2014年11月24日
高所作業車
・リンゴ収穫でお手伝いで高所作業車に乗っていたので、体が軽く船酔いしてる。今回新しい機種と古い機種を乗り比べられたので、良し悪しや改良点についてメーカーに読まれない事を祈りつつ(嘘、共立さん、ユーザーはこんな事思ってるよ)レポートしてみたい。新機種はKCG-320Hで古い奴は・・・忘れた。カバーの番手で検索すると違う機種が出てくるのだが、現在のラインナップでは無くなってしまった高級機種である。農家さんとは「古いセルシオ」と呼んでいる。新しいのはさしずめ「新しい軽自動車」、両者は新旧の差で良くなってる部分もあれば、やっぱりクラスを超えられないって部分もあるのだ。大雑把に比較すると
「新しい軽自動車」 「古いセルシオ」
サイズ ナロートレッド ワイドトレッド
重さ 軽いが、550kgあたり 多分700kgぐらい
操作性 油圧の直バルブ制御 リレーサーボ
積載量 100kg(きっちり) 100kg(130kgは上がる)
アーム長さ どっちも同じぐらい
補助運搬能力 ゼロ 120kg
アーム振り角度 48度 多分55度ぐらい
アーム動作方式 電動油圧 エンジン油圧
新しい奴はポンプも元気でオイルも新しくエンジンも力があるので、負荷が軽い所ではキビキビ動く。アームも全然揺れないので船酔いがおきないし、オーバーシュートしてガクガクして怖いという事もない。んが、アームの振り角度が小さいので、大きい奴では突っ込める場所にゴンドラが入っていかない。理由として、軽量でトレッドが狭いため、土台が横転してしまわないように制限を加えていると思われる。それ以上に斜めにしたければ車体自体を斜めに回せばいいという考えである。
しかし、トレッドが狭いためにキャタピラで横に向けようとすると、反対側のクローラーが滑ってしまってあまり横を向いてくれない。古いセルシオはキャタピラ操作はリレーか何かで軽いので、超信地旋回をしようと思えば指先で出来るのだが、新しい軽自動車は直バルブなのか操作が重くてストロークが長いため、同じ操作は指先ではできないので、なおさら横向きが難しい。恐らくこの操作系の改悪は安全性が絡んでくるのだろうとは思う。ゴンドラでリンゴの木の懐に入れると、枝が突っ込んできてコントロール系を押してしまう事がありうるので、思わぬ事故がおこりうる。とは言え、操作の効率はかなり悪くなった。
また、高所作業車は単体で運用すると運搬車が別途必要になるが、ワイドトレッドの古いセルシオは車体横にカゴが乗せられ運搬能力があった。一人で完結した作業系だったのだが、新しい軽自動車だと別に運搬車が必要。随伴歩兵がいるし、載せ替えの手間がさらに増える。まあ、作業機が狭いので通路は狭くても良くなったが、リンゴは幅狭く密植すると暗くなるので狭いメリットは「軽トラに乗せられること」以外ない。とは言え、軽トラに550kgの作業車乗せるのは(公道走行しない場合でも)色々おっかないので私は絶対やりたくない。圃場に置いておくと盗まれるとか、圃場が飛び地で持っていきたいとかあるのかも知れないが、6種類ほどあるモデル全部が同じような概要だとメーカーは何考えているんだろうって思う。ま、唯一全旋回のがあるけれど、価格が2倍ほどになるし、トレッドは同じなので横転リスクが増える。
操作系は安全対策の他に内部の構造の簡素化、ユニット化がされていた。油圧モーターで回していて、微速調整が出来るのは進歩している(価格も本質的にはかなり安くなっていると思う。信頼性とか補修性は知らん)。また、横のスイングだけは電動化して、エンジン切っても動くのだそうだ。ただ、これがまたくせ者で、完全に電動化しているのもあるだろうが、すごい遅い。古いセルシオは最初乗ると怖いぐらいキビキビと動くし、へたってオーバーシュートするので慣れが必要だが、ともかく速い。また、傾斜地ではどのみちペダルで油圧リリースするとフリーで動くようになるので、アーム下降は動力いらないし、横にもそんな苦労しないで動くけどなぁ・・・って感じ。まあ、進歩は感じるが、だったら全部電動化してエンジン発電のシリアルハイブリッドにした方が楽ではないか?って気はする。そうすればエンジンは小型に出来るし静かだし。まあ過渡期だろうね。
作業重量はメーカーさんは文字通りの設計をしただけなので悪く言えないが、古いセルシオは3箱乗せて作業者乗せて上下出来た。一箱20kgで作業者の装備重量が85kgあたりだと145kgらへんになるが、それでも動く。現実問題として、100kgというのは80kgの作業者だと余裕が20kgしかないので、1箱しか収穫出来ないという事になる。実際は工夫して最初上げておいて降下させながら取るとか出来るけど、150kg程度の作業能力は必須だと私は思う。何故なら、リンゴは選別して収穫する必要があるので、箱一つだと全く選別出来なくなってしまうからだ。
さて、メーカーに望むことだが、まず「軽トラに乗せる」機能を全部のモデルにやらないでほしい。スペック的に見てB35と320Hは重複しすぎる(B35は新しいので、あるいは併売時期だけかも知れないが)。250Hも軽トラ用軽量モデルな訳だが、価格と機能を考えるとほんとそれだけ。361はアーム伸縮の意味がわからん。トラックフレームから上で回す361は運搬能力を持たせられないので、ほんと需要が分からない。もちろん、リンゴ農家だけがこういうの使う訳じゃないかも知れないが。
自分だったらこうするのにという部分だと、やっぱり操作系の軽さ、レスポンスは古いセルシオぐらいじゃないとストレスが溜まる。移動で両手がふさがるのはしんどいし、安全のためとは言え操作系が重すぎる。スイッチではなく多段階サーボのリモートが出来れば一番いいんだが・・・作業重量に関して思うのは、ゴンドラ側を軽く出来ないだろうか?ここが軽ければ積載量も増やせるし、横転リスクが減るからアーム旋回角度も上げられる。あるいはアームを長く出来る。なのに、ゴンドラはゴツイ鉄で出来てるし、荷台もアングル材みたいなのだし、アームもぶっとくて厚い鉄だ。もしかしたら業界の設計基準で安全対策上鉄とか決まっているのかも知れないが、素材強度で言えば軽合金でもいいし、FRPのような複合材でもいい。多分FRPで設計も合理化したゴンドラなら10kgぐらい軽くなるだろうし、アームなんかも鋼材から見直せばもっと軽く出来そうに見える。農家さんと話す点としては、コンテナの上げ下げが面倒ってのがある。作業重量を減らす観点からしてもコンテナだけ上げ下げ出来るエレベーターがアーム上あたりにあれば、わざわざ重いコンテナを一緒に上げなくてもいい。ただ、選別して並べて入れるためには、やっぱり手元にコンテナがあった方がいいのも事実。これが穀物みたいな物ならオーガーみたいにグレンタンクに収穫する手も使えるんだが。
もっと根本的にはリンゴの仕立て方、圃場の立地が、この手の高価で高性能な農機を前提としない方向になっているという部分もある。平地園であれば、こんな高性能な機械じゃなくて250H以下の物でも充分だろうし、ワイ化してあれば高所作業車すら不要って事もあるかも知れない。今のリンゴ園も初期のワイ化であり、それ以前のリンゴは開盆仕立ての立ち木で、こういう立ち木のリンゴが好きという声も聞かれるのだが、傾斜地の立ち木という悪条件分美味しければ、それに見合う価格を請求しなければ成り立たないだろう(松川町とかは脚立かついで立ち木にとりついている人もいたなぁ)。
・狼やキツネと犬の交雑の話を書いていて「そういえば本当にできるんかいな?」と思って検索したら、イエイヌとイヌ科の動物の交雑はカニド・ハイブリッドと言うそうで、その中で一番メジャーな狼との交雑を狼犬(ウルフドック)といい、品種固定されているのもあるそうだ。キツネもあるそうで、DOX(ドクス=FOX+DOG)と言うそうな。しかし、ドクスはイエイヌのメスとキツネの雄の交雑として時々偶発的に発生したという伝説に近い感じであり、確実にそうという物はいないらしい。うーん、キツネの雄と犬の雌で人工的に繁殖して確認しようという人はいないのだろうか?そして、タヌキのカニド・ハイブリッドは「確認されていない」とあるので、こいつらは交雑しない物と考えられる。しかし、キツネとタヌキはアカギツネという同じ亜科にあり、キツネで出来るんならタヌキもワンチャンとか思ったりする。オオカミとイエイヌは同属レベルなので、むしろ交配出来ない方がおかしく、そうするとニホンオオカミの血が入ったイエイヌが和犬の中にいるかも知れない。
・ラジオで新人っぽいアナウンサーが「雨が降りつづけるでしょう」という、なんとも珍妙な言い回しをしていた。ん?意味は分かるけど、普通はそうは言わないよな?何が間違っているのか、あるいは間違ってないのか、久々に活用とか考えて見たけど日本語の文法はこれ分類した人アホだな。日本人が分かりづらいわ。
問題は「続けるでしょう」の部分。意味として普通は「続くでしょう」が使われる。「続く」の活用は5段活用なので、「続く」の活用は終止形か連体形、「続け」であれば仮定形である。「でしょう」というのは助動詞の「です」の未然形で、丁寧な断定を意味し、一部の同士の終止・連体形に接続するとあるので、答えは「続くでしょう」が正解。んじゃ、「続けるでしょう」は言わないのか?「彼は肺ガンになってもタバコを吸い続けるでしょう」、ぱっと思いついたので内容はともかく、日本語として破綻はしていないように思う。逆にここを「彼は肺ガンになってもタバコを吸い続くでしょう」とは言わない。文法的には「です」は体言にも付くので、名詞・代名詞なら付く。たとえば「明日は雨でしょう」は通じる。動詞であっても、形式名詞にして「○○こと」としても繋がる。たとえば「雨が降ることでしょう」。でも、天気予報で「雨が降ることでしょう」と言う事もまずないだろうと思う、文学的な香があっていいけれど。普通は「雨が降るでしょう」となって、終止・連体形の降るに直で付ける(降るも五段活用しているから)うーん、OKなのかNGなのかはっきりせんな。
文法が私の知識不足もあり手詰まりなので、かなり危険なのだけれど意味論からアプローチしてみたい。「雨が降り続けるでしょう」から私が受ける印象は「本来意志がない天候がまるで自分の意志で降り続いている」ような感覚だ。「タバコを吸い続けるでしょう」にも、意志を感じる。能動的にする動作なので、逆に「続くでしょう」という言葉には放任的な響きがあっておかしく感じる。ただし、意味論は主観要素が強いので、そう感じない人が多くてもおかしくない。そんな事を考えていたら、あれ?続けるって本当に五段活用だろうか?って疑問が出てきた。
五段活用の見分け方は否定形を付けて語尾変化が「あいうえお」ならば五段とある。「続く」の否定を「続かない」と考えるなら五段活用であり、上のような見解になるのだが、「続けない」という活用なら「下一段活用」になる。
未然(ない) 連用(ます) 終止 連体(とき) 仮定(ば) 命令
「続」 続か 続き 続く 続く 続け 続け
続け 続け 続け 続ける 続け 続け
で、活用させてみたのが上なんだが、五段活用はまあ問題なく活用するんだけれど、下一段活用もしてしまった。という事で、語幹が「続」という動詞は日本語では2種類がある事が分かった。じゃあ、2種類の違いはどこよ?って事になる。
ここからは意味論を出しても多分通じるだろう。主体の意志を感じる物に対しては「下一段活用」、感じない不随意の物に対しては「五段活用」が使えそうな感触はあるので、その境界を探れる。まあ、擬人化含めて動物は意志があるので五段だろうし、それ以外が下一段活用で「ない」例が見つかれば反証になる。てっとりばやく人間が主語で五段活用しちゃうかどうかである。
「彼は歩み続ける」 ○
「彼は歩み続く」 ×(ないわ)
「彼は暗愚であり続ける」 ○
「彼は暗愚であり続く」 △(ちょっと古語、文語調だが苦しい)
逆に天気や主語が動物でも集団的な物はどうか?
「雨は降り続く」 ○
「雨は降り続ける」 △(違和感の元)
「大衆はヒーローを求め続く」 ×
「大衆はヒーローを求め続ける」 ○
うーん、「状態の継続」のような、あまり意志が介在しないと思われる物でも五段と下一のギャップを埋める意味論的な事例は受け入れがたいな。逆に違和感程度だったラジオのアナウンスがハッキリと誤用であると自覚するようになった。ここで、ちょっと思いついたのだが、日本語には主格を表す接尾語には「は」の他に「が」が使える。調べると「は」は周知の事柄、「が」は新しい情報と思う物に使われる事が多いらしい。本質的には日本語では主語がそれほど強くないので、「ゾウは鼻が長い」と言っても間違いではなく、述語の「長い」がむしろ支配的だという人もいる。欧米の動詞が主語によって色々変わるような支配的な関係とはまた違うけれど。では、「続ける」と「が」の関係はどうか?新しい情報の強調であれば、「が」と「不随意の続く」の相性は悪く「意志の続ける」の相性は良いのではないか?
「雨が降り続けるでしょう」 △
「雨は振り続けるでしょう」 △
「雨が降り続くでしょう」 ○
「雨は降り続くでしょう」 ○
うーん、「不随意の続く」で主格の程度による違いは感じないな。どっちもどっちの違和感である。でも、統計を取れば有意差が見られるかも知れない。卒論ぐらいだったらやってたかもな。では、「意志の続ける」の相性はどうか。
「豚は娯楽を追い続ける」 ○
「豚が娯楽を追い続ける」 ○
「豚は娯楽を追い続く」 △
「豚が娯楽を追い続く」 △
・・・カオス。意味論で許容度を測っているつもりが「豚だから娯楽を求めるのか、娯楽を求めるから豚なのか、豚は何かの比喩なのか」とか混乱してくる。それでも「大衆はヒーローを求め続く」より「豚が娯楽を追い続く」の方が、なんとなくだけど許容出来そうな気がする。村上春樹の小説の夢の中でフロックコートを着た豚がルーレットをし続ける風景があったら、ありそうな気もするのだ・・・ないか。他に色々考えられられそうな例。
「それでも地球は回り続ける」 ○
「それでも地球は回り続く」 ×(自然現象なのにおかしいな)
コペルニクスさん、大激怒ですよwwwどうも、一定の状態である意味の続けると、動作を示す続くでも違う模様。
「彼は茂みに隠れ続ける」 ○
「彼は茂みに隠れ続く」 ×
うーん、状態の継続の意味であっても、主格が動物っぽいとダメか。
「温泉が湧き続ける」 ○
「温泉が湧き続く」 △(古風ならありそう)
あれ?不随意で状態でもダメだぞ!?と思ったが、この文章では倒置すると何故かどっちでも行けてしまうという気がしてきた。ただ、これ、古語の違う活用と偶然同じだけじゃないか?という気も(古語はもういやぁだ)。
「湧き続けるは温泉」 ○
「湧き続くは温泉」 ○
じゃあ、倒置なら先ほどの例で意味論がカオスになった例を当てはめてみよう
「娯楽を求め続けるは豚」 ○
「娯楽を求め続くは豚」 ☆ もう、どうでも、いい
他には日本語だと他動詞と自動詞という分類もある。たとえば「汚れる」と「汚す」のように、同じ現象でも対になるとある。識別方法は目的を示す「を」を動詞の前に取るかどうかである。
「彼は人生の晩節を汚した」 ○
「彼は人生の晩節を汚れた」 ×
ま、この言葉の場合は熟語になっているので、意味が通じるように自動詞と他動詞を入れ替えたとしても、言ってみればベクトル変換しても、元のニュアンスは戻ってこない。ま、意味は通じるけどね。
「彼の人生の晩節は汚れた」 △
では「続ける」「続く」は自動詞と他動詞の対の関係なのだろうかと言うと、「続ける」は動作の継続を示す言葉が続く事が多いので、「続」単体で評価していいのだろうか?って疑問は生じる。というのは、感覚としては自動詞と他動詞の関係も疑えるが、「を」をどちらも取らない気がするのだ。
「雨が続く」 ○
「雨を続く」 ×
「雨が続ける」 ×
「雨を続ける」 △ (文法としてはありだけど、意味論で違和感)
最後の「雨を続ける」が意味論的な制限である自発性と不随意性から来ていると未だ言えるなら、目的語が意志で「続ける」物であれば違和感は大分減る。たとえば
「状況が続ける」 ×
「状況を続ける」 ○(軍隊の演習用語とかの意味で)
「状況が続く」 ○ 一般的にOKだろう
「状況を続く」 ×
ふむ、こうすると「が」と「続く」は相性が良く、「を」と「続ける」は相性が良さそうで、他動詞自動詞なんかも知れない。
では、動詞との連用状態ではどうか?
「雨が降り続く」 ○
「雨を降り続く」 ×
「雨が降り続ける」 △
「雨を降り続ける」 ×
ふむ、続ける単体での分析に近い感じだ。と、ここで「じゃあ自動詞他動詞に意味論を入れると違和感が出たり引っ込んだりするなら、連用される方の動詞自体の自動詞他動詞はどうなるんだろう?」といういらない疑問が・・・比較がそろそろ面倒になったので、結論の分だけ出すと
「雨が降られ続ける」 ×
「雨が降られ続く」 ×
って事で、日本語は語尾変化が多いからか、連用前の動詞をいじっても違和感は消せなかった。というか、日本語の感覚だと
「雨に降られ続ける」 △(微妙だけど、受け身の意味の重複がくどい)
「雨に降られ続く」 ×
「雨に降り続けられる」 ○(実際に言いそうな言い方はこっち)
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2014/11/25 21:01:37
今、あなたにおすすめ