2014年12月29日
・シャトー・メルシャン「日本の地ワイン大森リースリング 」2013
500mlの細身のボトル、ラベルが小さい。2013年も出しているので、現役産地なんだろうなぁ。棚仕立ての40本/反、1.2t/反収穫だそうな。醸造はオーク樽とステンレスと書いてある。スクリューキャップ。
色はごく薄い黄色で、透明感が高い。涙も少なくあっさりした感じ。香りは強くはないが、リースリング系の白い花のフローラル香が支配的、他の香りはほとんど感じない(室温低いので、最近ワインがあんまり開かないのもあるはず)。味は酸味がしっかりとしているし、残糖も結構あり、ボディーはそこそこある感じ。その後は樽なのか、醸造条件なのか、気になる苦みやえぐみが出る。度数10度の割りに飲みづらく、その後味がしつこい。
リースリングの可能性という意味では、改めて日本でもリースリングの香りが出るし酸味もあるのを確認したが、作り方に関しては好みが別れる。この苦みは甲州などでも一部出る事があるので、ワインの個性の一部と見なせない事もないが、少なくともドイツの上級クリュのでこの味を明確に持っているのはないだろう。確かに、それを抜かしてステンタンクで作ると黒猫とか聖母みたいな飲みやすいけど安いイメージのワインになってしまう事は分かるんだけど、取って付けたような重さが安い「国産ワイン(バルクワイン)」にそっくりで、国産原料でやらないでもとまず思ってしまう。ただ、ワイングラスでなくお猪口でチョビチョビすすると、何故かそこらへんが気にならず美味しく感じる。酸味がすばらしく、後にもレモンのようなスッキリした爽やかさが残るので、食事に合わせてもいいんじゃないだろうか。
原料の印象としては、リースリング栽培地としては比較的温暖な日本という事もあるのか、色も黄色く暖地のリースリングという印象は受ける。でも完熟したブドウのコクはそれほど強くなる、シャルドネほど産地によって表情を変えるって感じでもない。ただなぁ、青みがないから完熟に近いのだろうけれど、コクがそれほどふえておらず、なんか物足りないんだよなぁ。スキンコンタクト・あるいはシュールリーを行ってもっと香りやコクを抽出し、度数をあと1度上げてセミドライで香りが豊かな形にし、ステンタンクのみで少し泡が出るぐらいのフレッシュタイプも見て見たいし、香りのピークのために全てを犠牲にするのもリースリングなら許されると私は思う(必然的に酸も高くなるが)。苦みはこれ、地元ワイナリーも甘口ナイアガラで7年間ぐらいは出てたから、技術的に克服出来ると思うけど、メルシャンの方がはるかにキャリアはあるはずで、なんなんかなぁ?
・元日本共産党の衆議院議員だった筆坂氏や、氏が監修した篠原氏という国会議員秘書の方の日本共産党の実態の本を読んだ。理念としての日本共産党のあり方、あるいは国会での野党としての与党追求、そして若干の国家権力からの嫌がらせへの同情があって、共産党は一応選挙ではベストチョイスだと思って入れてきたが、実態聞いてしまうとなんだかなぁと思う。それでも、筆坂氏が議員だったという事を考えれば、やっぱり意味はあったと思える。そうは言っても、私が共産党ってこうだと思っていた物を筆坂氏らが目指せって提言し、そして除名なり除籍されているので、つまる所日本共産党の本質は私の考えとは違う所にあったという所なんだろう。
日本共産党の本質は、彼らが否定しているソ連の社会主義そのものである所が面白い。日本という資本主義国の中であって、日本共産党の党員はまるで北朝鮮か崩壊前のソ連かと言うほど極貧の生活を余儀なくされているらしい。ま、半分は政党助成金を穢れた金として受け取らない事にもよるんだけど、ちょっと前までは全部の小選挙区に立候補者を立てて供託金も回収できなかったという事もあるらしい(これは最近はもう無いそうだが、うちらの選挙区では相変わらず負け戦はやってる)。弁護士みたいな宣伝行為も兼ねる場合はいいけど、共産党はそういう人はあんまり立候補してないし、女性が多いように見えるのも裏を返すと旦那が生活費を稼いでないと生きていけないかららしい(じゃ、男が多い他の政党はどうなのよ?ってのはおいとくとして)。赤旗の販売部数も落ちて、党員も高齢化して、貧困にあえぐ中で、相変わらず党の中央委員会は贅沢な行動を取っていて、民主的な政党と言いながら地方の声は聞かず上から指導するばかり、まさにソ連とかと一緒な訳だ。だから、不破皇帝に楯突いた議員やそのシンパはまるごと除名放逐となってしまうわけだ。
じゃあ、日本共産党はどうすれば責任野党として労働者のための政策を実行する立場になれるのか?これ、私も以前生放送見ていて思った事なのだが「共産党」という名前が本当に必要なのかという事に尽きる。このマルクス・エンゲルスが提唱した「共産主義」という幻影があまりに美しかったため(そして著者はクズだった)、多くのインテリが、また労働者が、この呪縛の元での社会改革を夢見てきた。私も政党がなんらかの信条や綱領を同一にする思想団体である事は必須だと思っている(そういう意味では公明も形としては立派だ)から、選挙で与党を取るための利益団体になってまで政権を目指す必要はないと思う。でも、政治結社は学術団体でも研究組織でもなく、国民のための政治を行うのが本義であり、エンゲルスだのマルクスだのの戯言の解釈に明け暮れるべきではない。今日そこに共産主義を旗印にする意味があるのだろうか?今回の共産党の議席の伸びに共産主義になって欲しいって人はあまりいないように感じられる。まあ、でも、そのコアを抜くと日本共産党ってタガがはじけてしまうというのも分かる。実際、「共産主義」を巡っては社会党になった労農党ってのと、日本共産党の講座派という対立が戦前からあり、戦後は新左翼のプントだか過激派のセクトの内ゲバがあり、信じる方向は同じはずなのに同族嫌悪でまだありもしない共産主義を巡って争って一般市民から見限られたという歴史がある。本来なら党幹部がもっと歩み寄って分党とか分離にならないように、自らも改めて多くの意見を吸い上げるべきだが、硬直化して出来ないという訳だ。
実際、地方選挙レベルだと、共産党支援で受かったけれど、現中央委員会の対応がダメで、本来目指した政治活動が出来ないので、離党して無所属でやっているという人の話も出ていた。実は長野県では田中康夫知事の時も、改革派で官僚的県職員やオール与党の地方議員に対して共産党だけが田中知事の支持者であったと思うのだが、田中氏は共産党にはかなり距離を取っていたように思う。これは知事として望ましい態度だとは思ったが、単純に考えればねじれ状態の議会と知事の関係で共闘関係を築がなかった事には田中さんなりの卓見だったのだろうと思う。
もう一つ、話の軸で出てくるのは赤旗という新聞の事だった。これ、機関誌だから一般の新聞の扱いはないんだけど、ほんと党員が配って集金してたのな(笑)。新聞代理店で扱って貰えばいいのに。一応日曜版というのが一般向けらしいから読んでみたい所。どんな過激な活動家用語が羅列されているか楽しみである。で、共産党員の義務は「所得の1%の上納」「赤旗の購読」「党員としての活動」なんだそうで、赤旗は必須なのだそうだが、6割ぐらいしか読んでないと。ま、これ、家族でも一人一つというのもなんだかなーと思うのだけれど、用語など難解で一見さんお断りだそうだ。実質は資金源だから買っているような物だそうだが、民主主義の難しさを感じる。つまり、民主主義の大前提は全ての有権者=国民が正しい判断をするために充分な知識を持つことであり、それからすると赤旗を全員が読むのは当たり前になるが、高齢者なんか買ってても読めない。また書いてある事も毎度同じような論調となると、民主主義なんて人気投票となってしまうのも分かる。
個人的な政治信条としては、制度というのはその構成員の心持ちによっていくらでも変わってしまうので、制度だけで社会改革をどうこうしようというのは無理だと思う。これは高校の社会科教師の言っていた事でもあって強く印象に残っているのだが、改めてそう思う。外務省の職員だった佐藤という人も寄稿していて(この人も元共産系社会党から離れた)、「共産主義は性善説に基づいていて人間存在を見ていない」から嫌いだと言っていたが、そういう性悪説に傾きすぎて、それを前提に窮屈な社会にしている事もどうかと思うが(この人は猜疑心の塊みたいな顔しとる)、より人間性についての科学を取り入れないと共産主義を国家の指針に組み込む事は難しいかもね。
Posted at 2014/12/29 22:07:13 | |
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