2010年08月25日
いつもながら本人の意思に関係なくODA絡みのややこしいプロジェクトに巻き込まれ、盆明けに連れていかれた東南アジアの某国。
強行スケジュールにつき、全くお楽しみの時間もなく帰国した先週、セントレアに降り立った途端、亜熱帯の某国よりも不快な熱波が体にまとわりつき、どっと噴き出る汗に、一瞬、離陸前かと錯覚してしまうほど。
そして、あわない食事と現地の異様なテンションにすっかり体調を崩し、ゾンビ状態の体を引き摺って帰宅した私に追い打ちを掛けるかのように我が家で待っていたのが、留守中に勃発した嫁VS実家の内戦でして、それがさらに過熱したパレスチナ状態でした(滝汗)
心と体を癒すはずだったのが、現在、名古屋の火薬庫でロビイストとして仲介に奔走し、心身ともに摺り切れています(涙)
こんな調子で、気力体力ともにエンプティー状態が続き、みんカラにもログインができず、書き溜めた下書きの旬も切れたので、このまま退会してしまおうかと思いましたが、久々の更新を。
先週末、宿題も終わって、まだまだ余りある長い夏休みの時間を、ただひたすら近所を自転車で走り回るなどの動物的行動で浪費している息子から、「久しぶりにM3に乗りたい。」とのリクエストがありました。
そういえば、M3のハンドルを握るのは、TKさんでのBBQ以来。
ましてや、息子を乗せて出かけたのは一体いつだったのか、記憶の手掛かりすら思い当たらない(汗)
「よっしゃあ、行くか!!」と午前中だというのに、真夏の紫外線を隙間から吸収してパリパリと音がするボディカバーをめくり上げ、M3のイグニッションを入れて、1分間ほどアドリングしたところで息子をナビシートへ。
黒のボディカラーと猛暑の相乗効果で、ほどなく正位置まで上がり始める水温計。
それでも、GTVよりも遥かに効きがいいエアコンのお蔭で、滞留したムンとするBMW独特の臭気と暑気が瞬く間に冷気に追い出され、BBQ以来、再び時間が流れだす車内。
息子がシートベルトをしたのを確認して、「出発!!」とギアを1速に滑り込ませ、クラッチをつなげると、いつものごとく軽いスナッチを起こしてガクガクと嫌がるM3に、思わず心配そうな視線をこちらに送る息子。
「大丈夫、大丈夫。M3って寝起き悪いから。まだエンジンが暖まってないしね。」とフォローするも、なぜか、数百メートル行く間に、エンストしそうになること数度・・・
その都度突き刺さる『えっ?』という息子の視線。
『おかしい。。。。E46M3に乗り続けて4年、E36M3Limoから数えるとM3歴8年にもなろうかと言うのに、なんでこんなにもギクシャクするのか。。。。』
本調子でない体調を割り引いても、これほどの下手クソぶりは、ビジュアル系バンドを組んでいた十数年前、金髪&長髪で通った教習所で、何かと目の敵にされたあげく、胸ぐらを掴み合った鬼教官に仮免を落とされたのと変わらないレベル。
『GTVではこうはならないのに。M3のジェラシーか??』とダッシュボードを撫で撫でソフトタッチしてみたものの、いつまで経っても上手くシンクロしない右足と左足。
ほどなくして『もしや・・・』とふと思い当たる節が。
それは、ここ最近、ほとんど毎日乗っていたGTVは、車重が軽く、また、設計年次の古いユルユルのV6エンジンなだけあって、ラフなクラッチ操作でも存外なほど寛容で、全くエンストすることがなかったこと。
そうです、GTVばかり乗っていたせいで、ずぼらなクラッチ操作が体に染みつき、完全にM3のクラッチミートのタイミングが分からなくなっていたのです(滝汗)
それでも、足かけ4年は乗ったこのマシン。
いくらなんでも多少は体が覚えているというもので、いくつか信号を越えるうちに、徐々にスムーズに操作ができるようになり、息子もオーディオに鼻歌を合わせるなど、いつもの息子とのお気楽ドライブモードに。
向かうは、数km先の名古屋喫茶のモーニング。
しかし、この時点で、まさか、あのような試練が訪れようとは予想だにしておりませんでした。
我が家は、名古屋市でも丘陵地帯に属しており、眺めも良ければ、起伏も多いところ。
坂を下ったら次は上り坂が来るのは必然でして、ある上り坂の途中で信号待ちとなりました。
普段ならほとんど止まることなく通過できる信号でしたが、最近できた自然食品スーパーへ向かう車で交通量が増え、信号から数珠つなぎに停止する車の姿。
先頭の車のテールランプが見えるほど勾配のあるこの坂は、オートマ車両でも後ずさりしてくるほど。
その一番の難所で信号待ちとなり、ジワジワと上昇する脈拍。
普段でさえ、ここでの坂道発進はかなり難易度が高く、今の私にとっては、もはや多角形コーナリングレベル。
『後ろに車が来ませんように。。。。( ̄人 ̄)』との祈りもむなしく、M3のテールに接近するミニバン。
地元の車なら、この坂を分かっているため、ある程度車間距離を空けてくれるのですが、開店したスーパー目当ての遠方からの車なのか、見切りがいいのも手伝って、ビタビタに貼りつく始末(泣)
『ここはサイドを引くべきか、いや、そんなみっともない姿を息子には、、、しかし、失敗したら、、、、』と逡巡しているうちに、信号は青に。
続々とブレーキランプが消え、進む車列。
『クラッチはこの辺まで上げて、アクセルはレスポンスが良過ぎるので、クラッチが上がった時点で踏力は大体このぐらい・・・』と考え込んでいるとM3の前の車が、一瞬、重力に負けながらも進んだところでイメージが出来上がり、『よし、完璧!!』とクラッチを即座に離してアクセルを繋ぐと、M3はスルスルとこの坂を上る・・・・はずだったのですが、
現実は、ガクッと身震いして、パネルの警告灯が全灯したのと同時に無情にもゼロ付近を示すレブカウンター(泣)
やってしまいました、、、、こんなにしっかりとエンストこいたのは、ベンツのお姉ちゃんに投げキスをもらったあの時以来(遠い目)
後ろのミニバンは、見切り発進していたのか、明らかに消滅する車間距離。
「お、お父ちゃん!?」心配そうに見つめる息子。
「おう、大丈夫。」とは言ったものの、失敗=逆オカマになりかねない、さらに緊迫した状況に、脈拍はもはやパンテラのツーバス状態。
しかし、野球もゴルフのスイングも、考えれば考えるほどおかしくなるのはセオリーでして、もうなにも考えずに、そのまま行ってしまえとばかりにイグニッションを捻り、
『燃え上がれ、オレのコスモォォォォ!!!』とすっぱり繋いだところ、多少のスナッチは出たものの、見事にM3は坂を登りきることができました(感涙)
え~、後続車両の皆さま、過日は大変ご迷惑をお掛けしたしましたm(__)m
なんとか父親のメンツを保って到着した喫茶店。
モー二ングの時間帯で混み合う店内は、あいにく空席がなく、新聞を広げた年配の紳士が座るテーブルに相席させてもらいまして、お互い軽く会釈を交わした後、店員さんがオーダーを取りに来てくれたところで、私が「モーニング」と注文すると、なんと、
私の前の老紳士が、新聞越しに「グッモーニン!」と返してくれるではありませんか!!
予期せぬフランクなご挨拶に、目が点になる私と息子(゚o゚;)(゚o゚;)
そして、「ブー」と噴き出し、注文の確認も取らずに厨房に駆け込む店員さん。
「こういう時どうすればいいの?お父ちゃん英語できたよね。」と小声で話しかける息子に、「英語ができるとかの問題じゃないんだ。」とヒソヒソ声で返す私。
先ほどの坂道発進のような緊張感に再び襲われ、なにか返した方がいいのか、ひょっとしてウィッキーさんなのか、またまた逡巡していると、二人分のモーニングが運ばれて来たのと同時に、老紳士が新聞を畳み、満面の笑みを浮かべながら、「グッバ~イ」と照れくさそうに伝票を持って行ってしまいました。
『人間至る所に青山あり』とはよく言ったもので、人生至る所に坂道発進はあることを認識した先週末。
そして、内戦が激化する我が家での私のポジションは、とてもリスキーな坂の途中でブレーキを離せずにいるだけの、胃がキリキリする毎日です(男泣)
※強烈な画像は、米国ウィスコン州にあるメイプル・オレゴンブリッジで、開閉中の橋の上に取り残された女性の車。ブレーキをその名の通り必死で踏んで、無事に降りられたそうです。
Posted at 2010/08/25 15:30:50 | |
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E46M3 | 日記
2010年08月12日
世の中はお盆休みまっただ中。
私の仕事場では、ほとんど電話もかかってこなければ、メールも来ないといった一時の平穏が訪れておりまして、仕事がはかどることはかどること♪
ただ、誰もいないところで、一人で仕事をするのがこれほど寂しいものとは、明日こそ、「解除しました。」「ロックしました。」と律義に挨拶してくれるセコム以外の話相手が欲しい、朝からたそがれるアラフォーメタラーな私だったりします(半泣)
さて、マイナートラブルは放置したままながら、すこぶる調子がいいうちのイタリア娘。
ここ最近、毎日の通勤に使用しているも、ぐずることもなく、いたって快適かつほどよい色気を振りまきながら、私を仕事場へとデリバリーしてくれております。
しかし、先日、仕事を終えて駐車場のGTVに乗り込み、イグニッションを捻ると、まるで新車当時からそうだったかのように、ポワッと点灯したままになっている『エアバッグ警告灯』
ショップで英世さん数人と引き換えに消したてもらった後、500m走行後に再び点灯するという、オーナーをおちょくるための設定がされているとしか思えない、極めてマイナーなトラブルでして、たかだかカプラーの一時的な接触不良によるもののくせに、メーターパネルのど真ん中に赤く陣取るその挑戦的な態度に、オイタが過ぎるとどうなるか、教えてあげないとと、取りだしたのがリアルカーボンシート。
『そ、それどうするの?』と動揺からかアイドリングがわずかに揺れるGTV
『ふふふ、、、どうすると思う??』 鋏を取り出し、小さめにカット開始。
『どうって、なんだか今日のあなた変。』エアコンが入ったと同時にアイドリングが上がり、GTVもなにかを期待しているよう。
直角三角形に切り終えたところで、
『ほら、お仕置きの時間だ。』と気分はすっかり、ナインハーフのミッキーロークに(笑)
『いや、それだと見えなくなっちゃう、、』
『だから、いいんだよ。ふふふふふ』とカーボンシートを警告灯の上に貼り付けてみると、警告灯が隠れるばかりか、あたかも純正デザインのような仕上がり。
『ずっとこうなの??』
『ああ、良い子になるまでこうしておくのさ。』とナインハーフに習えば、このあと四つん這いにさせて氷を体中に這わせるところですが、今日は目隠しだけで終了。
そして、昨日の夕方、京都からはるばる来名された、若くしてGTVを選んだツワモノ、遼介さんとプチオフと相成り、漆黒のボディが艶めかしい、エキゾチックな京美人とご対面させていただきました。
年式は2001年とのこと、たった2年しか違わないのに、なぜここまで差が出るかというほどのコンディション。
持病とされるクランクの滲みもないなど、古都の作法をわきまえた上に、随所随所にセンスのいい小技が効いた美人さん。
ただ、この日の午前中、センターパイプを交換して触媒が3分の2に、そしてサウンドはノーマル比3乗となったため、そのシックで清楚なたたずまいからは想像もつかないほど、高回転で突き上げると、甘美な嬌声を感じるままに歌いあげ、あまりのボリュームに、うちのイタリア娘も圧倒され、なんだかいつもより無口に(汗)
絶品とんかつを食した後、名古屋でも珍しい、とあるコメダ系列の喫茶店へ。
ここは、モーニングで抹茶と饅頭が出てくる、『和』のコメダでして、みたらし団子やいそべ焼きを注文すると店員さんが持ってきたミニ七輪を使って、自分で焼かなければならないのです。
さらに、コメダ名物『シロノワール』には抹茶アイスが鎮座しています。
車をはじめとした、とにかく特濃な話で盛り上がり、気が付いたら、閉店時間。
若いのに、豊富な知識とまっすぐなポリシーを持っている遼介さん、こちらこそ勉強になりました!!
大変結構なお土産までいただいてしまいまして、本当にありがとうございます。
なんでも、深夜、京都のご自宅に帰宅された時、ご家族全員をたたき起こしてしまったとか。
実は、お店の駐車場を出て、二つ目の信号まで、エキゾーストサウンドがしっかりと聞こえていましたので、近くの車のセキュリティも漏れなく反応していたことかと(笑)
「ドアハンドルの部品入ったら、連絡しますね~。」と言われてから1週間。
そのままお盆休みに突入したショップの「ありのまま付き合えばいいんです。」という暗黙のメッセージなのか、脱臼箇所もそのままに、警告灯の目隠しプレイ続行中につき、今度はどんなお仕置きをしてあげようかと、倒錯した関係にはまりつつあるも、なぜかミッキーロークの猫パンチが頭から離れないのでした。
Posted at 2010/08/12 23:15:21 | |
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GTV | 日記
2010年08月10日
1965年締結の日韓基本条約を無視し、天文学的に国益を損なってきた村山談話を踏襲するという、とんでもない売国談話が閣議決定がなされ、その上、全閣僚が靖国見送りという、先人達の尊い遺志を土足で踏みつける歴史的な日となった本日。
先日、これに関連するニュースを見ていた息子が、「戦争もいけないけど、日本は、ものすごく悪いことしたんだね。」と真顔で言ってきたものですから、多感期に入り、日教組はじめとしたリベラル連中にそそのかされて超高速左回転をしだす前に、正しい歴史観を知る必要があると、ちょうど時期も時期ですので、Amazonの特急便で注文したのが、
画像の『国民の遺書 泣かずにほめてください 靖国の言乃葉100選』
------------------------以下、Amazonより引用-------------------------------
どの人生、どの思いにもわしは泣いた。これは、わしが『戦争論』を書くにあたり、読んでは泣き、また読んでは泣いた「英霊の言乃葉」を初めて一般書籍化し たものだ。最期のその瞬間も「私」より「公」を思ったすごい日本人のたちの物語なのだ!――小林よしのり
靖国神社では昭和35年以 来、英霊たちの遺書、遺稿を毎月一通ずつ境内の鳥居横に掲げてきました。これは神社が発行する冊子「英霊の言乃葉」にまとめられ、現在九集まで出されてい ますが、靖国神社でしか買うことができませんでした。本書は靖国神社の全面協力のもと、その膨大な遺書や遺稿の中から小林よしのり氏が、現代の日本人に特 に伝えたいもの、残したいもの100編を選んで再編集し、初めて一般書籍化したものです。涙なしには決して読めない、そして、戦争とは何か、家族とは何 か、日本人とは何かを痛烈に訴える、この夏最大の話題書です。
------------------------引用ここまで----------------------------------------
撰者が小林よしのりというところで、アレルギーを持たれる方もいらっしゃると思われますが、あくまで靖国サイドから依頼された撰者というスタンスのもと、英霊たちの言乃葉を限りなく尊重しています。
勝谷誠彦もたかじんの委員会で推薦していた頃には家に届いていた本書。
到着するなり、息子を呼びつけて、一緒に読み始めたところ、すでに目次のところで涙腺が決壊寸前だった私は、最初の英霊の言乃葉を読み終えた途端、目の前に滝が出現して、何も見えなくなりました(号泣)
どの言葉にも、国を背負った凄まじいまでの覚悟と残された家族を思い気遣う心、そして最後は、靖国で会えるから、悲しまないで下さいと結んでいます。
胸がつぶれて、もう1行も読み進めなくなった私の代わりに、黙々と読み進める息子。
ほどなくして、「もうオレもダメだ。。。。うえ~ん。。。」と親子二人で泣きじゃくる姿に、嫁も何事かと覗きにくるほど。
文語調だったり、常用漢字でなかったりするなど、小学生には読みづらい箇所があったにしろ、心は間違いなく通じたようで、「戦争はやっぱりイケないけど、この人たちが残してくれた日本を恥ずかしい国にしちゃダメだ。」と目が少し開いたようでした。
どんなに言葉を重ねようとも、本書に掲載された英霊の言乃葉の足元にも及びませんので、怖れ多いことながら、いくつか、本書より抜粋いたします。
靖国には、女性の英霊も祀られているということを意外に感じたのは、私の不明につき赤面の至りです。
※陸軍看護婦山野清子命。享年19歳。昭和20年7月、フィリピンにて戦病死。
ここは第一線だ、戦場だと働きがひを全身に感じ、すべてを忘れてしまひます。
清子は山野の家を代表した女の勇士です。
皆様に心配させるやうなことは致しません。身体の続く限り働きます。
靖國の宮で…。
皆様のご健康御多幸を祈ります。
靖国神社からの注記
【フィリピンの戦記、元第十四方面軍参謀栗原賀久著『運命の山下兵団』にはこんな下りがある。「重症患者に付添った看護婦が、避難命令にもかかわらず、患者たちのそばをはなれず、そのために患者もろとも木っ端微塵に飛び散ったものもあった。その心根のいじらしさ、職務への責任感と、患者への愛情の深さには、さすがに明日をも知れぬ軍人たちも深く胸を打たれた。第十二兵站病院長中島軍医中将は、人に語るごとに大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。】
そして、当時、中学生で結成された、鉄血勤皇隊の一人だった沖縄県立第一中學校3年生の陸軍上等兵豊里陳雄命の遺書。享年、弱冠15歳。
母上様に告ぐ
お母さん、首里の都もたうとう戰(いくさ)の庭と化しまして、自分等も鉄血勤皇隊として軍服姿に身を固め、英米撃滅に邁進したのであります。
沖縄の戦場も、何時かは勝ち戰の時期が来るのですから、母上様には御體を大切にされまして、勝ち戰を待つと居てください。
自分の事は、如何なる時にも御心配しないで下さい。そして、小生を御國の為に働かして下さい。自分も良き死場所を見つけて、御國に御奉公するつもりです。
お母さん、自分の働きぶりを見て下さい。
九段の御社で、母上様さやうなら。
わずか15歳の少年が命を賭して残してくれた大和島根を、、、ちくしょー!!
そして、その少年が母を待つ社に、行くなという売国奴が国政の代表者どもだなんて(怒)
現在も、息子と一緒に、涙で読めなくなるまで頑張って(それでも1日に6ページぐらいが限界)読み進めている本書。
読み始めた当初は、勉強机に足を組むなど、ラフな格好をしていた息子が、いつの間にか、この本を読むときだけは、誰に言われるでもなく、背筋を伸ばし、正座をするようになっている姿に、私への期待と親としての重責が、確かな質量と僅かなジレンマを伴って寄りかかって来るのを感じるのでした。
Posted at 2010/08/10 15:59:45 | |
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My Life | 日記
2010年08月09日
8/7(土)はTKさんでのBBQ、夜は欧州車オーナーさんとのプチオフ、そして嫁の突然の実家帰りで一人暮しなど、なにかとイベント盛りだくさんでしたので、備忘メモとしてサマリーにしてみました。
題して、『8/7(土)FlyingVのなんちゃって動静』
AM 4:30 起床。
息子の野球遠征合宿のためとは言え、この時間に起きるのはさすがに辛い。
半分気を失いながら朝食を摂り、ズボンに謎の染み多数発生。
AM 5:00 監督宅まで息子を送り届ける。
実は野球少年だった私に、監督より、今度の練習からコーチとして参加して欲しいと請われ、メタラーであることを理由に丁重にお断り。しかし、同世代の監督も、隠れメタルであることが発覚したため、メタル布教活動に逆勧誘。
AM 6:00 二度寝しようとするも、生後10ヶ月の娘が起きたため、子守歌代わりにと、ギターを弾くと、その甘美なメタルサウンドに嫁までお目覚め。
「う・る・さ・い」といつものお褒めの言葉を賜る。ご褒美として、嫁と娘の朝食準備&犬の散歩を仰せつかった。
AM 7:00~11:00 仕事&書斎片付け等の雑務。
本棚に入りきらずに山積みになっている蔵書を指さされ、『あなたって本当に読書家ね。』といつまで経っても照れて言えないシャイな嫁から、「本が多過ぎるのよ。なんとかして!!」とご近所に聞こえるぐらい大きな声でまたまた褒めてもらう。
AM 12:00 M3のカバーを外して、差し入れなどのBBQの準備開始。
同時開催の甲虫天下一武道会に向け、甲虫達の簡単なオーディションを。
結果、すでに3匹のメスを☆にしてしまったコーカサスオオカブト(120mm)は危険すぎるとのことで、喧嘩番長セアカフタマタクワガタと日の丸甲虫カブトムシに決定。
虫達のコンディションを確認している間に、嫁が娘を連れて実家に帰る。
PM 1:00 TKさんに向けて出発。
M3に乗り込み、ドアを閉めた途端に、ポトリと肩に覆い被さる謎の重量物。
なんと、今度は運転席側のドアモールまでもが剥離して落下(涙)
助手席に続き、ズンドコベロンチョ状態のモールを両面テープで応急処置し、途中のホームセンターで接着剤を購入。
PM 1:30 TKさんに到着した途端、再び両面テープごと落下するドアモール。
入口付近の空きスペースでいつもの洗濯バサミで挟み込み作業を開始。突き刺すような日差しとBBQ参加者の皆さんの温かい視線のお蔭で15分で作業終了。
PM 2:00~ TKのスタッフさんはじめ、みんカラお友達のたこゆきさん、もきちさん、エフキューさんとたけ39さんご家族、お初にお目にかかるShamal乗りのKiYOさんご夫妻、クーパーSのシンジ☆さんなどなど、沢山のTKフリークの皆さんとそのご家族が参加され、極上のお肉をほおばりながら、子供たちは水遊びと、これぞ夏と言った素晴らしい催しに心洗われる。
主催者であるTKスクエアののT社長、Kさん&Sさん、差し入れをしてくださった太っ腹な御仁、そして、裏方としてあれこれとお気遣いいただいた皆様に深謝。
PM 6:00 帰宅。
夕陽が僅かに差しこむ仄暗い玄関で誰もいないことは分かっていても、「ただいま。」と言ってしまう寂しさに耐えきれず、つい「お帰り。」と自分で返してしまい、猛烈な自己嫌悪と孤独感に襲われる。
軽めの夕食を一人でモソモソ口に運びながら、嫁に、「なにしてるの?明日戻るよね??」とメールしても返信なし。
PM 8:30 この夜の別オフに向け、GTVに乗り換えて出発。
盆休みに入ったこともあり、普段より混み合い、ペースが上がらない伊勢湾岸道に、嫌な予感を覚えつつ刈谷SAにGTVを滑り込ませると、案の定、帰省の車でごった返し、駐車スペースがほとんど見つからない状態。
なんとか空いたところにGTVを停めて今日のメンバーからの連絡を待つ。
PM 9:00~ 同じGTVのい~さんさんから「Vさんですよね?」と先に声を掛けられたのをきっかけに、これまたGTVオーナーのtogさん、マラネロ乗りのKAさん、レンジローバー乗りのKOさん、406クーペのコンドウ☆さんが次々と集り、そんな中、納車されたばかりのバリピカのV36で三重からお越しのれこるんさんも加わって、計7人でテラスに移動。
少し暑さの和らいだ夏の夜長、さすが、い~さんさんが選りすぐって声を掛けたツワモノ達だけあって、極めてマニアックな車談義で盛り上がり、日付が変わる頃に流れ解散。
れこるんさんは翌日5時起きとのことで、一足先に帰路へ。
(ここから日付が変わって8/8)
AM 1:00 GTVを内緒の離れに置き、再び誰もいない真っ暗な自宅にて。
見えたらいけないものが見えると大変困るので、あらゆる廊下の照明を点ける。
シャワーを浴びた後、頭が痛くなるほど冷房を効かせて、借りてきたDVDでも観賞してから、嫁のいないチャンスにあんなことやこんなことでもしようかとウヒウヒ企んでいると、今朝4:30起きのダメージが突然体を襲い、DVDを掛けた途端に気を失う。
翌日、板の間で眼が覚めると、既に時計の針は正午を回ったところ。
とっくに娘と帰宅していた嫁から、「電気と冷房がなんであんなに点きっぱなしになっているの!!」と、相変わらず『私が戻って来て怖くないように電気を点けて、しかも暑くないようにって冷房を入れておいてくれたのね☆』と照れて言えない、青筋を立てるシャイな嫁にニッコリほほ笑み、盛大に寝癖がついた頭で、全く記憶にないDVDの1日分の延滞料を支払うはめになったのだった。
以上、8/7早朝から8/8昼ごろまでの行動履歴でした。
Posted at 2010/08/09 18:49:29 | |
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M3フレンド | 日記
2010年08月05日
エアバッグ警告灯のエラーを消去し、右ドアのインナーハンドル部分にあるたかだか140円のスプリング交換という、かすり傷程度のトラブルで掛かり付けのショップに入庫し、ついでにオイル交換をお願いするだけの軽作業を依頼していたはずが、ブレーキホースのまさかの破断により、メッシュホース換装の緊急手術と相成ったうちのGTV。
現在、エアバッグ警告灯は500m走行後にお約束の再点灯、さらにインナーハンドルは部品待ちにより未だにプランプラン状態と入庫の原因となったトラブルは現在も変わりない状態ながら、ブレーキタッチは剛性の高いフィーリングに生まれ変わり、そして、なによりもオイル交換によってさらに艶やかさが増したアルファV6は、惚れ惚れするほど高らかにその嬌声を謳い上げてくれておりまして、ようやく夏本番というところに(意味不明)
実は、ここしばらくの間、悩んでいたのがオイルの銘柄とグレードでして、一体全体アルファの心臓部に何を入れたらいいのか、さっぱり見当がつきませんでした。
現在、M3で使用しているのはMOTUL300V POWER(5-40W)という割と柔らかいグレード。
調べてみると、フルシンセオイルはシールへの攻撃性が高く、オイル漏れを誘発するとも書いてあるし、そうでもないとの情報もある。
それじゃあ、いっそのことディーラー指定の純正オイルにしてみるかと、こちらもネットで調べると、やはりあるのは賛否両論の意見。
こうなったら、餅は餅屋ということで、プロにお任せすることに。
そこで、お勧めされたのが、MOTULの4100POWERという部分合成油で、時代は0-20wが主流だと言うのに、それに逆行するかのような15-50Wとかなり硬めの粘度。
化学合成油のサラサラとした軽い吹け上がりが好きで、今回もフルシンセを入れるつもりだったところに、部分合成油で、しかもターボ車でもないのにその粘度とは大丈夫かと思って聞いてみると、
「全然大丈夫です。硬いといってもMOTULは冷間時でも比較的動きますし。それにアルファのV6はクリアランスがかなり大きいので、あ、丁度いいサンプルがここにありました。」と言って、見せてくれたのが、画像のピストンとシリンダースリーブ。
バランス取り中の4気筒のものだそうですが、スリーブとピストンはGTVのV6と同じものとのこと。
その内の1組を手に取り、
「70年代から全然設計が変わってないんですよ。いいですか~、ここを握って揺らしてみてください。」
と言って、スリーブに組み込まれたピストンヘッドを握って、左右に力を入れてみると、
スリーブの中で予想外に揺れるピストンと、ピット内に鳴り響く硬質の金属同士がぶつるカラカラカラという盛大な共鳴音(滝汗)
驚いてメカニックさんの顔を見上げてみると、「ね♪」との満面の笑み。
初めて知りました、アルファのエンジンがハンドベルになるなんて(汗)
「こんなにユルユルですから、硬いオイル入れたほうがいいんですよ。特に夏場は。あと、これも見てください。」と今度はジャッキアップされたうちにGTVの下回りへ。
「この部分ですが、、、」と指さされたのクランクケース。
そして、そこには見事にオイルの滲み跡が(涙目)
「だ、大丈夫なんですか??」
「ああ~、これぐらいの滲みなら規定の範囲内です。クランクのシールですので、タプタプ漏れることはないですし、NU-TECHの添加剤で恐らく止まりますよ。」
「治すのは、、、」
「ミッションを降ろさなければいけないので、この程度ならやめた方が・・・」
「はい、そうします。」
ということで、オイルの滲みは見なかったことにして、MOTUL 4100POWERに交換したことで、さらにご機嫌になったイタリア娘。
自由奔放とは聞いていましたが、まさか、あんなにユルユルだったなんて、悲しいほど日本人の私は、なぞの敗北感に襲われながらも、気持ちいいならそれでいいかと、イタリア娘のシリンダーにさらにガソリンを流し込み、下回りをオイルの染みで滲ませて、ひと際嬉しそうな脈動を感じるのでした。
PS:8/7(土)の21:00より、伊勢湾岸高速上り方面 刈谷SAにてアルファオーナーさん達とお披露目プチオフをいたしますので、アルファに興味がある方、また、お暇な方はいらっしゃいませ。
Posted at 2010/08/05 18:36:37 | |
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GTV | 日記