘美な調べとなって梅雨の晴れ間にこだましておりました。
その帰路、S54を久方ぶりに堪能した後、M3を車庫へと滑り込ませると、不敵に息を弾ませるアイドリングは、無邪気にじゃれつく子犬のようでもあり、遊び足りないことへのおねだりに聞こえてしまい、ついイグニッションを切るのが躊躇われる。
今回のオイル交換は、名古屋特有の猛暑を前にした愛車のリフレッシュは勿論のこと、
M3に乗り続けることの決意を新たにし、十数年ぶりにスポーツモデルへと回帰して私と走りに行く約束を交わした友たちの気持ちに応えるためのもの。
そんな私の気持ちを知ってか、一緒になって胸を高ぶらせるM3に、
「まだだ、もう少し、もう少し待つんだ。」と言い聞かせるようにエンジンを切り、バッテリーを外してカバーを掛けると、M3は再び深い眠りに落ちていったのでした。
今まで、このガレージでM3が見てきた夢は、きっと灰色の寂しいものに違いなく、
夕暮れ時の公園の、誰もいなくなった砂場で、ぽつんと一人で遊んでいる心細さに似た夢だと思うと、たちまち申し訳なさがこみあげてきてしまう。
しかし、今からM3が見る夢は、私が見る夢と同じもの。
一人取り残された砂場に、離れていった仲間達がまた一人、また一人と戻ってくる光景が、瞼の裏に広がっているのです。
さあ、夢から覚めたら出掛けよう。
夢と同じ笑顔をたたえた友が居る、あの砂場へと。
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前回のブログでは、沢山のイイね!をありがとうございました。
末筆ながら、この場でお礼に代えさせて頂きたく、今度ともご高覧いただけましたら幸甚です。
FlyingV拝
Posted at 2012/06/12 18:30:39 | |
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E46M3 | 日記
2012年06月06日
280psカーが続々と登場し、高性能スポーツをフラッグシップとして送りだすことにメーカーが威信を掛けていたモータリゼーションの真っ只中、カタログや中古車雑誌を穴があくほど眺め、深夜のファミレスでツレ達と車談議に花を咲かせては、週末になると中古車屋とショップを回るのがなによりも楽しかった20代前半。
誰かが納車を迎えるたび、次の日が仕事であることを全く厭わず、朝まで走り回ることが当たり前だった日々。
自由で弛緩した学生生活から社畜へと身売りした目的は車を買うためと言っても過言ではなく、その代償として得られたわずかばかりの金の使い道は、娯楽、ファッション、彼女ではなく、当然、車へと注ぎ込まれていった。
学生時代の友人達や職場の同期、そしてバンド仲間でさえも、その関心は、いかに速くてかっこいい車に乗ることであり、助手席に可愛い彼女がいれば言うことなしだったのだが、無理やり組んだローンとガス代、その上、チューン費用までもローンに上乗せしていったため、彼女を作るどころか、遊ぶ金も工面できない赤貧とも言うべきギリギリの生活を送るツレばかりで、彼女から援助してもらっている度し難いツレの一人は事あるごとに非難の的にされていた。
Z31に湯水のごとく給料を突っ込んでいた私も類に漏れず、当時の外出着と言えば、ヘインズの3枚セットのT-Shirtsに履き古したブーツカットと色あせたショートブーツが定番。
バンドは、幸いにしてドラムの実家の納屋がスタジオに改築されたことと、ステージ衣装もほとんど手作り、ギターだけは学生時代に鬼のようなバイトの末に手に入れたGIBSONのVをかろうじて維持できていたが、Z31を降りて自動販売機の前で財布とにらめっこする私に、当時の彼女がデート代をカンパしてくれるなど、車貧乏のスパイラルに完全にはまり込んでしまっていた。
ちなみに、その彼女は、今やがっちりと我が家の財布を握るしっかりものだ。
それでも、ただハンドルを握るのが楽しかった。
ツレと車の話をすれば、時間を忘れた。
洗車場はデートスポットであるのと同時に、車と彼女の品評会の場でもあった。
ほとんどすべての車雑誌の販売日を暗記し、発売と同時に買い込み、何度も読み返した。
信号待ちで先頭になると、隣には速そうな車が並び、シグナルが青になるのと同時に次の信号まで速さを競った。
ホイールを買い替えたり、思い切ってF-CONを入れたりと、自分の思った通りに車が仕上がって行くのを見ると、仕事を頑張ろうという気持ちがわいてきた。
あの頃の生活の中心は、間違いなく車だった。
それが、いつからだろう、生活の中心から車が消えてしまったのは。
この情熱がそのまま続いていくのだと誰も疑わず、将来、子供ができても、ずっとスポーツカーに乗ると誓い合った約束は、とうに有効期限を過ぎてしまったのだろうか。
結婚、マイホームを持つなど、人生の節目は、そのきっかけの一つに違いなく、経済的、物理的な部分も原因になっていたことは否定できない。
年を取るごとに緩やかに感受性は鈍化し、刺激から安定へとライフスタイルが変容していく過程で、車に求めるものも同質になったと考えれば合点もいく。
この前、E46M3のカバーを外してから、間もなく1ヶ月が経とうとしている。
それでも尚、沈黙するM3を横目に、安楽なSTiのコクピットに潜り込むのは、バッテリー端子を外したことを言い訳にして先延ばしする自分の姿から、目を背けているだけなのかもしれない。
そして、GTVを手放し、至れり尽くせりの健康優良児なSTiがやって来て以来、頭の芯が急速に醒め始めている実感。
「家族のことを考えたら、答えは自然と出るだろ?STiならお前が求める速さもあるし、なによりも奥さんがあんなに喜んでるじゃないか。いい大人なんだから、金の使い方をもっと考えたらどうだ。」
頭の中で、常識を気取った正論が鳴り響いていた。
先日、クラス会で邂逅を果たした中学の同級生から、携帯に着信が入った。
「おう、久しぶり。」と出るなり、興奮した口調で、私にこう告げてきたのだ。
「あのよ、買ったよ、BRZ!!納車したらM3と走りに行こうぜ。」
「やるなぁ。ハイブリッドはどうした?」
「嫁が乗るから、まだある。でもよ、やっぱりクーペだろ。いやぁお前のブログ、アルファロメオのやつ?あれ読んでたら、買える気がして、で、思わず。あ、勿論、嫁さん説得済みだから、だはははは。」
「それで、わざわざ俺んとこ、連絡くれたのか。」
「そうさ~、だってお前ぐらいだもん。こんな車、買ったって言って、一緒に喜んでくれるの。これ、ブログに書いてもいいぞ。」
と子供のように声を弾ませる旧友のなにげない一言が、醒め切る寸前の頭の芯に、ポワッと光を灯した。
さらに話を聞くと、セカンドカーとして程度のいい32GT-Rを本気で探している友人と、それが刺激になり、ファミリーカーに落ち着いたはずの昔のツレ達が、値段のこなれた90’Sのジャパニーズスポーツをこぞって物色し始めているとか。
正直、好きな車に乗ることよりも、良きパパであることを選んだ堅実な友人達に対して、いつまでもスポーツカー命でいることに負い目を感じ、みんカラひっくるめて、そろそろ潮時かと思っていた矢先に、去年のホラー映画大会で、ちらりと本音を漏らした友人しかり、私自身、なにげに隠れ車バカ達の拠り所にされていたことは、まさに目から鱗だった。
車好きだった友人たちは良きパパのフリをしながら、その実、虎視眈眈とその機を狙っていただなんて、あの頃の情熱は過ぎ去ったものになっていないどころか、小さな焼けぼっくいを消えないように大事にあたためていたという事実。
M3との関係を終わらせようと耳元で張り付くように囁いていた、あの常識を気取った正論は、もう聞こえない。
この週末は、9ヶ月ぶりにE46M3のオイル交換でもしに行こう。
GT-RとBRZ、そしてまだ見ぬ懐かしのJ’Sスポーツのハンドルを握った仲間達との、十数年ぶりのランデブーが待っているのだから。
Posted at 2012/06/06 11:54:52 | |
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E46M3 | 日記