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伽羅csのブログ一覧

2018年02月27日 イイね!

能瀬慶子/ 80年代B級アイドルアーカイブ30027

能瀬慶子/ 80年代B級アイドルアーカイブ30027今回は、緩~い70年代後半から華やかな80年代の過渡期に登場したアイドルです。







27 能瀬慶子








1963年3月16日生 (54歳)







1978年 第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝。

1979年 『アテンションプリーズ』でアイドルデビュー。








数あるアイドルを出しているホリプロ創世記のアイドル代表格榊原郁恵ちゃんの後追い路線を明確に示しての活動は、ある意味抱き合わせであったり、二番煎じであったと思えます。
それは既に売れっ娘になっていた榊原郁恵ちゃんの知名度が、能瀬慶子ちゃんの毛色まで影響を与える事になりました。




デビュー直後に、榊原郁恵ちゃん主演の

『ナッキーはつむじ風』

に出演し、更にはグリコのCDでも共演しており、売れっ娘アイドルの知名度にあやかるパターンは彼女にとってはそれなりの効果があったと思われます。

確かに、あどけない表情とあか抜けしない雰囲気は、派手さを感じずインパクト不足は否めませんでした。
なので、先陣のパワーや流れを必要としたのかも知れません。

ただ、不思議に現在でも『能瀬慶子』と言うと、名前は浮かんでも顔が思い出せない、歌が思い出せないなど、イメージが一致しない方が殆どですよね。




彼女の様なパターンは、抱き合わせ的な売り方をした結果、個々の印象が霞んでしまう典型的な形だったと思います。





彼女と言えば、あの一世を風靡した名台詞を残したアイドルだと言うことを忘れていませんか?

1979年、赤いシリーズの続編『赤い嵐』で記憶喪失で二重人格の少女を熱演?。
その時話した、

「ここはどこ?私は誰?」

・・・という迷台詞(笑)。
彼女の演技力の低さから、当時暫く笑のネタにもなりました。



今から思えば、ホリプロは能瀬慶子ちゃんを始め井森美幸ちゃんなど、奇抜な演技?をするアイドルを多数輩出してるなぁと感心します。







唄は、かなり下手です。
勢いでデビューさせた感じはありませんが、事務所側も彼女を歌手として長く引っ張る気はなかった気がします。
ただ、唄い方もほのぼのしていて決して嫌な気持ちにはなりません・・・。
クスクスっとはにかんで聴いて下さい。






シングル4枚、アルバム1枚。
引退する1983年までの4年間でかなり少ない数字です。
しかし、彼女はバラエティの出演も少なかった割には知名度があったのは、流石ホリプロです。

過去のEP.LPはデジタル再販されてませんが、復刻版ベストCDは何種類か発売されてます。








聴くか聴かないかはあなた次第!








80年代B級アイドル度・・・71%
彼女がデビューした以降に、80年代アイドルという新しい風が吹き出します。
既に時代遅れだったかも知れませんが、良き時代の緩い雰囲気を残していたアイドルでした。
Posted at 2018/02/27 09:49:46 | コメント(4) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年02月17日 イイね!

ニャンギラス/ 80年代B級アイドルアーカイブ300217

ニャンギラス/ 80年代B級アイドルアーカイブ300217ファンだった方、申し訳ありません~!m(_ _)m
今回は、一世を風靡したあの『おニャン子クラブ』から輩出した、晩年のユニットグループ。
80年代で、最も歌が○○だったアイドルグループです。







26 ニャンギラス







メンバー

○立見里歌(会員番号15番) 
1965年11月14日生(52歳) 東京都出身



○樹原亜紀(会員番号6番)
1969年30月30日生 神奈川県出身



○名越美香(会員番号9番)
1966年4月13日生 埼玉県出身



○白石麻子(会員番号22番)
1969年6月12日生 東京都出身







伝説の番組『夕焼けニャンニャン』で生まれた、

おニャン子クラブ

の中では、後発のユニットグループ。
当時番組で、立見、名越、樹原をデビューさせるかどうかの視聴者投票がありました。
その後、他のアルバムでのテストユニット参加を経て、更に白石を追加した4人で、

1986年、『私は里歌ちゃん』でデビュー。



何故、3人でなく白石麻子を加えたのかは、あの3人では『華がなかったから』が理由だったとか(笑)
確かに当時白石麻子はソロデビューの噂もあったほど一定の人気を持ってました。
まあ、最初から3人では売れないと踏んでいた様ですね。

蓋を開けてみれば、ファースト、セカンドシングル共にオリコン1位に輝き、晩年とは言え当時のおニャン子クラブユニットの強さを見せつけた形になりました。






しかし、メインボーカルの立見里歌が史上最低と言われる程のお○ちで、他のメンバーもまともなコーラスにもなっていないので、ニャンギラスは小学生の学芸会レベルと言われる程の酷評を受けます。

致命的なのは、ユニットがユニットとして機能しておらず、立見をカバー出来るほど、他の3人も歌唱力はありませんでした。




当時の、お○ち歌手の代表格は、やはりおニャン子クラブ出身の『新田●利』『国生●ゆり』でしたが、立見のお○ちはそれを遥かに上回ってました。

デビュー曲の『私は里歌ちゃん』で立見が、

♪~私は里歌よ~♪

と唄う場面では、毎回音程が変わっていて、それが全部ズレてるなんていう事もありました。






80年代後半とは、正に勢いだけで、歌唱力が無くても話題性と少しの美貌があればデビューが出来た時代でありました。
80年代前半の、完全に造られたアイドル達に飽きて、世間が何処にでもいる様な素人っぽさを求めていた時代でもあったのです。
(これこそが秋元の狙いであり、平成のAKBの流れを作ることになります。)


また、ニャンギラスの場合は、最初からおニャン子クラブの残り物ユニット的な扱われかたをされていて、実は立見里歌の歌声を、怖いもの観たさに買うファンを狙った
『アイドルのコミックバンド』
の立ち位置だったのかも知れません。





2枚のシングルの大ヒットに溺れて、立見は翌年の1987年にソロシングル
『そんなつもりじゃなかったのに』
を発売しました。
(溺れて・・・?そんなつもりじゃ・・・(笑))

これがおニャン子クラブ出身アイドルのシングルで、最低の売上を記録してしまいます。

その後、おニャン子クラブ自体の人気も、急速に衰退して行くことになりました。






シングル2枚、アルバム1枚

とにかく、勇気を持って聴いて下さい。
自分に自信をつけるには最適な歌声かも知れませんね(笑)
アルバム『最初で最後』は何とプレミアム価格で取引されています。










聴くか聴かないはあなたの勇気次第!(笑)







80年代B級アイドル度・・・95%
ユニットとしての売上は成功したかも知れませんが、色々な意味で今なら絶対にデビュー出来なかった奇跡のグループです。
そう考えると、超貴重なB級アイドルです。

今では、素敵なおばさま方になりましたが、歌はどうなんでしょうか?(笑)
Posted at 2018/02/17 21:04:14 | コメント(4) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年02月14日 イイね!

仁藤優子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300214

仁藤優子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300214今回は、実力もルックスもスーパーアイドルの素質を持ちながら、声の不調で進路変更を余儀なくされたアイドルです。







25 仁藤優子








1971年8月28日生 (46歳)






千葉県千葉市出身







1986年 『ホリプロタレントスカウトキャラバン』で、「アクターアクトレス賞」を獲得。
同年グランプリは、『伊藤美紀』。


1987年 『おこりんぼ人魚』でアイドルデビュー。






コケティッシュであどけないな顔立ちと、物怖じしないサッパリした性格で一躍人気に。
同年、日本歌謡大賞の放送音楽新人賞を獲得しました。







シングルは、デビュー曲から3枚連続でオリコン20位以内のヒットを記録。
CMでの露出度も高く、流石にホリプロアイドルの格の違いを感じました。

また、アイドル界での聖子ちゃんカットと人気を二分していたポニーテールの髪型が、彼女のイメージにリンクしていて、80年代後半のポニーテールの代表的アイドルの一人にも数えられていましたね。








しかし、デビュー2年も経たずに、喉の不調を訴えてアイドル歌手をあっさり辞めてしまいます。

当時は単なる声の不調と思われましたが、テレビ番組で唄う際に、高音は裏返り、全体的にダミ声な彼女の姿を度々観ることになり、ただ事ではなかった事は確かだった様です。



今で言うと精神的ストレス障害の一種であったと考えられますが、やはり、15、6歳の女の子には、私たちには判らない苦労があったんだと思います。






その後は、アイドルとしての賞味期限の過ぎた同じスカウトキャラバン出身の、『井森美幸』や『山瀬まみ』らと共に、バラエティ路線に振られます。



90年に入り、山口百恵のカバーアルバム
『EASTER』
を出すも、歌手活動の本格的復帰にはならず、その後は女優一本の仕事にスイッチして行きました。





彼女は、アイドルの頃から目付きが鋭く、可愛い表情と意地悪な表情が同居する様な不思議な魅力があり、テレビの2時間サスペンス等では、悪女役として常連になります。

あの可愛いルックスから、かなりのキツイ台詞を淡々と話すシーンは、ドラマとは言えある意味『ドキッ』とさせられます。
以前紹介した「中山忍」とは相反するキャラクターを簡単に造り出す、芸能界の巧みさを感じますね。








シングル5枚、アルバム2枚
アイドル歌手としては極端に少ないですが、この数でこれだけの知名度は流石です。
歌唱力もかなりあり、だからこそ声の不調は悔やまれます。

また、これだけリリース数が少ないにも関わらず、復刻版ベストCDが複数社出ていますので、結構入手しやすいと思います。








聴くか聴かないかはあなた次第!







80年代B級アイドル度・・・88%
とにかく可愛かった・・・でも何となく生意気そうで、そこが魅力的な小悪魔アイドルでしたね。
今後もドラマなどの貴重な脇役で活躍してほしいですね。
Posted at 2018/02/14 13:32:17 | コメント(4) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年02月11日 イイね!

長山洋子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300211

長山洋子/ 80年代B級アイドルアーカイブ300211今回は、あと少しでスーパーアイドルの仲間入り。
芸達者故に、ジャンルを広げすぎて肝心な所が中途半端になっているアイドルです。







24 長山洋子







1968年1月13日生 (50歳)






東京都大田区出身






1984年 『春はSA-RA SA-RA』でアイドルデビュー






実は余り知られていませんが、彼女は幼少の頃からあの有名なCMに出演していました。







そのCMとは・・・









♪前はう~み 後ろはハトヤの大漁園・・・♪







そう、この子供こそが、若かりし長山洋子ちゃん!








幼少の頃から父の影響で民謡や三味線を習い、
『ビクター少年民謡会』
に所属していました。
その頃から数々のレコーディングを経験していた云わば強者(つわもの)少女でした。






1984年のデビューも、当時は演歌歌手としてデビュー予定で、デビュー曲まで決まっていたそうな。
(デビュー予定曲は「雪国」)




しかし、16歳には早すぎるとの事務所側の判断から、アイドル路線に変更しました。
彼女自身もアイドルはあまり乗り気ではなかったみたいでしたが時はアイドル戦国時代、この辺りも大人の事情というやつです。


暫くは全くヒットに恵まれませんでしたが、
1986年発売の黛ジュンのカバー『雲にのりたい』
がスマッシュヒットしたのをきっかけに、カバー曲を連発。
『ヴィーナス』を皮切りに、5曲連続オリコン20位以内のヒットになります。






その後、1988年頃から暫く女優業に力を入れ、満を持して、
1993年、自ら「演歌元年」と称し、演歌歌手として再デビューを果たします。







そんな長山洋子ちゃんですが、演歌歌手になった後の2009年には、「アイドル復活」としてヴィーナスを踊ったり、プライベートでは外国人と結婚するなど、演歌歌手としては派手な御乱心です(笑)








考えてみると、アイドル~演歌歌手のトラバーユは時として成功しているもので、古くは『森昌子』だったり、おニャン子クラブからの『城之内早苗』だったりと意外といます。
しかし、長山洋子ちゃんの様に、スパッと鞍替えしたアイドルは珍しいですね。
まあ、若い頃からの実績と芸能界の顔繋ぎ、そして歌唱力に裏付けされた実力があっての事ですね。

但し、アイドル時代が中途半端なイメージが残ってしまったのは、A級と呼べない証しになりました。
演歌でも成功した事により、名実共に、今では演歌の長山洋子さんになってしまいました。
アイドルが霞んでしまったのも芸達者故、そうならざるをえなかった訳です。








アイドルとして、シングル17枚、アルバム10枚
アイドル時代のアルバムは時折プレミアム価格になってます。
歌唱力は申し分ありませんが、微かにこぶしが感じられるのは御愛嬌でしょうか(笑)








聴くか聴かないかはあなた次第!








80年代B級アイドル度・・・10%
今では中堅演歌歌手の大御所なのに、B級アイドルとは失礼ですが、ヤッパリどう考えてもアイドルとして中途半端なんですよね。

追伸
あまり知られていませんが、彼女はかなりの巨乳でした。
巨乳に着物は似合わないんだけど・・・(笑)








おわり
Posted at 2018/02/11 20:28:28 | コメント(6) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ
2018年02月08日 イイね!

中山忍/ 80年代B級アイドルアーカイブ300208

中山忍/ 80年代B級アイドルアーカイブ300208今回は、スーパーアイドルの妹・・・。
アイドル歌手としてはお姉さんに敵わなかったけど、女優として立派に大成したアイドルです。







23 中山 忍







1973年1月18日生 45歳






東京都小金井市出身






最近彼女が、あの『中山美穂』の実妹だと言うことを知らない世代が増えて、自分は歳をとったんだと実感します。


お姉さんの後追いでデビューするパターンは意外に多く、有名処のアイドルとしては、

○石田ゆり子・石田ひかり
(石田ひかりはアイドルとしてデビュー)




○石野真子・石野陽子


※実は石野は三姉妹で、もう一人も女優です。
石野敦子(宝乃 純)




○岩崎宏美・岩崎良美
(岩崎良美はアイドルデビュー)




そしてそして、あまり知られていないですが、こんなスーパーアイドルも!

○中森明菜・中森明穂




流石にツーショットはありません。
(明穂は2、3本のテレビ出演とグラビア出演を経て早々引退してます。)







・・・となかなかの顔触れです。

そして共通点として、お姉さんが先にデビュー、後からデビューした妹はなかなかお姉さんを追い抜くセールスや活躍が出来なかったと言うことです。





中山忍ちゃんも、そんなスーパーアイドルをお姉さんに持つ妹としてデビューしました。






1988年 テレビドラマ『オトコだろッ!』で女優デビュー。

同年 『小さな決心』でアイドルデビューしてます。



元気で勝ち気なキャラのお姉さん中山美穂とは180℃違う清純系で、大人しく慎ましやかなタイプのキャラを持っていました。
タイプとしては西村知美、菊地桃子であり、極めて静かな雰囲気でした。



デビュー当初は、やはりお姉さんの七光りでデビューした様なイメージが付きまとい、かなり悩んだそうです。
しかし、あっさり歌をやめて女優一本で活動する様になると、中山美穂の妹と言う呪縛から解けたかの様に大活躍します。



90年代後半には、それぞれの映画祭の助演女優賞を獲得します。
但し、あくまで助演女優であり、お姉さんの様に主役を張るほどのインパクトはありませんでした。

その後もテレビドラマ、特に2時間サスペンスに数多く出演しており、今でも知名度は抜群ですね。
アイドル歌手を早々に辞めて成功した良い例だと思います。





ルックスはアイドルの中でもかなり可愛いですね。大きくて円らな瞳と、ちょっと自信のなさげな表情がたまりません。
また、歌はさして上手くありませんが、緩いハスキーボイスで、乙女の感傷を巧く表現していて、流石に女優さんだと感心します。
これあたりも、不良少女やツッパリを意識したお姉さんとは真逆です。








シングル8枚、アルバム4枚
ファースト、セカンドシングル共に、オリコン20位以内に入っていたので、ある程度セールスがあったはずなんですが、シングルCDや当時のCDアルバムは、中古市場では殆ど見かけません。

復刻版CDベストが幾つか出ていますので、そちらが狙い目になります。









聴くか聴かないかは、あなた次第!








80年代B級アイドル度・・・69%
やはり、中山美穂ちゃんがA級アイドルだとしたら、妹の彼女はB級なんですよね。
歳をとっても可愛い女優さんとして、息長く活躍して欲しいです。







おわり
Posted at 2018/02/08 13:44:03 | コメント(6) | 80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「@ひーちゃんH 、大江戸温泉物語…ありますね、昼神温泉抜ける途中ですね。」
何シテル?   08/06 08:28
極々平凡な勤め人です。 ですから見栄はりしません、背伸びも出来ません、金も無いから贅沢もしません。 ただのデブだからお腹と舌しかでません(笑) 車...
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