2021年12月10日
B29の爆撃の謎
・ネットで第二次大戦中の日本への空襲の情報で知らなかったのが出ていて、あれーそうだったんだー、と思ったのと同時に、言われている事って本当なんだろうか?という疑問をもったので考察してみた。それは各地に点々とある謎の小規模爆撃。なんか時期的に分かってなかったので調べ直してみたが、当然だが1944年頃からのが多い。というかB29の戦略的効果は改めて調べると実情はイメージとかけ離れている事が分かった。
まずB29の高々度性能は確かに日本軍による迎撃を困難にしていたし、航続距離が長く遠方から飛来するのも脅威で、日本の低いレーダー性能もあり初期は迎撃準備も困難にしていた。が、被害をおさえるための高々度からの夜間のレーダー爆撃は命中精度がはなはだ低く44年6月からしばらくはほとんどロクな戦果を出していない。いたずらに損耗し、対策を立てられ、撃墜機や故障機から最新情報を取られている(そのうちの一つはシベリアでソ連にろかくされ後にデッドコピーまでされている)。これら初期のB29は中華民国の基地から飛来しているので攻撃範囲は九州などが多い。
後に被害を抑えつつ昼間に目視爆撃をするため高々度昼間爆撃が実施されるようになったが、命中率はわずかに向上しつつ日本軍の迎撃が無くなって安全になった。ただ、命中してもそこまで長い事操業停止には追い込めない事から、軍需施設への爆撃ではなく無差別爆撃、しかも家屋を狙った焼夷弾による物が画策されるようになった。アメリカ軍が実物大の日本家屋を建築して焼夷弾攻撃を試したのは有名だが、実は中国方面では日本軍支配下の都市への焼夷弾攻撃で無差別爆撃をやってもいた。
で、これまでの結果が悪かったので日本方面の担当のハンセンという軍人が更迭され、中国で無差別爆撃やってたルメイがやってきて低高度の無差別爆撃をやったのが東京大空襲になる。これは夜間だったが、低高度であればレーダー爆撃も精度が高く焼夷弾攻撃が成功してからは火災でさらに攻撃目標が判別出来た。そして焼夷弾による爆撃そのものにくわえ火災旋風がおきて甚大な被害になったわけだ。東京大空襲はその走りで45年3月であるから、それ以前の空襲は基本的には「高々度精密爆撃」であり「無差別焼夷弾攻撃」ではなかった。ただ焼夷弾自体は名古屋への空襲でも使われている。
また44年7月頃からサイパン、テニアンなど南方の島々が米軍に攻略されB29の基地が建設されて名古屋などは頻繁に攻撃を受けている。硫黄島は確かに直近のB29の基地になったしまだ滑走路など残っているそうだが、あそこは不時着できる場所という話で、硫黄島からB29が爆撃のために飛んでいった訳ではないみたい。
さて、上の話から各地の爆撃や偵察について考えて見たい。実はB29は当初は言われているほど高々度を飛んでいた訳ではなかった。1万メールの高さを飛ぶのは燃料的にもかなりきつく、爆撃効果も低い。ただ爆弾や武装など外せば高々度は飛べるし、単独飛行だと昼間でも日本軍のレーダーで捕捉迎撃される事はまずなかった模様。という事で、当時あちこちにちょろちょろとある爆撃は「高々度偵察のついでにちょっとだけ積んだ爆弾を軍事目標に当たればいいな程度でばらまいた」のだと思われる。もちろん、軍事目標自体は把握していての結果なので、落とし残りやついでではないと思われる。ただ、落とし残りが全く無かった訳ではなく、千葉県松戸市はB29が離脱する時に投棄した爆弾の影響を受けたと言っているし不調機などもそうやって捨てる事もあったのだろう。というか、精密爆撃やってるって事は投下できないまま作戦時間が終わってしまうみたいな事もあったのかも知れない。でも、そういう投下は目標もへったくれもないので、第一目標に投下してから遠くにいって第二目標に残りを落とすような運用な多分なかったんじゃないかな?ちゃんと第一目標の破壊を目指したはずである。
なんでくどくど書いてるのかと言うとB29のはるか以前にドーリトル空襲という日本本土への空襲はあり、またそれは日本軍も認識していた。これは米軍の初期の残存空母から発進した爆撃機が日本を横断した物で、おおよそ効果的な示威行為とはならず、むしろ破れかぶれの特攻に近かったし、中国大陸に抜けた時には夜間で着陸が出来ず落下傘で脱出するなど全機喪失している。しかし生存者は多く、民間人含め多大な被害を出している。だからB29以前に空襲はあったわけだ。また少数の偵察かねた攻撃はちょこちょこあったと見られる。
・その空襲だが、地元は地下基地建設があった。空襲を受けた名古屋の航空機会社が疎開してきたのだが、名古屋空襲が44年12月13日あたりからはじまり、45年の4月7日までに2700機以上のB29が14000tの爆弾を投下して名古屋は焦土と化している。その名古屋大空襲に先だって地元にも飛来して3月に爆撃をしている。単機で高々度飛来し、その時に撮影したであろう写真もあるし、その後の写真もある(時期は正直未詳だ)。謎なのはこの爆撃の目的で、まだ工場は着工前なので具体的な目標として疑われるのは今の富士通とか周辺の学校(軍事生産をしていた)、あるいは疎開してきていた名古屋の会社などがつめていた公共施設などになる。
私は小学校の授業でその爆弾の破片を同級生が祖母から借りてきたのを見せてもらったのだが、その破片により損傷を受けた墓石もあるので「墓地に落ちた」と思っていた。そもそもなんで墓地に?と思った訳だが、考えて見ると高々度からの爆撃の精度がどのぐらいか知らない訳だ。なにしろB29も600kmぐらいで飛んでるので、毎秒200m近く移動しているし、高々度からは様々な外乱で爆弾はブレる。また同時に爆弾の被害半径も実は知らない事に気がついた。強固な軍事目標であれば直撃や至近弾でなければ効果は薄いはずだが、こういうソフトターゲット相手だとまた違う。ところが、爆弾の効果範囲はなかなか資料がなく、なんと出てきたのが第二次大戦時の国民に向けた空襲避難の手引きみたいな物だった。まあ当時の実情を示す点ではとても役に立つが今日はさらに威力が上がっているであろうとは思う。
その前にB29が落とした爆弾はなんであろうか?って所から。当時から50kg、100kg、250kg、500kg、1tあたりの航空爆弾は使われていたようで(実際はポンドなので250kgではなく227kgとかそんな感じ)仮に1t爆弾を落としていったらかなり本気だったと思われるが、書いたように高々度飛来時は軽量化してたので1t爆弾積んでいたとは考えづらい。なんとなーく250kg爆弾ぐらいだろうなと思ってはいたが、それも根拠はなかった。まあ100kg爆弾は威力が低い事が当時からも指摘されているし、戦闘機が近接支援や護衛時におまけでもってく弁当みたいな位置づけで50kgも同じ。爆撃機が積むのは250kg以上という感じで、じゃあ250kgか500kgだろうとは考えられる。
しかし、250kgにしろ500kgにしろ、私が考えていた以上に威力が高かった。墓地に落ちて墓石が欠けるなんてかわいい物ではすまなかった。250kgだと密集家屋に落ちれば3軒は木っ端みじんで全員即死、ひらけた場所でも半径35mは即死とある。45m半径は破片の加害半径で死亡するリスクが極めて高い。この破片の殺傷力はなんと最大200mと見積もられている。防空壕だと6mまでは即死、12m以上は安全とあり、さすが防空壕は防御効果が高い。
500kgは別資料を引用されていたのだが、それによると爆風と破片と分けてあるが、破片の即死半径は40m、加害半径は250mとある。それほど増えてないように見えるが、これは参考資料が違うのでしょうがない。建物の場合は30m半径は全壊、60mは半壊、120m以上は安全とある。おおよそだが、200m範囲に爆撃されればそれなりのリスクがあったと取れる。そして当時のB29の爆撃の戦果判断だと300m範囲に着弾してれば有効弾(高々度だと16%ぐらいしかあたらない)、高精度爆撃が出来たと言ってるケースは100m範囲に着弾している場合のようだ。だから周囲300mぐらいになんぞあれば、それ狙った可能性は十分にある。
とは書いたが大きな謎は「爆撃の直接的な被害は軽微」「むしろ被害が軽すぎない」って部分と、逆に学校のガラスが全部割れたって話である。これ、直線距離だと地図上で1100mぐらい離れている。ガラスが割れる半径なんて資料がなかったのだが、そんな遠くまで衝撃が届くものなのか?という疑問が残る。それらから私が考えたのは「使われたのは信管を使った空中炸裂型の爆弾だったのではないか?」という事。硬い目標相手なら遅延信管で内部に入ってから爆発させたりした方が効果は高いが、ソフトスキン相手で焼夷弾による密集地爆撃も効果が期待出来ないなら、空中で爆発させた方が効果が高い。それを試していたのではないか?というのが一つ。
もう一つは心理的な効果や一種の示威、あるいは威力偵察的ななにかを引き出すための爆撃だった可能性かな。ああ、長くなって疲れた。
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Posted at
2021/12/11 00:10:43
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