2014年12月17日
・クレイグ・チータム著「図説 世界最悪クルマ大全」を図書館で借りて読んでいるが、よくもまあこんなクソクルマばっかり集まったもんだと・・・・作者がイギリス人なのか、特にイギリスのクルマが多いのだが、実際問題70年代~90年代のイギリスのクルマは酷かったんだと分かる内容だ。でも、批判内容はクルマを愛している感に溢れているので、読んでいてそんな不快ではない。むしろ「こんな馬鹿クルマ乗ってたんだぜ、アハハハ」みたいな乾いた笑いを感じる。あと、デザインに関してはちょっとこの人の好みも極端な気はする。車高上がるとすぐデザイン劣化とか言うもんな。
さて、批判の大部分を占めるのは「サビ」「信頼性」「デザイン」「ドライバビリティー」って所だ。特にサビの話が多い。よくアルファ(とくにスッド)は例に出されるが、見るとイギリスのクルマもアメリカのクルマもダメクルマの大半はそんなもんである。で、次の信頼性やドライバビリティーで批判されるクルマの多くが「サビを嫌ってFRPかステンレスを構造材に使った」クルマであるのが面白い。最近でこそ高性能スポーツカーなどで複合材の多様は話題になっているのだが、実は60年代以降には多くのFRPカーがあった。私も知っている有名なのはロータスエランだが、こいつはまだ内部に鉄のシャーシがあった(そして錆びる)。チャップマンはさらに進めてオールFRP構造のロータス・エリートというGTカーを作っている。でもほとんどの人は知らないと思う、やっぱり構造が弱くて性能は低かったから。別にこういう超高性能カーを目指してないクルマでも、FRPを多用する考えはあった訳だ。むしろF1でカーボンモノコックが復活して大きくイメージを上げるまでFRPはダメ素材って感じだったんじゃなかろか。実際FRPではないが複合材をクルマのボディーに使うというのは廉価版のクルマでは実は成功(?)例もある。有名なのは東ドイツのトラバントで、こいつのボディーは綿の繊維を使った複合材(まあ、CottonFRPとでも呼ぶべきか)であった。
FRPが何故ダメだったか解析する前に、もう一つの当時のイギリスのメーカーが没落した原因について割きたい。1つ目は「労働争議の多発」であり、もう一つは「政府系会社の無責任経営」であった。英国病と呼ばれたこれらの現象はサッチャーが辣腕を振るってやっと解決に道筋がついたが、その弊害から鉄の女を悪く言う声は絶えない。先日も亡くなったときにラジオ局のリクエストがオズの魔法使いの挿入歌「悪い魔女は死んだ」ばかりになったと言われている。その気持ちは分かるが、サッチャーがいなけりゃ未だイギリスは英国病におかされつづけていただろう事も事実だ。「ろくでもない設計」→「低い製造クオリティー」→「ダメクルマ」→「消費者離れ」→「メーカー倒産」→「政府の救済の合弁会社」→「無責任経営」→「ダメ技術者ばかり」→「ろくでもない設計」というネガティブスパイラルから抜け出せなかったのだ。
このネガティブスパイラルの中でFRPが果たした役割がなんだったかと言うと、低い製造クオリティーで、まだ未完成のFRPという新素材技術を使ってクルマを作ると、設計よりはるかに低い信頼性しか無く、設計がそれを嫌って鉄に戻ったという所だと思う。もちろん、FRPには他にも問題があった。プレス打ち抜きのような迅速な大量生産にはまだ向かなかったのだ。とは言え複雑な構造を一度に作り出せ、強度調整も楽で錆や漏電の恐れが少ないんだから、先見性は良かったと思う。ま、アース配線じゃなくてもイギリスアメリカの電子機器の信頼性は酷かった訳だが・・
こうして見てくると、私が憧れて育った欧州の名車ってのは、ごく一部の高級車に限った話で、すべてが素晴らしい自動車先進国であったとは到底言えない事に気がつく。まず「日本に持ってくる価値があるクルマ」って大きなフィルタリングを通過した車だけなんだから、そりゃ先進国に見えますわな。これは現在でも洋ゲーと和ゲーなんかで言われる現象ですが。
・「西岡常一と語る木の家は三百年」
昭和の大頭領と言われ、法隆寺の改築で名高い西岡さんだが、彼に民家を語って貰おうという本。実際は事例集を現地で集めて西岡さんにコメントもらったという程度で、西岡さんの話はほとんどないし、晩年に亡くなる前後の編集なのでどうだったんかなぁ?って部分もある。西岡さん本人が民家の話をすればいいじゃん?と思う向きもあるだろうが、本人が別の本で書いているように彼は「宮大工」というジャンルである。伝統工法の最右翼でありそっちの造形は深いのだが、宮大工になると一般注文建築は「やらない」というのが普通だったそうだ。曰く格式が下がるとか神仏に対して穢れるとか、そんなんがあったらしい。西岡さんの時代も宮大工の仕事が減って一般建築にシフトした大工の話が出てきたし、西岡さんご本人は別に一般建築が軽いとは思ってなかったような節もあるが、ともかく伝統が一番の世界だから宮大工として民家は手がけられなかった。
んで、事例集で古い家屋の話が出て、新しい建築基準法での家をくさしまくる訳ですな、在来工法やったら300年持つとかなんとか。いや、実際今でも家を建てようとすると西岡さんの昭和の改築で分かった事を一般住宅でも同じように宣伝する所たくさんありますよ。有名なのは「ヒノキ信奉」「古いほど強い」って所ですな。法隆寺が1000年持ったのは1000年のヒノキを使ったからで、ヒノキは強度が500年ぐらいどんどん上がるとかそういう話です。でもね、調べると古民家でもヒノキの50年生あたりで作った江戸時代の物は出てくる訳ですよ。切ってからの方が6倍ぐらい長い。育った時間と同等以上は木を使いましょうって意味だと思いますけどね。
さて、問題はこの人は宮大工なので建物の骨格が残る事には非常に強い関心があります。建物がダメになる要因はずばり「腐り」と「地震」です、なんか上の話とかぶってきたな。で、腐りに関しては布基礎に土台である木を寝かして直で置く現在の建築に非常に批判的です。またコンクリ土台もお嫌いで、「土台をよいとまけで締めた所に天然石を置いて、柱をひかり付けして作る束基礎のが一番、という話をされます・・・まあ乾燥はするでしょうけど、そもそもの地盤が強い場所、風水的に優れた土地でしか出来ない工法ではあります。あとは屋根ですが、割と茅葺きの話が出てきます。仏閣はもちろん瓦なんですけど、今茅葺きは多分防火の観点で許可されんじゃないかなぁ。確かに古民家はそういうのが多い訳ですが、それで300年持つ家を造っても寒さや住みづらさ、中の薄暗さとか考えると済んでる人間の寿命は決して長くはならんのではないですかね。もっと折衷的な物を肯定していっても良かったのではないかと思いますし、全部ワンオフの無垢材って大工の自己満足ですよ。
地震対策はこれあちこちで出ている話なのですが、昔の建築は筋交いがありませんでした。柱が太かったし、上に乗ってる屋根や柱が重いので、揺れを逃がして揺れるけど倒れなかったと。一方筋交いや壁工法は強度が高すぎるので揺れないけど材が先に壊れるようになりました。あと、貫だけで君であると筋交い入れると押すモーメントで抜けちゃうって問題があり、金具を使うのもどうなの?って話なんですね。これはまあ宮大工さんが言ってる話ですし、確かに古い仏閣は残っているのが多いので本当だと思います。でも、在来工法しかなかった江戸時代に地震で家が倒れなかったのか?と言うともちろんそんな訳ありませんよね。今でも時々神社が先にぶっつぶれているニュースを聞きます。むしろ屋根に重い材料を使う事のデメリットの方が大きいようにも思うのです。屋根が重かったのは瓦の水仕舞いが悪かったからで、だから傾斜をきつくせざるを得なくなり、小屋が無駄に大きくなった訳です(古民家の茅葺きや板葺きも基本同じです、一応二階として使っている例もあるけど)。
ただ、筋交い無い方が寿命が長いかも知れないな?って例はあります。昨日、地元の民芸博物館に行ってきたのですが、そこには100年200年物の椅子が置いてあります。一応座れますが、どの椅子もユーラユーラときしむので文化財としての価値もあり安心して座れません。多分出来た時は嵌め込みがもっときつかっただろうとは思いますが、時代を経て穴が緩くなっても一応生きてると言えます。一方筋交い入れて金具使って止めた椅子ってのは案外ポッキリダメになるんですな。祖父がボストンから買ってきたアーリーアメリカンの椅子なんかも、マイナスビスとかも使って組まれていてカッチリしていたんですが、填め合い部分で部材が折れました。使っていた部材の目とかの問題も感じますが、動く事で力を逃がしていたってのはあるんだと思います。
・やっとPS1用のメモリーカードを手に入れてパトレイバー ゲームエディションをプレー。最初はかなり込み入ったストーリー物をプレーするのかと思っていたのですが、実際はアドベンチャーパートは存在せずプレーヤーが介入出来るのはアクションパートのみでした。その結果も特にアドベンチャーパートに反映される訳でもなく、基本はアクションゲー。アクションとしてはPS1なのでともかく絵が粗く操作製が悪い(アナログスティック未対応)のでイライラしますし、コンボが目押しランダムで、強いコンボを見つけられると与ダメージが増える仕組みですね。どこに何が出るかは一度そのコンボのルートに入ると固定なので、「そういえばこんなだったかな?」ってのをやっていくと面白いフィニッシュが出ます。びっくりしたのが「投降勧告」というのがあり、有人レイバーをある程度痛めるか回数やると残HPあっても降参させられます。他にはフィニッシュで倒してから電磁警棒でトドメとか、リボルバーカノンでゼロ距離射撃とか。まあまあ楽しめるかと思いますが、ともかく解説が下手なので最初戸惑いますし、敵キャラとの接触に関しては納得いかない部分もあります、ゲームバランス的に仕方ないんでしょうけど。
ストーリー全体としては、良く出来たパラレルワールドって感じでしょうか。結構前座ドラマが長いんですが、信士・ひろみ、第一小隊、おやっさんなどはいません。そのかわりシゲさんが大活躍って感じですかね。敵にまさかの若本さんが出てきますが、普通の演技の頃なので安心して見ていられます。ストーリーの下敷きにはTVアニメのが良く使われているので、知っているとより楽しめるかな?ただ、途中から「強敵」を出さざるを得なくなる宿命で、ちょっとこいつらがいたらマズイだろ?って感じにはなりますし、その割りに弱かったりしてなおさらアカン気持ちになります。後藤さんが相変わらずキレすぎですが、言い回しとかそっくりでいいです。広げられるけれど、そんな深読みしないで見るべきかと。ただ、今頃気がついたのですが、よく「押井監督は警察や軍隊嫌いなくせに、そういうアニメばっかり作っている」って批判があるんですが、あれって当たってなかったんだなと分かりました。つまりですね、押井さんは軍隊とか警察組織を「末端の警備部や前線部隊」と「公安や高級将校など司令部」に分けて考えているんですね。で、自分達を心情的に前者にオーバーラップさせて、後者を共通の敵として描いている節がある。ストーリーでそれを割とハッキリと感じさせる部分があって突然ハッキリ分かりました。
オリキャラはPLの分身の「ななしのごんべい」である3号機フォワードと、同じ新人の3号機指揮の「空谷みどり」が出てきます。PLキャラはセリフも姿もないので、まあ男である事ぐらいで特に可もなく不可もなくって感じですが、ちゃんと姿とセリフがあるキャラってゲームで出すと色々難しいはずですが、みどりは割と好感が持てるというか、いいキャラしてます。既存キャラとの関係も上手いし、かと言ってキャラが立ってない訳でもなく、媚びてもないけど嫌われもしない。ただ、以前から不思議だったんですが、特車二課の採用人事ってレイバーに乗れる事になっているんですが、フォワードとバックアップは固定なので、バックアップがレイバーで格闘や射撃出来るという事は必要なんだろうかとは思います。後藤さんが着任でどっちがフォワードか発表していたように、現場でより適性が高いのを選ぶって仕組みなのかなぁ?でもそれ以前に何か比較された様子はないし。遊馬は家業的に乗れて当然なんで特例ですが、2号機に関してはむしろ太田にバックアップはさせられないからって理由でよりスペックが高い熊耳がバックアップ、それ以前の信士は中途採用でレイバーに乗る描写はありませんが、キャリアーのひろみちゃんが乗れる。バックアップに専門技能が無いとは言え、ちょっと採用方法に問題があるような。
Posted at 2014/12/18 00:02:17 | |
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