2018年04月11日
・仕事、午前中C園片付けというかなんというか。もっと怒りが湧いてくるとか悲しみに打ちひしがれるかと思ったけれど、青○部関係の憂鬱とか嫌なことがありすぎたのか、理解者が少なくとも居たからか、あんまり気にならなかった。ま、「作る時はあれだけ大変だったのに、壊すとなると一瞬だな」とは思ったけど。近所で電気関係の工事がはじまっていて、「まさかもう?」とか思ったけど、当然別の工事だった。あとは以前ちょっとだけ世話してあげた所の本人とあってちょっと話をした。まだ若いが、色々私とかぶる部分があって、「ああこの先苦労するわ」とか老人っぽい心境で思った。昼からは雨交じりの強風だったので、ちょっと懸念だった書類仕事をしたのだが、こっちの方が神経的に疲れた。
・夕方から図書館に行ったら更新事務で長期休みになってて返却だけ。その後街にちょっと出て買い物してからモールに。ダメダメと言いつつ私は良く行っている方だ。人間によってもたらされる毒は、同じ人間の間でないと昇華されない。付き合わされる家電店店員すまん、一応エアコンについては勉強になったよ。その後どの食品も食べたくないなぁと思っていたら、フードコートというかイオン直営のジュースバーを発見。ワイン会のスペースにもなるのだが、普段はフードコーナーで買った物をすぐ食べられるらしい。ジュースはコールドプレスのにんじん・パイナップル・ショウガの奴が美味しかったし、パイナップル単体のも良かった。カレー量り売りは終わっていて、ちょっと待ったらトレー盛りで出てきたので頂いた。米は美味いが、カレーはまだ胃がちょっときついかな。コーヒー飲んでたら知り合いにも会って電話で説明出来なかった話なんかをちょっと出来て良かった。コーナーには行く当てが無さそうな人もいて、携帯の充電をしてどこかに消えていった。
・胃がきついのは最近のストレスが一番大きいが、先日行ったとあるとんかつ専門店が直接の引き金だ。最近オープンした所なので試しに入ったが、同じチェーン店でもハマ寿司とかがネタを最良にしたり、吉牛が早さとコスパを争っている中、肉は薄く衣を分厚くガリガリにして盛って、油が悪いのか増量衣がやばいのか、食べてる時から吐きたくなるほどだった。店もBGMの和風アレンジJ-POPがうるさく、什器がやたら多くて食べづらく、今日も客足は多かったがあんなん価値ないだろうと。値段もいっぱしだったし。
また、最近とんかつがマイブームで色々食べているのだが、一番良かったのはホットモットの弁当のだった。とんかつに限らずホカ弁はコスパだけではなく、作りたてで素直な味で、大抵の外食(多分8割ぐらい)よりは美味しい。弁当だけどコンビニみたいに保存料モリモリでもないし。さすがに食べ飽きる問題はあるのだが、ホカ弁のイートイン程度でいいんだよ。そうそう、最近は店員も人材枯渇しているなと思う。ウェイトレスと呼ぶにはアレな方々がいる。逆にホカ弁の方が美人がいたりして、よくわかんないわ。
・中島敦 弟子より
《「それは何も一身の保全ばかりが大切とは言わない。それならば比干を仁人と褒めはしないはずだ。但、生命は道のために捨てるとしても捨て時・捨て処がある。それを察するに智をもってするのは、別に私の利のためではない。急いで死ぬるばかりが能ではないのだ。」
そう言われれば一応はそんな気がして来るが、やはり釈然としない所がある。身を殺して仁を成すべきことを言いながら、その一方、どこかしら明哲保身を最上智と考える傾向が、時々師の言説の中に感じられる。それがどうも気になるのだ。他の弟子達がこれを一向に感じないのは、明哲保身主義が彼等に本能として、くっついているからだ。それをすべての根柢とした上での・仁であり義でなければ、彼等には危くて仕方が無いに違いない。
子路が納得し難げな顔色で立去った時、その後姿を見送りながら、孔子が愀然として言った。邦に道有る時も直きこと矢のごとし。道無き時もまた矢のごとし。あの男も衛の史魚の類だな。恐らく、尋常な死に方はしないであろうと。》
衛の史魚というのを私はこの説話ではじめて聞き、また子路の生き様を尊敬するのと同様、史魚というのは正直さの別名ぐらいに思っていた。しかし、史魚について調べた所、少しばかりニュアンスが違う気がした。史魚は霊公に仕えた大夫だったが、弥子瑕という見てくれがいいだけの奸臣を重用する君主に忠言するも直らず、やがて死んだ時に遺言で「君主の考えを改められなかった無能な家臣の私の死骸を窓際に捨てて」させ、霊公が弔問に来て仰天して遺言を聞き自らの行いを恥じた、という話である(余談だが弥子瑕は寵愛されていた頃には評価された無法行為を咎められて放逐されてる。史魚の忠言が先か後かは分からん)。
孔子はこの故事を「直なる哉 史魚 既に死して猶死を以て諫む」と評価しているが、一方で子路に対しては「愁然として」言うのである。私は愁然を「悲しみ、憂い」という意味で理解していたが、ここも「不愉快な」とか「顔をくもらせて」という意味のブレはある。でも孔子は「弟子」の中で子路に対して、というか誰に対してもそういう態度はとっていないので、おそらく憂いであろう。正直である事を結果論として評価はしたけれど、結局保身や命の捨て所の大事さという建前を見越した上での対外的な言葉だったのだろうか?それも少しはあるかも知れないが、私は賢人の情みたいな物を感じる。それは仁を越えた、もっと私的な感情である。
この後、孔子の懸念通り子路の仕える王朝で動乱があり、反乱側に異を唱えた子路はその場で斬り殺されてしまう。その遺体は塩漬けにされたと聞き、孔子は家中のなますを捨て二度と食べなかった、という話が出てくる。老境にかかった賢人にとって、直情径行の弟子は手を焼きながらもかわいい存在であったに違いない。それは建前としての忠臣としてのあり方でも隠せず、また生来の気質からの美点としてどうしようもなかったのだろう。もし子路に保身を強要したら、角を矯めて牛を殺す事になってしまう事を知っていたのだ。
・
Posted at 2018/04/11 21:24:20 | |
トラックバック(0) | 日記