おはよう御座います!
本日の浦和は晴天で昨日よりも少し暖かい朝を迎えております。
さて、本日3月29日は1683(天和3)年の此の日、18歳の八百屋の娘・お七が3日間の市中引回しの上、火炙りの極刑に処せられた事から『八百屋お七の日』だそうです。
八百屋お七(やおやおしち)とは、江戸の本郷森川宿(現在の文京区本郷6丁目近辺)の八百屋の娘が、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる話で…
前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介の事が忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火し、火は直ぐに消し止められたもののお七は御用(逮捕)となりました。
当時は放火の罪は火炙りの極刑に処せられたのですが、17歳以下ならば極刑は免れる事になって居たので、お七の刑を軽くする為に奉行は「おぬしは17だろう?」と問うも、其の意味が解らなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい極刑に処せられる事となり、お七が丙午(ひのえうま)の年の生まれで在った事から、丙午生まれの女子が疎まれる様になったそうです。
此の話は井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられた事で広く知られる様になり、文學や歌舞伎、文樂など芸能に於いて多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっております。
又、お七が処刑された鈴ヶ森刑場(すずがもりけいじょう)は、嘗て東京都品川区南大井に存在した処刑場で、1871(明治4年)まで此の刑場で処刑された罪人は20萬人とも言われておりまして、磔獄門や火炙りに串刺し等と今では考えられない事が当時は罪人に対する処罰だったのですね。
現在は大経寺の境内に当たり霊魂を供養する為に建てられた供養塔が幾つも残されておりますが、東京都史蹟・鈴ヶ森刑場遺跡は昔から幽霊が出る事から平将門首塚と同様にミステリースポットとしても有名です。
鈴ヶ森刑場に於ける処刑者の4割が冤罪だったそうで、本人のみが知り得る真実を叫び無実を訴えながらも、誰にも全く受け入れられず刑に処せられ亡くなって行く人々の無念さは計り知れないものだと思いますし、死してもなお無実を訴えたいと言う境地は怨念へと変わり、霊体となって出没する事を考えれば冤罪で処刑された人々の御遺徳を偲び哀悼の意を表さずにはいられなくなるのが、現地へ訪れた時の素直な気持ちでした。
鈴ヶ森刑場遺跡の丸い火炙り台や四角い磔刑台には現在も常に花束が添えられて居るそうです。
お七は冤罪では在りませんでしたが今の時代では有り得ない様な話で、一途に人を想う気持ちは何時の時代に於いても変わらないもので在り、時を越えて非情の哀しみが伝わって来ますけど、故に此の悲恋の話は今の時世まで語り継がれたのだと思います。
因みに心霊スポットと言えば、東京都豊島区のブクロ(池袋)に在るサンシャインシティも嘗ては巣鴨プリズンと呼称された処刑場が在り、元首相やA級戦犯など多くの犯罪者が処刑された場所だった事から、誰も乗って居ないエレベーターが勝手に動き出したり、突然何かが落ちる様な物音がする等、従業員の多くが心霊現象を目撃して居るそうです。
自分も昔、最初の元妻とサンシャインのナンジャタウンへオールナイトで遊びに言った際、霊体を目撃しておりまして…「何か用かい?」と訊いて差し上げたのですが…妖怪では無くて幽霊でしたから~👻( ゜o゜)(笑)
てな訳で、本日もボチボチと気合い入れて頑張ってみますかね~(^-^)/(笑)
Posted at 2017/03/29 08:02:25 | |
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