『我輩は1000円である。諭吉はまだない。』
夏目漱石が言ったか言わないかわからないが謎言である。
多分、1万円札になれなかった僻みであろう。
私も謎言を世に残すとしたら
『我輩は独身である。結婚予定はまだない』
何か伝わるものがありました?
私には何も伝わってきません。空虚な
『無』だけである。
『無』とは一体どのようなものか?数字で例えると
『0』である。
物理的に例えば
テーブルの上にリンゴが1個置いてあるとする。
そのリンゴを誰かが持ち去ってしまえば
リンゴは無くなり『無』となる。
誰か異性を好きになる。すると
『好き』という感情が生まれ恋愛と言う面に関しては心の中は
『無』の状態ではなくなる。
『無』とは常に生まれ、常に無くなってゆく
不変的なものではないと思う。
今となっては時代遅れだが私は一時期走り屋という暴走行為を繰り広げていたいた時期があった。
(今も続いているが)
もちろんステージは公道であり、今の時代ではバッシングの嵐になるような行為を繰り広げ車を違法に改造して速さだけを求め渇望していた。
そのステージは一般公道だけでなく、峠、首都高にまで及んだ。
しかし、サーキットは走らなかった。
私の中にある走りの理念として常にリスクを置いておきたかったからだ。
今の時代の人達からは
『迷惑な奴』『バカな奴』と思われるだろう。
当時はそれを美学として捉えている部分があった。
走り始めたばかりの頃は同じステージを走ってもコースがわからない上に対向車が来る可能性もあるのでいつも心には
『恐怖』を抱いていた。
そして走り続けてコーナーや1つ先のコーナーを照らす対向車の明かりを判断できるようになっていったとき
『恐怖』という感情は無くなっていた。
速く走れるようになるため先輩に色々教えてもらったり、本を読んで勉強した。
少しずつだけど速く走れるようになって
『恐怖』が
『楽しみ』に変わった。
サイドバイサイドのバトル、パラレルドリフト等のパフォーマンスを身につけるのも楽しかった。
昨日できなかったことが今日出切る様になるというのは素晴らしい事だ。
感性ドリフト、ブレーキングドリフト、グリップ走行を駆使して、いかにコースのラップタイムを塗り替えるかが楽しくてしょうがなかった。
もちろんそれらの技術を上達させるまでは楽しい。
速く走れるようになって、そのコースを走り込む事によりそれが
慣れすぎると今度は心に『無』が生まれた。
それは
『恐怖感』や
『楽しみ』を全て飲み込み
走ることだけにしか意味を成さないものになっていった。
人間としてではなくただ機械的に速く走れることだけを追い求めていった結果が
『無』だったのだ。
私の公道最速理論の最終局面は
『無』であること。
ちなみに公道を走る上で1番には絶対になれない。
高速道路でも峠でも首都高でも
必ず前には車がいる。
どんなに頑張って何台抜こうが道がある限り、その先には必ず車がいる。
ゆえに
公道において1番になるのは不可能であると考えている。
時代は変わり今は走り屋なんて本当に少ない希少種になってしまった。
峠のコーナーにはキャッツアイが埋め込まれ、車線を跨ぐドリフトができなくなってしまった。
最速全開でコーナーを抜けることはキャッツアイを踏むリスクが高いためできなくなってしまったのだ。
その代わりに
車線からはみ出さないドリフト、グリップ走行を求められ走りの
難易度としては上がったと思う。
最速を狙うのならば対向車線も含めてコースをめいっぱい活用するしかない。
しかし今は走り屋に対する目は冷たく、違法改造車や峠を攻めてる人は
『犯罪者』扱いや
『痛い奴』扱いされる世の中になってしまった。
車メーカーも時代の流れに合わせて一部を除き新たにスポーツカーを開発しなくなった。
1980~2000年代初期は走り屋もいればVIPカーもいて、街中や峠や首都高も活気があった。
変わるのが悪いと言っているのではない。
変わらないでも良いものもあるのでないかとただそう思いたい。
もちろんブログのネタもないからある意味現在も『無』の状態である。
例えば峠の下りを車で全開モード走行していると色々な事に気を配りコーナーを最速で抜けるのには結構な勇気と度胸がいる。
公道ランナーは
リスクを必ず考えているので、側から見れば常に全開で走っているように見えていても上級者になる程、ドライビングに対し
安全マージンを取る。
なぜなら
公道では1ミスイコール事故になるからだ。
上級者になる程、どんな状態からでも立て直せる程度の余力は残しているはず。
しかしその時に心の中が
『無』の状態ならばどうだろう。
恐怖心も度胸も全て捨て去って感性のまま限界まで踏んでいける。
これは頭文字Dで例えれば池田竜二の提唱する『ゼロ理論』に近い。(頭文字D知らない人は是非読んで下さい。面白いですよ)
人にも車にもムリはさせず、速く走る理論。
『ゼロ理論』とは平常心を保ちながら、車を走らせると言うのは、あながち間違ってはいないが、正確に記すると『ゼロ理論』は文字通り
『無』で走ると言うことです。
車に対しても、人に対しても、ストレスをゼロ(無)に保ち、車を機械的に少しでも速く安全にドライブさせる。
同じ事だと思う方も多いでしょうが、
平常心を保つと言う事は、平常心が壊れる事も、既に想定内に入ってしまっていると言うことです。
それはなぜか?
感情のある人間であり、
人は機械には慣れきれない!と言うことだ。
『ゼロ理論』は不測の事態は、想定してない理論である。
『無』の走り=ゼロ理論の全貌だと思って良い。
霧や雨で踏み切れないと思ったら、機械的にアクセルを抜く!人には感情があるのでそれを『無』の状態に持っていかないと極限の走りはできない。
対する高橋涼介の提唱する公道最速理論の全貌は、よくわかりませんが公道だけに限定した理論である。
それは
日時や気象、不測の事態などで、片時も同じ状況が有り得ないからです。
その、
ありとあらゆる不測の事態を、想定しての理論である事は、まず疑いないであろう。
これは常に安全マージンを取っているといえる。
無論それだけはなく、その不足に事態に遭遇した場合に、人はどうすれば良いのか?と言うのが、公道最速理論の重要なポイントでしょう。
感情で恐怖を消し去ってしまえば良いのか?
人の技術と車の能力以上の事は、回避すべきなのか?
むしろ、イチかバチか運任せの賭けに出れば良いのか?
全貌はよく知らないが、思うに、キャリアの蓄積を元に、その引き出しの中にある経験を、いつ何時、
不足の事態に遭遇しても、瞬時に取り出し、実行に移せる理論ではないかと思う。
ただし、突き詰めて行くと、この行為も危険である事には変わりなく、プロのドライバーも人である以上、いつか歯車が狂う時が絶対に生じる事は明らかです。
ちなみに
『頭文字D』よりも
『湾岸ミッドナイト』の方が好きです。
あの時代に走っていた人達はどこへいってしまったのでしょう。
車に興味を示していた若者たちは後世の世代に、その情熱や魂を伝承しなかったのでしょうか。
それともそれが時代の流れというものでしょうか?
昔は週末になると特定の場所に車好きが集まり、友達が出来てチームが出来て交流して・・・等のコミュニケーションがよくありました。
警察との追いかけっこも日常茶飯事でした。
時がたつにつれそれらの友達やチームはバラバラになりました。
しかし私は一生公道ランナーである事を誓いました。
誰に誓ったかって?それは己の魂さ。
昔々日本には
『侍』という者達がいた。
どんなに否定されようと、ボロボロに傷ついても己の信念を貫く、まさに己の魂に誓いを立てていた人達だ。
車じゃなくてもいい。何か信念を持ち日々行動し続けるのが大切だと思う。
会社で仕事を一生懸命するのもいいし、家族を大事にし続ける事でもいい。
現代社会はなんやかんやで物事を有耶無耶にしてしまう人が多くなってきたと私は感じる。
日本人は『侍』の魂を忘れてしまったのだろうか。
全く関係ないけど
私の免許証はゴールド免許です!
では、前置きはこれくらいにして本日のブログを書きます。
上にある文章は便所の落書きです。ここからが本文です!ここからが日記です!
【今日は朝からずっと曇ってて、
雨が降るかなぁと思ったけど雨は降りませんでした。気温は低かったけど厚手のコートはまだ早いかな?って感じです。
イオンに買物へ行くとさすが
土曜日、めっちゃ混んでて帰りは駐車場で自分の車をどこに止めたかわからなくなり5分くらいデカい駐車場をさまよってました。
側からみたら不審者ですね(∩´∀`)∩
カルディで新しいコーヒー豆を買ってみました。
なんかカルディオススメみたいな。
家でインスタントコーヒーとオススメコーヒーを飲み比べるとインスタントコーヒーの方が美味しかったです♪】
本日の教訓:駐車場に車を止めたら、必ずその場所を覚えておこう!
今日の出来事はこれだけ(´∀`*)ノシ Good-Bye!Thank you!