
ファンだった方、申し訳ありません~!m(_ _)m
今回は、一世を風靡したあの『おニャン子クラブ』から輩出した、晩年のユニットグループ。
80年代で、最も歌が○○だったアイドルグループです。
26 ニャンギラス
メンバー
○立見里歌(会員番号15番)
1965年11月14日生(52歳) 東京都出身
○樹原亜紀(会員番号6番)
1969年30月30日生 神奈川県出身
○名越美香(会員番号9番)
1966年4月13日生 埼玉県出身
○白石麻子(会員番号22番)
1969年6月12日生 東京都出身
伝説の番組『夕焼けニャンニャン』で生まれた、
おニャン子クラブ
の中では、後発のユニットグループ。
当時番組で、立見、名越、樹原をデビューさせるかどうかの視聴者投票がありました。
その後、他のアルバムでのテストユニット参加を経て、更に白石を追加した4人で、
1986年、『私は里歌ちゃん』でデビュー。
何故、3人でなく白石麻子を加えたのかは、あの3人では『華がなかったから』が理由だったとか(笑)
確かに当時白石麻子はソロデビューの噂もあったほど一定の人気を持ってました。
まあ、最初から3人では売れないと踏んでいた様ですね。
蓋を開けてみれば、ファースト、セカンドシングル共にオリコン1位に輝き、晩年とは言え当時のおニャン子クラブユニットの強さを見せつけた形になりました。
しかし、メインボーカルの立見里歌が史上最低と言われる程のお○ちで、他のメンバーもまともなコーラスにもなっていないので、ニャンギラスは小学生の学芸会レベルと言われる程の酷評を受けます。
致命的なのは、ユニットがユニットとして機能しておらず、立見をカバー出来るほど、他の3人も歌唱力はありませんでした。
当時の、お○ち歌手の代表格は、やはりおニャン子クラブ出身の『新田●利』『国生●ゆり』でしたが、立見のお○ちはそれを遥かに上回ってました。
デビュー曲の『私は里歌ちゃん』で立見が、
♪~私は里歌よ~♪
と唄う場面では、毎回音程が変わっていて、それが全部ズレてるなんていう事もありました。
80年代後半とは、正に勢いだけで、歌唱力が無くても話題性と少しの美貌があればデビューが出来た時代でありました。
80年代前半の、完全に造られたアイドル達に飽きて、世間が何処にでもいる様な素人っぽさを求めていた時代でもあったのです。
(これこそが秋元の狙いであり、平成のAKBの流れを作ることになります。)
また、ニャンギラスの場合は、最初からおニャン子クラブの残り物ユニット的な扱われかたをされていて、実は立見里歌の歌声を、怖いもの観たさに買うファンを狙った
『アイドルのコミックバンド』
の立ち位置だったのかも知れません。
2枚のシングルの大ヒットに溺れて、立見は翌年の1987年にソロシングル
『そんなつもりじゃなかったのに』
を発売しました。
(溺れて・・・?そんなつもりじゃ・・・(笑))
これがおニャン子クラブ出身アイドルのシングルで、最低の売上を記録してしまいます。
その後、おニャン子クラブ自体の人気も、急速に衰退して行くことになりました。
シングル2枚、アルバム1枚
とにかく、勇気を持って聴いて下さい。
自分に自信をつけるには最適な歌声かも知れませんね(笑)
アルバム『最初で最後』は何とプレミアム価格で取引されています。
聴くか聴かないはあなたの勇気次第!(笑)
80年代B級アイドル度・・・95%
ユニットとしての売上は成功したかも知れませんが、色々な意味で今なら絶対にデビュー出来なかった奇跡のグループです。
そう考えると、超貴重なB級アイドルです。
今では、素敵なおばさま方になりましたが、歌はどうなんでしょうか?(笑)

Posted at 2018/02/17 21:04:14 | |
80年代アイドル | 音楽/映画/テレビ