2012年11月13日
『この付き合いは長くは続かない。』
おぼろげながら、その予感はあったのかもしれない。
ぼんやりとした中にも輪郭を持ったデジャブ。
決して手離すまいとの決意とは裏腹に、抗えば抗うほど、指の隙間をするりと通り抜けて行くような不安と手ごたえの無さと、やがて、それが現実となった時の、想像よりもずっと淡白な喪失感。
かのジョン・ロックをひよらせ、カトリック派を混乱に陥れた神学者カルヴァンの唱えた予定説では、人の人生は、意思や行動によってどうかなるものではなく、生まれた時から既に決まっており、神の無慈悲な気まぐれや宇宙の無作為な変転や混沌とは別の、あらかじめ定められたものに過ぎないとも。
今年の3月に我が家にやって来たSTi A-Line。
今思えば、どこか他人行儀だったのは、かしこまっていたからではなく、予感めいたものを帯びていたのだろう。
M3でフラフラ出掛ける私に、「いってらっしゃい、気をつけて。」の後、決まって、「パパばっかりずるい。」との常套句と共に白い歯を見せる車好きな嫁がいた。
しかし、今年の初め、GTVとの2年にわたる不義不貞が暴露し、笑顔を失い嫁の静溢な怒りで支配された我が家において、被告席で証言すら許されない私のカーライフは、当然のことながら情状酌量の余地なし。
GTVを放逐するのは仕方がないこととして、M3の継続保有を許された私に、嫁が突き付けた条件は、風呂庭掃除の無期限奉仕活動でも、お小遣い大幅減額の不条理な経済制裁でもなく、
「私も一緒に楽しめる車がいい。」との破格過ぎるものだった。
そして、国産ATノーマル縛りという厳しい制約の中、選ばれたのがSTi A-Lineであり、
燃費や乗り心地の堅さは多少難があるとしても、走行性能、快適性、そしてマッシブなスタイリングは申し分なく、息子は、パドルシフトに興味津々で将来運転したいと言い、嫁と私で奪い合うようにしてほぼ毎日ハンドルを握るほど、我が家の欠かせない一員となっていた。
その分、M3のボディカバーがめったに捲られなくなってしまったのは極めて不本意な予想通り。
先月、等長エキマニを入れ、嫁がアレルギーを感じていたボクサーサウンドがクリーンになり、さあ、これからだという時に、とんでもない転機が訪れた。
我当地の運転マナーは、「名古屋走り」と蔑称され、その恥ずべきマナーは今や全国区で、私も毎日の通勤で残念ながら必ず遭遇する。
特にSTi A-Lineは、ヤンチャな車から意識されやすく、嫁もそのことを十分理解しており、また、子供を乗せていることが多いため、安全過ぎるほど気をつけて運転をしていても、そうした輩からちょっかいを掛けられることしばし。
それでも、大して気にもせず、嫁は気丈に振る舞っていた。
しかし、とある幹線道路で、悪質で粘着質な中年男の運転する車に執拗に絡まれたのは、今までと様子が違っていた。
車線変更が気に入らなかったのか、最初は煽るだけだったのが、運転しているのが嫁がと分かると、悪意を増長させ、べったりと張り付き、幅寄せ、急ブレーキ、割り込み、停止時にはドアを開けて降りる素振りを見せたりと、やりたい放題。
なんとか無事に帰宅したものの、3歳の娘を抱いてSTi A-Lineから降りて来た嫁の、恐怖でおびえた泣き顔は今も忘れない。
それ以来、嫁はSTi A-Lineのハンドルを握ろうとせず、買い物には自分のソニカを、子供の送迎には、ミニバンをこれまで通り使うようになってしまった。
こうして、嫁と楽しむはずだった車は、一転、たまたま巡り合わせた不運により、嫁の心に傷を負わせることとなった。
車に罪はない。
憎むべくはドライバーの心掛けだ。
だが、STi A-Lineを、私しか運転することがなくなったということは、我が家に置いておく理由が失われたことを意味する。
先日、査定に出したところ、ほぼ希望額の回答があり、嫁もそうすることに同意し、手続きはあっけないほど事務的に進んだ。
7ヶ月と10,000kmといったSTi A-Lineとの短い付き合いが終わろうとしている。
納車の時、纏っていた不安定な輪郭はこれであり、予定説に倣えば、運命づけられたものだったのかもしれない。
「ごめんね。」
週末、洗車をした際、ハッチバックを拭き上げる嫁が漏らした一言に、STi A-Lineはただ無言で佇み、濡れた体を気持ち良さそうに預けていた。
それは、まるで、自分のこれからを悟っているかのように穏やかで、滂沱の涙を濡れた雫にまぎれて流していたかのように。
洗車を終え、「はぁ。」と気落ちする私の肩を、嫁はポンと叩くと、
「私、この車が来てから、すごく楽しかった。だから、、、、」
「だから?」
「だから、私、スポーツカー好きだし、今度はさ、、、」
「今度って、え、そうなの?」と思わず顔を上げた私の視線の先に、
「うん、もうちょっと控え目で目立たないスポーツカーがいいなぁって。」と目を細め、破顔する嫁がいた。
「じゃあ、次は通好みの車にすればいいんだね?」と逸る私の気持ちを察して
「ま、気長に選びましょ。」と玄関まで背中を押されてしまった。
STi A-Lineを手放す失意を嫁も同じように感じていて、そのエクスキューズとして私にチャンスをくれたのだった。
こうして、嫁と楽しむカーライフがリスタートし、再び車選びという楽しくも悩ましい時間がやってくる。
そして、この日の夜、車内を片付け、GTVから移植したセンターミラーを外したところで、納車した時と同じ姿になったSTi A-Lineに、「ありがとうな。」と声を掛けてからロックをすると、最後のアンサーバックが返って来た。
「さようなら。」とも「ありがとう。」でもないそれは、「仕方がないさ、これも決められたこと。」とサバサバした返事に聞こえ、マスターキーをスペアキーのリングに繋げようとした時、これで別れの儀式が全て終わることの実感が突如湧き上がって来て、簡単に通せるはずのリングに、いつまでたってもマスターキーを繋ぐことができなくなってしまった。
作業灯の明かりに浮かぶ、STi A-Lineのシルエットをぼんやりと見やり、ふと気がつくと、やがて空白になるであろう駐車場のスペースを見た時の喪失感がどれほどなのか、全く見当がつかない自分の影が、STi A-Lineのシルバーのボディに被さる様にして、夜の帳の中を、どこまでも伸びていた。
Posted at 2012/11/13 19:06:23 | |
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STi | 日記
2012年11月07日
ブログの方向性を完全に見失い、ここは一つ古式ゆかしい亀甲占い(注:焼いた亀の甲羅を鉄串で刺し、その割れ方によって、吉凶を占う中国殷時代の占術)でもしようかと思い立ったはいいものの、鉄串はBBQ用で代用するとして、肝心な亀の甲羅が見当たらず、逡巡したあげく、生まれた時からの今日までのロクでもない時間と苦楽を共にしてきた分身たるミドリガメ君を生贄に差し出そうとして、危うく『Curiosity killed the cat』どころか 『Curiosity killed my son』を執行するところだった、阿部定メタラーのFlyingVでございます。
「ミドリガメだなんてとんだ見栄っ張りだな。」とのお叱りは一先ず置いときまして、霜月をこのような下ネタからスタートしたのは、只でさえみんカラにいい顔をしていない嫁が一体どこでのラインで削除命令を出すかの水際を見極める、実験的な企みにつき、突然このブログが消えてしまったら、哀れな私は経済制裁&家庭内奉仕活動に従事しているものと覚えおき下さいませ。
さて、人には様々な嗜好がございまして、履歴書の趣味欄に書くような類のものは体裁に過ぎず、その多くは、秘匿の楽しみとして人目を憚りながらこっそり嗜むものがほとんど。
こと異性に関して言えば、身体のどこかのパーツや特徴に芽生えた些細な関心が、やがて尋常でない執着へと成長し、そして理性の届かない仄暗い心底部に沈められた頃にはフェティシズムと呼ばれる倒錯したものへと変質していった経験は、誰もが心当たりがあるというもの。
私の身の周りでも、そのような性癖を持つ憂人痴人、、いや、友人知人は枚挙にいとまがなく、ネコ耳尻尾、緊縛鞭打ちのなんてものはほんの序の口。
活字に出来る範囲でほんの一例をご紹介いたしますと、学生時代のバンド仲間だったNは、総論で言うところの脚フェチの部類に入る、健康的かつ一般的な性癖の持ち主。
しかし、その各論においては、まっこと困ったマイノリティに属しておりまして、美脚、ヒール、くるぶしなどのメジャーな脚フェチ達らも理解に苦しむ彼のフェティシズムの対象とは、、、、、、
なんと『足の甲』
N曰く、特に、ブリッジした時のつま先立った足の甲が至高だそうで、バランスを取るために突っ張ったアーチとそれ自体の曲面美に心を打ち揺さぶられるんだと、畳をバリバリかきむしりながら熱く語っておりました。
ぱっと見、男前のバンド野郎だったNは、それなりにモテはしたのですが、その願望を打ち明け、成就させるにはさすがに気が引けたのか、彼女が寝静まった頃を見計らい、はたまた足裏マッサージと称しては、大好きな足の甲を愛で、渇きを抑える日々が続いていた折、
とある女の子と付き合い始めた時、彼の歪んだ願望が一気に現実へと向かうチャンスが訪れたのです。
その彼女、高校時代は元新体操部。ということは体の柔らかさは言うに及ばず、ブリッジなんぞはまさにお手の物。
ある夜、Nは、自分のマンションにお泊まりしに来た彼女を、何だかんだと拝み倒して、まんまと一糸まとわぬ姿で完璧なブリッジをしてもらうことに成功してしまいました。
目の前には、夢にまで見た、つま先立った産毛一本もない美しい足の甲。
ボタンを外すのももどかしく、引きちぎるように自分の衣類を脱ぎ捨て、指先から足首にかけて浮かぶ青筋と稜線に舌を這わせると、猛然と湧き上がる歓喜に全身が打ち震えるN。
頭の芯がジーンと甘く痺れ、人の心を失ったNは、ただ夢中で足の甲を唾液塗れにする訳のわからん生き物と化してしまっていたのです。
当の彼女はと申しますと、待てど暮らせど、彼氏は足の指から足首を何度も往復するだけで、ちっとも膝から上にあがってこない。
その上、元新体操部と言えども、ブリッジできる時間には限界がある。
まさか、これがNの目的だと思うはずもない彼女は、
「ねえ、いい加減、くすぐったいんだけど。」とブリッジを崩そうとすると、
「ダメダメ、左足がまだなんだから!!」と怒鳴りつけるNの性癖をようやく理解し、
「このド変態が!!!」と、その左足の甲で、Nの顔を蹴りつけたのでした。
顎が上がるのと同時に、脳内物質が一気に噴出し、「ジャブロー!!」と一声上げて連邦軍総司令部で絶頂を迎えたガンダム世代のNは、
「あの瞬間、、、俺は生まれて初めて、このまま死んでもいいと思った。」と、後に恍惚とした表情で述懐しておりました。
周囲の風変わりな性癖を活字に起こすのはこのぐらいにしておきまして、
車好きにも多様な嗜好が存在するのは、当然のこと。
メーカー、ボディ形状、エンジンや車に纏わるストーリーなどなど、ここみんカラでもその広がりは無限と言っていいぐらい。
以前、ブログでご紹介したエクストリーム車偏愛も、その一つであることは間違いなく、
そんな私も内燃機関フェチでございまして、車の価値基準はまずエンジンありきとの信念を持っています。
NAかターボか、マルチシリンダーかどうかは問わず、エンジニアたちが情熱を注いだスポーツユニットの奏でるサウンド、ドラマチックな回転フィール、シリンダーの向こう側で広がるレースシーンなど、琴線をかき鳴らして止まないものばかり。
我が家のE46M3の心臓部S54は、先代のE36M3で既に限界と言われたS50B32を、堅実なM社が、敢てリスクに踏み込むことで生まれた不世出のストレートシックス。
わずか隔壁間4mmとその肉厚をギリギリまで削り取ったブロック、度重なるリコールに見舞われたコメタル、F1エンジンを超えるピストンスピードと8000rpmを迎えたところでの絶叫に近い咆哮は、常に魂を天秤にかけ代償を支払ってくことで見返りを得るといった、中二病的要素が満載されたガラスのユニット。
かつてM3と同時所有していたGTVに搭載されていたアルファV6は、その対極とも言うべき、豊満なラテンの色気と甘い神経毒を帯びた情念の塊のような官能ユニットでした。
NAのカムに乗ったフィーリング、V-TECで言えば高速側へのリフト、ターボでのフルブ―スト領域は、まさにスポーツユニットの真骨頂ながら、私が愛してやまない内燃機関において、一番好きな回転領域は、突き抜けるような高回転域でもなく、トルクピークを迎える中回転域でもない、NAでのカムが仕事をし始める直前の、ターボ車におけるちょうど負圧がプラスマイナスゼロを指すあたりにある、1500rpmから2000rpmに掛かる低回転域なのです。
一番高いギアで50km走行が過不足なくでき、丁寧に踏んでいけばノッキングするかしないかのところでゆるゆるとスピードが乗る、そんな一番やる気の無い、まったりとしたゾーンの、普段バリッと決めているお姉さんが、つい油断して部屋着になってくつろいでいるような牧歌的な雰囲気が堪らなかったりします。
脂の乗った美味しい回転域を楽しむのは醍醐味なれど、そればっかりでは、お互い疲れてしまうと言うもの。
最初の車だったZ31も壮絶なターボラグの後に襲ってくるお化けトルクは目がくらむほど強烈で魅力的でしたが、それでもターボラグと言われる無過給域で走るのが一番好きだった20代の頃。
眼を三角にしてハンドルを握る年頃でもなくなったここ数年。
先日、すっかり寝過したFamilieの代わりに、紅く色付き始めた足助の山々へとE46M3を連れ出し、中秋の芳醇な香気を湛えるグリーンロードを6速2000rpm前後でのんびりと流していると、ボンネットの下のハミングがあまりに心地よく、長年連れ添った相方と取り留めの無い会話をしているような気がして、ブログ迷走中ながら思わず筆を執ってしまいました。

画像は、PAで合流したご家族連れのミニバン、R34GT-Rと86です。
Posted at 2012/11/07 18:55:11 | |
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E46M3 | 日記