2009年04月25日
・今年も祭りのシーズンになってお囃子の練習に初めて出てきた。昨年は笛は全然音も出ないまま本番が終わって何も覚えられなかったけれど、今年は・・・やっぱり音を出す練習をしてこなかったので最初苦労したけれど、以前よりは音も出るので、指づかいを真似るとソレっぽい音は出る事もある。それにしても古典調の篠笛は音のイメージが体の中に無いので何をイメージして吹けばいいのか分からないのがとても辛い。
管楽器は弦楽器のように完全無調とは行かないけれど、実際には吹き方でかなり音程に差が出るので、どの指でどの音と言うのが分かって無いと息と指の調和が取れない。だが、古典調は楽譜もなく猿真似で体系的な練習などあろうはずもないので、結局その場で真似するしかないのだ。今年はあとどれだけ練習できるかなー。
・あとキリンのストロング7が出る。マズイ、誰だよ、こんな企画通したの。まずい発泡酒(発泡酒がマズイと言う意味ではなくて)に安い焼酎足して度数だけ上げたような味だ。笛吹いてて悪い酔いが回って気持ち悪かった。
・それにしても、消防団と祭りメンバーは驚くほど重なっている。それまで入ってなかった私が言うのも何だが、こういう地域行事が失われていくのは寂しい事だ。といっても子供が少なくなっている事実と、祭りの実行側のニンゲンの資質の低さみたいなのは、保護者からすれば参加させたくないと言う気持ちもよく分かる。私も含めてだが、まっとうな勤め人が祭りに準備段階から積極的に関わるのは難しいし、正直その中心に立つ人やいい加減引退しない(出来ない)人を見ると、ぶっちゃけ・・・・良く言えば、そういう極端に悪くない程度の毒に子供の頃から慣れさせておく事は、社会に出て行く時に決して悪くはないと思う。ただ、露天商とかヒモがハレの場での逆転時だけ大きな顔をするための祭りに協力しろ!と言っている面を見ると、「そんなんイカネ」って気持ちもよーく分かる。
・元々地域社会と言うのは、ある程度理不尽さをもって結束している所がある。日本の場合国政レベルまで村社会なのが困った所だが(別にアメリカの国政は進んでいるとか言うつもりはない)、個体である程度生存できる環境になると、そんな理不尽さに付き合いたくないと思っても不思議ではない。そうなると、さらに結束を固めるために理不尽さに輪が掛かって、完全に二重社会だ。そうなると、ジプシーとかシーカーやユダヤのように一般性を捨てる事になりかねない(そういえば、そういう一族は多くの場合たかい音楽性だけは持っている)。もちろん、社会の利益のみのために、なんが合理的な判断だけ持ち込めるって物でもなかろーし、私はそんな建設的な事をするのは無理なので、結局笛さえ覚えたら後はどうでもいいのだが(ぶっちゃけたな)(でも子供世代がくっついてないと、そういう事だ)。
Posted at 2009/04/26 00:16:27 | |
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