2019年01月20日
・仕事は午前中は強風で外に出るどころじゃなかった。でも気温は高くてなんかもったいない。まあ雨がぱらついていたので午後から剪定、大分進んだ。明日明後日には終わるだろう。紐が時々落ちて結束に手間取るのでクリップでも持っていく必要があるな。今年は枝がどんどんダメになっていて、もう来年で寿命かなぁと思う。縮伐かけてるのにコレかよと。無駄に徒長する所は環状剥皮しても徒長してるし。
・いろんな物修理、というか修理しようとして別の故障があったりしてあんまり進まない。具体的にはパネルソーでコンパネ切ろうとしたら下の支えが短くてコンパネが転ぶので伸ばそうとしたらスライド部分の逃げパーツの切り欠き作ってたりして面倒な事に。その時に煙突の支えの邪魔な部分が頭にあたるので切り飛ばしたり、風呂場を猫があけてしまうのをやっと対策したり。我ながら後手後手で嫌になる。一番いけないのは片付いてないから手間がかかる事だとは分かっているんだけどねぇ、工具がいくら優秀でも引っ張り出すのが手間だと使えないし。それには端材をちゃんと揃えて保管し、本当のゴミは適宜捨てる事だと思う。
あとはモニターのリモコンとかPS2のコントローラーとかインターフェイスの修理、リモコンは何度修理したか分からないが、汚れる所がわかっているので割と簡単。しかし、分解出来ないと頻繁に買い換えるしかないから不経済どころの話じゃないな。一方PS2のコントローラーはリモコンよりはるかに過酷な使われ方しているのにスイッチが壊れるのは今回がはじめて。ゲーム中に妙に慣性が強いなと思ったらアナログスティックが壊れてニュートラルに戻らなくなっていた。はじめて分解したが、さすがソニー、なんて組みづらい構造なんだ。そして思っていた以上に複雑で繊細な構造をしていた。今回のアナログスティックはセンサーそのものの構造なので清掃注油で多少はマシになったが、最終的には寿命的な物だと思われる。一方分解してはじめて分かったのだが、こいつデュアルショック壊れてたわ。片方のモーターステーが折れてモーターが回らないようになっていた。小さい方は生きていたので振動はしていたが、それだと分からなかったのかも。そこらへんも修理してとりあえずは再び使えるように。
・YouTubeを見ていたらニュルの市販車最速としてポルシェ911GT2RS MRが紹介されていたので見て見た。タイムは6分40秒であった。R32が8分20秒、33で7分台などやっていた中、7分を大きく切るタイムってのはとんでもなく速いっちゃ速い。しかし映像見ていてびっくりしたのは、その速さが全然速く感じられないというか、ギリギリのタイムアタックをしているように見えない事。それが4WDならまだしも、2WDなんだぜこれ・・・確かにMRはレーシングカーに限りなく近いモディファイをされているので公平ではないという意見も多く、参考記録ではあるのだが、このタイムも一発取りで入念にテストを繰り返して削り尽くしたタイムではないらしい。それが安定感にも繋がっているのだろうが、それにしても2WD700馬力のターボマシンであの安定感はちょっと信じがたい物がある。同時にあれは車の一つの理想なんだろうなとも思う。
・ローマ崩壊の話は色々示唆を与えてくれる。今日は奴隷制について。日本も奴隷社会などと呼ばれ出してしばらく経つ。以前はワーカーホリックや会社人間という言葉はあっても社畜とかブラック企業という言われ方はなかったように思う。それは労働対価(現金、待遇などなど)がそれに見合うか見合わないかという所だと思われる。ローマにおいてはどうだったかと言うと、あっちは逆に「奴隷から自由人へ」と移行した社会らしい。ローマがいかに文明的栄華栄耀を誇ろうとも、経済の中心は未だ農業であり、奴隷=農業 最重要技術=農業であった。当時のローマの道路整備技術を以てしてもローマが通商立国は出来ていなかった。ローマの成長とはすなわち戦争によって奴隷を得てそれを販売し営農を行い、同時に植民地を増やす事であった。ただその奴隷待遇がローマ化により異文化を取り込む方向であったのが特色だと分析してある。
ところが、ローマ末期は奴隷制より小作人(奴隷的小作人も含まれるが)に移行していく。かつて、共産主義を社会科学的に肯定する立場からはそれを「自由人の方が奴隷よりも労働意欲が高く生産性が高いから」という説明がなされていたそうだ。え?奴隷なのはむしろ共産主義では?と思う人もいるだろうが、南北戦争で奴隷解放宣言がなされたのが1862年、マルクスが資本論を出版したのは1872年だし、その説は長らく東側学者が唱えていたのでなんとも。ま、日本を見れば自由人的奴隷だろうが奴隷的自由人だろうが畢竟同じじゃねーかって気もするが。これが末期に崩壊するのは奴隷の市民化が進んだ訳ではなくただ奴隷の供給源が減ってローマ拡大が周辺の中心化になってしまったからというのが今(89年当時)の分析らしい。
まあ市民目線から見ると「自由人だが貧困で職業が選べない奴隷」が「自由に事業に取り組める独立経済自由人」と違うのは明かな事で、そういう自由人と奴隷を比較して生産性を語られてもな・・・って気もする。一方で本当の奴隷を監視管理して生産する本格的奴隷制度が実は生産性が割と高かったというのは興味深い所ではある。
・もう一つ、ローマ滅亡末期には周辺と中心の逆転、ローマ人がガリア人を登用依存しすぎて排斥したら滅亡という説を紹介した(てかそれしか知らん)。私は日本人だから、それを日本に当てはめて考えるというか、論者が看破したように滅亡説はその発案者の社会状況に強く影響を受けている。イギリス人が語ればイギリスの没落と重なり、アメリカ人が語ればアメリカの没落と重なる。だから、「日本の技術立国の技術が流出して周辺から逆流入して没落」とか「移民で没落」とか、上の奴隷制で言えば少子化で奴隷のなり手が減って没落とか思うわけである。しかし、日本はつかの間のGDP世界第二位の栄光に浴したとは言え、それはたかだか80年代~90年代の20年、あるいはもっと短いかも知れない。人類史どころか世界史の中でも本当に短い間であり、これをローマに当てはめる事自体が不適当ではないか?という気もする。むしろ、世界地図を見れば戦争による領土拡大で周辺を常に取り込もうとしてきた中心はヨーロッパがローマならアジアは中国である。地中海世界と中国こそその類似性が指摘されるだろう。そう考えると日本の立ち位置は中国にとってのカルタゴではあるまいか?実際昔から日本をフェニキア人となぞらえる指摘は多かったので新説でもなんでもないが、その時のローマはなんであったかに関してはあまり注目されてこなかったと思う。
さて、今の中国のありようはまさに共和制末期のローマである。衆愚政治に染まりはじめ、尚武の気風が強く対外的強攻策が強い反面征服地域からの技術導入には積極的である。そして元老院では大カトーがデマゴーグよろしくカルタゴ滅ぶべしと対外戦争をけしかけて結束と支持を呼びかけていた。よく勘違いしやすいが、ローマ帝国がはじまったのは共和制ローマの政治腐敗の一掃を図って一番有力なローマ軍人のカエサルが粛清をはじめた事の後であえる。カエサルは結局暗殺されたが、その後を継いだオクタビアヌス(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥスっつう長ったらしい名前が正式、そうでないと一般名詞とか普通に多い名前などあってローマ人には通じなかったとかなんとか)が帝政と共和制の中間的立場になっている。別の言い方をすると、ローマは二度腐っているとも言える。まあ話戻すと、今の中国ってのは長いスパンで見ると王朝末期を毛沢東や蒋介石が統一したり粛清したり共産党が腐敗政治を各地で続けたり書記長が粛清して独裁したりと、段々ローマ帝国への足がかりをつけていた時代に似ている。その中でいつも対外的に奴隷供給源かつ戦意高揚に使われていたのがカルタゴであり日本ではないかと。むしろ日本はローマよりカルタゴに学ぶべきではないかと思ったりもする。
Posted at 2019/01/21 00:06:20 | |
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