
今回は、あと少しでスーパーアイドルの仲間入り。
芸達者故に、ジャンルを広げすぎて肝心な所が中途半端になっているアイドルです。
24 長山洋子
1968年1月13日生 (50歳)
東京都大田区出身
1984年 『春はSA-RA SA-RA』でアイドルデビュー
実は余り知られていませんが、彼女は幼少の頃からあの有名なCMに出演していました。
そのCMとは・・・
♪前はう~み 後ろはハトヤの大漁園・・・♪
そう、この子供こそが、若かりし長山洋子ちゃん!
幼少の頃から父の影響で民謡や三味線を習い、
『ビクター少年民謡会』
に所属していました。
その頃から数々のレコーディングを経験していた云わば強者(つわもの)少女でした。
1984年のデビューも、当時は演歌歌手としてデビュー予定で、デビュー曲まで決まっていたそうな。
(デビュー予定曲は「雪国」)
しかし、16歳には早すぎるとの事務所側の判断から、アイドル路線に変更しました。
彼女自身もアイドルはあまり乗り気ではなかったみたいでしたが時はアイドル戦国時代、この辺りも大人の事情というやつです。
暫くは全くヒットに恵まれませんでしたが、
1986年発売の黛ジュンのカバー『雲にのりたい』
がスマッシュヒットしたのをきっかけに、カバー曲を連発。
『ヴィーナス』を皮切りに、5曲連続オリコン20位以内のヒットになります。
その後、1988年頃から暫く女優業に力を入れ、満を持して、
1993年、自ら「演歌元年」と称し、演歌歌手として再デビューを果たします。
そんな長山洋子ちゃんですが、演歌歌手になった後の2009年には、「アイドル復活」としてヴィーナスを踊ったり、プライベートでは外国人と結婚するなど、演歌歌手としては派手な御乱心です(笑)
考えてみると、アイドル~演歌歌手のトラバーユは時として成功しているもので、古くは『森昌子』だったり、おニャン子クラブからの『城之内早苗』だったりと意外といます。
しかし、長山洋子ちゃんの様に、スパッと鞍替えしたアイドルは珍しいですね。
まあ、若い頃からの実績と芸能界の顔繋ぎ、そして歌唱力に裏付けされた実力があっての事ですね。
但し、アイドル時代が中途半端なイメージが残ってしまったのは、A級と呼べない証しになりました。
演歌でも成功した事により、名実共に、今では演歌の長山洋子さんになってしまいました。
アイドルが霞んでしまったのも芸達者故、そうならざるをえなかった訳です。
アイドルとして、シングル17枚、アルバム10枚
アイドル時代のアルバムは時折プレミアム価格になってます。
歌唱力は申し分ありませんが、微かにこぶしが感じられるのは御愛嬌でしょうか(笑)
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度・・・10%
今では中堅演歌歌手の大御所なのに、B級アイドルとは失礼ですが、ヤッパリどう考えてもアイドルとして中途半端なんですよね。
追伸
あまり知られていませんが、彼女はかなりの巨乳でした。
巨乳に着物は似合わないんだけど・・・(笑)
おわり
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80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2018/02/11 20:28:28