おはよう御座います!
本日の浦和は陽射しの温もりが感じられる穏やかな晴天ながらも空気は凛として冷たく寒いんですが、自分は彼女と昨夜から今朝に亘り2ラウンドの合体プレーを実践して熱々のサタデーモーニングを迎えております♪(*^)(*^-^*)ゞ
さて、本日2月24日は1898(明治31)年の此の日、日本初の鉄道ストライキが実施された事から『鉄道ストの日』です。
昔の国鉄はストライキが年中行事の如く実施され、其れに反発した乗客が国鉄の駅で同時多発的に起こした暴動事件も在りましたが、国鉄が民営化されてJRへ変わって以降、電車が運休したり媒体が報道する程のスト(ストライキ)は無くなりました。
そして、国鉄で恒例化して居たストの事を「順法闘争」なんて呼称されてましたけど…って若い人は知らないでしょうか?(笑)
其の前に、JRが嘗ては国鉄(日本国有鉄道)と呼称されて居た事を知らない若年層も多いかと思いますけど!(笑)
1987(昭和62)年の分割民営化に因り消滅して現在の「JR」へ事業を継承したのが国鉄で、現在のプロ野球に於ける「東京ヤクルトスワローズ」も昔は「国鉄スワローズ」の時代が在りましたね♪⚾…ってキューバと同じ日本国営の球団だったのでしょうか?( ゜o゜)(笑)
あっ…論点が論旨から逸脱しましたが、電車は脱線しない様に点検及び安全運行を願いながら軌道修正しますm(__)m
労働組合は労働者自身が自らの権利を守る為、経営者に対して主張をぶつける為の組織で其の権利は法的に守られておりますが、国鉄労働者の場合は他の業種と異なり、日本電信電話公社(電電公社・現NTTグループ)、日本専売公社(現日本たばこ産業:JT)と共に、公共企業体と言う特殊な組織形態で、其の労使関係は公共企業体等労働関係法(公労法)と言う法律で規定されておりました。
公労法は労働者の基本的権利のうち団結権と団体交渉権を認めておりましたが、公共性の強い職種は権利よりも公共の福祉が優先すると言う論理に基づき、団体行動権(即ちストの権利)を認めて居なかったのです。
故にストは公労法に抵触する違法行為となりますから、職場に於ける安全確認などを名目に通常よりもゆっくりと列車を走らせダイヤを混乱させると言う闘争形態で「順法闘争」として居た訳で、通常の安全規則を厳密に解釈すると「円滑な業務遂行が困難になる事を逆手に利用する」と言った、こんなん遣り方で乗客の通勤や通學を困難にして居たのです!😒
人為的にダイヤを乱すなんて行為は言語道断で在り、今では考えられないですし通勤客が暴動を起こしそうですよね~!…って実際に暴動も起きた様ですけど…
因みに自分がガキの頃は、自宅からの最寄り駅はJR東日本埼京線(※当時は国鉄・池袋線)の十条でした。
此の「池袋線」は東京都豊島区の池袋駅と東京都北区の赤羽駅(5.5km)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線(幹線)で、埼京線列車のみが此処を通る為に駅の案内では「埼京線」と表示され「赤羽線」と言う名称は表示されて居ませんが、埼京線開業後もJR東日本に於ける当該区間の正式路線名称は「赤羽線」なんです!
現在の東北本線などを敷設した当時の日本鐵道が、現在の東海道本線との連絡線として1885年に敷設した赤羽〜新宿〜品川の路線が起源で、此の路線は日本鐵道の国有化後「山手線」となり、池袋から田端へ山手線の支線が作られ環状電車は支線の方を通ったので、池袋〜赤羽は支線の様な状態になりました。
後の1972年、池袋〜田端が山手線の本線となって池袋〜赤羽は「赤羽線」として分離し、早朝と深夜は赤羽線内での折り返し運転。
1985年には東北本線別線・赤羽〜武蔵浦和〜大宮が開業して赤羽線・山手貨物線と直通運転をする様になりまして、此れが「埼京線」となった訳ですが…
当初、埼京線は高崎線に乗り入れる計画も在ったそうですけど、用地買収が進まずにやむを得ず川越線の南古谷駅付近に車輌基地を建設する代案が立てられ、其れに伴い川越線も電化されて川越・大宮方面から都心へ直通運転する現在のルートが確立されたんですね。
しかし、池袋〜赤羽(池袋・板橋・十条・赤羽)間の正式路線名称は「赤羽線」ですから~!(笑)
てな訳で、本日もボチボチと頑張ってみますかね~(^-^)/(笑)
Posted at 2018/02/24 11:25:20 | |
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