2024年12月26日
仕事が小康状態になりつつあり、ほんのちょっぴり心に余裕が出てきたことから、しばらく前に下書きに置いておいたブログがありましたので、UPしておきます。
~本文ここから~
全米プラチナディスクを夢見て、下積みバンド生活をしていたあの頃。
この季節になると、クリスマスに浮かれる陽キャ&リア充達を目にする度に、愛を呪い、そこかしこで囁き合う甘い言葉に唾を吐きかけ、一人スタジオに籠ってPEAVYをゴリゴリに歪ませたリフを刻みながら、破滅と破壊を賛美するメタルアンセムを弾き殴っていた、陰キャ&ぼっちメタラーたる私のDNA配列を一本も受け継ぐことなく、高校生の頃から彼女が途切れたことがない息子が、何人目かの彼女を我が家に連れてくることになった先週末。
過去、「この前のお菓子、ありがとうね。美味しかったよ。」と、一家の長としてきちんとお礼をしなければと、当時の彼女に玄関で声を掛けたところ、「え?何?お菓子、、、ですか?」と、まさか数ヶ月で彼女が変わっていたことに全く気が付かず、ステルス地雷を踏み抜き、
そして、半年前、深夜に差し掛かった時間帯に、車で息子を迎えに来た当時の彼女と門の前で鉢合わせ、「こんばんは。」と律儀に挨拶をするその彼女に、
「こんばんは~あれ、車変わったんだ。うちのBMWも変わったんだよ。」と、G80への買換えを匂わせつつ彼女の車について何気ない話題を振ったところ、車だけではなく彼女ごと変わっていたことを後から知らされ、息子に激詰めされるなど、やらかすこと数度。
車やギターならまだしも、最近のアイドルユニット数人の顔と名前の区別すらできない中年男性の認識能力では、某坂系量産型の彼女達を識別するなんてまず不可能。
こうして、『息子特化型対人地雷』と化した私は、彼女から私に挨拶をしたいと言われない限り、なるべく彼女達とのエンカウントを避けていたのでした。
そして、この日も、彼女が家にいる間、G80で出掛けることに。
家では嫁がお寿司を取り、娘を交えて楽しく息子たちと団欒をしているに違いなく、本音は、めちゃくちゃ混ざりたい、、、こっちだって息子の彼女と色々お話ししたい、、、、でも、過去の修羅場やこれまでの舌禍を考えたら、リスクを排除しておくのは至極妥当(涙)
だったら峠でも行くかと、近所のお山へとブラブラと走りに行くことにいたしました。
最初の目的地は、グリーンロードを抜けた、小原たまご村。
生みたて卵やたまごサンドなどを買い込み、途中、山間をバックに撮影タイム。

吸気温度が下がり充填効率が上がったことで、S58は、低回転から猛烈なトルクを生み出し、そして、回転が上がるにつれ、3度、5度、そしてオクターブ上をハモリだすチタンサウンドに包まれながら駆け抜けると、県道のワィンディングでは、巨体と思えないほど機敏な挙動を見せ、どこからでもレスポンシブな3Lツインターボユニットを2~4速をパドルで操りながら、さらにスウィートなトルクバンドをキープしてコーナーを攻められるのは、焼きが入り出したブレーキパッドが望んだ以上のストッピングパワーで巨大な質量を受け止めてくれるから。
落ち葉でトラクションが抜けてヒヤリとするも、そこはG80のスタビリティ。
凛とした冷たい空気が漂い、雲一つなく晴れ上がった初冬の空模様の下、途中、F355、マクラーレンMP4、ミッドシップ化されたコルベットLT-1とすれ違い、『あれ?アクセルターンをして追っかけないの?』と言わんばかりに、G80はシフトダウンに合わせて、いつもより高らかにブリッピングしておりました。
そんな愛車との楽しい会話も交通量のある国道に合流するまで。
自宅に戻ると、玄関には見慣れぬ女性用のローファーがあるのは、息子の彼女がまだ滞在していることの証。
エンカウントしないよう、気配を消して、リビングの嫁にお土産を渡すと、
「彼女ちゃん、礼儀正しくて、明るい感じの子よ~可愛いし、ま、いつものタイプかな。」
と、私が知りたいであろうことを先回りするような嫁のコメントにより、息子の彼女のイメージ大体ついたところで、ヨレヨレのフリースと部屋着に着替え、リビングでしばし寛いでいるところに、突如、息子が彼女を連れて入って来るではありませんか(驚)
「美味しい寿司、ごちそうさまでした。初めまして、○○××と申します。」と深々と頭を下げる彼女ちゃんに、突然な上に、絶対に会わないだろうと高をくくって、部屋着に着替え、油断しまくっていたところに現れたものですから、どう対応していいか分からず、「あ、どうも、、、ゆっくりしていってね。」と取り繕うのがやっと。
まさかこんなタイミングで紹介を受けるなんて、最初から不意打ちを狙っていたとしか思えず、今までの仕返しとばかり、息子はしてやったりの顔をしている。
しかし、私は、別の驚きをもって、彼女を目にしていたのでした。
実は、私は、その彼女と会うのは初めてではなかったからなのです。
この夏、ドルオタを自認する公認会計士の先生と食事に行った時、少し飲んでから、先生がいい所があると連れていかれたのが、とある地下アイドルのライブ。
熱烈なオタ達に交じって、先生がケミカルスティックを振り回して踊り狂っている様子を、私は端っこの席で眺めていたのですが、ライブ後に、先生が推しているアイドルのチェキを、私も無理やり買わされまして、もしやと思い、そのチェキを引っ張り出して確認したところ、芸名とともにそこに写っているのが、他でもない息子の彼女だったのでした。
アイドルグループの識別が出来ない上にシナプスの劣化著しい私の記憶の滓の中に、彼女のことが残っているのは、地下アイドルのライブは生まれて初めてだったことと、ステージ上の他の子よりも目を惹く、華やかで可愛いビジュアルもさることながら、癖がなく、良く伸びるソロパートは、うちのバンドのボーカルとして歌ってもらいたいなぁとの印象を持ったから。
先生と一緒に握手してもらった時の様子も強く覚えておりました。
そして、息子が好きなタイプだと感じたことも。
後から息子とも会話したのですが、多分このことは知らない様子。
もし伝えたとしたら、後に先にも一回だけの付き合いとは言え、いい年して地下アイドルのライブに行っていたことが嫁と息子にも知られ、さらに本人が望んでいない暴露をしたことでの白い目を向けられることは必至。
もちろん、彼女が私に気が付いた素振りはなく、WEBで調べてみるとどうやら既に脱退しているっぽい。
この秘密、どうしたらいいのだろう。
あの歌声は捨てがたく、今度家に来た時、プロデューサーの名刺でも作って渡してみようかな。
うん、嫁と息子に絶対にブン殴られるから、何も言わないでおこっと。

※画像はイメージです
Posted at 2024/12/26 17:36:27 | |
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