
お待たせしました!
2019年最初のアップは、実はアイドルでありながら◯◯にならなかった、結構希なアイドルです。
59島田奈美
1971年2月1日生 (47歳)
東京都練馬区出身
実は彼女は子役で活躍していた様です。
名前を本名の『島田奈央子』として1974年~76年まで、幾つかの番組、映画などに出演していた様ですが、私は全く知りませんm(__)m
1984年、『パンツの穴 花柄畑でインプット』のオーディションで準優勝。(グランプリは志村香)
翌年、同映画で『島田奈美』としてアイドルデビューします。
当時、その映画の関連もあり、雑誌『Momoco』で、西村知美、杉浦 幸と並んで『桃組三人娘』と呼ばれ、一定の認知度はありました。
その勢いのまま、1986年『ガラスの幻想曲』でアイドル歌手デビューをします。
デビュー当時は、オリコン20位前後を記録して、まずまずのセールスでした。
更に、4枚目のシングル『Free Balloon』が、オリコン9位にランクアップしたのを皮切りに、5、6、8枚目のシングルがシングルチャートを記録して、アイドル歌手としては大成功となります。
…ただ、皆さんもお気づきか、そんなヒットを連発した彼女ですが、私も含めて何故かアイドルとしの印象が薄いんですよ。
ここら辺りが彼女がB級アイドルである所以である訳です。
色々調べましたが、彼女は歌番組を除いて、テレビドラマや映画、さらにはバラエティー番組に出演し華々しい記録や記憶を残した形跡があまりないんです。
また、歌謡番組中心の活動とは言え、歌謡賞レースは殆どノミネートなし。
色々思い出して、歌以外の彼女で鮮明に記憶があるとすれば、デビュー間もない頃の『クレアラシル』のCM位なんですよね(笑)。
私の勉強不足ならごめんなさい、でも多分皆さんもそんな薄い印象だったと思います。
加えて、アイドルとしてのキャラクターが、『畠田理恵』と被ることが多く、そういった意味では地味なアイドルだったと思います。
1990年に引退するまでに、
シングル14枚、アルバム20枚(ベスト6枚)をもリリースしています。
どのシングルも、チャート二桁前半の売上があり、それなりの営業収入はありました。
歌は、典型的なカマトト声で、やや舌足らずな唄い回しが幼さを感じて、アイドルとしては王道でしたね。
決してハードな曲調ではありませんが、歌詞の表現力は流石に子役上りなだけに、同年のアイドルの中では長けていました。
では、では最初に書いた
『◯◯にならなかった』
とは、一体なにか?????
実は彼女は、アイドル活動中、
「水着に一度もならなかったアイドル」
なんです!!!!
当時のアイドルは、デビュー直後は勿論、中弛みなど商品的にインパクトが必要な時は、挙って水着を披露しました。
そういう売り込み戦術は当たり前な頃です。
また、1980年代後半は、バブリーなセクシー系グラビアアイドルが人気になり、一層元来のアイドル達にも、自ずと水着やセクシーフォトの需要が高まっていたのは事実です。
しかし、しかし彼女は頑なに水着を拒否しました。
理由は、『私はグラビアアイドルではない』からとか???
…まぁ、理由はともかく、そんなことでアイドルとしての印象が薄くなっているのではないでしょうか。
…とは言え、本当に水着は披露していないのか……、探しました。
実は、彼女は芸能活動で二回だけ水着を披露してました。
一回は、前にも書いた『クレアラシル』のCM。
残念ながら、写真は見つかりませんでしたが、ワンピースの水着に短パン、上からパーカーを着ていた、何とも微妙な水着ショットだった様です。
あと一回は、『パンツの穴』のオーディションの時の水着審査の時のもの。
これは彼女の意志の届かない処からの投稿写真の部類です。
かなり貴重かもしれません。
まあ、何となく水着になりたくなかった様な表情がわかりますね(笑)
彼女が芸能界で残した水着姿はこれくらいだった様です。
ある意味、珍しいアイドルかも知れませんね。
聴くか聴かないかは、あなた次第!
80年代B級アイドル度……67%
逆に水着にならなくてもヒットしたと言うことは、アイドルとして魅力があったということでしょうか。
現在は音楽プロデューサーをされているとか。
やっぱり、才能があったんですね。
おわり
ブログ一覧 |
80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2019/01/08 19:14:27