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2024年03月09日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その11:ヴィース教会からノイシュバンシュタイン城へ)

中欧三か国早周りの旅(その11:ヴィース教会からノイシュバンシュタイン城へ)12月11日です。(久しぶりの中欧旅行更新です)
前日に20時過ぎまでかかってインスブルックまで移動したのは、この日は早朝から午前中にかけてヴィース巡礼教会そしてノイシュヴァンシュタイン城を訪問するという行程だったことを考慮してのことだと思われます。

ということで、インスブルックを6時に出発この日も強行軍です


      何れの画像もクリックで拡大します。



約2時間かけて8時前に到着した・・・日の出前のヴィース巡礼教会
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この時以来、15年ぶりです。今回は、真冬の早朝ということもあり、訪問者は我々ツアーの一行だけでしたが、誰もが自由に礼拝できるように意図しているのでしょうか??? 教会の入口の扉は施錠されておらず(建付けが悪くて開けにくかったので、最初は施錠されていると勘違いしましたが)、管理人とか誰もいないのに無事入ることが出来ました。


入口に掛けてあった銘板には、世界文化遺産・鞭打たれるキリストへの巡礼教会ヴィース(1983年登録)と表示されていました。
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Wikioediaには
外観は牧場の中に建つ、非常に質素な教会だが、ロココ様式の内部の装飾はヨーロッパ随一と言われており、特にその天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。ロマンティック街道、ドイツ・アルペン街道の観光スポットの一つとなっている。
と記されています。

こんな素晴らしい文化遺産に勝手に入れてしまうって良いのかなぁ、とも思いますが、「非常に質素な教会」だからこそ可能なのかも知れません。
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ともあれ、その鞭打たれるキリスト像、素晴らしいフレスコ画や装飾に見入ること20分・・・
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・・・添乗員に促されて外にでると、曇り空ではありましたが日も上って、雪原に佇むヴィース巡礼教会がありました。
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次はノイシュヴァンシュタイン城へ向かいます。

一旦、来た道をシュタインガーデンの三差路まで辿り、幹線(R17)に戻ります。左の写真はその三差路(止まれのT字路)を左折する所です。道標を見ると、戻って来た道がWikioediaに記載されていたドイツ・アルペン街道であることが判ります。
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幹線(R17)を走っていると、シュヴァンガウの街の入口ロマンチック街道日本語で書いた道標がありました。この1.3km先を左折してお城に向かいます。


左折すると、左手に聖コロマン教会が見えました。更に、遠くにはノイシュヴァンシュタイン城
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この聖コロマン教会、小さいけど中々良さそうです。個人旅行だとふと立ち寄ってみたくなる類の施設で・・・我が家では個人旅行がご法度になっている所以です。



ここから数分でホーエンシュヴァンガウの街(=シュヴァンガウの旧市街)に到着しました。
こちらもこの時以来、15年ぶりです。


ホーエンシュヴァンガウの街の西側にあるホーエンシュヴァンガウ城です。
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この城は、ノイシュヴァンシュタイン城を造ったルートヴィヒⅡの父親マクシミリアンⅡが購入した古城シュヴァンシュタイン城をリフォームして造った城です。



ホーエンシュヴァンガウの街からは、本来であればノイシュヴァンシュタイン城の入口までシャトルバスが運行されているのですが、積雪のため運休していました。馬車に乗る手段もあったのですが、不定期なため入場指定時刻に到着しない恐れもあります・・・・で、仕方なく徒歩で上ることにします。ところが・・・
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右)現在、橋へは進入不可の表示・・・
実は、一番楽しみにしていたマリエン橋から観る雪景色のお城・・・はかなく夢が破られました (T_T)
alt👈この雪景色が観たかったのです


たどり着いたノイシュヴァンシュタイン城・・・入城待ちの時間に撮りました。
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                                 シュヴァンガウの入口で見た聖コロマン教会も写っています。

右)築城したルートヴィヒⅡの胸像です。
イケメンだぁだのいや違うだの。。。女性陣が多いこのツアーならではの盛り上がりでした。
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ノイシュヴァンシュタイン城は、近代になって築城されたことから、世界遺産登録は無理だと思われていたようで、ようやく2024年2月に世界遺産登録申請されたところです。なのに・・・40年も前に世界文化遺産登録されたヴィース巡礼教会では、勝手に入って勝手に写真も撮れたのですが、ここでは城内部の写真撮影は禁止されていますので、これ以降は窓から眺めた外の写真しかありません。



お城の窓から眺めたマリエン橋・・・あちらから見るとこうなる・・・しつこい 笑
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同じく・・・雪のシュヴァンガウの街フォルクゲン湖(北側)
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左)同じく・・・アルプ湖バイエルン王家博物館(西側)
右)アルプ湖から見たホーエンシュヴァンガウ城、博物館、ノイシュヴァンシュタイン城
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                                           博物館HPより借用



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お城の麓で見つけた看板です。

Kennen Sie mich ?
と訊かれたら、意地でも知りたくなりました







で、調べたのですが、どうやらルードヴィヒⅡの父方のおばあちゃん(=ルードヴィヒⅠの妻)・テレーゼ・フォン・ザクセンではないか、との結論に至りました。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非教えて下さい。






最後は、ホーエンシュヴァンガウにあるレストランでのランチです。
ビールは30kmほど離れた地域の白ビール。ロールキャベツが美味しかったです これでもかと出てきたザッハトルテもOKでした。 @Restaurant Cafe Kainz
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ランチを終えた時点で、13時半。。。午後は250kmほど北にあるローテンブルクに移動して、Xmasマーケット・・・夜市ですね・・・を観て泊まります。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その1:速報)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その2:ミュンヘン)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その3:プルゼニ)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その4:プラハの前編)
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 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その8:ウィーンの後編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その9:ハルシュタット)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その10:ザルツブルク)


Posted at 2024/03/09 17:29:21 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年02月01日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その10:ザルツブルク)

中欧三か国早周りの旅(その10:ザルツブルク)ハルシュタットの次はザルツブルクに向かいました。

結果的に75kmを75分かけての移動です。日本でいう国道と良く出来た地方道の中間くらいの飛ばせる道でしたので、大型バスではありましたが、良いアベレージだと思います。

👈マルコ・ファインゴールド人道橋から見た旧市街地と
 ホーエンザルツブルク城


                    何れの画像もクリックで拡大します。


こちらは、その道中、向かって左手に見えた景色です。この日の何とも不安定な気象を窺い知ることの出来る写真になりました。なお、ストリートビューで何度確認しても、この景色の場所がさっぱり判りません(T_T)  威容を誇る大きな山々の麓で、水面に映る街並みの存在感が気に入っています。
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ザルツブルクでは、ミラベル庭園近くの路地でバスを降り、旧市街地の散策を開始します。
まず目についたのは、聖アンドレ教会(左)とオーストリア銀行(右)です。
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オーストリア銀行はイタリアの金融グループ傘下にある民間銀行です。



その先に現れたのがザルツブルク市役所です。 市役所の中に入って中庭を抜けると。。。そこはミラベル庭園になっていました。庭園にあったペガサスの噴水も凍っていました。
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ザルツブルクは、このミラベル庭園も含めて映画サウンドオブミュージックの撮影地として知られているそうですが・・・サウンドオブミュージック。。。残念ながら映画の中身は記憶にありません。

ミラベル庭園からは、丘にそびえるホーエンザルツブルク城が見えていました。手前に見える尖塔は旧市街地に建つザルツブルク大聖堂です。
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ミラベル庭園を出た所(観光案内では、こちらを入口と表記していますが)がマカルト広場です。
マカルト広場には左から。。。

          三位一体教会                  モーツァルトの家
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続いてモーツァルトの家の右隣がドップラーの生家、更に角を挟んでカラヤンの生家
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と、有名人の家連なっていました。
ドップラー:クリスチャン・ドップラー。ドップラー効果を解明したことで知られる物理学者、数学者、天文学者
カラヤン:ヘルベルト・フォン・カラヤン・フォン・カラヤン。20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりである指揮者



カラヤンの像は、生家の裏手を流れるザルツァハ川に面して建っており、そこからは、ホーエンザルツブルク城(左)、そしてメンヒスベルクの給水塔として知られるアマリー・レッドリッヒ塔(右)が見えていました。
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イルミネーションが綺麗な橋は、マルコ・ファインゴールド人道橋です。これからこの橋を渡って、対岸の旧市街地へ向かいます。



2本目の通りゲトライデガッセです。モーツァルトの生家モーツァルトカフェ等があり、イルミネーションも華やかでした。
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トンネルと言うか、ビルの中の路地をいくつか抜けていくと、Alter Markt(Old Market)と名付けられたこんな所に出ました。
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奥にはレジデンツ広場に建つパノラマ美術館の塔が見えています。ポツンと輝いている★は木星です


レジデンツ広場ではXmasマーケットが開催されていました。
   パノラマ美術館(閉館移転準備中)            ザルツブルク大聖堂
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たったの2時間弱で、ザルツブルクの旧市街地を散策しました。まさに駆け足でした。まぁ、現地のガイドさんも早口、速足で大変だったと思いますが。。。(^^ゞ

夕方に着いて、すっかり暗くなるまで歩き回った旧市街地を思い出すショットを数枚。。。
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ゆっくりとした旅であれば、当然ザルツブルクに泊まるのでしょうが、何しろ早周りの旅です! こんな時間(17:30)からインスブルックまで180kmほど移動しての宿泊になります。これは翌日の観光を見据えた行程。。。ということで、綿密にスケジュールされたものだと思います。
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ザルツブルク(右)からインスブルック(左)までは、所々に集落があり、そこは狭くなっているような下道(いわゆる裏道ばかりを通って飛ばしていましたが、約3時間を要しました。




最後にインスブルックでの夕食。。。。
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よほどお腹が空いていたと思われます。最初(20:27撮影)と最後(21:13撮影)だけでメインのお料理の写真がありません



本日の記録 バスでの移動距離:約560km、万歩計の歩数:12,068歩



つづく



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 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その8:ウィーンの後編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その9:ハルシュタット)



Posted at 2024/02/01 23:52:54 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年01月20日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その9:ハルシュタット)

中欧三か国早周りの旅(その9:ハルシュタット)旅の5日目、12月10日も6時起床で朝が始まりました。
8時にウィーン市内を出発、高速道路E60を通って約290km西南西の方向にあるハルシュタットに向かいます。
ハルシュタットは、こちらにも記載した名のとおり岩塩採掘の街として栄えました。そして、世界一美しいと言われる湖畔の街としても有名です。


     何れの画像もクリックで拡大します。


欧州内の全行程の移動を担ってくれたバスの写真を、この日の最初の休憩時に撮りましたので、紹介します。 注)凡そ2時間を超えない範囲で必ず休憩を取っていました。
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気難しいドライバーさん(と、この時は思っていたのですが、ポーランド人で英語が少し苦手なだけ。。。ということが後で判りました)に、一応断って撮ったものです。

MAN社のバスでした。
👆:下にスクロールすると青色の同型車が出てきます。

ナンバーはポーランドナンバー(写真拡大部PLご参照)でして、ポーランドの会社が運行しているものです。



こちらはリンツへの分岐点における道路標識です。ここで10:20頃でした。Graz(グラーツ)というオーストリアの都市があるのですが、国表示がSLO(隣国のスロバキア)になっているのが謎です。
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進行方向左側に見えるトラウン湖を撮っている時です。


ん??右側が騒々しいなと思って見ると、オーストラリア連邦鉄道と並走していました 帰国後調べると、電気機関車は連邦鉄道のOBB 1144型でした。場所はベーエンゼーという湖畔の街です。







ハルシュタット到着は12時前でした・・・結構、時間かかっています。お天気がイマイチですが、取り敢えず、ハルシュタット湖舟屋の集落をサラッと観て。。。
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。。。昼食になりました。ハンバーグだろうが何だろうが、必ず🍺ビール🍺(🍷の時)飲みます。この日は白ビールではなくピルスナーをいただいたようです。
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食後は街を散策します。


この街は周りの大自然が素晴らしいだけでなく、パステル調で小ぶりな家々がいかにもヨーロッパの山の街特有の落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
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そして、足元のマンホールを見ると WORLD HERITAGE HALLSTATT(世界遺産ハルシュタット) の刻印が誇らしげです。

今回の旅では数々の世界遺産を訪ねましたが、これらについては別途まとめてみたいと思います。


街の北部まで歩いて、お奨めの(お約束の)ビュースポットで記念撮影です。我々夫婦を撮ってもらった写真が一番出来は良かったのですが、それは封印 笑
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背景の山はダッハシュタイン🏔です。


その後は、自由時間となったので、途中で見かけた教会ふたつを巡ることにします。
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こちらは、傾斜地に張り付いている聖マリアカトリック教会への上り口です。
右側の家ですが、板壁と戸袋、屋根の角度等、日本家屋のものと似ていると思いませんか?









上ったところにあった聖マリアカトリック教会。外観は下の道から撮ったものです。
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続いては、聖マリアカトリック教会の庭から、そしてその前に訪れたビュースポットからも見えていたハルシュタット福音教会です。
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散策を続けます。

中央広場で街並みを撮っていたら、滝があるのに気づきました。地図で見るとハルシュタットの滝 。。。だそうです。
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本来、こちらの広場には三位一体像があるはずですが。。。工事中のようでした。


湖畔に沿って舟屋の裏を歩いていると、白鳥が寄って来てくれました。
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傾斜地に張り付いている家々。。。岩塩坑はこの傾斜地にあったようです。
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そろそろ集合、そして移動開始という時刻になって、青空が見えてきました。

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名残惜しいのですが、湖畔の街並み。。。
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舟屋、聖マリアカトリック教会、ハルシュタット福音教会も少し明るくなりました。


最後に、もう一度、ハルシュタットの街と湖そしてダッハシュタイン🏔
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この時点で、14時半過ぎ。。。もうしばらくすると風が止んで、素敵な湖畔の景色が観られるかも。。。と期待しちゃいますが、この日は、まだまだ移動(約270km)&観光が控えていました。


つづく



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Posted at 2024/01/20 15:39:37 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年01月18日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その8:ウィーンの後編)

中欧三か国早周りの旅(その8:ウィーンの後編)12月9日は午後もウィーン観光です。
まずはベルベデーレ宮殿に行きました。

オーストリア政府観光局の公式サイトWikipediaに記載されている内容を要約すると・・・


      何れの画像もクリックで拡大します。

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ベルベデール宮殿は、もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(Johann Lukas von Hildebrandt)に、夏の離宮として造らせたもので、1714から1716年にかけて下宮(Lower Belvedere)、1720から1723年にかけて迎賓館である上宮(Upper Belvedere)が建設されました。
上宮、下宮の2つの宮殿と広大な庭園は見事に調和しており、世界で最も美しいバロック建築の一つであるとともに、上宮からは庭園、そして下宮の向こうにウィーン市街を眺望できます。上宮のハイライトは、グスタフ・クリムト絵画の世界最大のコレクションです。また下宮で行われる特別展では、文化と歴史に触れることができます。
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ということで、訪れた昨年は上宮が造られてから丁度300周年でした。

今回は、上宮と下宮のうち上宮のみを訪れました。

南北に拡がるベルベデーレ宮殿の南側にある上宮の更に南端からアクセスします。
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なかなか見事なバロック様式の外観です。
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上掲の要約文にも記載していた上宮からの眺望です。庭園、下宮、そしてウィーン市街が見渡せました。左奥に見える塔は午前中に観光したシュテファン寺院の南塔です。やはり目立ちます。
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こちらは、上宮の大理石の間で、カルロ・カルローネによって描かれた天井フレスコ画です。






十字に仕切られた窓が見えますが、この窓の上からフレスコ画が描かれた天井までの距離は、たったの150cmしかないのだそうです。


にわかには信じられませんでしたが。。。






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。。。窓の位置まで上がって覗いてみると・・・

窓から天井までの距離は、本当に150cmくらいしかないことが判ると思います。
下から見えた奥行きの空間は巧みに描かれていたのです。


チェスキークルムロフの壁に続いてだまし絵登場です





さてグスタフ・クリムトの絵画ですが、
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目下、芸術史研究と修復のためにベルヴェデーレの工房にある
アデーレ・ブロッホ バウアーⅡが・・・










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2023年11月9日~2024年2月11日の間、特別展示 として上宮で公開されており、偶然に見ることが出来ました








続いて見ることが出来たグスタフ・クリムトの絵画の数々をアップします。バンバン撮りましたので、酷い写真ですが備忘録扱いで。。。

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         接吻           フリッツア・リードラーの肖像       ひまわりの庭


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        ひまわり                 花嫁            ソニア・クニップスの肖像



クリムト以外にもありました。
      エゴン・シーレ            エゴン・シーレ        ジャック=ルイ・ダヴィッド 
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        死と乙女         家族 ベルベうずくまる人物群像    アルプス越えのナポレオン





上宮を出て帰路です。ここでもXmasマーケットを冷やかして・・・
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ウィーン市街地へ戻ります。



    各国皇室御用達のHOTEL IMPERIAL               マクドナルド 
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オペラ座周辺が騒々しかったのですが、どうやらイスラエルによるパレスチナ攻撃への抗議デモをやっているようでした。

侵略されたことがある国或いは分割占領されたことがある国として、共感する気持ちは他国よりも敏感なのかも知れません。







その後、夕食までは自由時間となり、オペラ座周辺を散策したり、土産物を物色したりしていました。

こちらは、ウィーンと言えば。。。のチョコレート、モーツアルトのチョコレートです。
味も何種類かあるようで、こちらは昔ながらの香りがするもので、好き嫌いがありそうですが私は好みです。
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オペラ座からシュテファン寺院までのケルントナー通りは散々歩きましたので、一本西側にあってイルミネーションが綺麗そうなノイアー・マルクト通りに入ってみました。
小綺麗なホテルPension Neuer Markt ペンション ノイアー マルクトの左隣、写真の左端に写っているお店は、ケーキで有名な Kurkonditorei OBERLAA オーバーラーです。朝からの観光で疲れ果てて。。。結果的に、こちらで夕食までの1時間半ほどを潰すことになりました。
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夕食に備えて、美味しそうに見えるケーキも我慢してお茶だけ飲んでいた1時間半でしたが、満席だったにもかかわらず、お店の人はこちらの疲れた様子がお判りだったのか(実は、入店時にダメもとでお茶を飲むだけなんですけど~とはお伝えしたのでしたが)・・・とっても居心地の良いお店でした。  入店してからオーダーするまでに要した時間が約20分、コップを下げにきたのが1時間後・・・思い返せば、添乗員さんからこちらのお店はのんびりしているから、そのつもりで~と聞いていたのですが、そのとおりにコトが運んだだけだったのかも知れません (*^^) v


そして、夕食前にもうひと頑張りして、夜のシュテファン寺院を覗きに行きます。
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XmasマーケットとXmasツリーが雰囲気を盛り上げてくれていました。


帰路、レストランまでの間に撮った夜のケルントナー通りです。嫌味な看板は見られず、上品なイルミネーションが人出の割には品の良い通りを演出しているのではないかと思います。
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夕食はローストビーフでした。 普通のお店Restaurant Lubellaでしたが、お味は良かったです。
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おやつのケーキを横目で見ながらコーヒーだけで我慢した甲斐がありました。



この日の最後は、再びバスに乗ってシェーンブルン宮殿コンサート会場へ向かいます。そして、モーツァルト自身が 1786 年に演奏した宮殿オランジェリーで、20時半からモーツアルト、シュトラウスの曲を堪能しました。
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ホテルへ戻ったのは23時頃だったでしょうか・・・歩いた距離は前日よりも少なかったのですが、宮殿の中や街の中を一日中徘徊していましたので結構疲れました。 翌朝も6時起床です。



本日の記録 バスでの移動距離:約30km、万歩計の歩数:14,691歩



つづく



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 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)


Posted at 2024/01/18 16:41:53 | コメント(2) | 海外(遊び) | 日記
2024年01月14日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)

中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)12月9日は丸一日ウィーン観光です

午前中はシェーンブルン宮殿、続いてシュテファン寺院を訪ねることになっていました。

但し、生憎の雨、雪模様ですので、気が重かったのですが、取り敢えずは頑張ることに。。。


                  何れの画像もクリックで拡大します。


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前夜は21時に夕食を食べたにもかかわらず、朝食は6時半から食べました。ウィーン一日目の朝食です。



今回の旅行で初めてスパークリングワインが置いてありました。勿論、いただきます。一切れだけ取った酢漬けのニシンとは相性が良いようでして、双方の味を引き出している感じがしました。



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迎えのバスが来るまで、ホテル前のトラムを観察。。。
こちらはシーメンス製ULF(Ultra Low Floor)のType Bです。







そして8:45出発、20分ほどでシェーンブルン宮殿に着きました。
因みに、ドイツ語で美しいはシェーン(schön)、泉はブルンネン(Brunnen)ですので、シェーンブルン=美しい泉という意味になります。

横幅180m程の宮殿に正面からアクセスします。
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以下、Wikioedia等の解説を抜粋&要約・・・
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ウィーンの南西部にあるシェーンブルン宮殿は、政略結婚により広大な領土を獲得し、大貴族となったハプスブルク家がヴェルサイユ宮殿よりも豪華な宮殿を建てたいという思いで作られました。
17世紀の末に、レオポルト1世がバロック建築で有名なフィッシャー・フォン・エルラッハに命じて建設が始まりますが、財政難により建設は一時中断されます。その後、18世紀の半ばに孫の女帝マリア・テレジアにより建築が再開され、マリア・テレジアはもちろん、マリー・アントワネットも幼少期にこのシェーンブルン宮殿で過ごしていたそうです。現在この宮殿は、その歴史的重要性、類例の無い豪華な内装や庭園によってユネスコ世界文化遺産となっています。
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なお、マリー・アントワネットは政略結婚でフランス王太子(後の国王)ルイ16世に嫁ぎフランス王妃となりましたが、フランス革命により幽閉、処刑されることとなります。もう14年前になりますが、私はその幽閉場所を訪れており、私の中で、話は一応完結します (笑)



宮殿内部は、南側の庭園を望むこの場所以外は撮影禁止になっており、内部の写真はありません
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霞んで見えるのがグロリエッテ(対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊のために建てられた長さ100mの回廊建築)、手前にネプチューンの噴水池が見えていますが。。。噴水池までが390m、グロリエッテまでが770mも離れています。



内部を見学後の自由時間で、南側の庭園を散策してみました。
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              宮殿                庭園:左端にグロリエッテが薄く写っています。

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最後にエントランス広場で開催されていたXmasマーケットを冷やかして、バスに戻りました。
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ウィーン中心部に戻ってからは、ウィーン国立歌劇場(以下、オペラ座)周辺でバスを降りて、午前中最後の散策をします。

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        オペラ座を東側から見る               オペラ座を南側から見る


オペラ座東側の通り・・・南北に通っているケルントナー通りです。ここは何度も通ることになります。
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次の目的地はシュテファン寺院です。オペラ座からケルントナー通りを北に5~600m行った所にあります。
ウィーンのシンボルとなっており、ハプスブルク家歴代君主の墓所となっているほか、モーツァルトの結婚式、そして葬儀が行われた寺院としても知られています。
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右側の塔が南塔です。高さは136.7mあり、教会の塔としてはドイツのウルム大聖堂、ケルン大聖堂についで世界で3番目の高さなのだそうです。


ゴシック様式で造られている外観に対して、内部の祭壇はバロック様式となっています。
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ここで、丁度ランチの時間となり、楽しみにしていた子牛のカツレツを食べることが出来ました。
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左)前菜のキャベツ?は酸っぱかった。このビールは多分ピルスナーを選択。
中)聞いてはいたが、想像以上に薄~く伸ばしたカツでした。味は良かったです。
右)デザートのザッハトルテが大きくて。。。あと、散策時のおやつに影響しました。
結構クネクネとガイドさんについて歩いたので、レストラン名、場所等フォロー出来ず。



午後からは、ベルベデール宮殿を観光後は夕方までオペラ座周辺を散策し、夕食後には再びシェーンブルン宮殿でコンサートを聴く。。。という予定が組まれています。



つづく



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Posted at 2024/01/14 23:35:43 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

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もみじの飛騨・信州ドライブ(その3:上高地を発つ三日目の朝まで) 
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2022/01/08 08:05:17

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