
今回は、正統派アイドルから司会もこなすバラドルに可憐に変身をとげた80年代後半のマルチアイドルです。
58島崎和歌子
1973年3月2日生(45歳)
高知県南国市出身
1987年、『ロッテCMアイドルは君だ!』コンテストの準グランプリ。
(グランプリは相川恵里)
1989年、フジテレビドラマ『こまらせないで』で女優デビュー。
同年、『弱っちゃうんだ』でアイドル歌手デビューを果たします。
156センチメートル程しかない身長ですが、背が高く見える均整の取れたスタイルと、当時アイドルとしては少数派だったショートカットが絶妙な清潔感を生み、関係者からはアイドルと言う商品価値として高く評価されていました。
同年、子供ヒロイン番組『魔法少女ちゅうかなぱいぱい』の主役の小沢なつきが、突然失踪という形で降板。
直後、ストーリーを継承するかたちで、『魔法少女ちゅうかないぱねま』が放送開始。
その時の小沢の代役として、彼女が主役の座を射止めます。
この交代劇には諸説色々あります。
表の理由は、小沢なつきがマネージャーと駈け落ちまがいの事件を起こして失踪した…とされてます。
ただ、これには実際苦しい言い訳っぽいところが幾つもありました。
有力なのは、小沢なつきの素行の悪さから、スキャンダル的な爆弾が発覚。
子供番組では致命的な主役のスキャンダルの発覚を絶対的に避けるため、小沢を内部事件をでっち上げて降板させ、清潔でスキャンダルとは無縁だった、新人の彼女を起用したと考えられています。
肝心な歌の方はと言うと、実際にはヒットには恵まれませんでした。
1988年頃からバブル期を迎えると共に芸能界は、『アイドル冬の時代』を迎えてました。
だから、彼女が歌手に向いていなかったのではなく、恐らく時代がアイドルを求めていなかったと考えられます。
松田聖子や中森明菜のスーパーアイドルの求心力も衰え、おニャン子クラブなどのにわかアイドルグループも飽きられてきた時代。
平成元年(1989年)にはベストテン番組も終了して、アイドルが歌手として活躍出来るメディアがない時代になっていました。
彼女を含め、殆どのアイドルはヒットに恵まれず、静かにスクリーンから消えていった時代。
迷走の末、女優に転向するアイドルと、個性と面白さ全面に出したバラエティー番組に活路を見出だした『バラドル』に転向する流れが出来たのもこの頃です。
『バラドル』としては、森口博子、井森美幸、松本明子、山瀬まみなどが代表的でしょう。
その中で彼女はアイドルを離れ、ゆっくりとバラエティーに舵をとります。
そしてやがて、明るくて物怖じしない性格を、当時の大御所島田紳助に認められ、1991年から18歳にして『オールスター感謝祭』のMCに大抜擢されます。
これがはまり役になり、現在の彼女のトレンドになります。
彼女の持つ、ルックス、声の清涼感、明るいキャラクター、度胸は、MCアナウンサーの全ての要件を満たしており、本来アナウンサーの立つべきポジションをしっかり占拠してしまう事になりました。
この『オールスター感謝祭』は91年から2018年で数えて28年目。
これ程長きに、バラエティー番組のMCを勤めたアイドルはなかなかいません。
(MC交代もしていないパターンは極稀でしょう)
それだけ、彼女は現在のバラエティーに必要な存在であり、しかもしっかりMCも出来るマルチタレントに変身を遂げたと言う証拠なのかも知れません。
シングル9枚、アルバム2枚
歌は、あくの少ない爽やかな歌声で、どれも元気が出ます。
歌唱力もまずまずあり、時代が後5年早ければ充分ヒットしたと思います。
アルバムはプレミアム価格で取引されていますが、復刻版も出ています。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度・・・60%
彼女の評価は非常に難しいですね。
歌手としては間違いなくBですが、バラエティーとしての貢献度はまさにA級です。
酒癖が芸能界一悪いらしい…(笑)
お酒に限らず、スキャンダルや事件を起こさずに、息長く活躍して欲しいですね。
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80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2018/11/29 11:24:41