2009年04月26日
並行輸入なだけに、消耗品や油脂類が納車時に交換されていなかったら、一体いつ交換がされていたのか全く不明なうちのM3。
納車後、次々と溢れ出るネガ部分のほとんどを潰して、ここ最近はすこぶる好調でしたが、その調子の良さにうっかり失念していた基本メンテ、LLC&ブレーキフルード交換を実施しました。
雨の日にはボンネットのパワードームから湯気が立ちあがるほど、ヘッド周りから発熱する熱血ユニットS54B32の熱対策は、LLCの放熱性にかかっているといっても過言ではなく、特に味噌煮込みのように煮え立つ暑さの名古屋の夏に、今循環しているお疲れ気味のLLCではちょっと不安(汗)
また、ブレーキフルードはクラッチフルードと共用のため、こちらも経年劣化と猛暑が心配なところです。
思い立ったが吉日と、珍しく仕事の隙間ができた先週、BMWのプロショップTK-SQUAREさんにM3を持ち込みました。
待合室が新調されてから、伺うのは初めて。
整理整頓が生き届いたピット内には、BMWを中心に作業を待つ車たちがひしめいておりまして、その中でも、鮮やかなオレンジが眩しいS2000は、みんカラの友達のそめっちさんの愛車。
秘密の作業中につき、こちらについては、後ほど、ご本人様からのご報告を待つとして、
さて、オカルト好きメタラーである私が、単なるLLCの交換だけで済むはずもなく、今回、持ちこんだのがRED LINEのWATER WETTERというクーラント添加剤。
E36M3にも注入し、その効果を感じていましたが、たまたま家に1本余っていたこともあって、作業をお願いしました。
それにしても、効く効かないは別として、このネオンが発光したような毒々しいピンク・・・
例え、白いギターをもらえるとしても、こればっかりは飲めません
(注:昭和30~40年代後半生まれの方は良くお分かり頂けます。)

抜いたLLCは一見、錆などの混入もなく、割ときれいな緑色をしていてまだまだ使えそうな感じです。
エアコンを全開にし、エア抜きが終了した後は、テキパキとブレーキフルードの交換をしていただきました。
お会計後、お見送りいただき、さて帰路のインプレですが、気温20度のこの日、LLCは当然体験できないとしても、踏みこんでからクラッチが切れるフィーリングが気持ちダイレクトになり、ブレーキも、まるで交換前はエアを噛んでいたかと思われるほど、かっちりと踏める感触になりました。
基本メンテながら、ストリートで使用する分には交換スパンが長く、ついついそのままにしがちなLLCとブレーキフルード。
名古屋のねっとりとした夏に向けて、M3はこれで準備OK。
あとは、ねっとりとした夏の思い出しかない、オーナーの夏準備をそろそろしなくては・・・
Posted at 2009/04/26 23:56:53 | |
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E46M3 | 日記
2009年04月20日
サークル以外での、大体のアマチュアバンドのライブは、お客の入りもさることながら費用的な問題などもあって、複数のバンドを集めてライブを企画いたします。
いわゆる、『対バン』というものでして、私も、学生時代から数々のライブハウスに出演し、沢山のバンドの皆さんとご一緒させていただきながら、お互いのライブパフォーマンスやプレイアビリティを刺激し合いました。
中でも素晴らしパフォーマンスができるバンドと組めたときは、ライブのクオリティもぐっと上がり、こちらも緊張感溢れる演奏ができたりしますが、
対バンをよく選ばずにライブを組んでしまうと、演奏のうまい下手云々を超越したキワモノブリに、お客をほとんど帰らせてしまったり、ライブハウスに出入り禁止を食らうこともよくあったりでして、、、、
私も、スーパーノイズ系バンド『絶倫アニキ』、シースルーのネグリジェを裸体にはおり、一物のシルエットを見せつけながら絶叫断髪ライブを行う『サニーレタス』、曲と曲の合間にちゃぶ台が登場し、お茶の間ショートコントが繰り広げられる、『バカボンズ』などなど、様々な問題バンドと共演しては、ライブが台無しになること数え切れず(泣)
しかし、そんな彼らでも、大真面目かつ魂を絞り上げるようなパフォーマンスは、深く私の心底に響いて、いつしか根づいておりました。
今まで、正統派テクニカルバンドを取り上げてまいりましたが、以前、TV番組で衝撃を受けた、愛すべきキワモノバンド達をご紹介です。
今から15年ほど前、関東ローカルの深夜枠で放送され、あまりの過激さに再放送もなく、たった1回のオンエアーだけで終わった、幻の音楽バラエティ、デーモン小暮がMCの『東西バンド合戦』からの懐かしの映像をどうぞ!!
トップバッターは、イカ天でお馴染みの梅毒ジェラシーを、はるかに上回る即効性致死毒の持ち主『猛毒』
いきなりのキワモノですので、気の弱い方はここでご退場ください。
いや~、VXガスなみの毒素にめまいがしますが、当時はかなりの人気バンド。
いわゆるキワモノの正統派につき、何とも言えない不安な気持ちにさせてくれます(汗)
お次は、故中島らも氏とも交友が深かく、社会を鋭い視線でえぐる放送作家の鮫肌もんじゅ氏率いる、ハードコアバンド『捕虜収容所』
なんと、YOUTUBEでは不適切な動画として登録されちゃってます(驚)
個人的にはエイトフォーのCMに採用して欲しい1曲。
前バリがどんどん取れていって、あとワンリフレインあったら放送事故必至。。。
反社会的かどうかと言われれば、前衛的かつアナーキー過ぎて、私の物差しでは測定不能です(汗)
続いて、なんと、その鮫肌もんじゅ氏の細君登場!!
ウクレレのほのぼのとしたイントロと、ごく普通のルックスに、ホッとしてしますが、そこは鮫肌氏のつれあい・・・
歌が進むにつれ、徐々に本性を見せ始め、後半には放送に耐えられない狂気がありました。
曲名、『○○○ ○○○音頭』 この穴埋めの正解がわかった頃には、、、、
あああ、、、、ピーがずれちゃった(滝汗)
ゆとり教育では、これほどまでに人間の本質を表した歌は出来上がりません。
昔のおおらかなTV局が垣間見られますね。
さて、ここで大御所の登場。名人の域まで高められた芸の安定感。
レッドカーペットにご登場いただきたいのですが、このネタの危険度は天津木村以上。
この動画が見れただけで、幸せです。
これはバンドなのか?との無粋なつっこみは、この際置いておいて、か○やつひろしバージョンの他に、木○太郎バージョンも見たことあります(笑)
大トリは、大阪方面で人気を博していた実はテクニカルなメタルバンド『So What?』
メジャーデビューした途端、もろもろの制限がかかり、牙を抜かれてしまいましたが、最も攻撃性があった頃の2曲「NAGAI-GO」と「死ね!!」です。
その他、関西マンやジョニスチャップリン、東京牛パラダイスオーストリアなどが登場し、放送コードを超えたパフォーマンスを見せてくれておりました。
ああ、こんなバンド番組、またやってくれないかなぁ・・・・(遠い目)
Posted at 2009/04/21 00:17:17 | |
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メタルギター | 日記
2009年04月16日
「あの頃は、みんなW浅野か森高みたいになっていて、懐かしかったなぁ。」なんて、ノスタルジーにくすぐられて次々買ってしまった、車雑誌の『80~90年代特集』
年に何度か、こうした特集本を買って来ては昔乗っていたZ31を思い起こし、「ええなぁ~」とため息をつきながら、CARSENSOR NETやGOOを覗いて、当時憧れだった70系SUPRAやGTOなどの国産ヘビー級スポーツカーを今所有するという、楽しい妄想世界にワープしては、「いかんいかん。」と常世に舞い戻って来てはおりましたが、今回、15年前に購入したCARTOP誌の別冊『93年新車通信簿』をパラパラめくりながら、妄想世界にダイブしている際に、極めて重大な事実に気が付いてしまい、胡洞の袋小路にさまよいこんでしまいました。
その衝撃たるや、バカボンのパパの後輩と同じように、梅干し大の脳みそが耳から転げ落ちてしまい、そのままネズミに食べられてしまいそうになったほど。一口かじられたところで奪還いたしましたが、失った部位が理性をつかさどる前頭連合野でしたので、実生活に問題ありません(嘘)
本題に戻り、私が愕然となった事実とは、カウンタックしかり、512BBしかり、スーパーカーのシンボルでもあり、「スポーツカーとはかくあるべき!」との天啓を受けた、リトラクタブルヘッドライト、通称『スーパーカーライト』がすでに絶滅しちゃっていることだったのです!!(男泣)
スパーカーブームの真っ只中、最高速度300kmの高性能もさることながら、普段は低いボンネットに格納され、点灯する際には秘密兵器のようにパカッと起き上がる機構は、スーパーカーだけに与えられた特権でもあり、幼心に、将来、絶対にスーパーカーライトの車を買うんだと心に決めたのでした。
初代RX-7やXXを見ては頭の芯を熱くした諸兄も多く、思い余ってリトラの部品だけ購入して、パカパカしては一人悦に入っていたツワモノもいたとか。
私も、小学校3年生の時、憧れのスーパーカーライト搭載の自転車を買ってもらい、意味もなくパカパカやっては、日々、0-300kmチャレンジを続け、最高速度300kmまであと275kmというところまで迫りながら、チェーンが外れて痛恨の転倒をしたことも(悔涙)
スーパーカーライトは、名古屋城でいえば金の鯱鉾、デラベッピンでは動く付録のような存在。
それがもう消え去っていたなんて、名古屋巻きのない名古屋嬢が闊歩する我がご当地のようなものではありませんか(嘆)
冷静になってウキペディアで調べてみると、なになに、、、国産最後のリトラはFDで、最終最後はコルベットとのこと。
ロータリーターボのFDと、V8OHVのベットとという古典的大パワーFR車がリトラ最後の車だったなんて、かつて栄華を誇った恐竜たちが絶滅したような、一時代が幕を閉じた趣を感じてしまいます。
安全性、重量増やHIDの普及により、再び採用されることはないとの記述も見受けられました。
確かにそうだと理屈では納得できても、やっぱり、あの低く構えたフロントのシェイプと、開いたときに湧きあがる独特の高揚感は、スーパーカーライトならではのもの。
ないと分かっていると尚更手にいれたくなるのが心情につき、CARSENSOR NETなど猛烈な勢いで開きながら「これは程度がちょっとね。」とか、「掘り出し物か!?」と嫁に聞こえないボリュームで毎晩ブツブツ言っては気味悪がられています(汗)
しかし、頭から離れないのは、楠みちはる氏の漫画でいつのまにやら連載が終わっていた『シャコタンブギ』のある話・・・
ポルシェに乗ったどこかの社長が、ハジメ(主人公)のソアラを一目見て、「き、君、この車を譲ってくれ!!俺の思い出の車なんだ、頼む!!」と、破格の値段で強引に買い取り、嬉しそうにハンドルを握って去ってきましたが、最初はニコヤカにしていた社長の表情が見る見る硬くなり、次になんの車を買うのかコウジと盛り上がっていたハジメのもとに、「君、やっぱり、さっきの話、なしにしてくれ。」とソアラを返しに来たのです。
戸惑うハジメに、その社長は、「初恋は初恋のままで、昔の恋人は、そのままの姿でいてくれた方がいいんだ。」ようなニュアンスを伝えておりました。
全盛期の頃から、すでに10~20年は経過しようとしているスーパーカーライト。
当時、高性能を誇ったそれらのスーパースポーツ達も現代の基準からすれば相応で、また、維持をしていくのには、ただ懐かしいだけでは済まない現実もあります。
私が初めて乗った車はセミ・リトラクタブルライト搭載のZ31(正確にはパラレルライジングヘッドライト)でして、ライトの開閉機能が故障して、一時、開きっぱなしになったことがありました。
いつもの知恵熱よりもやや高めの、今回の『スーパーカーライトのスポーツカーが欲しい欲しい病』
パカッと開いて、ここしばらく閉じられなくなっている模様です。
Posted at 2009/04/16 11:26:11 | |
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2009年04月11日
一体自分の車の性能は、どのくらいなのか。。。
雑誌やカタログに踊る数値は、広報車ゆえのものではないのだろうか。。。
公道ではとても試すことができないスペックの一つが、0-400mタイムです。
特に、高性能車になればなるほどその欲求は増すばかりで、私も常日頃、自分のM3が実際、どのくらいのものなのか、パワーメータを取り付けたり、シャシダイに載せるなどして、自分なりにデータ収集を行っておりました。
そんな知的欲求を満足させてくれるべく、マッサさんが企画・主催していただいたのが、ゼロヨンオフ『HAZM』
飛行場を貸切っての2007年第1回衝撃開催から、数えて今回で4回目。
数々のフォロワーや類似企画も登場した、元祖ゼロヨン企画。
合法的かつ安全に、そして低価格でゼロヨンを楽しめる上、光電管による極めて正確な計測がなされ、午前の完熟走行では気心の知れた仲間と納得いくまでタイムを競いあい、午後の決勝は、シグナルスタートによる緊張感あふれるもので、非日常的体験は筆舌に尽きないおもしろさ。
さらにMT vs SMGなどのアイディア溢れるエキシビジョンマッチなどとにかく盛り上がります。
かく言う私はここまで皆勤賞。
第1回、第2回と様々なドラマがあり、それぞれが記念に残るオフとなりましたが、
実は、2008年11月の第3回に限っては、ある出来事が参加者の心にくっきりと刻まれるほど、忘れえぬオフとなったのです。
しかしながら、その真相はあまり語られることがなく、まるで申し合わせたかのように誰もが口をつぐみ、ただ、『襖』というキーワードが独り歩きするだけ・・・
一体、第3回のオフで何が起きたのか!?
真相が闇の中に消えて行く前に、HAZM4開催記念、緊急企画として、ブレアビッチの森で見つかったビデオカメラの如く、昨年末にクラッシュした私のPCから奇跡的にサルベージできた、その時のデータと、関係者への総力取材(嘘)をもとに特集してみました。
果たして、事の真相は、、、、HAZM第4回開催記念 袋綴じをご覧ください。
袋綴じ(H A Z M 本 編)>>>>その1
袋綴じ(襖の向こう側編)>>>>その2
高山の夜、禁断の襖の向こう側にあったもの・・・
それは、アウフヘーベンでもなく桃源郷でもない、そこに居合わせたHAZM参加者全員の誠意と大人力が試される試練の場でした。
そして、今年6月に迎えるHAZM4。
試練の襖を開けたその先には、きっと、梅雨空を吹き飛ばすほどの青空の下、飛騨エアパークに、再び乾いたエキゾーストノートと参加者皆さんの笑顔が広がっていることでしょう。
さあ、頑張って今回も参加できるよう、お仕事片付けないと!!
Posted at 2009/04/11 20:56:23 | |
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E46M3 | 日記
2009年04月06日
週末、家族を連れ、久々に実家で夕食をした時に、父が「こんなものが出てきた。」と持ってきたのが、画像の古書。
食卓の上にポンと置くやいなや、モアっと立ち上る埃に、母が「食事中にやめてよね。」と顔をしかめましたが、私と息子は興味津々。
早速手に取ってみると、そこかしこに破れやほつれが見られるものの、保存状態が良かったのかページ欠けがない完品ばかり。
ただ、気をつけて開いていかないと、途端に崩れ、そのまま土に帰りそうな状態だったため、息を殺してページをめくっていると、発行年月日はどれも昭和20年代のもので、目玉漫画は『のらくろ二等兵』!!
10円ガムでおなじみのフェリックスと一瞬見間違いましたが、戦争を見事に皮肉ったシュールな作風に唸らされ、さらに、手塚治虫が『大型新人登場』と紹介されているあたり、漫画黎明期であった時代背景をリアルに感じてしまいます。
「へぇ~、すごいねぇ。」と、当時、新進気鋭の作家であったであろう、わが先輩、江戸川乱歩の少年探偵団など眺めていると、父が、
「これ、昔はちり紙としか交換してもらえなかったけど、今ならお宝だよな。」と言い出しました。
「なんでも鑑定団の出張鑑定があったら、出してみたら。すごい価値があるかもよ~」と母。
お宝と聞いて、埃を嫌がっていたのが嘘のように、気持ちうやうやしく手に取ってます。
「まんだらけだったら、すぐに値段をつけてくれるよ。」と私が振ると、
「おう、それじゃあ、持ってってくれ。まだ少し残っているしな。」と、父が私に引き取るよう勧めてまいりました。
「分かった。。。。」
「高く売れたら、なんか御馳走しろよ。」とアルコールが入り、羽化登仙しかかった上機嫌な父の姿。
そのまま風呂に向かった父を横目に、本を片付け始め、ふとある1冊の裏表紙を覗くと、そこに書いてあるのは、父の名前。
よく見てみると、すべての本に父の名前が書いてあるではありませんか。
父の字ではない、その字体は、恐らく祖父のもの。
昭和20年代、、、、、戦後間もない当時、祖父母と父は、太平洋戦争で家を焼け出され、親類のところに身を寄せていたとのこと。
職人だった祖父と水墨画家だった祖母は、職場を失い、その日その日を暮すのが精一杯で、父は満足に食事ができない日もあったらしく、ついたあだ名が『栄養失調』だったとか。
しかし、好きな本を買ってやりたい一心で、祖父が、自らの食費を切り詰めて、買い与えたのが、この漫画や物語だったのです。
今から60年も経とうとし、物資が不足する中、粗悪な紙を使いながらも、完品のまま、しっかりと保管されていた古書たち。
もったいぶりながら、目を輝かせて何度も何度も読み返し、自分の一部のように大事にする、鉛筆のようにやせた少年の頃の父の背中が見えた気がしました。
きっと空腹もなにもかも忘れさせてくれた、父にとって、かけがえのない宝物だったのでしょう。
風呂上がりの父に、「いや、やっぱり、受け取れない。」と伝えると、
「そうか、こんな古い漫画、いらないわなぁ。」とカラカラ笑っておりました。
「違う違う、いらないんじゃなくて、俺にはもったいない!!」
「なんだ、ご馳走するのが惜しくなったのか??まあいい。じゃあ片付けるか。」
そう言いながら、背表紙を軽く揃える父が、目を細めて「おやすみ。」と本達に声を掛ける姿に、立ち上る埃とともに「おう、またな。」と本の声が聞こえた、そんな週末でした。
Posted at 2009/04/06 23:00:24 | |
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My Life | 日記