2009年03月29日
E46M3が家に来てから、迎える2回目の桜。
もう3年目なんだな~と感慨に浸りつつ、これ以上年を重ねたくない自分と、それでも、さらに成長した高校生の姪とそのお友達たちがまた夏にやってくるのを指折り数えてしまう勝手な心理を、すべて春のせいにしてしまう桜色享楽的メタラーな私ですが、
さて、先日の日曜、久々にたっぷりと洗車をして、お天道様の下でM3をしげしげと眺めてみると、納車された当初、ガラスコーティングが施されたカーボンブラックのボディは、それはそれは瑞々しい艶を湛え、摩周湖のように澄んだ光沢を発しておりましたが、半年に1回のコーティングを施しているにもかかわらず、飛び石やらボディカバーのこすれ、洗車傷などにより刻まれた2年間の肌荒れが予想以上に進んでいることが発覚(汗)
特に、ボンネットには白い飛び石痕が点々とついており、3つ並んだ点を中心に線で結べば、オリオン座と冬の星座達ができそうなほど。
角度を変え、ボディに顔をくっつけて目を凝らしてみると、ボディカバーの間に入り込んだ砂やほこりでこすられた線傷も細々と入り、シルバーやホワイト系のボディカラーよりも、ブラックのボディは格段に気になってしまいます。
「こ、この肌荒れは・・・・」(以下、謎の回想録)
売れない貧乏ミュージシャンの彼氏を、仕事を掛け持ちしながら、けなげに支える彼女。
その彼は、定職につくこともなく、売れない鬱憤を彼女に当たり散らす毎日であった。
それでも、彼の才能を信じ、二人の夢のために耐え続け、無償の愛を送り続ける彼女だったが、他の女と行きずりの関係を持った彼にとうとう愛想が尽き、出て行こうと決心したその時、
彼は、止めようと彼女の手を取り、その手のひび割れと肌荒れに、自分がしてきたことの重みと取り返しがつかないなにかに気がついたのであった。。。
うおおおおお、2年間苦労かけてご免なさい!!!(男泣)
もう少し、もう少し早く気がついていればぁぁぁぁぁぁorz
と、がっくりと膝をつきましたが、そんな安っぽい道頓堀ブルースに浸る暇もなく、直ぐにポリッシャ―を手にとって作業を開始。
次のコーティングの予約は6月。一度コーティング剤を剥離し、下地をしっかり作り直して、手持ちのガラスコーティング剤で応急処置をいたします。
特にボンネットは数種類のコンパウンドを目分量で混ぜて、念入りに磨きを掛けていると、みるみる小傷が消えて、光沢がよみがえってくるではありませんか(喜)
その他、気になる部分を重点的に磨きを掛け、仕上げに、もっとも粒子の小さいコンパウンドで鏡面加工を施し、下地づくりが完成。
ポリッシャーのバフを交換して、手持ちのガラスコーティング剤をゆっくりと塗り込み、所定時間乾燥させた後、拭き取ってみると、、、
摩周湖とはいかないまでも、見事に黒曜石のような深みのある艶やかボディが現れました!!
これで、摩周湖名物、マリモッコリの膨らみ具合も鮮明に映ること間違いありません。
「うん、車齢8年にしてはなかなかの出来!!」と、気を良くした私は帰宅後、嫁の車も磨いてあげようと、「車洗うから、鍵持って来て~」と声を掛けると、
「はい。よろしく☆」とキーを渡す嫁の、少しざらざらした掌を、しばらく握ったまま顔を上げることができない自分がいました。。。
いやぁ、春だなぁ~(遠い目)
Posted at 2009/03/30 19:34:55 | |
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E46M3 | 日記
2009年03月27日
車雑誌がコンビニや書店に並べば、『仁義なき280PS戦争』『アテーサ&SUPER HICASの脅威の旋回性能』などの表紙のキャッチコピーに「うへぇぇぇぇ!!」といちいち反応し、端から手に取って無節操に買い込んでは、部屋中が車と音楽系の雑誌の海に埋もれていた、20代の頃。
現在、メタル雑誌のBURRN!こそ、メタル布教活動 中部事務局(注:非公式です。)として、毎月定期購読をしているものの、年を重ねて情熱が希釈されてきたのか、はたまた最近のモータリゼーションに魅力を感じなくなって来ているのか、定かではありませんが、結婚してから、嫁がマメにガサ入れに来ることもあって、ここ数年、車雑誌はさらっと立ち読みで済ましてしまっている中、気がついたら、こんな車本ばかり買ってしまっておりました(汗)
幼少期、スーパーカーブームの洗礼を受け、その強烈な刷り込みは、今尚、憧憬となって鮮明に焼きついておりますが、もう一つ、私が洗礼を受けたものが、80年代の中頃、「ツインカムかターボか」に始まり、90年代にピークを迎える、国産パワーウォーズ。
ちょうど、私が免許を取った頃と言えば、R32GT-Rを筆頭に、Z32、SUPRA TurboA、GTO、NSXなどなど各メーカーからめくるめくハイパワーマシンが登場し、フェラーリやポルシェなどのスーパーカーとついに肩を並べるまでになった時代でして、サークルの部室や友人宅に持ち寄った車雑誌を読みながら、
「加速はGTOだけど、ディアマンテベースはちょっと。」とか、
「ハンドリングはNSXなんじゃない??セナも『これに比べたら、328はトラックだ。』なんてベタ褒めしてたしね。」などなど夜な夜な語り合っていた懐かしい日々。。。
とはいえ、いざ車を買うとなった時には、当然、そんな高額車両を新車で買えるはずもなく、結局、CARSENSORで予算内の中古車を探しては友人たちとひたすら中古車屋を巡った、お金は無くてもとにかくワクワクできた時代でした。
私の師匠がFRだと勝手に思い込んでAE101を買った のもこの頃だったりします。
そんな私の初めての車は、80年代ど真ん中のZ31。
中古で買って、CARBOYをバイブルに、DIYで様々なチューンを施し、壊しては直しを繰り返しながら廃車になるまで大切に乗り続けた、今の嫁とも沢山の思い出を紡いだ忘れえぬ1台。
>>>愛車紹介
80年代の特集本を開くと、そこに踊る、驚きと興奮を綴る記事の数々に引き込まれてしまい、当時の熱気とノスタルジーの波間に浮遊しつつ、あの頃の自分と友人たちに出会えた気がして、ついつい、バイヤーズガイドを真剣に読みこんでしまうのでした。
Posted at 2009/03/28 13:54:39 | |
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My Life | 日記
2009年03月19日
Tipoで連載中の漫画、BOLTS&NUTS!の著者 田中むねよし氏も佐賀からはるばる訪れる、とあるマニアックなお店で出会った希少車。
近くに駐車されたカローラよりもはるかにコンパクトなボディサイズにも関わらず、広い駐車場の中でひと際目を引く、鮮やかなグリーンの美しいボディラインは、ナローポルシェ!!
1974年の最終型から数えて、25年が経過しながらも、塗装の痛みもないどころか、まるで新車並みの光沢が残るボディコンディションは、ガレージかどこかでとても大切に保管されていた証。
自走できる状態であることからも、メカニカルなメンテ含め、たっぷりと愛情を注がれていたに違いありません。
自分の車を駐車し、ドアから降りてきた、30代後半~50代のお父さん方も、立ち止まっては熱い視線を送っており、中でもスーパーカー世代と思われるお父さんは、「おお!!早瀬左近が来てるのか?」と興奮されてました。
何分、ナローポルシェといったら73カレラぐらいしか思いつきませんでして、改造個体も多いことから、911Sなのか911か、はたまた912なのかグレードは不明ながら、エンジンフードの網目から見える、ソレックスに被せられた6個の金網と、左右2本だしマフラーからフラット6であることだけは判明。
オーナーさんとは出会えずじまいで、エンジン音など聞くことは叶いませんでしたが、高性能と引き換えに肥大化し、過剰にグラマラスになった現代の車にはない、贅肉のとれたボディラインと、シンクロの効かないミッションを駆使して軽量ボディを振りまわすのは、この頃のスポーツカーの哲学であり、ドライバーの腕が掛け値なしに試されるところ。
そのストイックで潔い佇まいに、1960年代の名女優ロミーシュナイダーの控え目なプロポーションを想起させつつ、M3Limoを手放して代わりにやってきたE46M3を、25年間、これだけの愛情を注ぎ、コンディションを維持しながら、そのポテンシャルを解放できるだけの腕を持てるかどうか、覚悟を突きつけられているかのようでした。
と、同時に、なぜか10年前の自分の結婚式で、外国人の神父さんの前で誓いを立てた場面が頭に浮かび、その覚悟のほどを思い返して背中を冷たい汗が伝ったのはここだけの・・・・(謎)
Posted at 2009/03/20 00:15:09 | |
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My Life | 日記
2009年03月18日
早めに帰宅した昨晩。
玄関を開けると、いつもなら「お帰りー!!」と愛犬と一緒に出迎えてくれるはずの息子の姿がありません。
『あれ?寝ちゃったのかな?』
足元に巻きつき、舌を出しながらうれしそうに甘えてくる愛犬を抱き抱えて、
「ただいま~、、、○○、どうしたの??」とリビングにいる嫁に聞いてみると、「それがね・・・」と浮かない顔。
なんでも、この日は友人の誕生日会にお呼ばれし、楽しく出かけて行ったにも関わらず、うなだれたまま帰宅してきたとのこと。
全く表情が分からないほど顔を伏せ、背中を丸めたその落ち込み方は、この世の終わりが来たかのようなしな垂れぶりだったそうで、ただいまの挨拶をぼそっと口にしたまま、自分の部屋へ直行し、ドアを閉めたまま出てこなかったとか。
割りとポジティブシンキングな息子は、嫌なことがあってもすぐに昇華させてしまい、グズグズすることがないのですが、この時、体全体から発せられる「なにかあったオーラ」は尋常ではなかったらしく、見かねた嫁が、「どうしたの??」と尋ねてみると、むっつりとして何にも言いたくない様子。
ここで不貞腐させたままにはできないと踏んだ嫁が、なおも「ちゃんと、お母さんの目を見て、なにがあったか言ってみなさい!!」と強く迫ると、ぷいっと背中を向けてしまい徹底抗戦の構えに、
「こんなところもお父さんに似て、もう!!」と、ますます血圧が上がる嫁。
そうです、都合が悪くなると、黙秘権をすかさず行使する私をどこで見習ったのか、それとも自衛本能としてDNAにデフォルトで刷り込まれていたのか定かではありませんが、その姿は想像に難くありません(汗)
嫁は、折角のお誕生会に水を差すようなことになってしまい、お友達や親御さんに迷惑を掛けていないかどうかの心配もあって、「親友のお誕生会だったんでしょ。どうして、そんな風に帰ってきたの??きちんと話してくれないと、分からないじゃない。」と半ば強引に息子の背中を掴まえて、無理やり振りかえらせようとしたとき、「ピロロロロロ。。。。」と鳴り出す、家の電話
嫁が電話に出てみると、お誕生会を主宰していたお友達のお母さんでして、なんでも、うちの子が持ってきたカードがなくなったとのこと。
今、小学校の友達との間で流行っているのが、デュエルマスターズというカードゲーム。
この日もお誕生会の集まったメンバーでデュエルマスターズのカードゲームで盛り上がり、さあ、解散となったとき、息子のカードファイルから、あるカードが消えてしまっていたのです。結局、その親御さんとお友達総出で探しても出てこなかったとのこと。
しかも、そのカードというのが、息子がナゴヤドームの大会で勝ち取ったウィナーカードという超限定非売品。
当然、価格もプライスレスながら、最も大切なカードを失ったショックと友人を疑う後ろめたさに打ちのめされてしまい、どうにもその現実を受け入れられないまま、すっかりしょげかえって帰宅したのでした。
そのお母さんは、帰りがてら、全員の身体検査まで行い、参加したお友達の全ての親御さんにまで連絡を入れてくれていまして、そのことを電話で一通り事情を聞いた嫁は、「あ、そうでしたか、ご迷惑をおかけしました。お心遣いありがとうございます。」とお詫びとお礼を伝え、電話を置きました。
嫁が、「そんなことがあったんだ。」と息子のほうに向きなおると、
「うぐ、、うっう・・・」と背中を向けたまま、肩を震わせて声を殺す小さな後姿に、目一杯、彼なりにこらえ、意地を張っていたことが分かったそうです。
落ち着いたところで、改めて聞いてみると、「なくなったことも悲しいけど、大事なカードを得意げに持って行った自分が悪い。」と、なんとか腹に落とそうとしていたらしく、それでも、幼い心ではどうにも葛藤が治まらなかった様子。
嫁も、「もし、お友達が勝手に持って行ったとしても、その子が一番苦しんでいるんじゃないかなぁ。」と励ましたところで私が帰宅いたしました。
部屋の扉を少し開けて、「ただいま。」と声をかけ、着がえをした後で食卓に着くと、後から息子も食卓に来て、こちらから聞くこともなく、この日の出来事を話してくれました。
話をしているうちに、息子の中でも、しこりが溶け出し、踏ん切りがついたかのような表情になった時、ブルブルと震える嫁の携帯。
「はい。え?ええ?そうですか、、、ちょっとお待ちください。○○、、、××君のお母さん。」と自分の携帯を息子に手渡し、
私に向ってひそひそ声で、「今日、お誕生会に来てた××君のお母さん。カード見つかったって。」
「おお、それは良かったね。」
「うん。○○に直接謝りたいからって、電話替わったの。」
携帯を持つ息子は、「もしもし。。。はい、はい。う、ううん・・・・・・・」となにやら受け応えしており、
しばらくして「はい。」と再び携帯を嫁に返しました。
「なんだって?」と息子に聞いてみると、
「あのね、最初、××のお母さんで、途中で××に替わったの。」
「ふ~ん。それで?」
「うん、カード取って、めっちゃゴメンって言っていた。」
「そうか、、で、お前はどうした?」
「え~と、めっちゃ許すって伝えたら、え~んって泣いちゃった。」
「これで仲直りできた??」
「うん。大丈夫。」
結局、カードは今日、放課後にこっそり返してもらい、この騒動はお互いの胸の中に収めることとなり一件落着。
カードよりももっと大切なものに気付かされた、幼い二人のこの出来事。
純粋であるが故の寛容さに感心しつつ、社会の垢に塗れ、損得のバランスを取っててしまうようになった自分がそこにいることに打ちのめされました。
あの頃の自分は一体どうだったのか、、、、
『スタンドバイミー』と『君のためなら千回』でも週末借りて来て、懐かしい友人に久しぶりに電話してみようかな。
Posted at 2009/03/18 16:18:05 | |
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My Life | 日記
2009年03月12日
プチトマトやハーブなど、たまに食卓に上る、家庭菜園で育った野菜達。
芽が出て葉がつき、大きく生育していくのを愛おしく眺め、十分に育ったところで収穫し、ありがたく頂くという、農耕民族のDNAを刺激してやまない、我が家の楽しみの一つですが、ちょっとした変わり種が、収穫のピークを迎えようとしております。
その変わり種とは、以前、ビレッジバンガードで冗談半分で購入した、
・・・・・『エリンギ栽培セット』・・・・・
すでにエリンギの胞子が埋め込まれたマットが、外気に触れないようにセットされておりまして、水を与えて、ビニールで包みこみ、ある程度の湿度を確保しておけば、グングン生育するとのこと。
手間と言えば、毎日、霧吹きで水を与えるだけのお手軽さ。
しかも、エリンギだけの純粋栽培ということで、とても衛生的なキノコだったりします。
13度から20度が生育に適した温度ということで、若干気を使いますが、セットしてから1週間で小さいエリンギが次々と発芽し、あっという間に、画像のとおり。
収穫は根元をハサミかナイフで切り取るだけ。
そのままにしておけば、いたるところから再生いたします。
早速、一番大きいものから、刈り取りをしようと、ベティーナイフを根元に当てて、左手で幹を持ってみると、ものすごい筋肉質です。
「うほ~」と感心するのと同時に、シメジでは感じなかったであろう、小さな嫉妬が湧きあがり、
根元にナイフを入れると、股間のあたりが少々モゾモゾいたしましたが、すっぱりと切断。
その後、「おお~」とか「OUCH!!」とひとり感嘆しつつ3本を収穫。
大きいものは15cmになろうかという立派なイチモ、、、いや一品。
嫁に頼んで、バターと醤油でさっと炒めてもらったところ、身のしまりもさることながら、取り立ての豊潤な香りに、息子も「エリンギって、こんなに美味しいんだ!!」と目を丸くしておりました。
確かに、スーパーに売っているものとは、風味も味わいも全くの別物。
究極のメニュー対決では、海原雄山が「どうだ、士朗。このエリンギの前では、お前のエリンギなんぞ、下等な菌糸類だわ。未熟者が!!」とのたまわい、ガクッと膝を折る山岡に対して、
栗田さんが、「そんなことないわ!!山岡さん、あなたのエリンギが一番だってこと、私はちゃんと知っているから!!!」となっていたに違いありません(嘘)
あと数回は収穫ができる、この栽培セット。
大きく大きく育つのがとても楽しみです☆
最後に、説明書に乗っていない、重要な注意事項を、私から。
・弾力があるため、触感が気持ちいいですが、あまり触りすぎると、汁が出ます。
・デラベッピンを見せても大きくなりません。
・むやみに感情移入すると、司馬遷と阿部定の疑似体験が同時にできてしまいますので、淡々と作業することをお勧めします。
生育していく様子はこちら>>>>エリンギ発芽
Posted at 2009/03/12 23:50:30 | |
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My Life | 日記