
1月30日は、ペルーの首都
リマからクスコへ早朝の飛行機で飛び、
クスコで若干の観光の後、バスで
オリャンタイタンボまで走り、そこから
鉄道でマチュピチュまで移動するという、結構な強行軍でした。
何れの画像もクリックで
拡大します。
前日は夜遅くにブラジルのイグアスからリマへ到着、マチュピチュ行きに備えて荷造り等で就寝が遅くなったものの、午前中の便じゃないと濃霧等の影響を受ける。。。との判断で、
空港へは早朝の集合となりました。ホテルは空港から徒歩1分です
o(^o^)o
ところが、せっかく早朝に集合したのに
リマ空港の乗降客管理システム?がダウンしたため、出発ゲートがコロコロ変更になったりして、最終的には
出発が約2時間遅延、クスコの
市内観光がかなり省略されてしまった(と思われます)のが残念でした。
スケジュールの遅延は、実はこの旅行で2度目です。最初は1月26日、成田出発が、乗り継ぎ客待ち???で30分ほど遅延したところに、そのタイミングでひどくなった降雪のおかげで、雪降ろし凍結防止剤塗布作業が追加になり、その順番待ちでこれも約2時間遅延したのです。こちらもロサンゼルスでのホテル休憩時間がその分短縮されています(><)
現在は、人口30万人ほどでアンデス山脈の標高3400mにある街
クスコは、16世紀にスペインが侵略して征服されるまでは、
インカ帝国の首都として栄えていました。現在の街並みは、スペイン人が破壊したインカ人が造った建物の土台のみを活用して、上屋を建設したものなのだそうです。
そのクスコの街中で最初に撮ったのが冒頭の写真・・・前方に見える高台にい行く途中の街中での1枚です。
今回訪れた国のうち、ペルー、ボリビアでは
古いカルディナ、古いカローラバン、プロボックスを良く見かけましたが、ちゃんと
右側通行仕様になっているのでトヨタ車の中でもこれらは南米のどこかの国で製造されていたのだと思っていました。
ところが帰国してネットで見ていると、日本から輸入された中古車を
格安で左側通行仕様に改造して使っているということを知り、この日撮った写真を精査(というほどのものではありませんが)すると・・・
冒頭の写真に写っているカルディナのもう1枚の写真には、明らかに
KANAGAWA TOYOTAの文字が写っていました!
ご参考までに・・・我が家にあったカルディナはKOBE TOYOPETでした。
更に、
クスコの街を見下ろす展望台に到着した際に、
撮った看板の写真に写っていた
プロボックスには、何と
自動車保管場所標章が残っていました!
メンテナンスも含めて、かなりの
技術力がある(この件に関しては、旅の終わりに再認識したことがありますので又、記述します)のだろうと感心しました。
一昨年旅行で訪れたカンボジアでは、明らかに偽物と判る各種漢字を用いたロゴ、桁数がおかしい日本の電話番号などを記載した日本製中古商用車の偽物が散見されたことを思えば、国民性の違いを感じざるを得ません。
ということで、僅かしかありませんが、展望台から見た
クスコ旧市街の写真です。地図で確認しましたが、クスコ市街の北西部約1/6ほどが写っていると思われます。
中央部を拡大すると、旧市街の中心広場
Plaza De Armas、その手前が
クスコ教会、左手に
カトリック教会が写っています。
この時点で既に13時前、ここから
85km先にあるオリャンタイタンボ駅まで、休憩時間も含めて
2時間ほどで走りきる必要があります(列車の出発予定時刻は15:37)。

途中、3ヶ所(だったと思います)の休憩地点のうち、面白かったのがこの景色。
それは・・・
地上約400mにあるという
Skylodge Adventure Suitesという宿泊施設です。当然、アクセスは
ロッククライミングで上がってチェックイン、ということになります。ストリートビューでは
こちらです。
なお、オリャンタイタンボまでの途中通過する街中には、
横断歩道手前で最徐行しないとサスを痛めるような仕掛け(
極端な突起物です)が路面に設けてあり、列車の出発時刻まで
時間の余裕が無い状況が良く判っているドライバーは横断歩道直前に
急ブレーキをかける、乗り越えたら
急加速をする・・・という運転を繰り返していました。
そのおかげで、
15時前にはオリャンタイタンボの駐車場へ、そして徒歩数分で駅に到着しました。
オリャンタイタンボ⇔マチュピチュ村は、
PERURAILと
INCARAILが運行していますが、私たちはこの列車に乗りました。
アンデス山脈の渓谷を
ウルバンバ川に沿って走るPERURAIL展望列車からの車窓。
時々氾濫して線路が壊れるそうです。
このような今にも
氾濫しそうな渓谷を辿ること1時間半ほどで、
マチュピチュ村に到着しました。
そこにいた
豪華展望列車です。マチュピチュを発見した
ハイラム・ビンガムの名前がつけられています。
マチュピチュ村そのものは狭いもので、ホテル(
El MaPi Hotel)にチェックインする前に30分ほどかけて街歩きをしました。その最後の地点・・・この奥に温泉

があります。
水着着用なので、手前には水着を売ったり貸したりする店が並んでいました。
これまたご参考までに・・・先頭を歩く男性は名物ガイドのMさんですが、続く4人の女性は女性だけでツアーに参加した方々、その後に家族或いは夫婦で参加の男女4ペアーが続いており、この計12名が、今回のツアー参加者でした。
さて、
マチュピチュに温泉♨♨???・・・と不思議に思いましたが、
1948年、マチュピチュが単なる集落からマチュピチュ村に昇格した際の
初代村長は 日本人・野内与吉氏だった、という話を聞くと納得できるものがあります。
野内氏は1923年頃から鉄道敷設や水害復旧で
マチュピチュの存続に貢献されたのだそうです。
翌日は、いよいよマチュピチュ遺跡に上りますが、お天気がイマイチなのが気がかりでして、夜は温泉にもマッサージにも行かず、大人しく過ごしました。
つづく
【関連のブログ】
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南米を旅してきました
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南米旅行(その1:イグアスの滝・ブラジル側から)
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南米旅行(その2:イグアスの滝・アルゼンチン側から)
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南米旅行(その3:イグアスの滝・ヘリコプター遊覧ほか)
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Posted at
2019/02/24 18:32:05