
1 我妻佳代
1968年7月25日生 (49歳)
1987年(1984年)デビュー
宮城県出身
1987年
伝説の番組『夕やけニャンニャン』の『ザ・スカウト アイドルを探せ』に合格し、おニャン子クラブ会員番号48番を付け、おニャン子クラブ晩年の中心的存在として活躍。
・・・とは云うものの、同年11月におニャン子クラブは解散、結局おニャン子としてのソロデビューは果たせず。
同年
解散直後、
『プライベート デンジャラス』
でソロデビューを果たす。
しかし、おニャン子クラブの後ろ楯が無くなったからなのか、オリコンは9位止まりで見事に撃沈。
シングル4枚、アルバム2枚
実は彼女のシングルは、全て秋元康が手がけた曲ではありません。
この辺りからもおニャン子クラブの後ろ楯がなくなって苦戦した事が伺えます。
1989年 引退
彼女は、おニャン子クラブでのデビュー遥か前の84年から、アイドル雑誌
『モモコクラブ』のNo. 358
として既にグラビアで活躍。
また、ホリプロスカウトキャラバンにも応募しており、無名の頃からオーディション荒らしの如く、精力的に芸能界にチャレンジしています。
なので、業界人の中では、おニャン子クラブ入会事前の知名度は抜群だったとか。
また、実姉『芹沢直美』が既にアイドルとしてデビューしていたが、正直泣かず飛ばすでした。
彼女は、姉の二の舞を踏まない様に、自分で活路を開こうとしていたのかも知れません。

〈芹沢直美〉
また、デビュー当時から知名度があったからでしょうか芸能人の中でも人気があり、彼女のファンクラブに入会していた有名人もかなりの数いたとか。
しかし、芸能人や業界人にうけるから売れるというものでもなく、おニャン子クラブは解散し大きな後ろ楯もなくなり、また実姉がアイドルと言うメリットも無く、唄もさして上手くないなど、どれもこれも中途半端。
ルックスもアイドルとしては華やかさはなくヤッパリ中途半端だらけ、B級アイドルから抜け出せないスパイラルに陥った典型的な例です。
たった2年あまりのアイドル活動だっために、今になってカルトアイドルとしては知名度は高いのは皮肉な結果です。
お勧め曲は、アルバム『OH CAPPY』の
『あいつはハリケーン』
や、4枚目のシングル、
『悲しみの向こうがわ』
などはアイドルソングの王道、正にド直球で小細工なしの爽やかな曲です。
子供っぽい声色と、やや舌っ足らずの歌い回しが些か残念ですが、それが彼女の個性として映えているので愉しく聴けます。
『アイドルミラクルバイブル』としてベスト盤CDが発売されています。
現在は、中古として適正価格で購入可能ですが、今後おニャン子クラブが取り上げられる番組が増えれば価格高騰も考えられます。
聴くか聴かないかはあなた次第!
B級アイドル度 48%・・・おわり。
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Posted at
2017/10/04 09:57:24