2019年06月10日
昨日の日記(房作りと会議)・エルガーチェロコン
・仕事、乗用モアのタイヤを取り付けて草刈り、取り付けようとしたらハブが逆さだった。やっぱりミスはある。モアの調子は大変良かった。草が水分多くて良く切れたってのもあるだろう。あと、タイヤの高さが2cmほど上がったので、刈り高が変わったかも知れない。ラグタイヤは地面にめり込むので額面ほど低くなった訳ではないだろうが。そして今度軽トラが駐車スペースにはまった。幸い仕事終わって出そうとしたら一発で出てくれたのだけれど、せっかく穴に突っ込んだ草まじりの泥が移動しているのが腹立たしい。
草刈った後は房作りをしていたが、すぐ会議の時間。会議は有意義であり議題はどんどん消化されていったが、心配としてはあまりに多い取り組み事項があって、それ全部やれるのだろうか?ってのがある。私は今年は役員だけでテストしたいと思って提案した物が、そのままいきなり本運用したいというのが多く、意識が高い役員なら受け入れられる内容が会議にも活動にも出てこない人にもやられるのかなぁ、逆にそういう所だけ積極的に利用されるようでも困るけど・・・って感じ。まあ旅行プランは私が嫌々とごねて、じゃあアンケやるかみたいな話になってたけど、結局他の人はプランを具体的に出さなかった関係で妥協的プランながら通ったので、前倒しで決まる事自体はいい。ただ、例年なら全員で分担していた作業がこっちにかぶってきているのもあって疲れる。
・ニュースサイトで燃費のいい運転についての話が出ていて、いくつか思う所があったのでチラ裏。さて、うちのサンバーの燃費って今見たら15.01km/リッターだそうだ。カタログ燃費を調べたら多分15.8km(10/15モード)じゃないかな。達成率は95%でJC08なら100%超えるかも知れない。軽トラは極端なカタログ燃費モードの設計ではないし、元の燃費があまり良く無いので、まあこんな物かなという感じ。これは先代U42Tでも似たような物だった。
さて、燃費走行はまあベストは機械的に決まってくるので、燃費を出すだけならやり方は調べれば分かるだろう。しかし現実の路上だと別の事を考慮しなければならない、他車との関係だ。一時期エコランに挑戦しすぎて「エゴラン」と揶揄されたような極端なのは法的にはどうであれ望ましくない。一方であまりに下手な運転に毒されたドライバーにまで配慮する必要はないというか、基本路上の流れは下手なドライバーで形作られているので漫然と運転してたら燃費は悪くなる。どこまでが現実的妥協点なのか、あるいは下手なドライバーの下手たるゆえんなのかを考えてみたい。
他者との軋轢を考える上での要点は主に3つだと思う。一つ目は「最高速」、二つ目は「加速速度」、三つ目は「車間距離」だ。まず「エコランの奴らはトロトロ走っていて邪魔だ」という物から。先にエコラン視点で見ると40km~60km、今の技術だと80kmぐらいまではそこまで速度による燃費の差ってのは無いように感じる。空気抵抗の低減技術や効率的なエンジンミッション協調制御のおかげだ。だから、これは許される限りは交通の流れに乗って走ればいいと私は思う。実際に路上で遅い車はエコランじゃなくて高齢者ドライバーだったりするけどな。さすがに下道で80kmで遅いとか言う人はちょっと擁護できんわ、さっさと抜いていって。
次、加速、これが一番賛否が分かれる事案だと思う。シグナルダッシュで遅い車がいてイライラするという意見。これはケースバイケースで、確かに待ち時間が長い信号で多くの車が通過するためには私も極力鋭く加速させているし、自分でひっかかると損した気分にはなる。ただ、長いストレートが続きダッシュでの遅れがそのまま適正車間距離になるケース、最高速でおいつくケース、どのみち次の信号でひっかかるし後続車両がそんないないケースもある。県外ナンバーがやたらイキッてダッシュしても地元ナンバーが追いつくなんてのは良くある事だから、ここらへんは生活圏の道路信号環境をちゃんと知っておく事が大きな差になる。地元ナンバーがちんたら加速してたら、大抵の場合それがベストになっているか、ねずみ取りの穴場だ。逆にエコランサイドから見た場合はどうか?加速時の燃費はとても悪い訳だが、じゃあノロノロ加速すれば格段に良くなるのか?と言うとそんな事はない。適当な数字だが0.1G加速でリッター4kmだとして0.02G加速なら20km走るかって、そんな事はない。いいとこ12kmっとかそんなもんだ。エンジンには効率的にトルクを生むゾーンがあり、ある程度スロットルあけて圧縮上げてパワー出した方が良い事もある。サンバーぐらいまではアナログスロットルでMTだし普通に加速しても交通の流れに乗れる。問題はエコカーのCVTのタイプで、あれのエコランプは加速時は消えるぐらいでいい。ミライースで確認したが、CVTがルース側にシフトしない程度の必要充分な加速でもエコランプは消えるし、じゃあエコランプと消える時の燃費の差がすごい大きいかと言うとそんな事はない。BAD表示が出ない程度でいい。逆に無駄なのはCVTがダウンシフトになる、トルコンのトルクが後から発散してアクセルオフなのに加速する、そこらへんはやりすぎ。で、その領域で下手なドライバーの加速の邪魔になるほど遅いのかどうか?客観的に見ると、エコカーは軽くて抵抗が低いのでエンジンはうなってないが速度のノリ的にはミニバンで踏みつけてるのより速かったりする。加速度はなかなか客観指標がなく、「一転がし待ってからアクセルオン」とか「5秒で20km」とか言ったりするが、そこらへんが迷惑になるほど遅いとしたら世の中のミニバンの半数は否定されてしまうんじゃなかろか?いや、そういう趣旨で言う人がいてもいいんだけど。
車間距離を詰めてないとエゴ運転かどうかは、周辺状況や速度にもよるので、一律2秒とかスピードと同じ距離とは言い難いが、一つ感じるのは郊外では車間距離は能動的に決めた運転の結果で決まる物で、何メートルにしようと思ってひっついたりしてアクセルブレーキ忙しくするのは下手な証拠だ。極論だがF1が並んで走っているのは、あれ別に車間守るためにそうなってる訳じゃなくて、レコードラインを各自が目一杯なり、少し余裕持ったりして走った結果である。あれが草レースになるとみんな走るラインがバラバラで安定してなかったりする。スリップの話はまあ忘れて。渋滞する市街地はそうも言ってられないが、逆にエコランを渋滞路でやってもあんまり意味はないと思う、20km以下の加速減速でもガバガバやれば悪いけど絶対値も悪いし、一番はそういう所走らない事かも知れない。逆に超高性能車で渋滞路で車間距離のために加速減速慌ただしくやってるの見ると、そんなために開発しないでもいいのにっては思う。というか渋滞路の加速は軽くてレスポンスがいい排気量があるNAでトルク型という事なので、ターボのGTカーとかは音はすごいがそんな綺麗には走ってない。
話を総合すると、エゴ運転の思い込みもあるし、セカセカ運転の思い上がりもあるけれど、性能差がある程度許される公道上で高齢ドライバーや物流ドライバー以上い遅いんでなければ、せかしても時間差はないんじゃないのかな?というのが私の意見。そこまで速いんなら、追い越せばいいだけで、追い越せない程度の差でイライラする事はないんじゃないかと。無論、遅い車が先頭のトレインが出来ているとか、ブラインドコーナーだらけとか気持ちは分かるけど、基本高性能車を「持て余している」のがイライラの原因じゃないかな。渋滞路快適じゃないよやっぱり。
・先日久々にクラシックレコードの店に行ってエルガーのチェロ協奏曲でデュプレ以外の無い?って聞いたが、案外無い。ロストロ君とかはなくて、ヨーヨーマとかマイスキーのは在庫がなく、そもそもちょっと綺麗すぎるだろうねとの事、置いてあったのはワイラーシュタインのだったが値段が良すぎる。今CDで3000円はないわ。と安いシリーズ見たらデュプレのがあった。デュプレ以外と言ったのは、彼女の歴史的名盤とも言えるバルビローリ&BBC交響楽団のは持っていたからだが、このCDはバレンボイム&フィラデルフィア交響楽団の物だった。バレンボイムはデュプレと結婚した旦那さんである。値段的に手頃だし、演奏は「違うよ」との事だったのだが、はたして違った。
バルビローリ盤はもちろん名演でバランスが良く、情感もあり、若いデュプレをおじいちゃんが見守っているような対話感があった。一方バレンボイム盤は激しい、何かをぶつけるような荒々しさと、フィラデルフィア交響楽団の割れんばかりの金管の近代アメリカ的な豪快さにめまいがする。録音はバルビローリ盤は65年だからデュプレは20歳、バレンボイム盤は71年なので26歳になる。この時期は録音技術も長足の進歩をとげており、65年の音質はまだHi-Fiになりきれてない感じもあるが、71年は情報量的には民生オーディオなら確実に飽和する程度は持っている(あるいは現代デジタル技術でアップコンバートされているかも知れないが)。国によっても違うだろうが、おおざっぱモノラル名盤が戦時中から戦争直後、指揮者で言えばトスカニーニのベートーベンが39年、フルトベングラーの9番が51年で、ここらへんはノイズもレンジも狭い。それが60年代のワルターぐらいにあると普通には聞けて、70年代になるとまあまず昨日録音された物かどうか分からなくなる。
一方デュプレは71年頃から多発性硬化症の自覚症状がではじめ73年頃には引退している。つまり、録音テクノロジーがかろうじて間に合ったのはこの盤になる。正直、演奏としての忠実さ、ハーモニーという点ではもはや破綻というか、もうデュプレの一人芝居を見せられているようなライブ感に頼っている所はある。二度三度聞く盤ではないかも知れない。元々エルガーのチェロコン自体、ややもすると劇的、情緒的すぎてお涙ちょうだいの昼メロっぽいというか、悪く言うと安い部分がある。だからこそ名だたるチェロ演奏家があれだけの名曲なのに案外弾いてないというのがあるのだろう。それだけ「分かりやすい」曲であり、またデュプレの出世演奏として強く結びついている。チェロってなんだっけ?と思うほどカリカリの演奏はテクニシャンとしての面も感じさせるし、フィラデルフィア交響楽団はほんとそれにあってる。この演奏に釣り合うとしたらやっぱりアメリカだよなぁ、シカゴかボストンか。あとはデュプレが使った楽器はダヴィドフやデュプレと後に名が付けられたストラドと、ゴフリラーがあった他にバレンボイムがプレゼントしたセルジオ・ベレッソンという近代的なチェロがあったそうな。順番的にはデュプレ<ダヴィドフ<ベレッソンらしくバルビローリ盤だと当然ベレッソンはないのだが71年盤はその可能性もある。
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Posted at
2019/06/11 12:44:09
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