我がロッテの前身で在る毎日オリオンズが初めて日本一に輝いたのは、2リーグ制導入元年の昭和25年。初の日本シリーズに於いて松竹ロビンスを相手に4勝2敗で制しました。
そして、ロッテオリオンズとして初めて日本一に輝いたのは昭和49年(1974年)パ・リーグへ2シーズン(前・後期)制が導入された2年目。
オープン戦で顔面へ打球を受けて序盤をリタイアした投手の木樽や、三冠王を驀進中だったアルトマンが、癌に侵されてる事が判明して戦線離脱(米國へ帰國)した事などが響き、前期は31勝27敗7分で首位の阪急ブレーブスに4.5ゲーム差の2位に甘んじる。
後期に入ると金田監督は、前期までの投手陣物量作戦からローテーション重視の作戦に変更。
木樽と成田の両輪に加え、金田留広と村田兆治、そしてリリーフ専門で150km/h以上の速球を投げる三井雅晴と言った強力な投手陣で打線をカバー。
中でも金田留広が好調で、16勝を挙げて最多勝を獲得。
打線も本塁打こそ少なかったが有藤道世・山崎裕之・弘田澄男を軸に、得津高宏と村上公康らがカバーし、少ない得点を手堅く守り切る野球でスタートから1度も首位の座を明け渡す事なく、本拠地を持たない不利にも耐えて38勝23敗2分で後期優勝を決めた!
前期優勝を果たした阪急とのプレイオフは西宮球場からスタート。
阪急は打者に加藤秀司や長池徳二を擁し、投手陣も山田久志・米田哲也・足立光宏を擁して常に優勝争いの一角を占めて来たチーム。
対する我がロッテは強力な投手力を利用し、西宮球場での第1戦を3-2で勝ち取ると、第2戦も金田留広の力投と山崎の本塁打などで8-3の快勝。
舞台を県営宮城球場へ移した第3戦も、若きエース村田が阪急の米田と山田を相手に力投し、敵軍のエラーでもぎ取った2点と、伏兵の得津が打った2ラン本塁打を被安打3の無失点で守り切り、4-0の完封勝ちでリーグ優勝を決めた!
日本シリーズの対戦相手は讀賣のV10を阻止した中日ドラゴンズ。
中日球場での第1戦は、1点リードで迎えた9回裏に村田が捕まり4-5のサヨナラ負け。
第2戦は4点ビハインドの6回に反撃を開始し、山崎の本塁打と土肥のタイムリーで2点を返し、8回には有藤の本塁打、弘田と得津のタイムリーで一気に4点を取って逆転。更には9回にも1点を追加し、成重の好リリーフも在って8-5で勝って成績をタイに戻す。
第3戦は後楽園球場へ舞台を移すも、先発の成田が中盤に崩れて4-5で敗れる。
第4戦は3-3の同点から弘田と有藤がレフトへ連続本塁打を放つと、先発の金田留広を7回から村田がリリーフして無失点に抑え、6-3で勝利し2勝2敗の再びタイに持ち込む。
第5戦は初回にシリーズ好調の得津がタイムリーで1点先制すると、8回には村上のスクイズで貴重な追加点を挙げ、此の日は絶好調の先発・木樽がシュートを主体に、外野への飛球が5本だけと言う出来で、中日打線を2被安打完封に抑えて2-0の勝利。
日本一へ王手を掛けた第6戦は我がロッテが先制して中日が追い付く展開だったが、此の日も好調の先発・村田が5回からは持ち前の速球で5人の打者を連続三振に斬って執る。
試合は2-2のまま延長戦に入り、10回に弘田の二塁打で土肥をホームへ迎え入れ、此れが決勝打となってシリーズ優勝を決めた!
2勝1セーブの村田が最優秀投手賞。打率4割と2本塁打の弘田が最優秀選手賞を獲得した。
此の後、東京銀座で優勝パレードが行われ、推定200萬人の観客が沿道を埋めて我がロッテの優勝を祝いました♪(^-^)
一方、ロッテの準フランチャイズの県営宮城球場では日本シリーズ戦が行われず、仙台のファンを残念がらせてしまいました(-_-;)
因みに県営宮城球場は現在、楽天の本拠地・コボスタ宮城です。
以上、長文にお付き合い頂きまして有難う御座いましたm(__)m
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2016/05/22 09:01:20