2019年07月22日
・夏祭りの売店で保健所に許可内容のさらなるアドバイスというか指針をもらうため電話したら、電話口の人間が以前の許可内容を事細かに聞いて色々めんどくさい事を言い出す。一般に保健所許認可に関係ないと書いてある内容ですら口出ししたがってしちめんどくさいので、「じゃあ夏祭り実行組織に全部話してくれ」って事で投げたが、やっぱり連絡してなかったので組織から保健所に連絡。保健所の理屈を額面通りやると、夏祭りってもう出来ないって事なんだけど、もったいぶって許認可出すのが後日になるみたいだ。もうそう言い出したら来年からは夏祭り中止だな。まあ大会組織のすりあわせも見込み違いだったらしいけど、久々に役人が威張り腐っているのを見たわ。これ、上は結局市役所だから、市役所と保健所職員で争うといい気味だと思うの。
・昼間からは会議、2時間半にも及ぶ長丁場だったが、是々非々でオープンな議論をしつつも比較的無難な所に落ち着いたと思う。とりまとめ大変だけどなぁ。そして、そこで決まった防犯プランの会合の日取りが決まったので関係各所に連絡して内容すりあわせしたのだが、またしても親組織のトップが意味不明なキレ方をする。独自組織なのに打ち合わせしてない、「組織ってのはそんなもんじゃない」「やらないとは言ってない(総会で拒否した張本人)」「なんで勝手にやるの!(別組織だからです)」とか言ってて本題にすら入れない。仕舞いにゃキレて本所まで来て直接対面してしかりつけてやるとか脅す。しょうがないので、まともに話せる補佐役の人に電話して「これこれこういう事業を独自にやってるんだけど、ぶち切れてんだけど仲裁して」とお願い。場所には来られなかったが、電話だけはしてもらえて、本所だと比較的落ち着いた顔をしていた。で、事業説明をして、ツッコミは全部解決済みという話をして、先回りしてやられた事にぶつくさ文句言いつつも話しはついたのだが、ある誤解があったのがやっと分かった。
それは私の役職と会議の出席範囲で、以前から出ていた親組織の会議は今年から役職が変わったので出なくなった。しかし、親組織のトップはそこで独自のプランニングというか希望的観測を言っていたらしく、私がその会議での発言を無視して(あるいは会議を欠席して)独走していると勘違いしてキレてたらしい。まあ、その会議内容知らないので、そこの何とのバッティングがあるのか知らないし、元から感じ悪い対応だったけど、結局の所あっち側の一方的な思い込みからの批判だった訳だ。仮に出席していたとしても、批判される筋合いではないし、頭ごなしに否定される事でもないけどな。こんなんで神経すりへらされても詫び一つ言われず頭下げて悪者にならないといけないとか、ほんとクソ。批判材料ないから関係ない事を揶揄されたりするし、若年性なんちゃらだな。まあこれで事業が上手く行くんならいいんだけどさ、これで誤解を指摘してもまたゴネかねないし。
・「こうして見せはつぶれた」 地域土着スーパー「やまと」の教訓
小林 久 著
今日のやりとりでぐっと我慢出来たのは、この凄惨なドキュメンタリーを読んだからだろう。確か農協の機関誌の一つでレビューが載っていたから図書館で借りたのだろうが、そうでなければなかなか借りない本だと思う。この本は山梨のスーパー「やまと」を経営していた方が、いかにスーパーを再建し、社会奉仕活動をし、そして突然の裏切りで閉店に追い込まれたかの話しである。破産して水も止められたスーパーの社長室で書いたという生々しく抑えきれない感情のほとばしりは、まるで20代の若者のような激しさを内包している。100%言うとおりではなかったかも知れないし、全国チェーン店が中小スーパーをつぶしたのは、さらに前は個人商店とスーパーの間であった事という自己批判もあるけれど、全体として流れているのは「人情紙吹雪」って感じだ。社会奉仕活動や割に合わない活動を沢山やって買い物難民や環境問題やホームレス問題、地域活性化に取り組んできたけれど、(ハッキリとは言ってないが)銀行が不渡りデマを流してやっと復活しかかった所で破産に追い込まれてしまったという流れである。こう書くと「俺はこれだけいい事をしたのに助けてくれなかった!」と言っているように感じるかも知れないが、実際は当時そういう事は言わなかったようだ。そして、そういう活動を一切しないブラック企業スーパーがのさばっている事、消費者も目先の安さに吊られる事、善意につけ込む人間が沢山いる事、政治家が口先だけな事、全部あるあるすぎていたたまれない内容だった。結局倒産してからいくつかの社会問題が顕在化したが、やがて弱者の叫びなど皆忘れてしまうのだろう。この人の天の邪鬼とも言える逆境へのチャレンジ精神や自己犠牲を自己犠牲とも思わない精神は地域リーダーの理想像だと思っていただけに、それがあっさりと破れてしまった事もショックだった。正義のヒーローが勝つのはファンタジーの世界だけのようだが、直接の敵は仲間だったり守るべき市民だったりした訳だ。
もちろん、一般論として「スーパーや小売業もどんどん組織再編していくからスケールメリットがない企業はどんどん潰れるし、自主廃業した方がマシだった」ってのはあるかも知れない。この人も余力があるうちに廃業しようと思えばはるかにダメージが少なく出来ただろう。でもスーパーのような小売りは回転資金が大きいので、たためるうちにたたむとなると、ちょっとでも不安定になったらつぶすみたいな感じになってしまう。
さて、うちの地元も笑えないぐらい状況はそっくりだが、やまとのような店は無かった。それが良かったのか悪かったのか、泣く人がいなかったのは良かったが、それだけうちの地元は冷たい利己的な町なのである。あるいは、善意の人間が死に絶えた町なのかも知れない。私は以前から倒産した所の社長が自殺してしまう意味が分からなかったが、この人の考えを見ているとうっすら分かる。それは債権者から棒引きする事で連鎖倒産なんか起こしてしまうと、同じ痛みをさらに多くの人に引き起こしてしまい、その責任や罪悪感にさいなやまされるからなんだろう。それだけギリギリの企業が多く、余力がない所ほどそういう所と関わるからコストが跳ね上がりリスクも増えて、という悪循環になるのだ。
上手く生き残れたとしても、その後の破産者は悲惨だ。事業には二度と関われず、社会からはじき出される仕組みで、そのノウハウや志は失敗者という落胤で報われない。
そんな事を考えていたら、ショッピングモールに出向く事がとても罪深い行為に思えてきた。確かに地元雇用は多少は増えるが、聞くと結構な量が移住者で、景気が悪くなれば出て行ってしまう人だ。マネージャークラスは売り場も回らずスーツ着てつんとしているだけ。まあ本社が作った日本破壊プログラムの遂行者で自分で考えている訳じゃない。何しろ親会社の一番の儲けはコンビニで経営者の血肉をすすって飲んでる連中だからスーパー部門がホワイトな訳ないか。
・で、日記上げる気になれずふて寝して色々考えてたんだが、日本って国は
何もしない事>何かする事という超消極社会で、出世のはそういうお地蔵様だから、上が事なかれ主義で凝り固まってしまっている。何か新しい事をするのに膨大な労力が必要で、邪魔する方が楽、そして失敗すればざまあみろって所だ。そりゃ急速に社会活力が失われますわ。日本は物質的に恵まれているはずなのに酷く空疎で生活満足度が低い理由の一つはこういう所じゃないかなと。
その大本の一つは明らかに金融機関だ。金融機関にコンサル能力がなく、事業発案能力がなく、手堅い大型案件だけやってる。そういうコンサバの権化の金融がためるだけ金ためて利用出来なくなってあっぷあっぷして、でも倒産させると預金者保護が出来ないからとか言って保護されるので役所と金融も仲がいい。金融が再建団体にどんどん役人の天下りを斡旋して担保にしてるというスパイラルも最近身近に発見した。
そう考えると、バブルのみそぎがまだ済んでないのが長期的構造不況の一因ですらあると言える。バブルで株価がはじけた時に地価も本当にはじけさせて銀行をそのまま倒産させておけば、実体経済に近い価値に戻ってたのではないだろうか。そうすりゃ銀行も自分で生きなければいけなくなって公的支援も不要になって、バブルのような大型投資だけじゃなくなっていたはずだ。その時の痛みから逃げ出したのが日本経済のアキレス腱になりつづけている。
Posted at 2019/07/23 10:14:25 | |
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