2018年01月02日
・仕事は剪定、Z園のパープルの仮剪定をしたが、成園化していると思ったら一部枝の更新をかけている所があったりして、それなりに切り落とすのに苦労する。主枝更新かけると、鋸に癒着材にアルミにガムテと持ち物がすごい増えるので大変なのだ。また、ここでもモズが飛んできた。別の個体で警戒心がまだ強かったが、ほんとモズには好かれる。これと言ってモズの餌になるような物が出るとは思えないんだが。
夕方は買い物して台所のドアも断熱仕込めるようにスタイロだのベニアなど手配。また最近面白さが分かって来た紫電改のマキの残りを購入、いやこれほんといいわ。何でコアな所しか話題にならないのだろうというか、類似する作品多いから敬遠されているんだろうけど、本質は身近な空にせんとーきが飛んでたら楽しいじゃん!って感じだと思う。そして作者がグアムで飛行機操縦体験をやった話なんか見ると、自分もやってみたくなる。グアムで実銃射撃と飛行体験やるツアーとかないもんかな。
・マイクロメーターが届いたので使って見た。ミツトヨやシンワのは買えないので安いノーブランドの物だが、構造的には一緒って感じである。やや動きにぎこちなさは感じるけどね。直接的にこれを使って見たいと思ったのはポリカの中空ボードで、最近ホームセンターで扱うブランドが変わってからやけに強度が下がった気がしたからだ。ポリカ素材の違いなのか、厚さなのかと思ったのだが、デジタルノギスで計った限りだとどちらも0.1㎜という事でそれ以下の差が出なかった。まあシックネスゲージでも挟んで変化するタイミングで計る手もあったが、どうせ安いんだしマイクロメーターでも使おうかと。
使い方はすっごい簡単だった。ノギスよりさらに簡単だと思う。ノギスの数値の読み方って直感的には分かるけど原理的にはちょっと分からない所があるじゃん。なんでサブ目盛りで下の桁が計れるのかなって(直感的に分かる方はいいですね)(なのでデジタル目盛り使ってます)。その点マイクロメーターは偉そうな顔してますが、ただのネジです。ただしスゴイ精密なネジです。実は私も使い方を検索して知ったのですが、持ち手はジョーがそうで、そこの防熱カバーを持たないと熱膨張で数値が狂うそうですし、シンブルで回しちゃ駄目でラチェットストップで回すんだそうな。ゼロ点修正が頻繁に必要なのも温度変化に敏感だからなんでしょう。って事はジョーが鋳鉄っぽいのもそういう要求があっての事なのかもな。
さて、ポリカの厚さはどうだったかと言うと、従来使っていた製品は0.18㎜で、新しい商品は0.13㎜でした。恐らくノギスでもアナログだったら分かったかと思いますので、デジタルノギスの弱点を見た気がします。もっとも、具体的な数字の読み取りにはやっぱりマイクロメーターのが便利でしたけどね。まあポリカの素材の厚みで断熱性はほぼ影響を受けないだろうから、別の所の作業を進める。とりあえず廊下のドア周辺が恐ろしく冷えるので、そこから改良、スタイロ詰めて化粧板はベニアで更新した。古い化粧板がバリバリなのもカッコワルイが、ラワンベニアも見た目は建築現場って感じだな。測るとフラッシュドアの板は1.6~2・2と出て、2.5㎜以下な感じだが、普通は流通してない。
・宇野高明「車両運転性能とシャーシメカニズム」
そこそこ古い本で94年刊行だが、先日買った掘重之さんの「走行性能の高いシャシーの開発」がいい本で、それと合わせてアマゾンで評価が高かったので購入。決して新しい本の作者が皆軽薄な訳ではないが、どうしても先に古典的な研究がなされるため、宇野さんの本は網羅的かつ総合的で、とても読み応えがあり、出版業界が元気で内容も充実していたんだなぁと感じる。さっそく項目飛ばしてトーションビームに関する記述を見ると、アウディタイプのフルトーションビームとゴルフのカップルドトーションビームに分けて説明してある。で、カップルドビームの説明が面白くて「ビーム位置が前にあるほどフルトレーリングアームに近づき、後ろにあるほどアクスルビームに近づく」となっていて、「ああ、そういう見方もあるんだ」と。まあほとんどの車がここは中間で結合していると思うけどね、前に伸ばすとアーム剛性が弱くなってキャンバーもトーも動くし、リア寄りにするとアウディ式になる訳だが、パナールロッドをいれて横剛性を出す事になるらしいし、バネ下慣性も重くなって不利だろうし。
またトーションビームのメリットとして、ブッシュが1組だけでヒステリシスが少なく滑らかに動かせる点と共にキャンバー剛性が高いので「アンダー特性を是正するためにリアのロール剛性を上げてもキャンバー変化少なくグリップを確保出来るのでFFに最適」みたいな事が書いてある。ほほう、そうなのかと。FFだからアンダーという事はないだろうが、従輪とされるリアの扱いについては未だ良く分からない所がある。昔はブレーク特性を下げて巻き込むようにしたり逆位相っぽくさせて曲がりやすくするという手法があったが、モデルチェンジが進むにつれリアをがっしりさせた方が良いという風潮になってきてはいた。ただ、一般論として見れば剛性が上がるとアンダーになるのが常である。しかし、この本んでははっきり「アンダー是正にリアのロール剛性を上げる」って書いてある。しかし、ロールに関する記述は本全体としては少なく平面視のヨー運動が中心なので、それが走りの中でどういう事を意味するのかちょっと分かりづらい。ま、想像するか、精読するしかない訳だ。
で、ロール剛性が高い場合のFFの動きを考えて見ると、多分こうなる。フロントを切ってフロント側にCFが発生してヨーが始まる。同時に車体にはロールが発生して外側に傾斜する。その時にフロントがロールしたい量とリアがロールしたい量が異なるとどうなるのか?定常旋回時にリアとフロントのロールが全く同じ状態を基準として(まあ駆動力や重量バランスを全く考えなければ、これがゼロカウンターで曲がっている状態だろうから)、フロントがよりロールするのを考えると「あ、これアンダーだ」って私は思ってしまう。ロール分基準状態に対してフロントが泳いでる訳でセンターラインが外の上に向かっちゃうと思うんだよな・・・ただ、定常旋回以前の初期の動きだとリアが固定されている方がどうであれCFの立ち上がりはいいだろうけど。他にもロール軸の問題だとロールセンターを決めるサス形式などの差があるので、この説明はいささか不親切にも思うのだけど。
手っ取り早いのはロールバランスとコーナリング結果を検索して調べてしまう事だったのだが、ひっかかったオートエグゼさんの説明がこれまた非常に充実して難解だった。オートエクゼさんはチューニングパーツ屋なので書いてある事はむしろローダウンしてロールが減るのか?って方向だと思うのだが、前段でさんざロールセンターとかアーム垂れ角度を検証してローダウンしてもロール剛性は下がるという個別研究をしておきながら、実車検証で「改造スタビ」という飛び道具をだして「ローダウンしてスプリングを硬くしても、それに比例するほどロール剛性は上がりませんでした(でもロール剛性は上がってます)」みたいな結論になってるのはこれどうなってんのと。スタビのレートは2倍とかになってるから、これじゃわからんよな。スタビ交換無しで計算するのが筋じゃないのか?あとスタビでロールを抑えるのは結果論としてのロール剛性であって、タイヤ面圧に対する最適解ではないような気もする。スタビという発明を否定する訳ではないが、未だスタビ形式は割と適当であったりなかったりもするしね(ミライースはついてないし、それでまがらんという事もないし)。
ただ、色々読んでいてジオメトリー論やると完全に忘れられる事がある。ダンパーだ。つまり、ロール剛性をスプリングだけでいじるとなると、レートを上げるとストローク確保問題からローダウンになるという「矛盾」が生じるし、それを解消するにはマウント部から調整出来るアーム(GTカーとかならやれる)か、全長調整式車高調が必要な訳だが、ダンパーに関してはそれが無いから安心してダンパーを固める事が出来る。しかもダンパーはロール時の圧側と伸び側両方で効く。ローダウンの弊害を知っていてバンプタッチでサーキット走るんでない人はダンパーを強化する事が一番ロール剛性を確保しやすいんじゃなかろうか。
・ブラックジャック後編・・・・うーん、パトレイバーで無ければ読んでなかった。解説で高田明美が何故か横手美智子の解説をはじめて、最後でちょろっと「繊細な魂とふてぶてしい居直り」と書いているのが、私が探しあぐねていた印象にドンピシャだ。ネーム段階から心情部分だけに肉付けをしていって力尽きた、それをそのまんま出版してしまった、そんな印象だ。話が焦点を結ばず、断片的にそれっぽいセリフや行動でパトレイバーだったと思い出す、そんな感じがする。明らかに読者に提示されてない内容がいきなり当然のように扱われ出したり、後藤という男以外の部分が粗雑で、やがて後藤自身の描写もあやふやになってしまった。ついでに野明の方も結局持ち前の明るさも発揮出来ず、かと言って大人にもなりきれない感じで未消化に終わった。失敗である。
一応不審点を羅列していく。まずイングラムの異常な弱さ、相手が重レイバーとは言え3機全滅はないよなと。劇場版みたいに軍用とか大軍とか最新鋭相手ってのならまだしもなぁ。そして犯人グループの狙いも全く不明、動機も不明、犯行声明も不明、なんだったんだ。100歩譲って不明なのはしょうがなないとしても、犯行方法自体に合理的な説明は全くなかった。結局計画犯罪なんだか行き当たりばったりなんか。また警察内部の紛争もそれっぽく描いてみたのに何にも伝わってくる物が無かった。後藤と妻の話も一応話されるのだが、妊娠中に病気で死亡したと言った感じで、特にそこから掘り下げる物が無かった。たったこれだけのために、茶番に付き合わされたのか・・・という脱力感。後藤というのは一種の舞台装置であり、それが目立つ事はあっても、それに主体的な活躍を求めるのは間違いなのではないだろうか?とすら思う(ま、OVAとか劇場では割と動くんだけどさ)。そして、後藤の魅力は多分に声優の大川さんの影響が大きいのではないかとも思う。初期OVAだとまだ定まってない感じがあるが、TVなどから大川さんの演技に引きずられる形で後藤のキャラがしっかりしてきた。帰納的に形成された人格であり、演繹的なアプローチはどこか嘘くささがある。
とは言え、ネーム側に肉付けする事で、この話の方をもっと魅力的にする事は出来たはずだ。野明や研修生の描写をもっとあっさりにして、後藤と過去の事件や処分の内容をしっかり書いて、上層部との対立をハッキリさせて現場でない人達を糾弾する内容にした方がうけたはずだ。途中までは内部犯説まで出ていたのだし、突入をせず人事問題を大きくしたかった風に取れる後藤と犯人らを知り合い同士にした方がもっとドラマティックに出来るのではないか・・・と考えていて、いきなり、唐突に、「あれ、これ劇場版2じゃないか?」と思いついた。
ブラックジャックの4巻の初版出版は平成5年7月25日、5巻は平成5年10月25日、劇パト2は平成5年8月7日だから、製作はかなりクロスしている。ただし劇パトの脚本は伊藤和典の方である。つまり、両者はお互い平行で作られているのだが、内容は驚くほど重なっている。そして出来は劇パト2の方がはるかに良い。いや、劇パト2も今考えると色々不具合はあるんだろうが、結局一㎜も出て来ないブラックジャックよりずっとマシである。
似ている点を羅列しよう。まず戦闘が主に地下で行われている事、まあパトレイバーだとありがちではあるが、トンネル戦はかなり印象的。また敵が元公安や元警察と言った内部にいた者で、完全な悪意や破壊活動としてではなく、政治的なメッセージを込めての劇場型犯行である点、ゆえに顔見知りとの戦いではないかという疑いの側面がある事、普段は背景である隊長がメインキャラにすえられていて過去が明かになる事、第三小隊が発足するなりしつつある事とかひろみちゃんが意外に活躍する事なんかも含めていいかも。それを上手く料理出来たのが劇場版、失敗したのが小説って感じなのだ。
Posted at 2018/01/03 00:05:25 | |
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