
12月8日は、午前中に
プラハ観光の後、
プラハから180kmほど南にあるチェスキー・クルムロフに移動しました。
チェスキーは、チェコ語で
ボヘミアのという意味、そして
クルムロフ(ドイツ語のKrumme Aue:湾曲した湿地帯を語源とする)
は川の湾曲部の湿地帯を意味するそうで・・・
👈その名の通りの地形になっています。
因みに、
モラヴィアにあるクルムロフはモラヴスキー・クルムロフと呼ばれており、区別されています。
日本で言うと、和歌山県の
あらぎ島や、埼玉県日高市の
巾着田になるでしょうか。
何れの画像もクリックで
拡大します。
こちらは、
チェスキー・クルムロフの駐車場まで約6kmの地点。
対向車は
シュコダ、先行車は
ヒュンデ。
チェスキー・クルムロフのバス駐車場から徒歩でお城に向かうと、間もなく
城壁を兼ねた宮殿と、
プラーシュティ橋(別名クローク橋)が現れます。要塞風のこの外観を見て、長崎県にある
軍艦島を思い出しました。


右前の現地人ガイドを除くと女性しか写っていません。
ツアー客の殆どが女性だったのが判ります。
そのままモルダウ川(プラハのカレル橋がかかっている川の上流です)の支流である小川・・・
ポレチニツェ川という立派な名前があります・・・に沿って直進して回り込むと。。。

そびえ立つ
チェスキー・クルムロフ城の塔が見えてきました。この檻の下には熊さんが飼われているのですが、見えませんでした。冬眠中か??

建物の
壁の石垣。。。
何だか変です
!
中庭に入って周りを囲んでいる宮殿を観ても。。。やはり
変! そうです。
だまし絵になっており、
なんちゃってルネッサンス様式の建物になっています。


石垣の模様だけでなく、
軒下のレリーフまでも描かれています。この
だまし絵。。。16世紀半ば、ボヘミア全土に広がった技術を用いて描かれているのだそうです。
右側は最近の作品でしょうか? チョット稚拙??
壁には熊さんの絵が描かれています 笑

城から降りて来たところにあった
ラゼブニキ橋を渡って旧市街へ向かいます。
橋の左側(下流側) 橋の右側(上流側)


ここがプラハでは
カレル橋がかかっていたモルダウ川の上流になります。
ラゼブニキ橋の上から振り返って、お城の塔を眺めたところです。やはりそびえたっています。
そのまま直進して、旧市街にある
スヴォルノスティ広場にやってきました。ここでも
Xmasマーケットが開かれていました。


こちらでは
だまし絵が
バロック風になっています。


隅っこの方に写っている塔は、こちらも
ペストを克服した記念碑です。こうなってくると、
COVID-19記念碑を造っても良さそうな気がしますけど。。。
下の方だけですけど、
ペスト記念碑。背景はパステル調のカラーが美しい
バロック風。
広場から覗いた
聖ヴィート教会(左)と市庁舎、観光案内所がある建物にあった
拷問博物館!(右)


プラハの旧市街広場に行く途中には、
Sex Machines Museum 👈地図上のMuseumをクリックすると(@_@。と言うのがありましたが、何事も真面目に取り組む(下手物にも目をそらさずに
博物館化してしまう)
チェコ人の気質が窺える一面・・・と表現して
いいものか。。。。
スヴォルノスティ広場からは、ルネッサンス様式が立ち並ぶ
ホルニー通りを抜けて・・・
・・・景色の良い展望台に来ました。
チェスキー・クルムロフ城と
聖ヨシュト教会(手前の緑の玉葱頭の塔)が一望出来ます。
視線を右側に移すと、いくつかの
修道院と街並みが見えています。
最後に、上流側にかかっている橋から
チェスキー・クルムロフ城を眺めて短い散策を終了しました。
さぁ、この時点で16時半頃。。。バスが動き出す頃には、辺りは真っ暗になっていました。
ここから
約210km。。。この日は隣国
オーストリアの首都ウィーンまでバス移動したのですが、
チェックインして
夕食にありつけたのは21時でした。
ウィーン初日の夕食。。。。美味しいポークステーキでした。
ビールはヴァイツェン。旅の前半は
ヴァイツェン(白ビール)を飲みまくりました。
本日の記録 バスでの移動距離:約400km、万歩計の歩数:16,857歩
つづく
【関連のブログ】
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中欧三か国早周りの旅(その1:速報)
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中欧三か国早周りの旅(その3:プルゼニ)
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中欧三か国早周りの旅(その4:プラハの前編)
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中欧三か国早周りの旅(その5:プラハの後編)
Posted at 2024/01/09 17:41:05 | |
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