
5月21日に関空を発って、22日早朝にヘルシンキでEU圏に入国後、飛行機移動で最初の訪問地
ヴィルニュス(リトアニアの首都です)に着いたのは
22日の10時頃でした。
早速、10時半頃から旧市街を中心とした観光が開始されました。
👈大聖堂の
鐘楼です。
まずは旧市街に隣接する
ゲディミナスの丘へ上がり、
ヴィルニュスの街を俯瞰します。
何れの画像もクリックで
拡大します。
麓から見上げた
ゲディミナス※の丘。。。到着早々登山は嫌だなと思っていたところ、インクラインが設置されていました。パリのモンマルトルの丘と同様、年寄りに優しい配慮ですね。
※ゲディミナス。。。14世紀の初頭、中世リトアニア大公国で、宗教、軍隊、城塞建設等バランスのとれた政治を行った賢君と言われている君主だそうです。日本では鎌倉幕府滅亡から室町時代にかけての年代になります。
麓に建っている像はゲディミナスの孫、ヴィータウタスで、同じく大公国の君主だった人です。
ゲディミナスの塔。。。かつての城壁の塔です。国旗がなびいていました。背景は新都市方面。
ガイドさんが旧市街方面の建物を説明してくれましたが、その場では
※☆♂♯∽◎♀★∀∵∑□∉
でしたので、帰国後に、この日の午後の散策で撮った
写真と見比べながら解明しました。
こちらは目立ったので撮っていましたが、実際には訪れていない
聖キャサリン教会。
聖ヨハネ教会と鐘堂(中央左)。
そして右端に写っている小さめの塔が、隣接する
ヴィルニュス大学の天文台(これは下の写真の左側に繋がります)。
真っ白な壁に薄緑の屋根が
大統領官邸。その後ろの大きな建物が
ドミニコ聖霊教会と修道院(行きませんでした)。 中央左側の塔が前述の
ヴィルニュス大学の天文台です。
反対側に目を転じると、この日最後に訪れる予定の
聖ペテロ・パウロ教会の頭頂部(ドームの一部)が森の向こうに見えていました。
手前の赤屋根は
歴史の家(国立リトアニア博物館の分館)、灰色屋根は
旧拘置所です。
元に戻って旧市街でも、この丘の足下に注目すると、
大聖堂(黒い三角屋根)と
鐘楼(塔)。。。

。。。手前の矩形の黒屋根は
王宮です。 これから降りて行って観ることになっています。
ネリス川の対岸(右側)は
新都市とでも言ったら良いのでしょうか。。。

。。。左側奥に広がる地域が
新市街と呼ばれています。手前右側の赤屋根は
旧兵器廠、左側の赤屋根は
国立リトアニア博物館です。 望遠にして撮ると
👇

新都市高層ビル群の中に、これから2泊する予定の
Radisson BLU リエトバ(教会右の白いビル)が見えています。
翌日の自由時間では、写っているトロリーバスで新市街方面からホテルに戻るところが、降りそこなって手前の緑橋まで来ていました。バス、トラムは、
クレカで支払い可能、制限時間内は乗降自由という制度ですので、乗り間違い、降りそこない等が起こっても適当に対処出来ます。
続いて丘を降り、いよいよ
ヴィルニュスの
旧市街を歩きます。
先ほど丘の上から眺めた建物、
リトアニア国立博物館です。
公園の木々を抜けると
大聖堂(中央)とその
鐘楼(左)が現れます。テントの奥から来たのですが。。。

。。。強烈な逆光でしたので大聖堂の正面(屋根に白像と十字架がある)は撮らずにまわり込んで撮っています。右側は
ゲディミナス大公像です。
大聖堂。。。入りました。
👈当然、主祭壇はありますが。。。
。。。この大聖堂の見所はリトアニアの守護聖人となったカジミエラス王子が安置された
聖カジミエルの礼拝所👇です。
聖カジミエルの礼拝所は大理石と砂岩で囲われ、壁には8体の王の像、漆喰彫刻、フレスコ画と多様な飾りが施されています。

正面にある聖カジミエルの聖画を拡大すると
👉手が3本あります
!
3本目の手は、消しても消しても現れるので、残されたままになっている、と言われています。
👈また、左側には、死後120年にお棺を開けた際に遺体に変化がなかった、という
聖カジミエルの奇跡が描かれた絵もありました。
さて、大聖堂を出た所にある
カテドゥルス広場周りですが、ここでは
ドイツ軍の戦車が並び市民との交流をやっているようでした。この時は、現地人ガイドさんも本当のことを仰らず、友好のための行事であるかのように説明されていましたが。。。
この日(5月22日)はロシアに対抗してドイツ軍がリトアニアに駐留し始めた記念すべき日であることが帰国後に判明しました。ガイドさんも添乗員さんも、観光という視点から
きな臭い情報には触れない方が良いと判断された結果なのであろうと思いますが。。。
リトアニア大西洋条約協会(LATA)が入っているビルには、リトアニア、ウクライナ、そして
ソ連から独立している期間にベラルーシが定めていた国旗(白赤白国旗)が掲げられています(右)。


リトアニアは、東をベラルーシ、南をロシアの飛び地(カリーニングラード)に接する小さい国(北海道の8割ほどの広さの土地に280万人が暮らす)です。この旅行を昨秋に思い立ったのも、ロシアvs.ウクライナの状況を鑑みてのことです。現に、今年に入って
バルト三国とポーランドは対人地雷禁止条約から脱退する意向を表明しています。こうやってドイツがロシア、ベラルーシを牽制することによって、リトアニアの安全を維持しようとしているのでしょう。

それにしても、知っていれば、ドイツの兵隊さんとも話したり、もっと写真を撮ったり出来たのに。。。と残念です。手元にある写真では、
レオパルト1は確認出来ますが、
レオパルト2がいたかどうか・・・若干あやふやです。
正午前になりました。観光のメインストリート(歩行者天国)である
ピリエス通りを通って。。。
この通りはこの日と翌日に何度も通ります。
昼食が用意されているレストランに向かいました。
ベルネリーシュ・ウジェーガ。。。
リトアニア料理専門のレストランでした。

旅行者に有難い野菜サラダ(左)と、ひき肉を練った芋で包み飛行船の形に整えた。。。

ツェッペリナイという郷土料理(右)。練った芋の食感は、名古屋の
ういろう風です。
美味しかったのですが、芋と肉のバランスを考えて芋は半分ほど残しました。
Posted at 2025/06/09 15:50:24 | |
海外(遊び) | 日記
2025年06月08日

バルト三国から帰国後10日ほどが経ち、少し落ち着いたのでブログに着手できるようになりました。
既報のとおり、往路はスロベニア・クロアチアの旅の時と全く同じでしたので省略しますが、今回発行された
北極通過証明書までが、
あの時いただいた証明書と
全く同一(通過地点の緯度経度も)だったことは興ざめでした。勿論、帰国後に前回の物と比較して判明したのですけどね
(^^ゞ
何れの画像もクリックで
拡大します。
冒頭の搭乗券は、伊丹で発行されたもの。。。発行する際に、「ヘルシンキからヴィルニュスまでは、お二人並びの席はCAさんと向かい合わせの席(ラッキー
!と思いました)しかありませんが、緊急脱出時にお手伝いしていただきます。
英語のほうは大丈夫ですか?」と確認されましたので、OK
!と回答して発行されたものです。
無事ヘルシンキに到着後は、乗り継ぎ便待ち。。。今回のツアーメンバーのうち、エコノミークラスは我々2名のみという実に珍しいパターン。つまり皆さんはラウンジを利用して時間を潰すことが出来ますが、我々は空港内のお店。。。こんな所で過ごしました。


我々が乗る飛行機は20分ほど遅れて到着。。。機種は久しぶりの
ATR-72です。
目の前で預入荷物を積み込みますので、嫌でも目視てチェックしてしまいます。
勿論、無事に自分の荷物が積み込まれる段取りになっていることを確認しました。
いざ搭乗開始です。
私がこんな写真を撮っている間に、
家内はサッサと行ってしまいました。。。

1B席に着く前にCAさんから何か言われているところに追いついたワタシ。
「奥様は英語が。。。なので、後ろの方と代わっていただきます」だと
! 「いや、彼女は理解しているけど、お喋りが少々苦手なだけ」と言ったけど、聞き入れてもらえず・・・
スピーキング試験で落第 (>_<)
私だけ1A席に案内されました。
隣の1B席に座ったのは、他の数人と一緒にリトアニアに遊びに行くフィンランド人の男性。話しかけると、上海に短期留学している息子さんが、再来週には留学終了記念の沖縄旅行をするのだとか、楽しそうに喋ってくれました。
そんなわけで、こんな景色の中を飛行する2時間ほどは、あっという間に経過。。。
そして到着したリトアニアの首都・ヴィルニュスの空港です。ヘルシンキでEUへの入国審査は終えていますので、預入荷物を受け取るまで30分もかからずにバスへ乗り込みます。
こちらはバスから見た
ヴィルニュス空港の正面玄関。あまり大きな空港ではありません。
空港から10分ほどで、ヴィルニュスの市街地が近づいてきました。
リトアニアの国鉄を跨線橋で跨ぎます。この左奥に
ヴィルニュス中央駅があります。
更に10分ほどで、旧市街の入口に到着し、そのまま旧市街を中心とした観光に出かけます。
つづく
【関連のブログ】
◇
バルト三国(その1:速報)
Posted at 2025/06/08 12:21:15 | |
海外(遊び) | 日記
2025年06月03日

昨6月2日、横浜の常宿から東京に出社途上の電車の中で、
飛鳥Ⅲが横浜港に初入港!と言うニュースを見たので、早速、退社後に
大桟橋までいってきました。
今春(3月2日)にドイツの
マイヤー・ベルフト造船所を出発以来、ようやく一般の人が目にすることになったものです。
何れの画像もクリックで
拡大します。
まずは
山下公園から全容を観ます。
続いて、大桟橋に上って
近くで観ます!


約束していた会食の時刻が迫っていましたが、最後尾まで行って確認した
後ろ姿も素敵です
!
これまで写真やYoutubeで見た飛鳥Ⅲよりも、
ホンモノの方が随分綺麗で端正な気がしました。
なお、飛鳥Ⅱよりも全長が10メートルほど短くなっています。
会食は、東横線の日吉駅近くの
イタリアンで。。。久しぶりのお店でした。
カルパッチョ(左)とローストビーフ(中)は前菜、メインは揚げた何とかカレイ(右)です。



物価高に伴い、お値段の方も50%くらい高くなったような気がします。そのせいでしょうか、20時半頃まで滞在しましたが、お客は我々含めて2組でした。
ランチで賑わっているようですが、お店やっていけるのか心配です(^^ゞ
まだまだ元気でしたので、帰路、常宿に帰巣する前に、もう一度
夜の飛鳥Ⅲを観に行ってみました。
客室の灯りは点いていませんでしたが、夜の飛鳥Ⅲも、
母港である横浜港の夜景に良い感じで溶け込んでいる姿を見たら、この船にもいつかは乗ってみたいと思いました。日本郵船(株)も良い船を造ってもらって良かったです。
夜の大桟橋に来たついでに、
みなとみらいの夜景を1枚撮っておきました。
今回は、いつものコンデジ(DSC-RX100)を持っていたのですが、何とミニ三脚がスーツケースに入っておらず、夜の撮影時は手すり等を利用して撮っています。
ドイツのマイヤー・ベルフト造船所を出発する時の動画が
👇のYoutubeに掲載されています。
Posted at 2025/06/03 23:38:56 | |
イベント | 日記
2025年06月01日

10日ほど音信不通になっていましたが、その間、バルト三国を巡ってきました。
バルト三国。。。南から
リトアニア、
ラトビア、
エストニアの順に
バルト海に沿って並んでいます。なお、彼の地ではバルト三国とは呼ばないようですが、自分用の土産に買ったショットグラス(左)には、BALTIC
Sと書いてあります。
何れの画像もクリックで
拡大します。
バルト三国の位置確認用にGoogleマップから切り取りました(左)。
ロシアのウクライナへの侵攻を鑑み改めて地図をみると、
地政学的にもリスキーな国々であることが判ります。そんなことを考え、今のうちに。。。と
昨秋にこの旅行を予約したものです。


今回の大まかな道順です(右)。実走距離は
優に1000kmを越えていると思います。
ヘルシンキまでの往復は、昨秋の
スロベニア・クロアチアの旅と全く同じ便(フィンエアーのAY0068、0067便)でした。ヘルシンキからは飛行機でリトアニアの首都
ヴィルニュスに移動し2泊、その後バス移動で、ラトビアの首都・
リーガで3泊、エストニアの首都・
タリンで2泊しています。最後に、タリンからヘルシンキまでは僅かでしたが往路と同様、飛行機で移動しました。往復の機内2泊を加えて合計
9泊10日(5/21~5/30)の日程でした。
今回の旅は、中々濃厚な内容の観光でした(と思っています)ので、色々調べたりしながらのアップになると思います。
取り敢えず、
バルト三国で見かけた日本製自動車を各国ナンバー毎に並べてみます。
まずは、
リトアニアで見かけた車。。。EUナンバーの略称は
LT
いきなり珍しい三菱エクリプス
!(左)と、日産リーフ(右)です。

続いて、
ラトビアで見かけた車。。。EUナンバーの略称は
LV
はい、パリでは最も目立ったカローラツーリングのタクシー(左)に、スバルXV(右)です。

最後に行った
エストニア。。。EUナンバーの略称は
EST
レクサス(左)はエストニアでも人気のようです。また、アベンシス(右)はもひとつ旧型(昔、欲しかった)もいました。

番外編で。。。こちらでも
ウクライナの車がいました。何れも
カウナスの高級住宅街でみかけたものです。EUではないので、
なんちゃってEUナンバーですが、略称は
UAを使っています。
スバルXV(左)はここにもいました。そして極めつけは三菱コルトと思しき車(右)ですが。。。


フロントのお顔が見たことのないデザインでした。場所が場所だけに茶△国と同様、出禁になっても困るので、お顔の写真も撮らずにサラッと退散しました
(^^ゞ
つづく
Posted at 2025/06/01 01:27:18 | |
海外(遊び) | 日記