
今回は、緩~い70年代後半から華やかな80年代の過渡期に登場したアイドルです。
27 能瀬慶子
1963年3月16日生 (54歳)
1978年 第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝。
1979年 『アテンションプリーズ』でアイドルデビュー。
数あるアイドルを出しているホリプロ創世記のアイドル代表格榊原郁恵ちゃんの後追い路線を明確に示しての活動は、ある意味抱き合わせであったり、二番煎じであったと思えます。
それは既に売れっ娘になっていた榊原郁恵ちゃんの知名度が、能瀬慶子ちゃんの毛色まで影響を与える事になりました。
デビュー直後に、榊原郁恵ちゃん主演の
『ナッキーはつむじ風』
に出演し、更にはグリコのCDでも共演しており、売れっ娘アイドルの知名度にあやかるパターンは彼女にとってはそれなりの効果があったと思われます。
確かに、あどけない表情とあか抜けしない雰囲気は、派手さを感じずインパクト不足は否めませんでした。
なので、先陣のパワーや流れを必要としたのかも知れません。
ただ、不思議に現在でも『能瀬慶子』と言うと、名前は浮かんでも顔が思い出せない、歌が思い出せないなど、イメージが一致しない方が殆どですよね。
彼女の様なパターンは、抱き合わせ的な売り方をした結果、個々の印象が霞んでしまう典型的な形だったと思います。
彼女と言えば、あの一世を風靡した名台詞を残したアイドルだと言うことを忘れていませんか?
1979年、赤いシリーズの続編『赤い嵐』で記憶喪失で二重人格の少女を熱演?。
その時話した、
「ここはどこ?私は誰?」
・・・という迷台詞(笑)。
彼女の演技力の低さから、当時暫く笑のネタにもなりました。
今から思えば、ホリプロは能瀬慶子ちゃんを始め井森美幸ちゃんなど、奇抜な演技?をするアイドルを多数輩出してるなぁと感心します。
唄は、かなり下手です。
勢いでデビューさせた感じはありませんが、事務所側も彼女を歌手として長く引っ張る気はなかった気がします。
ただ、唄い方もほのぼのしていて決して嫌な気持ちにはなりません・・・。
クスクスっとはにかんで聴いて下さい。
シングル4枚、アルバム1枚。
引退する1983年までの4年間でかなり少ない数字です。
しかし、彼女はバラエティの出演も少なかった割には知名度があったのは、流石ホリプロです。
過去のEP.LPはデジタル再販されてませんが、復刻版ベストCDは何種類か発売されてます。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度・・・71%
彼女がデビューした以降に、80年代アイドルという新しい風が吹き出します。
既に時代遅れだったかも知れませんが、良き時代の緩い雰囲気を残していたアイドルでした。
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80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2018/02/27 09:49:46