• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

FlyingVのブログ一覧

2017年02月28日 イイね!

ノーマル時のMAXBOOST

昨日、パーツレビューでご紹介いたしましたPIVOT製のOB MONITOR。
OBD2に接続するだけの、取り付け僅か3分というお手軽さとエンジンの主要指標が3種まで表示できる多機能さに加え、場所を選ばないコンパクトサイズは、インパネ周りをごちゃごちゃしたくない私には持って来いのもの。

日曜の夜に取り付け、昨日、クライアント先からの往復で、色々と計測してまいりました。

まず、この季節の始動時の水温の上がり方は、直噴採用からか、5分足らずで60度を超え、たちまち温風が吹き出し、その後100度前後で安定。
純正メーター内で油温を確認すると、水温に比べ当然ながら温度上昇は緩やかですが、上がり切れば100度前後と水温とシンクロしておりました。
電圧は14.7Vとまずまず、吸気温度は外的環境につき記録せず。

とまあ、数値を視認することで、機械仕掛けのオレンジかはたまたウォーズマンのごとく電子制御で武装したS3の素顔に少し触れたような気がいたしました。

しかし、この製品を使っての、私の最大の関心ごとは、『MAXBOOST』

リッター140psを絞り出すだけでなく幅広いパワーバンドをも有するこのモデル。
正しく過給されているかどうかが、高出力の要であることは疑いようがなく、
しかも、プラズマダイレクト装着により、ブースト圧が若干上昇しているかもしれない(説明書に記載あり)との期待感。

幸か不幸か、仕事終わりが深夜近くとなり、交通量がほとんどなった高速道路。
料金所からの合流から2速吹け切りまでスロットルを全開にすると、
メータパネルのブーストインジゲーターが3000回転付近で既にピークを示し、4000回転を超えてさらに轟然と吹き上がる心臓部。
シフトアップ時に起きる、ミスファイアの盛大な咆哮を後方へとまき散らしながら、あらゆる物理法則に逆らい、このまま時空間移動してしまうかのように加速するS3。
相変わらず、低速から湧き上がる極太のトルクがずっと続いていく錯覚に襲われる。
3速に入ったところで、巡航速度となり、取りあえず、自宅近くのインターで降りて、ピークホールドを確認。

信号待ちでエコモードで計測していたことに気が付くも時すでに遅し。
ボタンを5秒長押しする間、「もし、全然ブースト掛かっていなかったどうしよう。。。」と頭をよぎる不安。
さて、その結果がこちら。



いつまで経ってもSI表示には馴染めない(汗)
120kpaは、1.2barとイコールですね。

「ふ~ん。こんなところか。」と一人得心しかかった時、重大なことに気が付いたのです。

それは、ノーマル時のブースト圧がいくつか知らないということなのです!!
小学校4年生の時、担任だったF先生、
通知表に「その場の思い付きで行動しがちです。よく考え、準備してから始めましょう。」と通信欄に書いていただきましたが、無事、まっすぐに成長いたしました(泣笑)

え~と、「audi S3 ブースト圧」でググってみると、、、、、全然ヒットしない(汗)
かろうじて、デビュー前のプレスリリースに、「新型S3、ブースト1.2barで300馬力」とあるのを見つけましたが、果たしてこれで合っているのかどうか、、、
取りあえず、プレスリリースの1.2bar出ていましたので、ひとまず、今後のバロメーターとすることに。

次はSモードに入れて計測するとして、実は、既にVCDSはインストール済みで、後はケーブルが届くのを待つのみ。
そうなのです、さらなる数値をつまびらかにすべく、いよいよ禁忌の領域へと足を踏み入れようとしているのです。

ブラックボックスへのアクセスによって、一体何が呼び起されるのか。

自制が試され、魔改造へと誘われる心持は、倫理を超越した石○四朗かメ○ゲルのそれなのか。

サービスフリーウェイを味わい尽くした後に待つ、歴代の愛車や家庭内では幾度も経験した、このタナトス的愉悦。

と、その前に、JAFの有効期限確認しておかなくちゃ。



Posted at 2017/02/28 15:28:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | AUDI S3 | 日記
2017年02月20日 イイね!

ただ磨く、ただそれだけ

ただ磨く、ただそれだけ名古屋高速東山トンネルを哨戒中、S3の前方に合流してくる機影。
いつもなら、テールの形状、マフラーエンドから機体の識別に入るのだが、この機影に該当するデータがない。
パナメーラかジャガーXFにも似たリアゲートにマフラーが見当たらないのだ。
トラックに引っかかり、減速を余儀なくされたところで、判明した。

テスラ モデルS。

法定速度以下のトラックの背後にピタリとつけ、車体を左右に振ってる。
バッテリーの残量がないのか、それとも別の理由があるのか、とにかく相当急いでいるらしい。

これはチャンスだ。
交流電気の父の名を冠すこのモデル、電気モーターがもたらす鬼トルクによって、2tの車体が異次元の加速をするという。
遭遇するのも珍しく、本気で走る姿を見たためしがない。
どうやらその加速を拝める時が来たのだ。

追い越し車線へと入り、こちらもSモードにして、テスラを伺う。
だが、なかなかトラックは進路を譲らない。
テスラの苛立ちが手に取るように分かる。
今か今かとその時を待っていると、カーブの途中で前方がオールグリーンとなった。

テスラのテールが沈む。
こちらも、ギアを落とし、パワーゾーンをキープしたまま、スロットルを開ける。
エキゾーストノートが車内を包み込み、メーターの針が跳ね上がる。
テスラとの車間距離は一定のままだ。
よし、異次元と言われたあの加速についていっている。
こちらはまだ余力がある、「補足した!!」と思った途端、
パ、パパ、、パチパチパチ、、、、とフロントガラスの表面に砂粒やらを盛大に撃ち付けられたのでした(涙)

東山トンネルでサイドピラーを狙撃されて以来、A45の時といい、R35GT-Rの時といい、いつもいつも、名古屋高速では、小石や砂粒の小銃掃射を食らってばかり。。。。
思い返せば、E36&E46M3の時もそうだったし、もっと遡れば、Z32もよく当てられていました。
こんな後方にいる私を正確に狙えるなんて、もしやF35のアビオニクスを搭載してるのか?それともGN粒子を振り撒くニュータイプなのか?などなど現実逃避をしたところで当たるものは当たる。

てなわけで、納車以来、二次曲線的に傷つき、欠けまくる不憫なフロントガラスを磨くことにいたしました。

で、購入したのが、高いレビューを獲得する住友3Mの業務用ガラスコンパウンド。

線傷には効果が高いこの製品。
果たして、飛び石や砂粒などの傷は対応できるのか・・・

油膜や汚れ落としも兼ねて、視界をすっきりできればいいやぐらいの気持ちで、運転席付近の視野に入る範囲を中心に研磨を開始いたしました。

実は、息子の学年末試験の勉強を朝方まで見ていたら、つい寝過ごしてしまい、コソ参しようとしていた舞子サンデーは行けずじまい、天気もいいので車でもイジろうかとただの思い付きです。

ガラスの埃を落とし、ポリッシャーにたっぷりとコンパウンドを塗り、ひたすら磨き上げること2時間。
途中、コンパウンドを塗り足しすること数度。



こんな感じで、ガラスの表面がどうなっているか全然分かりません(汗)
途中、疲れと寝不足でヘロヘロになり、フロントガラスに、ゴッホの星月夜にあるカルマン渦が浮かび上がるも、自分の耳がついていることを確認し、気を取り直して、再びポリッシャーを当てることさらに30分。



単純作業と疲労、そして微振動から頭が朦朧とし、この渦巻きがだんだんと、伝説のホラー漫画、『うずまき』に見えてきたところで、自我の危険を感じ、作業終了。



水洗いでコンパウンドを落とし、よく乾燥させた後、ガラスコーティングの処理をして一連の工程が完了です。

さて、都合、2時間半、研磨した結果、フロントガラスが一皮むけたように綺麗になりました!
ただ、やはり、飛び石や砂でついた傷でそこそこの大きさのものは、コンパウンドではどうにも処理できなかったものの、傷の表面が多少滑らかになったのか、屈折が随分と減り、運転席からの視界がクリアになったように感じられます。

ついでに嫁の車のフロントガラスも磨き上げ、家に戻ると、
「あら、ありがと。」となんだかそっけない嫁。
いつもならもう少し嬉しそうにしてくれているはず。
「う~ん・・・」と首をかしげているところに現れた息子が一言。
「母さん、髪切ったんだよ。」
「え?」
「しかも一昨日。」
「な、なんだと!!」
やってもうた!!
嫁の変化を2日も見落としていたとは、曇っていたのはこの私の目だったのです!!
今さら「その髪型いいね。」なんて取ってつけたとしか思えない。
ああ、磨くべくはフロントガラスではなく自分の両眼
しかも、今回、これが初めてではないだなんて、もはや脳ミソもコンパウンドで磨きまくってツルツルになってしまったメタラーのいつもの週末でした。

Posted at 2017/02/20 16:02:52 | コメント(5) | トラックバック(0) | AUDI S3 | 日記
2017年02月13日 イイね!

退かぬ媚びぬ省みぬ

随分前から予期していたことでもあり、そう遠くない時にやって来ることは分かっていた。

だから、何の驚きも感慨も胸に去来することはなかった。

なんてことはない、いつもの所に向かうだけだ。

そう、特別な手順も儀式もいらない、普段のようにする、ただそれだけ。

だが、だが、一言、たった一言言わせてもらうならば、なぜ、よりにもよって、名古屋高速に入ろうかと言う時だったのか!!




※メーター右下のインジゲーターがガソリン残量で、どこからどう見てもクレムリン状態です、はい。

直噴の持病である燃焼室内のカーボン除去のため、純正添加剤を満タン時に投入し、完全に使い切るべく、タンクがほぼカラになるまで走ろうと心に決めたのが先日のこと。
高速を中心に乗り回し、今朝、燃料ゲージのメモリが残り2つになったところで、そろそろだなと構えつつ、県外から市内の事務所に戻り、さて、帰宅しようとなった折、名古屋高速の入り口付近の一番嫌なところで、EMPTYランプが点くとは!

名古屋高速にGSは当然ない。
今ここでUターンすれば、さっき通り過ぎたGSに入れる。
最悪、高速下りた出口にあるGSでもいいか・・・
そんな弱気の虫が騒ぎ始めるも、カーボン除去剤は使い切りたいので、ギリギリまで給油は避けたいし、それに、今日はメール会員3円引きの大セールだ。

今日だけは、どうやってもあのGSまでたどり着きたい。いや、着かなければならない。

そんなこんなで4ビットの脳ミソをフル回転させた結果、

S3のタンク容量は60L。
燃料インジゲーターの目盛りは8個刻み。
ということは、1目盛り換算、7.5Lの計算なので、リッター8㎞としても、ギリいつものGS(推定30㎞)に間に合う。
それに確か、EMPTYランプが点灯してから、まだ50㎞以上は走行ができると聞いた。
満タン時からの走行距離は484㎞。

うん、イケる。

今ここで必要なのは澱みなき決心、断じて行えば鬼神もこれを避くはず。
そう、強敵を前に、決死の奥義『天翔十字鳳』を繰り出す聖帝サウザー様の「退かぬ媚びぬ省みぬ」の覚悟こそが、私に必要なのだ。



まずは、下道で帰ろうとせず、真っ直ぐ名古屋高速を使うこと 『退かぬ』
それに、高速を降り、途中で見つけたGSに日和って入ってしまわないこと 『媚びぬ』
後でJAFを呼ぶ羽目になろうとも、「あそこで入れておけば良かったぁぁぁぁ」と絶対に思わないこと『省みぬ』

よし、行くか。

と、信号待ちでいつものように鬱陶しく考えた後、名古屋高速にS3で乗り入れ、スロットルを極力パーシャルにして、料金所をくぐり、ポート噴射のみでじっくりゆっくり本線へと合流した。
だが、こんな日に限って、熱い車達がS3に挑んでくる(泣)
A45、ギブリ、IS-Fなどなど、強敵(トモと呼びます。)達を放っておくことなどどうしてできようか。
死闘の末、互いにエキゾーストノートを交換し合った後に、ついにMMIには最寄りのスタンドが続々表示され、燃料が底を尽きかけていることを嫌と言うほど知らせて来た。

高速を降りると、すぐ目に前にスタンドがある。
ここに入ったら、どんなに気が楽になることだろう。
もし嫁が同じ状況になっていたとしたら、迷うことなく「あのスタンドに行けば。」と促している。
しかし、まだ、ここで力尽きるわけにはいかない。
何といってもメール会員3円引きなのだ。

死力を尽くしてスルーし、途中のスタンド達の甘い誘惑にも耐えた。
残り、後、5㎞、、、ゴールは間近、もはや楽勝と思われたその時、私の目に前に最後にして最強の強敵が立ち憚ったのだ。

過去、M3が坂道発進を失敗し、何度もエンストをこいたMT泣かせの難所。
異様な急勾配が延々と続き、エンストしたMT乗りたちの屍が累々と横たわる、まさにエンスー達の黄泉比良坂。
登り切るには、タービンの力を借りなければならず、燃料消費も馬鹿にならない。
しかも、この急勾配だと、タンクの中の残り少ないガソリンは偏り、燃圧が足りなくなって、ガス欠を起こす危険もある。
何てことだ、これでは頂きを抱えて聖帝十字陵を登るシュウ様ではないか。
いや、迂回している余裕はない。選択肢は一つ、そう『退かぬ媚びぬ省みぬ』ことだ。

2000回転から少し上をキープして登り切ると、そこから先は栄光の道でしかなかった。

ついにやり遂げた。
聖帝サウザー様のように愛に殉じることもなく、カーボン除去剤をほぼ使い切り、メール会員3円引きの大勝利を得たのだ!



ここまでの走行距離531㎞、満タンまで53Lを飲み込み、家路に着いた。

心なしか、カーボンが取れた心臓部は、その帰り道、アクセルに軽く応答し、レスポンス鋭く、心地よさげなハミングを奏でていたのだった。


とまあ、北斗の拳世代のメタラーが貧乏性をこじらせ、ただガス欠になりかかっただけの出来事でございましたm(_ _)m


Posted at 2017/02/13 17:23:02 | コメント(7) | トラックバック(0) | AUDI S3 | 日記
2017年02月08日 イイね!

息子が彼女!?(3D)を連れて来た 【後編】

息子が彼女を連れて来たの【後編】です。

いつもでしたら、嫉妬に狂う哀れなメタラーの父親としてのあるまじき姿を猥雑な文章で書き綴りたいところですが、息子の偉業をご紹介するには、かなりデリケートな内容に触れなければならず、大団円までしばしお付き合い下さいませ。

前編はこちら>>>

クリスマスや正月を前に、誰も、Yがどうしているか知る由もなく、知ろうともしなかった。

しかし、3学期に入った始業式の翌日、Yは教室にいた。不潔な格好は変わらないまでも、目は更にぎらつき、異様な雰囲気だったと言う。
担任も関わり合いたくないのか、見て見ぬふりをしている。教員免許、捨ててしまえ。
最初は騒然となったが、Yは誰とも口を利くことなく、大人しく授業を受け、給食も食べ、いつもどおり下校していた。そのまま、3学期も終わっていく、そんな漠然とした空気が流れていた。
だが、問題はすぐに起きた。

Yがナイフをランドセルに入れているのをクラスメートの何人かが目撃したのだ。
さすがの事なかれ日○組担任も見過ごすわけにはいかず、授業後、帰ろうとするYを呼び止め、ランドセルを開けさせようとしたところ、Yはランドセルを開けるのをかたくなに拒否し、床にランドセルを抱えて座り込んでしまった。
担任がなだめすかし、時に大声で怒鳴りつけるなどしても、Yは石のようになって動かない。業を煮やした担任が、無理やりランドセルを取り上げようとすると、Yの手には、果物ナイフが握られていたのだった。黄ばんだセーターの袖がまくれ上がった細い腕には、無数の切傷痕があった。

「ギャァァァァァ!!」と人の声とも獣の声ともつかない叫び声とともに、ナイフを振り回すYを、何事かと駆け付けた先生たちが抑え込み、ナイフを取り上げ、すぐにYの母親に連絡を入れたところ、タクシーで来た母親が、そのままYを引き取って行った。 途中、母親の手がYの頭を何度も叩くのが見えたという。

次の日、Yは学校に来ていた。担任はまるでそこにいないかのように振る舞っていた。
給食が終わると、Yはどこかに行ってしまい、下校時間まで戻らない。そんな日が続いていた。
ある日、担任から言いつけられた学級委員が、Yの後をついて行ってみると、なんと、理科準備室に隠れ、自分の腕をナイフで傷つけるYの姿があったのだ。
すぐに職員室の担任に報告し、先生総出で止めに行き、理科準備室から二人の先生に両脇を抱えあげられたYが出てきた。
左腕には今つけたばかりであろう、切り傷がやけに鮮やかに赤く浮かんでいた。
Yの顔は涙でびしょびしょになっていた。
小さく震える唇からは、何度も「お母さん。」と、声にならない悲鳴が塊となって漏れ出ていた。

学校に来ていない間、Yは家の仕事を押し付けられていた。そんな折、たまたま、カッターか何かでひどく指を切った時、母親が心配して仕事を休んでくれたそうだ。
それが嬉しかった。
また今度は、包丁で怪我をして何針か縫った時も、母親は仕事を休み、男の人と会わなかったりしてくれていたのだ。
Yは、母親が自分に為だけに向けてくれる優しさを獲得する手段を知った。
次にワザとカッターで切り傷を作った。母親はまた仕事を休んでくれた。怖くて痛かったけど、それよりも、遥かに嬉しさが勝った。
だが、またやろうとした時、たまたま居合わせた男に、現場を押さえられた。
母親からは、怒られるより頭がおかしいと気味悪がられ、男からは、目一杯罵られた。
それでもYは母親が振り向いてくれると信じていた。そして、Yは不吉な幻想を抱くようになった。この傷が治ったら、母親は自分を置いて男とどこかに出て行ってしまうと。
そこで、Yは傷が治りそうになったら、自分で傷をつけ、母親が自分から離れないよう願掛けをしていたのだ。
もう一度、大好きなお母さんから優しい声をかけてくれることを夢見ながら、彼女の幼心が生んだ、いじらしくも悲し過ぎるおまじないを。
 
その後のことは誰も事情を知らない。Yは転校したか何かで、新学年の始業式にはいなくなっていた。

あれから数年。
我が家の食卓で、Yの話題が久しぶりに出た。
「あのさ、Yって覚えてる?」
高校生になった息子が口を開いた。
「ああ、小学校の時、一緒だった、、、」
うんうんと相槌を打つ嫁。
「で、Yちゃんがどうした?」
おぼろげながら当時の記憶が蘇り、懐かしい気持ちに浸る私に、
「明後日、うちに来ることになったから。」
「はあああああ!?」
息子はこうしれっと言い放ち、私と嫁をちょっとしたパニックに陥れたのだ。

息子が女の子を家につれてくることなど、今まであったためしがない。
しかも、その子は、あの問題児と言われていたYだ。
呆然として目が点になる私と口をぽかんと開けたままの嫁に、息子は、彼女とは前からラインをしていたとさらりと付け加えた。
「兄ちゃんの彼女?」とド直球を放り投げる娘に、
「んなことねえって。」と、唐揚げを頬張りながら、判で押したように息子は流していた。
それにしても、一体どうして、息子とYは同じクラスになったこともなく、接点は殆どないにも関わらず、ラインでつながり、うちに遊びに来るようになってしまったのか・・・
息子はひたすら食事を口に運んでいた。まるで余分な詮索はするなと言わんばかりに。

果たして、その日、Yは来た。
私が駐車場で車から降りてくるのと同時に、玄関に制服姿の女の子が立っているのが見えた。
私を見るなり、「こんにちは。」と澄んだ声で深々と頭を下げてくる。
つられて、「ああ、いらっしゃい。」と返す私。
進学校の制服に身を包み、サラサラの長い黒髪、聡明そうな瞳の可憐な少女がいる。
申し訳ないが、勝手にやさぐれたヤンキーのようなイメージをしていたため、かなり面食らってしまった。
テンパった私は、「あの、○○と言います。息子君とは中学の時、」と艶やかな黒髪を揺らし、少し声を上ずらせる彼女を前に、
「息子だよね?呼んでくるから、ま、入って。」
挨拶の途中で息子を呼びに入り、それっきりになってしまった。
『なんにもしなくていいから』と息子に言われたにもかかわらず、嫁はお茶を出そうかどうか、どうにも落ち着かない。
時々、息子の部屋から二人の笑い声が漏れ聞こえてきた。気にならないと言えば嘘だが、幸いにも、仕事が立て込んでいたので、そちらに没頭することができた。
2時間ほど過ぎたところで、
「お邪魔しました。」
玄関に響くYの声。
書斎から降りていこうとすると、見送る嫁と娘の姿が見えた。
一家総出ではあまりに大げさだ。私は書斎に戻ることにした。
「また遊びに来てね。」と嫁&娘。
「はい、ありがとうございます。」
そんなやり取りの後、
「俺も行くわ。」と、息子は一緒に出て行ってしまった。

後で嫁から聞いたところによると、Yは見かねた親戚か祖父母のもとに預けられ、小学校を転校したが、中学の学区が一緒だったため、私立は家庭の事情で断念したこともあり、息子とは中学校で再会した。Yはきちんと育てられたことで、すっかり普通の女の子となったものの、どうしても小学校の時の負い目からか、なかなか自分から小学校時代の同級生とは交流ができないでいた。
しかし、中2の時、息子に同じ部活になり、なぜか気が合ってラインを交換したとのこと。
それ以上のことは知らないし、多分、息子は言わないだろう。

「Yちゃん、また来るかな?」
干渉すべきでないと頭で分かっていても、その日の夕方の食卓で、ついうっかり息子に聞いてしまった。隣の嫁がものすごい顔で私を睨んでいる。
間髪入れず、息子からは、案の定、「知らん。」と突き返された。
「そうか。」
こう答えるしかない私に、嫁が頷いている。
おかずをつまみながら、スマホをいじり出す息子。
「おい、ご飯を食べている時ぐらいはスマホ、、、」と言いかけた私に、
「多分、来るんじゃね。」
スマホの画面を横に置き、誰に答えるわけでもなく、そう口にした息子は、左手で首の後ろをバリバリと搔き毟っていた。
私は知っていた。
部活の地区大会で優勝し、思いがけずMVPに選ばれた時、その表彰式で名前が呼ばれ、顔を真っ赤にしながら少し誇らしげに前に出ていく際、今と同じように左手で首の後ろを搔き毟っていたことを。


【息子が彼女!?(3D)を連れて来た  完】 




Posted at 2017/02/08 11:30:58 | コメント(5) | トラックバック(0) | My Life | 日記
2017年02月07日 イイね!

息子が彼女!?(3D)を連れて来た 【前編】

母親譲りの端正な顔立ち、部活で引き締まった長身を持ちながら、父親譲りの残念な遺伝子により、思春期に入ってから全くもって女子の気配がしたことがないうちの息子(高1)

私から受け継いだ残念な遺伝子は、不運にもこれでもかと発動し、まず何事にもだらしがなく、普段はジャージ姿&髪は寝癖てんこ盛り、ファッションに対して無頓着なのはまあ許せるとして、折角女子達と遊びに行くとなった際も、中二病が抜けきってないのか、どこで買ってきたか不明の炎と古代文字らしきものが書かれたリストバンド、迷彩柄のコートなどなど、端で見ていて痛々しいこと甚だしく、
まるで、モテたいがためにギターを始めたものの、何をやってもイケメンに勝てないことを悟り、ただひたすら勘違いを繰り返しては陰キャ・メタラーとして日陰の道を歩まざるを得なかった、十代の自分を見ているようで、息子を眺めていると、ふいに襲われるフラッシュバックに、「あ゛あ゛あ゛あ゛・・・」と胸を搔き毟ってしまいたくなるのです。

しかし、しかし、、、長い間、残念過ぎるイケメンと言われ続けてきた息子が、ついに、ついに、同級生(リアル女子)を家に連れてきたのです(祝)
しかも、今時希少な、黒髪で可憐な美少女
でかした、息子よ!
私が長年夢見て、何一つ成し遂げられなかった、手を繋いで下校したり、その帰りにマック寄ったり、誰もいない教室で二人きりになったり、手作りのお弁当を渡されたり、そしてバレンタインデーと、キャッキャウフフの高校生活まで、あと一歩じゃないか!



ん?ラブラ○ブの海○に似てる?
そうそう、こんな感じ、ちくしょーうらやましいなぁ、おい。

だが、息子よ、よく聞くんだ。
お前の父親から受け継いだ非リア充因子は遺伝子深くに組み込まれている。よって、お前の行く末は、険しく棘だらけの道だ。私が犯してきた数々の黒歴史、しかと心得、後で、「あ゛あ゛あ゛あ゛・・・」とならないよう、細心の注意を払わなければならない。
だから、その子とのことは逐一報告し、先人の意見を参考にするように。
え?何?その辺は母ちゃんから優性遺伝してるし、もう、うるさいからほっといてくれ?
よし、ならば何も言うまい。

とここまで、いつものお気楽な調子で書き綴ってまいりましたが、記念すべき息子の偉業をご紹介するまでに、実は、避けては通れない極めて重いエピソードに触れておかなくてはならないのです。

車とは全く関係もなく、みんカラで書くのもどうかと思いながらも、自分への備忘録兼ねてご紹介したいと思います。
お気楽な前振りとは180度打って変わって、陰鬱な長文につき、それでもよろしければ御目通しください。
勿論、虚実ないまぜにしてありますので、その辺りもご了承をば。


『問題児童』
先生達の間でそう呼ばれる生徒が、どこの学校にも何人かは居る。
学年、性別はバラバラながら、ある生徒は、クラスメートの私物をはじめとした窃盗行為を繰り返し、またある生徒は、授業を突然ボイコットする学習障害児であったり、そのまたある生徒は、ただ暴力に物を言わせ、訳もなく暴れ出しては、他の生徒を傷つけたりと、問題の属性や程度が様々である上に、本人に資質や家庭環境に複雑に起因する為、更正させるのが非常に困難なのだ。

当時、小学2年生だった息子が通う学校に、問題児童と呼ばれるそのコは居た。
名前は仮に、Yとしておこう。
入学した当時から、少し変わった感じの女の子として、保護者の間では話題になっていた。
なんでも、若い母親が一人で育てているとのことで、そんな話はあっという間に母親連中の間で伝播し、様々な憶測を呼び、同情とも憐れみとも取れない陳腐な美談やゴシップにされ、しばらくの間、もちきりだった。
要は、暇な中年女性の格好の肴にされていたのだ。
しかし、どうもYの様子と言うのが尋常でない。
まず、いつも同じ服を着続けている。入学当初こそ綺麗だったものの、襟や袖口は次第に垢で汚れ、染みは日に日に増えていった。
髪の毛もベタベタと絡まり、フケが浮いている。
子供達も、「Yちゃん臭い。」と口々に言い出していることから、何日もお風呂に入っていない様子だった。
体も細く、お腹も空かせているような雰囲気で、ある日の夕方、公園の水飲み場で、一心不乱に蛇口に口を押し付けるYの姿が、目撃されていたのだ。
担任が、保護者の携帯に連絡を入れると、電波の届かない所にいるか電源が入っていないメッセージがほとんどで、稀に通話ができたとしても、全く要領を得ないというか会話が成り立たないそうだ。

2学期が始まってしばらくしてから、一度、見かねた同級生の親御さんが、Yを家に上げ、簡単な食事を与えると、最初は警戒しながらボソボソと口に入れていたのが、よほど空腹だったのか、すぐにガツガツとむさぼるように食べ、満腹になった後、ポツリポツリと自分のことを話し出したとのこと。
なんでも、母親は夜の仕事をしていて朝まで帰ってこず、昼間は寝ているかパチンコに行っているかで、全く子供の面倒を見ていない。男の人もちょくちょく出入りしていて怖いと言う。
 
Yを家に送り届けたところ、当然母親の姿はなく、饐えたにおいが立ち込める真っ暗な部屋の中、電気もつけずにジッとしていたのが印象的だったそうだ。
その後、2度3度、一人ぼっちでいるYを夕食に誘っては、家まで送っていっていたのだが、ある日の夕方、いつものようにお腹を空かせたYを見つけ、声をかけ、夕食を一緒にとなったところ、しばらくして、ピンポーンと玄関でチャイムが鳴った。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、なんとYの母親だった。
ピンクのよれよれのジャージにヤニ臭い息で、娘を引き取りに来た云々など言いつつも、一向に、Yを呼ぶ様子もない。それどころか、クロックスを脱いで上がろうとしているので、「折角だから。」と、母親ともども夕食をごちそうすることになった。
案の定というか、以来、夕食時を見計らってか、引き取りに来たと母親がやって来ては、ちゃっかりご相伴にあずかること十数回。
仕舞いには、「Yを預かってほしい。」と連れて来るまでに。その後、仕事に行っているのか、パチンコに行っているのか定かではない、とにかく厚かましく、家のものがなくなるなんてことも珍しくなかった。

これではいけないと、ある日、意を決して、強く断ると、発狂したように大声で罵られ、Yの手をぐいぐい引っ張って帰っていってしまい、それ以来、来ることはなくなった。しかし、それと同時に、Yも学校を休みだしたとのこと。
その親御さんは、責任を感じ、先生に相談するも、厄介ごとを持ってくるなと言わんばかりの事務的な対応に、怒りを通り越して呆れ果ててしまい、親しい保護者に相談し、うちの嫁の耳に入ったのだ。
児童相談所に連絡するのも、よその家のことなので、確たるものがなければ難しい。かといって警察は民事不介入で端から期待できない。
Yが学校に来なくなってから1週間が過ぎたころ、様々な憶測や噂がたってはいたが、1ヵ月もすると、担任もクラスメートも誰もYのことを気に掛けることはなくなっていた。
その間、担任は、家庭訪問はおろか電話をすることすらなかったと言う。

それからYは一度も学校に来ることなく、2学期は終わった。


【息子が彼女!?(3D)を連れて来た 後編に続く】

Posted at 2017/02/07 12:13:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | My Life | 日記

プロフィール

「世の中、捨てたもんじゃない http://cvw.jp/b/192969/48592459/
何シテル?   08/10 22:33
20年前に偶然出会った96年式M3CLimousineを溺愛すること4年、そして涙の別離を乗り越え、その後、やって来たE46M3と忘れえぬ10年来を共にした不人...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2017/2 >>

   1234
56 7 891011
12 131415161718
19 202122232425
2627 28    

リンク・クリップ

蛇使いたちの特濃空間 エテロドッソさん 
カテゴリ:メンテ&チューン
2011/12/06 10:03:34
 
BMWのマイスターショップ TKsquareさん  
カテゴリ:メンテ&チューン
2011/12/06 09:56:25
 

愛車一覧

BMW M3 セダン おハナさん (BMW M3 セダン)
M3最後であろう純粋な内燃機関をどうしても乗っておきたく、大好きなF80M3を手放し、迎 ...
BMW 1シリーズ ハッチバック BMW 1シリーズ ハッチバック
スイフトRS-Tを嫁に進呈し、その後釜としてやってきたのがこちら。一度は真剣に購入を考え ...
スズキ スイフト スズキ スイフト
初めての新車として我が家にやってきたスイフトRS-Tです。 旧型よりも格段に向上したボデ ...
BMW M3 セダン 電子制御の鎖で繋がれたバイエルンの獣 (BMW M3 セダン)
難病が寛解したら絶対にこれに乗ると心に決め、闘病し続けた3年半。 2020年に待ちに待っ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation