(続きです)
3月4日はJRダイヤ改正の日
北陸新幹線で群馬・桐生へ出張。
その沿線で消えた国鉄形、現存する国鉄形をたどります。
【3.全廃される寝台電車583系と北陸線】
現存する車両は、JR東日本 秋田車両センター所属の6両1編成のみ。
グリーン車サロも食堂車サシもない、モノクラス6連ですが、国鉄塗装がそのままで往時の雰囲気を十分に醸し出しています。
定期運用は既になく、団体列車や臨時列車に使用されてきました.
今年2017年4月、遂に廃車されることが決定され、583系寝台電車が形式消滅します。
秋田車両センターの583系を使用した、磐越西線 快速「あいづライナー」 (Wikipediaから)

走行性能は485系とほぼ同じですが、車両限界一杯の大柄な車体が特徴。
北陸線、信越線では、特急「しらさぎ」「雷鳥」、急行「立山」そして「きたぐに」に使用されました。
臨時特急「日本海」として大阪から青森まで走破したり、スキー列車「シュプール号」として、大阪から直江津を経由し、ほくほく線に乗り入れたこともあります。
昼間はふつうの特急電車、夜間は寝台特急として、効率の高い車両運用を狙い世界で初めて実用化されたのが、581系寝台電車。
581系は交流60Hzのみ対応の機器でした。のちに50/60Hz共用となったのが583系。
当初は、新大阪ー博多間の寝台特急「月光」と新大阪-大分間の特急「みどり」をペアとした運用が組まれました。向日町運転所での折り返し時には、からくりのような座席⇔寝台転換構造を駆使して車内を寝台から座席、座席から寝台に模様替えしていました。
昼間の583系車内です。
天井両サイドのカバーに、中段、上段の寝台が格納されています。
下段は、シートをずらすとベッドになります。
荷物棚を上に回して、カバーをおろし、上段中段の寝台をセット。
シーツとカーテンを整えると、3段式寝台車となります。

寝台は中央廊下式で上中下の3段式。
登場当時の1967年、客車寝台は10系や20系の幅52cmで3段式が主流。
そこへ登場した581系の下段はA寝台に匹敵する幅100cm以上のベッドを備え、中段、下段も幅70cmあり、居住性が格段に改善され、好評を博しました。
翌1968年、電気機器の対応周波数を50/60Hz共用化した583系が開発され、運転区間は東北地方にも拡大します。
特急「はつかり」「みちのく」、寝台特急「はくつる」「ゆうづる」に投入されました。
北陸本線での運用としては、国鉄時代、博多-名古屋間の寝台特急「金星」に使用され、その日中の間合い運用で、特急「しらさぎ」として名古屋‐富山を往復していたことがあります。
また、大阪‐富山間の特急「雷鳥」の増発用に投入されたこともありました。「しらさぎ」は食堂車を営業していませんでしたが、「雷鳥」ではサシ581の食堂車営業が復活されました。
583系の特急「雷鳥」 (wikipedia から)
食堂車サシ581は断面が寝台車と変わらないので天井が高くなり、大陸的な独特の雰囲気です。 (Wikipediaから)

小生も高校生の時にこの583系「雷鳥」に乗車。食堂車でカレーライスを食べた覚えがあります。
北陸本線で最後まで走っていたのは、急行「きたぐに」。
14系寝台から置き換えられた1985年から2012年まで、大阪-新潟間を走り続けました。
当初の構想とは異なり夜行専用として運用されましたが、逆に昼夜兼用の構造を生かし、2段式寝台化されたA寝台のサロネ581、B寝台、グリーン車、普通座席車、と、夜行急行らしい多種多様な編成内容が特徴でした。
京都鉄道博物館にはクハネ581-35が保存されています。
九州鉄道記念館にもクハネ581-6が保存展示されています。
ヘッドマークには『月光』を表示。
暖地向きなので、タイフォンカバーがシャッターではありません。
九州鉄道記念館に保存の、クハネ581-6の車内です。
「あれ?」、つり革とロングシートがある・・・!

実は九州で展示されているのは、クハネ581-6から改造された近郊型電車クハ715-1なのでした。
塗装は581系に復元されましたが、増設されたドアや室内は715系のままです。
国鉄時代、新幹線の西と北への延伸に伴い、寝台電車が余剰気味となります。
そこで地方線区の電車化、運用合理化を図りたかった国鉄は、車両新造の財政が厳しいため、583系を近郊電車に改造することにしたのでした。
こうして1984年から85年にかけて生まれたのが交流近郊型715系と交直流近郊型419系。
715系は、東北(仙台・福島地区)と九州(福岡・北九州・長崎地区)に。
419系は、北陸本線全線に投入されました。
当初は7~8年くらい保てばよい、くらいのイメージで最小限の改造が行われ、座席は一部を残してロングシート化。上部の寝台カバーをそのままに、つり革を増設。
ドアはオリジナルと同じ、バス式の折り戸を増設して片側2か所に。
福井駅で並ぶ419系。
左は581系先頭車改造のクハ419。右は中間車改造の先頭車クハ418。
その顔つきから、通称「食パン電車」と呼ばれています。 (Wikipediaから)
地方用近郊型では419系が3両編成、715系は4両編成で運用するため、このままだと先頭車が不足します。
そこで、中間車サハネ581に運転台を取り付けて、先頭車化する改造が行われたのでした。
こうして生まれたのが、食パン クハ715-100 と クハ418。
改造費の捻出すら難しい赤字国鉄は、ここでも最低限の機能本位なデザインで済ませたのです。
JR東日本とJR九州の715系は14年ほど使用されましたが、1998年頃までに全車運用を離脱し廃車されます。
しかし、車両新製に慎重(つまりケチ)で、国鉄形を骨の髄まで使い倒すJR西日本は、この419系も2011年まで使用し続けます。
改造されてから27年も走らせていたことになります。
元の寝台電車としての期間が17年程度でしたから、それよりはるかに長い間使われ続けたのは、何とも皮肉な結果なのでした。
寝台電車583系の後継車というと・・・、日本では唯一の存在となった、
定期寝台特急『サンライズエクスプレス』285系
しかし285系は、カーペット車『のびのび座席』を除き、全車個室寝台で夜行専用。
しかも形式が示すとおり直流区間専用の車両なので、東海道山陽線から瀬戸大橋線経由高松行「サンライズ瀬戸」、岡山から伯備線に入る出雲市行『サンライズ出雲』専用形式となってしまい、他線区に波及することはありませんでした。

それでも、唯一の定期夜行285系『サンライズエクスプレス』、
いつまでも走ってほしいものです。
【3.1 余談 酔っぱらいの救世主!? 『583系 きたぐに』の思い出】
(列車名と時刻は『2009年5月の時刻表』から)
東京出張の帰り路、呑み過ぎた怪しい足取りで、北陸線連絡最終の東京発20:10『ひかり487号』に乗り込みます。当時は300系。
北陸本線乗換駅米原には22:38に到着。
米原から22:48発、最終の北陸線特急「しらさぎ65号」に乗り継げば、鯖江には23:42に帰りつける、
はずなのですが・・・。
泥酔状態で「ひかり487号」に乗り込むや否や、そのまま爆睡
<(-o-;)zzzz
気が付くと、米原にしては何やら車窓が明るく・・・・!
京都でした。
酔いも一気に醒め、時計と見ると、時刻は23:02。
あわてて「ひかり」を降りるも、もう折り返しの新幹線はない時間。
と、途方に暮れる状況下、京都23:52にやってくるのが、
583系「きたぐに」501M新潟行!

これに乗ると、武生には02:04、福井には02:17に着きます。
JRには国鉄時代から「誤乗送還」というルールがあり、乗り過ごした場合、折り返す駅で改札口から駅の外に出なければ、同じ等級、設備だと超過料金を支払う必要なく目的の駅まで行くことができることになっているのでした。
「きたぐに」には583系ならではの「自由席座席車」が連結されています。
なので、寝台券は必要ありません。「助かる~」
急行「きたぐに」は、武生に停車の次は福井で、鯖江には停まらないのですが、とにかく家の近くまではたどり着くことができます。
深夜料金のタクシー代はかかりますが、その晩のうちに自宅に帰りつけることが、何よりもありがたかったのです。
そうした583系急行「きたぐに」も、2012年3月のダイヤ改正で廃止に・・・。
今は、呑んだ後、新幹線の車内でグーグー寝ることもできなくなってしまいました。
それはそれで、何やら寂しい・・・。
(つづく)