2015年01月04日
・新年で仕事を軽くしつつ、雪が降って足元がぬかるむので山の上の方の空き家探しをちょろちょろと。改めて私が引っ越してきた頃は営業していた店とかが軒並み廃墟になってた。じゃあ、空き家があるかと言うと、結構多くの廃屋同然な所で注連飾りがされていて車もあって、ちゃんと住んでいるのが分かる。別にそれを見越して見に行った訳ではないし、新築して古い家にもかざりだけかざっているケースもあるとは思ったけど、ガスボンベとかもついてると使っているんだろうなぁと。それでも中途半端に古い家は明らかに空き家ってのもそこそこある。あと、公民館が妙に多いのは気になった。
玉村さんも本で触れていたが、長野県の公民館率は全国でも高いのだそうで、理由として「議論好きの県民性がああいう集会場を作りたがった」と半分冗談で書いてらした。むしろうるさい人がいるのが嫌で小さい地区で集会場つくって分けたんじゃないかと思うけどねぇ。玉村さんは多少ロマン主義的な田舎を作って見せているので、オープンで隣りづきあいが良い昔の街が、住宅の密閉化で失われていると考察していて、ああいう公民館や縁側で復活させようと提言されているが、田舎の人にとってはむしろ迷惑な人と接触しないですんで清々しているって所もあるんじゃないかと。あとは、モータリゼーションと勤め人化で、都市部で買い物をするってのは大きいでしょうね。
商店が潰れ経済的に都市に対して直接各々がやるようになって潰れた商店ですが、逆に新規でたたっているのが多いと思ったのはまたしても多目的集会所。半分は役所の予算があるからで、半分は地権者が売りたいからなんでしょうが、この距離で建てるのかぁってのがたたってました。ああいう老人施設まがいを3,4個無条件に建てるコストをなんで若い人のビジネスチャンスにつながる商業系の物にかけられないのかなぁと思いますが、箱物はうまみがあるんでしょうな。
・近所のおばさんの畑のアンカー交換、ここは隣地園との境界問題とかあるし、大きな畑でもないので、ちょっと強引にねじこんで交換作業をしてきた。そうしないと、アンカーが二個連続で抜けてる(トータルでは3個だけだから、致命的ってほどじゃないが)ので、棚が下がってしょうがない。下がるの見越して今は高いから、なおさら。で、普通はユンボで掘りたい所だが、隣地に穴を絶対あけたくないのと、念入りに周囲を石で組んであるので雑にやるとクレーターになる、裏庭でユンボの通路の物を色々ぶっこわす事になるので、人力で掘った。久々に人力で石山掘ったけど、ほんと疲れた。埋め込みアンカーは抗抜力が低いんで、かなり深く入れてある事もあって、単品だと「こんな穴掘れるんかな?」と不安になるぐらい長い(深い)。それでもなんとか一個いけて、二個目もコンクリが見えるまで掘ったので、明日には交換が終わる予定。以前は私はこの手のアンカーと柱の間を張ってテンションかけた事もあったが、基本棚の欲しい高さは同じなので、そっちは手をつけず棚線の方をほどいて張っている。で、解いたら案の定古い棚線の一部が折れた。幸い引っ張ったらかなりダルダルだったので長さが稼げて無事に修理出来たけど。それにしてもガッシャ(ウィンチ)の扱いが難しい。ある程度周囲線が強ければ周囲線に引っかけて起こしてもいいんだけど、ダルダルだと滑ってしまうので柱にもくくりつけるから、棚線張り直す時に線を上手く通せなくて困る。
これは日頃の感謝とか色々なしがらみでタダでやってる作業なのだが、気持ちでワインを何本か貰った。というか、消費出来ないワインだからって事で気兼ねなくもらったのだが、面白い物が何本か。2本が10年超えたコンコード、1本がリンゴワインというイロモノというかそれほど価値はないと思うのだが、1本は四賀ワイナリーのソーベニヨンブラン(美ヶ原ワイン)という白物。あそこソーベニヨンブランなんてやってたんだ?てか原料国産か?って感じである。四賀ワイナリーは大和酒造の系列で現在は醸造は休眠中、原料は大和酒造で醸造しててシャルドネとメルローだけだったと思った。もう一つは掃き溜めに鶴、ドイツの名門、カール・エルベスのヴァルツガルデン、リースリングQbAファインヘルプ2011である! いや、価格で見れば1500円前後で売られているんだけど、稲葉(ドイツワインの輸入代理店)扱いのしっかりした本物のドイツワインである。あー、これだけでも手伝った甲斐があったわ。これあけて食事したいな。ファインヘルプというのは「やや辛口」という意味だそうで、それだったらハーフトロッケンというジャンルがあった訳だが、あっちは酸度規定とかあったのでやや画一的なのと、語感の差みたいな感じらしい。ザールだと他にもこのジャンルがある。むしろ、より重要なのは、QmPは糖を基準に作られているので、敢えてQbAにしてバランスが良いのにしたかも知れないって所かな。
・先日からあけているワインといえばスイス村ワイナリー(あずみアップル)のソーベニヨンブラン2014である。試飲であまりの美味しさに惚れて買いに行ったのだが、無駄足踏んだ時に2013も買って飲んだので、ビンテージの違いもひしひしと感じた。試飲はソムリエがあけて下さったので分からなかったのだが、2013も2014も酒石酸がともかくすごい!コルクからガラスが生えてんじゃないか!ってぐらい結晶化したのが出ているし、瓶の底もキラキラである。じゃ酸っぱいかと言うと決して気持ち悪いほどではなく、ナチュラルな葡萄の酸味が心地よい。むしろ山辺ワイナリーの熟成前のピノグリの方がきっつかった。香りがまた気持ちよくて、嗅いでしまうとすぐに飲みたくなってしまうほど魅力的。ボディーは暑かった2013が丸く少し強いのに対し、2014は適度にスレンダーで、少しだけ最後に膨らみを感じる。やっぱり2014のスイス村ワイナリーのソーベニヨンブランは傑作だわ。
マンズの日本の地ワイン・秋田リースリングは少し空気に触れてまろやかになってきたが、食事とのマッチングが非常に良い。おせちの残りだのちょっとした飯と一緒に飲むと、例の苦みが全く気にならず、甘く酸味も適度で気持ちよく飲める。マンズは他のワインもボディーが強いあまり少し苦みを感じるのが多くて苦手意識があったのだが、食事と合わせるとこれいいなぁ。こう書くと私が飲んべえみたいに見えるけれど、最近改めて弱いと思った。同窓会では軽くビール半分だったのだが、その後2,3日体調が悪かった。というかあれビールは美味しかったけど、正月の飲み屋で出る食事の質は最悪で、あんな時に外食した方が悪いと私は思う。一次会はホテルの立食だが時間がなくてほとんど残ってたし、二次会は書いたように酸化しきった油の揚げ物とそこらへんで売ってそうなおやつが袋毎出てきたもんな。
・現代農業2月号、相変わらず冬なのでちょっと誌面が淋しいというか、自分と関係ない作物は色々難しいよねぇ。新品種紹介も「またか」って感じがする。確かにシャインマスカットが出来て、その子供品種が沢山出ている事は分かるが、シャインマスカットですら供給量は一般レベルでは充分ではない。同窓会でも「シャインは美味いけど高い!」ってお叱りを受けた。それは東京のその人がいくスーパーが高級なんでしょうけど、供給量が増えて巨峰レベルの価格と入手性になって当然な品種なので。
・びおソーラー覚え書き
ダクトはグラスウールダクトを使っていた。まあ熱容量の内側だから多少熱が漏れてもいいような気もするが、吸音とか結露とかも考えたのかも知れない。直径は150か200㎜で、風量は小型タイプが350、大型が700立法メートルぐらい。小ならほんと150㎜用の小さいタイプで指定の性能が出るように思う。ガラス集熱エリアはあれが実は結構重要だそうで、確かに見た目より面積が大きかった。片流れの屋根なので小さく見えていたが、一枚で3㎡前後、それを4個もまとめればそりゃ巨大な熱ボックスで屋根の加熱性能なんて小さい物かも知れない(たとえばソーラー温水器なんか、実質的には2㎡とか3㎡で200リットルを湧かしているはず)。
Posted at 2015/01/05 20:35:46 | |
トラックバック(0) | 日記
2015年01月04日
・玉村豊男著「千曲川ワインバレー 新しい農業への視点」
玉村さんはKURAとかの写真が多い雑誌の紀行文や、ご自身も絵を描くので、大判カラーという印象がある一方、真面目な本は最初から新書版で出してくれるので嬉しい。これは前の「里山ビジネス」をさらにワイナリーに特化して書いた本で、まさにここで書いてあった事が翌年にARCとして結果している事にヴィラデスト周辺で本気で千曲川ワインバレーを作ろうと思っている事が分かる。また、前著がどちらかと言うと行政などへの不満が多く出ていた感じなのに対し、こちらはワインや観光を楽しんでもらい、あわよくば定年退職世代や若者にワインなどの新しい農業スタイルで就農してもらいたいという気持ちが出ていて、内と外を上手く使い分けている感じがする。内容の方は文化的側面や現状把握などは正確だが、ワイナリーの将来像に関しては夢というか希望を多分に含んでいて、私はそういう所に賛同というか深い意図を感じる。
ワイナリーの設立やコスト収支が難しい点はご自身がハッキリと書かれているが、それ以上に難しいケースが多いのが大半だろうと思う。醸造品種の苗なんて植栽密度は10倍だし、棚より垣根が楽って言っても垣根は垣根の難しさもあるだろうし、って事を言えばワイナリー設立なんて元からペイする事業ではない。でも、上手くすればシナジー効果で多少は利益も出るし、ワイン特区で収益が基準以下でもワインは作れる。以前なら「そういうマイクロワイナリーを作る事は人生あやまらせるから止めた方がいいんじゃないか」という気持ちもあったのだが、玉村さんのお考えとしては「むしろガレージでもなんでも、ワイン産地として多くの人が集まる事による集積化メリットが出てくるから、あんまり難しく考えずやってみようぜ」って所があるらしい。
たとえば、ワイナリーが一個だと醸造から販売から全てを備えた施設が必要になり、高い既製品のメカを海外から入れる事になる。しかし集積化していれば委託醸造も出来るしボトリングだけ委託ってケースも出来るし(これは海外でもやってる。ボトリング施設の方をワイナリーに巡回させて作る)、機材だって融通出来るし、需要がある機材なら地元の機械設備屋さんに安価で量産してもらう事も出来るし・・・って感じだ。もちろん、一番大事なのは、その地にワインを軸として人が集まる事で知恵も技術も観光も発展する事だが。
また日本ワインは土着品種なのか国際品種なのかという部分も、善光寺や甲州をあげつつも、国際品種でも日本で作ると和食にあうようにテロワールの可能性としてそっちでいいじゃないかというスタンスだし、具体的な楽しみ方も書かれている。大変希望が持てる内容だ。ワインも本家フランスでは消費量は減っているが、それは身近だからこそのありふれた物という問題や、かつてのように水代わりではなくなったので、ある程度のクオリティーの2000円前後のをコミニケーションの酒として使うようになったからであり、これは逆に日本でも今後そうなるのではないかとも考えておられていて、賛成だ。彼のやろうとしている事はワインのハード面だけではなくソフト面での発信なんだろうと思う。また、ワインがシンプルな醸造であるだけに農業的(土地に根ざした)産業であるから、その農地を見たいという欲求に対して日本ワインならそれが比較的簡単に可能であるという点は、日本ワインの肯定として面白い視点だ。実際、そうそうワイナリー巡りは出来ないかも知れないが、ボルドーやチリに行くよりは現実的だ。
・でも、実際には先日倒産したと知った乙部ワインにしても、地元に根ざして地元の雇用もすれば観光展開やお祭りなどもしていた訳で、決して新しい視点ではない。ネタバレしちゃうのも嫌だけど、結局こういうのは常に発信しつづけてアピールする営業努力も必要なのだ。今は長野ワインは県が力を入れてやってくれているのだけれど、それに頼り切ってはダメで、自分達で生き残る努力をしなければダメだ。極端に言えば、お隣のワイナリーとウチのワイナリーは違うんですよって言わなければならない。そういう意味だと地元に一つしかワイナリーがないというのは決して良くはない。
・観光展開は地元ワイナリーもやっているというか、温泉組合が毎年イベントをやっているし、電車もやっている。それは興味を持ってもらうにはいいのだが、もっと地元に根ざしているというアイデンティティーが欲しい。まあ、うちの地元はそもそもブドウがアイデンティティーでワインやってるという逆転現象があるので、必然的にワインそのものにガチで取り組んでしまうという事になってしまうんだけどさ。
・断熱の本でグラスウールの16kgの高性能品(繊維が細い)が標準のように語られているので、「あれ、うちの使ったのなんだっけ?」と思ったら10kgの普通品だった。高性能の16kgタイプと比べると3割も性能低かったよ・・・ただ、コスト計算すると普通の10kg品が設計価格で㎡850円、普通の16kgが1400円、高性能16kgが2000円とコスパで言えば同じグラスウールでも相当違いが出ていた。グラスウールは発泡樹脂系に対してコストの安さをアピールする事が多いのだけれど、実際はグラスウール内でもかなり差があるので「高性能16kgの性能」と「10kgの安さ」を混同するとえらい事になる。性能を勘案しても1.8倍も耐性能比では高くなってしまっているじゃないの。ま、実売はまた違うかも知れないが、HG16を入れる必要がある壁はこれを使えばいいし、小屋裏なら10kgでも大量に入れた方がマシ。ちなみに、DIYで入れたのの実コストは300円/㎡ぐらいだった。あと、高性能グラスウールを使った時に忘れてはならないのは「圧縮出来ない」「重い」という事だ。これは施工上の問題ではなくむしろメリットなのだが、運搬で送料が高くつくのだ。10kgで5坪送ってもらえる梱包が16kgだと3.7坪しか入ってないって事になる。まあ、もちろん小屋裏なんかに300㎜敷こうとかすると、強度問題になるかもだけど。
・計画換気によるパッシブソーラーの床下蓄熱ってどのぐらいの風力があればいいんだろうと思って、同じ本を見たが、今の計画換気はかなりファンの消費電力低いのね。私は200Wぐらいと聞かされていたのだけれど、DCモーターの超省エネ品だと17W程度のシロッコファンで行けるそうなので、ソーラーでも余裕すぎる。ただ、配管は100㎜が多くて150㎜のは少なかった。その方が取り回しがいいからだが、75㎜というのも良く使われているとの事。ただ、忘れていたんだが、古い布基礎は床下蓄熱と言っても立ち上がりが低く換気が上手く行ってない事が多いので、床下である程度熱をちらしてやらないと部分的に暖かいみたいな事になるかも知れない。
・同窓会で会えなかった、ちょっと早く天国に行ってしまった歴史の先生がかつていっていた「社会体制より構成人員個人の方が社会への影響に支配的である」みたいな結論について考えて見た・・・というかググってみた。いや、別に私は全然それは疑ってなかったのだが、今日まで「共産主義が失敗した本当の理由」は明らかになってないからだ。他にも絶対王政とか元始キリスト教社会主義とか小邑割拠とかいろーんな体制が考えられるが、今のところ大きな例としては社会主義VS資本主義だろうし。一応日本共産党の本だと社会主義という共産主義の前段階が失敗したのは、「そもそも資本主義が成熟腐敗した結果としての社会主義が出てくるので、そこまでの生産力だのがないロシアで社会主義革命は出来なかった(今の日本共産党は民主主義革命というのを前段階においてる)」と言っている。てか不破哲三は「そもそもソ連は社会主義じゃなかった」とか言い出しているが、革命出来なかったってんだから社会主義だろ、ってのが離反転向した人の考え。そもそもロシアの崩壊と中国なり東ドイツなりの崩壊(希望)は原因が同じではないかも知れないし、アメリカなど資本主義国家との違いもある。ここらへんも共産党的にはグローバルな(原理主義的な)講座派と民族主義的な違いを認める労農派で違ったりするそうだけど。
そこらへんを言葉で考えても分からないので、単純に統一ドイツでもって「サイコロを振って貰い、その数字を記録して合計数字が高い人がゲームで勝って商品をもらう」という実験を行ったそうだ。詳しくはここらへん
>http://gigazine.net/news/20140802-socialism-worse-behave/
ここで「事前にサイコロの表が裏を宣言してもらい、出た数字を記すが、宣言のチェックを行わなかった」という事から、ズルをすれば勝ちやすいという状況を作ったのね。サイコロなのは統計的に期待値を求めやすいため。表と裏が逆さになったとしてもサイコロの目の統計的平均値は変化しないため、本来は皆平均3あたりをウロウロするはずである(ゲーム的要素はないという事)。この実験で旧東ドイツ出身者は西ドイツの人の2倍、ごまかしを行っていたという事が分かったという事から、社会主義国家ではズルをする人が増えると結論づけているが、因果関係がダイレクトなのかは分からない。
この実験の考察を書いたサイトなどを見たが、ズルと利益の最大化を体制で考えた人の日記が参考になった。私の日記のように長々と書いているが、要点は悪平等になるとズル以外に利益の増大が出来ないから、ズルをするので、社会の効率が落ちてまたズルをするという悪循環になるという説。なんか「真実」のように語っているので、そういう人なんだろうなと思って読みましたが、まあ参考にはなる。別の日記では「正直者が馬鹿を見るのは何故か」という分析があって、正直者が増えるほどズルによって得られる利益が増大する(他の人はフェアだからね)という、逆張りの理屈ですな。これは体制論ではありませんが、性善説的と性悪説の体制の違いとしては興味深い。よく共産主義は人間の根源的な欲望を認めない聖人向けの体制だからダメだ、みたいな批判は良く聞くのですが、ズルとしては分かりやすい。では逆説的に「ズルを働いてルールの逸脱者を出さないためにはどうすべきか?」と考えている所は素晴らしい。皆がフェアなら社会主義体制でも上手く行くはずですからね。
この人は、二つの可能性を考えました。まず一つはズルをするグループとズルをしないグループを想定します。一時的にはズルをするグループの方が得をしますが、このグループはメジャーになるとお互いズルを働くので社会を混乱停滞させてしまいます。一方正直者グループは勢力は小さい訳ですが、ゲーム理論で見るように個々の利益の最大化よりグループの最大化が結果として大きな利益をもたらす事が見えますから、他人をだますという戦術を採らず、結果としてマジョリティーになるのではないか?そう言える訳です。「ゲーム・選択理論」とでも名付けましょうか。選択というのはダーウィン的な適者生存の自然選択的意味です。しかし、この人が指摘するように、「人間は常に同じような善人でもなければ常に悪人という訳でもない」「正直者が増えるとズルする者のメリットも増えるから、完全隔離でもなければ無理」と言えます。でもちょびひげ親父は「金貸しで不労所得で太ったユダヤ人は隔離しましょう」とかやったけどね。あれもある意味大きな社会実験と言えます。
もう一つの可能性は全体主義、だそうです。自明の事のように書かれているのでちょっと「ルール逸脱者が全体主義でなくなる」ってのが訳分からないんですが、日記だったのでヨシとしましょう。全体主義の日本帝国で財閥が品行方正だったなんて聞いた覚えがありませんが、庶民レベルで見ると悪平等的な方向では正直者ばっかりだったような気もします。というか、全体主義が経済や行政でいきすぎたのが社会主義だと思われるので、社会主義が正直者を減らし、一方正直者にメリットがないから社会主義が立ちゆかないというのは自家撞着おこしちゃう。またファシズム=全体主義という言い方をしており、私もそう思っていたのですが、全体主義は「権威でもって国民が一つの方向に指導される事」であり、通常幸福のためにそれはなされるはずなので、最初で示された「ゲーム・選択理論」でズルするマイノリティーが淘汰された形と部分的に同じという見方も出来ます。
まあ、全体主義はウィキを見れば分かりますが、今は否定的な意味合いで使われちゃってますが、正直者が馬鹿を見ない社会=理論上ちゃんと上手く行く共産主義の手法としてはまさに合理的なんですよ。ルール逸脱者を出さない方法をシンプルに見れば「違反者にルール違反で見られる以上のペナルティーを課す」というのがごくごく一般的な発想で、資本主義の自由競争でも実はコレが大原則にあります(だから証券取引法の違反とか財務内容のちょろまかし、リコール隠しはものすごいペナルティーがかかる訳です。)全体主義で見れば、それはスターリングが行った恐怖政治で、腐敗した幹部をどんどん粛正した、表向きはね。ちょびひげ親父は反ユダヤで、これは民族浄化とか選民思想とかもあるんですが、上で書いたように「ルール逸脱者を追い出して純粋アーリア人の互助国家を作る」って事でもあります。なにしろ、ナチス政権は「国家社会主義」を標榜してましたしね。社会主義国と資本主義国はイデオロギーで対立したと私らの世代は冷戦を見て習う訳ですが、実際はどうでしょう?非正直者同士の足の引っ張り合いのように見えます。むしろ、戦争さえしなければ、ドイツの国家社会主義はヒトラーを中心にした全体主義で、理想の社会主義だったのではとも思います。そのヒトラーが中心になれば要因は第一次大戦敗戦によるドイツの貧困であり、その互助と考えると合理的であり、ドイツは今も理性的合理的なんて言われてますが、その判断は当時から大きくは間違えていなかったとさえ言えます。ただ「戦争」って手段を肯定したのと、ちょびひげ親父と国民との間の約束が果たされてなかったかも知れないってだけで。
大脱線になりましたが、こうやって見ると「共産主義」「恐怖政治」「ファシズム」「全体主義」「権威主義」「衆愚主義」など制度そのもので見れば良く言っても悪く言ってもどっかしら共通点があって、同じ物の裏表だったりする訳です。それでも上手く行く国と悪い国がある、経済的な意味だけじゃなくてね。それを突き詰めていくと結局国民一人一人に帰結するしかないんじゃない?ってのも一つの答えだとは改めて思います。あるいは、そう考えて自分に政治的な責任を持つという事なのかも知れません。
それでも強引に言うなら、「戦争を外交手段として活用する」国が永続的に栄えた試しはありませんし、逆に戦争を考えなかった名君もいません。よく「独裁政治は君主次第」と言いますが、ヒトラーは現代の皇帝で部分的に見ればドイツを良くしたと言えます。あいつが無駄な戦争をしなければ(あるいはロシアに負けなければ)、ヨーロッパや世界はずっと良い国なっていたって可能性は充分にあります(ユダヤ人?知らんな)。確かにヨセフおじさんは猜疑心や侵略をやりかねないので、軍備ぐらいは必要だったでしょうが、放置すれば逆にもっと早く内部崩壊していたはずです。目的は手段を正当化しないのかも知れませんが。
Posted at 2015/01/04 20:38:24 | |
トラックバック(0) | 日記