3月4日はJRダイヤ改正の日。
今年も、ダイヤ改正の日を境に姿を消していく車両達がいます。
そして今年2017年4月、
『日本国有鉄道』 略して『国鉄』が解体、分割され、JRとして民営化されてから30年となります。
ダイヤ改正を目前にした3月1日、
北陸新幹線E7系『はくたか558号』で、高崎を経由し、桐生まで出張。
2年前の、2015年3月『北陸新幹線』 長野‐金沢間が開業しました。
その影で、北陸本線の金沢‐直江津間は、「IRいしかわ鉄道」「あいの風とやま鉄道」「えちごトキめき鉄道」の第三セクター3社に分割され、経営が分離されました。
このため、JR貨物を除き、この区間全線を直通する列車が無くなってしまいました。
北陸本線は、元々米原‐直江津間353.8kmの幹線ですが、現在は米原‐金沢間176.6kmがJR西日本の路線として営業しています。
今回は、北陸新幹線の沿線で過去に見られた、そして現在でも見られる国鉄形車両を追ってみることにします。
【0.北陸本線全線】
2年前の2015年3月、北陸新幹線開業と引き換えに惜しまれつつも廃止されたのが、大阪-札幌間を結んだ、寝台特急『トワイライトエクスプレス』
ダイヤ改正の前夜3月12日、北海道に向かった下り最終の「トワイライトエクスプレス札幌行8001レ」の編成は、札幌に到着し営業運転終了後、所属するJR西日本へ返却回送する必要がありました。
しかし直江津から金沢間は、3月13日、JRから第3セクターに経営分離されたため、許認可上、自力で回送運転することができません。
このため長岡から南福井(貨)までは、機関車のEF81も含め全編成を甲種貨物輸送扱いとして、この区間で貨物営業免許を有するJR貨物のEF510がけん引しました。南福井から大阪・宮原までは再びEF81がけん引。
EF510‐20がけん引する、回送『トワイライトエクスプレス』第2編成。
EF81はパンタグラフを下し、無動力回送です。


貴重、かつ寂しさの漂う光景・・・。
2016年3月のダイヤ改正では、これまた北海道新幹線の開業と引き換えに、札幌‐青森間を結んだ、最後の客車急行『はまなす』が廃止。
さすがに居ても立ってもいられず、
2月にお別れ乗車を強行しました。

「はまなす」はJR最後の定期急行列車でもありました。
さて、北陸本線の敦賀‐直江津間は交流電化区間。
その両端から先の、米原・京都方面と新潟方面、そして支線の七尾線は直流電化区間。
このため北陸本線に直通する電車は、交流と直流両用を走行できる機器の搭載が必要になります。
【1.金沢周辺を走る近郊型 415系、413系と、クハ455-700番台】
金沢近郊で今でも見られる国鉄形電車には、415系800番台と413系があります。
直流電化の七尾線で運用される415系800番台(旧塗装と新塗装;wikipediaから)


415系800番台は、113系直流型近郊電車に特急型485系から取り外された変圧器と交直流整流器を搭載して、七尾線電化用に改造された系列。
113系の初期型から改造されたため、JR西日本の近郊型の中では製造年が最も古く、1964年製の車両(モハ414-802)も在籍しています。
クモハ415+モハ414+クハ415の3両で1編成を組みます。
オリジナルの415系は現在JR九州に在籍車があり、関門トンネル直通運用に使用されています。
そして413系。
413系は、国鉄末期に車両新製費を抑えるため、老朽化の進んだ交直流急行型電車471系、473系の台車、モータと電気機器を流用し、車体のみを新製して生まれた片側2扉の交直流近郊型電車。
クモハ413+モハ412+クハ412の3両で1編成を組み、全部で11編成が作られました。
同じコンセプトでつくられた系列に、717系交流電車がありJR東日本に配属されていましたが、こちらは既に全車廃車。
これは、3月1日出張の帰りに金沢駅で捕えた413系。
七尾線地域単一塗装、「あかね色」です。
この編成の米原方連結クハには、特筆すべき車両が・・・!
413系オリジナルの「クハ412」ではありません。
『クハ455‐701』

クハ455‐700番台は、413系の増備に合わせ、その製作コストを抑えるため、余剰となっていたサハ455に運転台を取り付け改造し413系に連結した車両。
クハ455-701と702の2両が改造で生まれました。
455系は国鉄の交直流急行型電車。
電源周波数と出力改良の経緯により、451、453、455、457、471、473、475系の系列がありますが、基本的に全車連結が可能。
しかし国鉄急行型電車は、JR東海の165系も含め、2016年までにほぼ全車、廃車されました。
名古屋「リニア・鉄道館」に保存、展示されている165系直流急行型電車。、
先頭車クハ165(左)と、グリーン車サロ165(右) 湘南色と大看板が似合います。
この写真左は、大宮「鉄道博物館」に保存展示されている、先頭車クハ455。
(右は、直流型特急電車のクハ181『とき』)
富山ライトレールに生まれ変わる前のJR富山港線で運用されていた、交直流急行型475系。
これは復活塗装された国鉄交直流急行標準色。
北陸線旧地域塗装のクハ455‐701と車内。
クハ455-700番台の窓とドアの配置、車体長は、オリジナルのクハ455とは異なっています。
また車内はできる限り413系と共通の仕様とされ、セミクロスシートになっています。

オリジナルのクハ455と、改造前のサハ455

ともあれ、クハ455‐700番台は現在も運用されており、国鉄急行型電車は絶滅寸前ながらも、かろうじて現存していることになるのです。
【2.糸魚川快速廃止と、485系の終焉】
これは、京都鉄道博物館に保存展示されている、
寝台特急電車581系「クハネ581-35」と、交直流特急電車489系「クハ489-1」
1964年に登場し、全国を走り回っていた交直流特急電車485系。
485系一族には、交流60Hz用481系、50Hz用483系、周波数共用に改良された485系、そして急勾配の碓氷峠対策を施した489系があります。
国鉄特急型485系を使用する最後の定期列車だった、糸魚川-新潟間を運転の通称「糸魚川快速」が、この2017年3月4日ダイヤ改正で廃止され、国鉄改革30年の節目の年、ついに485系の定期運用が無くなってしまいます。
「糸魚川快速」に運用されているのは485系3000番台。
(新潟車両センター塗装;Wikipediaから)
485系3000番台は、JR東日本が国鉄形電車の体質改善のため485系に大幅な改造を施した車両。
車体外観、車内とも原型が解らないくらい改造され、一見新車並みに生まれ変わりました。
2016年2月「急行はまなす」お別れ乗車の後、青森‐新青森間1区間のリレー普通電車として乗車した485系3000番台 (青森車両センター塗装)
車内です。
国鉄485系の面影が全く感じられないくらい今風に改造されています。
JR東日本の485系には、東武日光線直通特急用に改造されたものもありました。
現在では、
元成田エクスプレス253系がその運用に就いています。
485系は国鉄交直流型特急電車の代表系列。
1964年北陸本線富山電化開業に合わせ、最初に登場したのが交流60Hz対応の481系。大阪‐富山間特急「雷鳥」、名古屋‐富山間特急「しらさぎ」として運転を開始しました。
初期型は、東海道線ビジネス特急として人気のあった151系「こだま」に倣って、ボンネット構造の先頭車。 (Wikipedia から)
大宮「鉄道博物館」で保存・展示されている、東北線特急「ひばり」のクハ481。
当時の上野駅ホームの様子が、リアルに再現されています。
485系は、1964年の481系から数えて1979年までの15年間にわたり製造され続けました。この間、同じ系列かと思われるくらいモデルチェンジが行われるとともに、様々な改造車が登場し、その全貌は混沌としていて、とても一言では書ききれません。
これは門司港駅に隣接の「九州鉄道記念館」に保存展示されているクハ481-603。
その元は、東北特急に使用され、その後、博多-佐世保間の特急「みどり」に使用された運転台付きグリーン車のクロ481-5です。
その後、普通車に格下げ改造されクハ481-603となり、日豊線などで使用されました。
支線への分割併合運転を考え、正面に貫通扉を設けた200番台。
しかし国鉄時代に貫通扉を使用した分割併合運転が行われたことはありません。
博多-長崎・佐世保間の「かもめ」「みどり」も貫通扉は閉じたまま。
JRになって、485系と583系混結の「シュプール号」が運転されたときには、貫通扉を開けて、幌も設置されました。
その後の増備車は貫通扉を省略した300番台になりました。
その顔から「電気釜」とも呼ばれています。
1974年、北海道 札幌-旭川間に特急電車を走らせることになり、耐寒耐雪構造を強化して函館本線に投入された1500番台。
しかし、想像を超える北海道の寒さと雪のためトラブルが続出し運休が多発。
国鉄は専用形式781系の開発を迫られることになります。
満を持して登場した北海道専用設計の781系。
その性能が安定していたことから、485系1500番台は全車781系に置き換えられ、本州に戻されることになります。
北陸線金沢‐新潟間特急「北越」に運用される1500番台。クハ481-1508
485系に、EF63との協調制御運転装置を取り付け、急勾配対策を施して、特急「白山」「あさま」として66.7‰の碓氷峠を上り下りした489系。
EF63と連結される、ボンネット先頭車クハ489-500。
連結器カバーは外されて自動連結器むき出し。
右側のジャンパー線は、制御回路の接続用です。
碓氷峠、横川-軽井沢間が廃止になったあとも489系は、夜行急行「能登」として活躍を続けます。ほくほく線の臨時特急「はくたか」に使用されたこともありました。
北陸本線の速達特急として、湖西線と北陸トンネルでJR西日本初の130km/h運転を行った「スーパー雷鳥」編成。
先頭は、パノラマグリーン車のクロ481-2100番台。
スーパー雷鳥は、途中編成分割して、七尾線や富山地方鉄道線にも直通しました。
3両の付属編成用に先頭車改造されたクモハ485-200番台。485系唯一の低床運転台貫通構造。
基本編成のクハ481-200番台と連結し、国鉄時代には使用されなかった貫通路もようやく使用されることになりました。
485系には食堂車がありました。
これはAU12キノコ型クーラー装備の、サシ481.
サシ481、サシ489は、24系客車に改造されたものもあります。
トワイライトエクスプレス用、スシ24-2。 種車は、サシ489-4です。
1988年当時、寝台特急用客車の食堂車は既に多くが廃車されていたため、トワイライトエクスプレスの食堂車「ダイナープレヤデス」は電車から改造されることになり、サシ489とサシ485をベースに、4両がスシ24となりました。
トワイライトエクスプレス『ダイナープレヤデス』 スシ24の車内。


トワイライトのスシ24は、京都鉄道博物館に保存されています。
こちらは、200番台、300番台と一緒に後から増備されたサシ481。
ユニットクーラーがキノコ型から角型のAU13に変更されています。
上野-札幌を結んだ寝台特急「北斗星」の食堂車もまた、485系から改造されました。やはり遊休のサシ481、サシ489をベースに8両が改造され、スシ24-500番台となりました。

『トワイライトエクスプレス』、『北斗星』 どちらも記憶の彼方の話となりました・・・。
まだまだ、485系については語りきれないのですが・・・。
国鉄時代に、地方幹線の電車特急用として登場し、直流と交流50Hz、60Hz全ての電化区間の走行が可能だった『485系』。
子供の頃、富山駅に行けば必ずクリームと赤の国鉄特急色をまとうその姿を見ることができました。
JR発足後も国鉄に引き続き、JR東日本、JR西日本、JR九州で特急として継承され、日本中を走り回ってきましたが、ついに定期運用から離脱する日を迎えました。
改造されたとはいえ、JR化後も30年間走り続けたのは驚異的ですが、改めて国鉄標準設計の、飽きないデザインと堅牢な設計に関心するばかりです。